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白いキリンの子

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「ヤハ神様が命の袋を持ってきてくださった!」

 地面を駆け回るような音がした。軽やかに飛びまわるような音だ。
 大地を揺らすほどの大きな地響きも感じる。翼を羽ばたかせる音や、手を叩くような音も。
 ここが動物たちが暮らす場所なのだろうか。
 僕はひとまず、動物の言葉に聞き耳を立てた。

「ヤハ神様、早く赤ちゃんを見せてください」
「ヤハ神様、誰の子でしょうか。私の子でしょうか?」

 きっと僕は、みんなが待ちわびた大切な動物の子。

「今年も清らかな動物の世には、新しい生命が誕生した。嵐を耐えしのぎ、寒さと寂しさを乗り越え、奇跡の子は生きていた」

 ヤハ神様の声が響き渡ると、動物たちの歓喜の声が聴こえた。
 ざわざわとする様子を耳で探ると、どうやらその数はとても多いらしい。
 こんなに楽しみにしていたなんて。

「兎、馬、キリン、鷲、龍。そばへ」

 僕のお母さんは、誰だろうか。

「袋はひとつなのですね? きっと美しい純白の兎毛うのけを持つわたくしの子です」
「いいえ、逞しく大地を駆ける駿馬の蹄を持つ、わたくしの子ですよ」
「きっと優しさあふれるキリンの首を持つ、わたくしの子じゃないかしら」
「この子は皆を見守り飛翔する、鷲の翼を持つわたくしの子」
「聖なる龍の角と牙を持つ、わたくしの子かもしれません」

 みんな僕を取り合いしている。きっと僕を見たら今よりもっと欲しくなって、みんなが僕のお母さんになってくれるかもしれない。
 だって、こんなに嬉しそうだもの。

「では、嵐に負けず生きた力強い奇跡の子を、皆に紹介しよう」

 ヤハ神様は命の袋をそっと開けてくださる。
 まだ小さな僕を、抱きかかえてくださった。
 寒い。眩しい。
 目をつぶった。
 早くお母さんに、抱いて欲しい。

「ヤハ神様、奇跡の子は……」

 だれかが僕を見て、声を出した。
 どれほど喜びに満ちた顔をしているだろうか。
 僕の、お母さんたち。
 寒さを堪え、僕はゆっくりと目を開けた。

「……わたくしの子ではありません」

 目を向けると、兎のお母さんが僕を見ていた。
 喜んではいなかった。
 恐怖を感じているようだった。

「わたくしの子ではありません」

 馬のお母さんも。

「わたくしの子ではありません」

 鷲のお母さんも。

「わたくしの子ではありません」

 龍のお母さんだって。
 みんな、僕から離れてしまう。
 どうして。

「お前たち。今なんと言うた」

 僕は、赤ちゃんだから。
 我慢ができずに涙が流れてしまった。
 僕と同じ姿をしたお母さんがいない。
 動物の子らはみんな、お母さんと同じ姿なのだ。
 兎の子は、みんな目が赤い。
 馬の子は、みんなたてがみがある。
 キリンの子は、みんな黄色い。
 鷲の子は、みんなくちばしがある。
 龍の子は、みんな身体が長い。
 僕のお母さんは、どこにもいなかった。

「バケモノの子だ――」
「これは動物の子なんかじゃないぞ」

 怖かった。
 みんなが僕に唸り声をあげて威嚇した。
 もしかして僕は、生まれてきてはいけない子なんじゃないのか――

「この子は人間であった前世の記憶を持ち、皆の赤子が生きるためひとつになった命だ」

 ヤハ神様は、僕の涙を拭ってくださった。

「その命、皆平等の命だぞ」

 けれど、

「こんな恐ろしい異形の子が同じ命だなんて」
「見てくれがちがうバケモノの子など、池にしずめてしまえ」
「人間の悪い思考しこうを持っているかもしれん。人間は森を燃やし、動物を狩るからな」

 美しいお顔は悲しみにくれた。
 動物たちの言葉を聴くヤハ神様は――

「――去れ、動物たち。その心無い言葉、奇跡の子に向ける目を、私は忘れぬぞ」

 一粒の、涙を大地に落とされたのを見た。
 動物たちはその瞬間、一斉にその場を離れた。
 森を駆けてゆく。

「――神の制裁せいさいが下される」

 制裁。
 僕はそれを、知っているような気がした。

「去らなければ命が失われるぞ――」
「バケモノが平和な世に不幸を連れてきた――」

 春陽あたたかい、春の大地の草花は凍りついた。
 天から降り注ぐ陽の光は、黒い雲が覆い隠す。
 白い雪は嵐となり、平和な大地を極寒の地へと変えた。
 寒い――悲しい。お母さんが、恋しい。
 ヤハ神様の胸に顔を埋めて、僕は震えた。
 誰からも、愛されてなんていなかった。
 動物は姿が違う僕を、愛してはくれなかった。

「ヤハ神様、その子をわたくしにくださいな」

 吹き荒れる嵐の中で、僕は確かにその声を聴いた。
 動物はまだ残っている。
 見上げると、首の長いお母さんがいた。
 とても優しい目だ。

「キリン、そなたがこの子の母親になると」
「もちろんです。この子の目は優しいキリンの目なのですから。この子は間違いなく、わたくしの子なのです」

 大きな顔をヤハ神様に近づけ、キリンのお母さんが長い首で包みこむ。

「なんて可愛いのでしょう。きっと立派な子に育ててみせます。ですから、この子をわたくしにください」

 僕の目は、キリンのお母さんの目。
 ヤハ神様の胸の中で寒さをこらえる僕を、キリンのお母さんは器用に命の袋に入れてくれた。

「高いところ、こわい……」

 命の袋をくわえて、頭を上げたから。

「怖がりね、大丈夫。私はあなたのお母さん。落としたりしない」
「お母さん……?」
「ヤハ神様はあなたを授けてくださった。寒い季節はいつ終わりが来るかわからないけれど、私のミルクを飲んで寄り添っていれば大丈夫」

 お母さん。
 僕のお母さんは、キリンのお母さん。

「僕は白いのに、キリンの子……?」
「そうね、あなたは白いキリンの子。人間の賢さを授かった、まっ白い奇跡の子が私の子なのよ。素敵じゃない」

 ヤハ神様は、最後にお母さんの顔を抱きしめてお姿を消された。
 そして天から、この世の皆に語る。
 
「つね日頃、他者をいつくしみ、愛情深く手を取り合いなさい。万物を託された支配者よ。それができなければこの世の雪が溶けることはない。二度と春が訪れることはない。私の深い悲しみが、癒えることもない」
 
 天地万物を創造された神は深い悲しみを雪として残し、僕らに試練を与えたのかもしれない。
 僕が人間だった頃もそうだった。
 あの頃、万物を託された人間が石油を垂れ流し、汚れた水を海や川に捨て、山々の森林を伐採し、食べ物を簡単に捨てた。
 親は子を殺し、子は親を殺し。金がモノを言う世の中を作ってしまったかつての人間。
 ヤハ神様が全て燃やし、水で流したのだ。

「可愛い坊や。あなたはいつまでも他者を慈しみ、愛情深く手を取り合う優しい子でいるのよ」
「わかったよ、お母さん」
「ヤハ神様はまだこの世を見捨ててはいない。どんなにつらくても、ひとりになっても生きるのよ」

 人間の世が崩壊したその日が、僕が死んだあの日。
 だからこそ僕には分かる。
 動物の世がどうなってしまうのかが、僕には痛いほど、よく分かるのだ。
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