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生贄のサニー

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「驚かせてごめん……ようこそ、僕の城へ」
「まあ、ありがとう」

 独特な化粧は幻想的だった。よく似合っている。
 懐かしい笑顔。
 そう思うのは、僕の前世が人間だったからだろうか。

「きみに、名前はあるの……」

 僕は訊いた。
 ずっとひとりぼっちで過ごしていたのだから。
 人間のお客さんが少し、嬉しい。

「サニーよ。あなたのお名前は、なに?」

 サニー。
 ぴったりじゃないか。

「僕の名前……ないよ。僕は、」
「キリンさんね? あなたの目は、キリンさんのように優しい目。本で見たことがあるわ」

 僕は白いキリンの子。
 嬉しかった。
 僕はまっしろで、牙や角があるのに。
 それなのに首だけは立派に長く、翼だってある。
 サニーには僕が、キリンに見えるのか。

「僕のお母さんは、キリンだったよ」
「キリンよ。あなたの名前は、キリン」

 春風のような声がそよぐ。けれど、季節は終わらない冬だ。
 サニーは冬の風に凍えた。
 僕はとっさに翼を広げ、サニーを包んであげた。
 僕の兎毛は長い。
 きっと、あたたかいはずだ。

「わぁ……あったかい。眠ってしまいそう」

 不思議だった。
 僕の心はまだ、人の扱い方を知っている。

「寒いだろう。僕のお城へどうぞ。サニーを招待しよう」
「ありがとう。じゃあ、一緒にトコモロコシのパンを食べたら、わたしを食べてね?」

 なんだって?

「……僕は、サニーを食べたりしない」

 なにを言っているんだ。

「どうして? わたしはあなたに捧げられた、生贄なのよ?」
「いけにえ……? なんだよそれ……、人間はいったいなにを……」
「なにって、わたし」
 
 動物のように、色鮮やかな化粧で飾った、美しい人間のサニー。
 彼女は言う。

「長い冬を終わらせるために、あなたに捧げられた生贄なのよ」

 ヤハ神様が創造した新しい動物の世で、人間も動物もそれぞれが進化を遂げ、文明を築いてきたはずだ。
 僕が人間だったころ、おそらく大昔には『生贄』という儀式のような習わしもあったのだろう。
 昔話や神話で読んだことがある。
 だからといって。

「サニー。悪いけど僕は君を食べられない。だから、トコモロコシのパンを食べてひとやすみしたら、帰るんだよ」

 トコモロコシも食べたことはない。
 とにかく、僕は人間なんて食べない。
 翼で包み込むサニーを見ても、可愛い女の子にしか見えないのだから。

「生贄に選ばれたなんて、素晴らしいことよ? わたしは甘んじて受け入れたわ」

 まるで死ぬことが怖くないという、優しい顔。

「……怖いじゃないか、そんなの」
「もう十四歳よ? 怖くなんかないわ」
「だめだ。帰るんだ」
「使命を全うしなきゃ。あなたに食べてもらった方がいいじゃない。それに、生きて帰ってしまったら、殺されちゃうもの」
「こ、殺されるだって? なんてひどいことを……とにかくお城に行こう。今日は風が冷たい」

 そしてサニーは、トコモロコシのパンを抱きしめてにっこりとうなずいた。
 殺されるなんて、本当か? にわかに信じ難かった。
 まだ十四歳だ。なぜこんなことになってしまったのだろうか。
 ひとまず小さなお城につみあげたわらの上まで歩かせた。
 いつも僕が眠っている、あたたかい藁にくるまっていれば寒くないだろう。
 僕が人間であれば、あたたかい紅茶でもご馳走したはずだ。
 しかしあいにくここにあるあたたかいものといえば、温泉しかない。
 こんな時、女の子ならどうしてほしいだろうか。妙にそわそわしてしまう。
 僕はもう二百年も動物でいるのに、心の中は人間のままなのか。

「わぁ……あたたかいのね、あなたの寝床」
「さっきまで僕が寝ていたからだ」

 サニーは藁の山から顔だけを出して嬉しそうだ。
 にっこりと笑ったと思ったら、今度はトコモロコシのパンを持った手が出てくる。
 小さくちぎって、僕に差し出した。

「これはあなたへのプレゼントなの。前菜よ?」
 ぐぅ……――

 今、君のお腹がなったよ。

「サニーが食べていい。僕は食べ物には困ってない」
「だめよ。はじめてだれかを想って作ったのよ? どうか、冬が終わりますように、って」

 呆れた。

「僕がサニーのパンを食べたって、僕がサニーを食べたって、この冬は終わらない。もう二百年だ。二百年春がきていない」
「終わらない……?」
「そうだ。この世を冬にしたのは僕じゃない。そもそも生贄なんて馬鹿なまねは……」
「ふぇ……」

 あれ……どうした? 
 うるうるしてる。

「じゃあわたし……、みんなに殺されるんだわ……うぅ……」

 泣いてる――あと少しで涙が流れてしまいそうだ。
 どうしてだ。僕が泣かせたのか。
 そうだ。サニーは生贄なのだ。
 もう少し優しい言葉をかけてあげるべきだった。

「サニー」
「ふえぇぇ……泣いちゃうわ」
「大丈夫だよ泣かないで。帰らなくていい。ここにいていいから」
「ほんと?」

 うそ泣きだ。いや、涙は流れている。
 ころころと表情が変わるだけ。

「……本当だよ」
「パンも食べてくれる?」
「食べる、ちゃんと食べるよ。でも半分こだ。サニーも食べなきゃ」
「うん!」

 今度は笑った。
 まさか動物になってまで人間の女の子を泣かせてしまうなんて。
 はたしてあのころは、どのように女の子と接していただろうか。

 女の子は、繊細なガラスのアートだ。
 陽を浴びて美しく輝いたかと思えば、扱い方を間違えれば、すぐに割れてこわれてしまう。
 思い出さなければならない。
 そうでなければ、太陽のような綺麗な笑みに、ひびが入ってしまいそうで怖かった。
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