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ブルーロータス
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出会いは、カウンターバーでひとりで飲んでいた時のことだ。二杯目を頼んだところで入店してきた男がいて、ふっとそちらを見ると、痩せ型でぴっちりとしたGパンに革ジャンの風体で髪は短めのオールバック、野性的な顔つきだったが、人懐っこそうな笑顔でバーテンにビールを頼んでいた。
「誰かいねぇかな、今夜のヤサになりそうなやつさ」
ビールを飲みながらバーテンに聞いている。すぐ近くの席だったので聞こえていた。バーテンはさあと往なしながらコップを拭いている。
「また公園のベンチで寝るしかねえかな」
言っていることは深刻だと思うが、あまり困った様子もなく、笑っている。
二杯目が終わり、三杯目をどうしようかと思っていたが、明日は休みだし、もう少し酔おうとバーテンを呼んだ。
「同じのをもう一杯」
するとバーテンがちらっとあの男を見て、こそっと言った。
「ネコさんらしいですよ、よかったらお持ち帰りしたらいかがですか」
えっと息を飲んで、横眼で彼を見た。前回来た時にこのバーテンに同棲していたネコのパートナーと別れたことを愚痴ったのだが、それを覚えていたのだろう。
だが、別れた理由が理由なだけに、それほど時間も経っていないうちにとも思うのだが、ワンナイトの相手というなら、あってもよいかも。ビールを飲み終えても二杯目を頼んでいない様子にバーテンに彼に二杯目をとそっと頼んだ。
バーテンがビールを出しながら、私のほうを指し示している。彼が驚いたように眼を見開いてから、あの人懐っこそうな笑顔でグラスを持って、私のすぐ横の席に座りなおした。
「ごちになっていいのかな」
頷くとグイッと飲み、はあっつと息をついた。
「うめぇ!」
そのうれしそうな様子に、なにかこちらまでうれしくなる。そんな雰囲気が彼にはあった。
バーを出て、近くのホテルを何軒か回ったが、金曜の夜、どこも満室だった。
「隣の駅にもあるけど」
彼が駅の方を指さしていたが、電車に乗ってホテル探しはさすがにやりたくない。かといって、せっかく知り合ったのに、このまま別れるのは残念な気がしていた。
「タクシーでうちに行こうか」
彼はさっきと同じ驚いたように眼を見開いた。
「えっ、いいのか」
それに応えるように手を上げてタクシーを止め、乗り込んだ。
二十分足らずでマンションに着く。カードで支払って降りると、先に降りていた彼がマンションを見上げていた。
「立派なマンションだな、あんた、リッチなんだな」
おごってくれたしなと振り返った。オートロックの玄関を入り、エントランスにある管理室の管理員に挨拶してエレベーターに乗る。十五階で降りた。中に入った途端、彼が感心していた。
「へえ、モデルルームみたいにキレイな部屋だな、すげぇ」
きょろきょろと見回していたが、急にすまなそうに言った。
「あのさ、先にシャワー貸してくんねぇか、二、三日入ってなくてさ」
苦笑してどうぞと案内した。バスタオルを出して脱衣場をでて、寝室に入った。シーツとピローカバーを取り換えて、寝酒のブランデーを枕元のテーブルに置いた。
シャワーから出てきた彼は腰にバスタオルを巻き、上半身を晒していた。その姿を見て惹きつけられた。着痩せしていたのだ。程よく筋肉がついていて、そして、その胸には。
「それ、タトゥー…?」
彼が左の胸を押さえた。
「ああ、そう。ちゃんと彫ってあるんだぜ、ブルーロータスてんだ、キレイだろ?」
ブルーロータス、簡単に言葉では言い表せないほど、美しい。澄んだ青の花。筋肉質で美しい肉体に咲く花。強く惹きつけられる。
「蓮の…花だね、青色なんて珍しいね」
こくっと頷いた。
「俺の名前があおだから」
「あお」
名前を呼んでみる。
「あんたは?」
なつめと答えると、彼も呼んだ。
「なつめ」
ワンナイトなのに名前を教え合ってしまうとは。ああ、それ以前にうちに連れて来てしまうとは。
この時、もう私は彼に、彼の花に、心を奪われ、そして、身体も支配されてしまったのだ。
ベッドに横たわったあおのものを舐めながら自分のものを扱いて勃たせた。
「うわ、うめぇな、あんた、気持ちいい、すげぇ」
あおが喘ぎだし、腰が動き出した。自分のものを扱いていた手を離し、ローションを手に取ってあの窪みを撫でた。
「あ、ああっ」
半身を起こして、その様子を見ている。
「優しんだな」
うれしそうに笑む。その笑顔が胸を刺す。指でゆっくりと解し、自分のものにもローションを塗って、押し当てた。
「はあうっ!」
あおが小さいが悲鳴を上げて、息を吐いた。すると、あおの窪みは花のように柔らかく開き、私のものがずいっと深く入っていく。だが、やはり奥は狭く、きつい。
「ああ、奥、きつい」
中で絞られるようだ。しばし、その感覚に浸っていると、あおがじれったそうに身体を捻った。
「動けよ、ガンガン突けよ」
言われるままに動きだす。すぐに高潮に達してしまいそうになるが、我慢して、身体を重ねるように倒した。あおの足を折って尻山を掴み、激しく突く。
「ああーあっ、あぅああ」
あおが劣情に濡れた声で何度も喘ぎ、泣き、震えた。
手を伸ばして、あの美しい花に触れる。汗ばんで温かい肌から、繋がっている部分から、あおの乱れた熱が伝わってくる。
「美しい…この花」
そしてあおの淫らな姿。美しい。私は一夜、彼と彼の花に酔い痴れた。
朝、休みということもあって起きもせず、ゆっくりと横で眠るあおの花を撫でていた。
「よっぽど気に入ったんだな、タトゥー」
眠っていたと思っていたが、目が覚めていたようで少し身体を起こした。
「あ、起こしてしまったかな」
あおは首を振り、カーテンの隙間から差し込む日の光にまぶしそうに眼を細めた。
「いや、もう起きてた」
かったると言ってベッドから降り、寝室から出て行った。用足しだったようですぐに戻ってきて、また横になった。
「一晩泊めてくれてありがとな。助かった」
そういえば、公園で寝なければならないと言っていた。これ以上深入りするのはどうかと思ったが、気になって聞いてみた。
「住まいはどうしたんだ、家がないとか?」
あおが大きなため息をついた。
「それがよ、働いてた会社がいきなり倒産しちまって、三人ばっか借り上げの寮に住んでたんだけど、追い出されてさ」
残りの給料も未払いのままだという。しばらくはカプセルホテルやネカフェで過ごしていたが、金が尽きて、公園で寝る羽目になり、最後の千円でビールでも飲もうとあのバーに入ったということだった。
「働き口探すにしてもヤサの住所とかいるじゃん、住所不定じゃあな」
住み込みの仕事を探しているが、この時勢、そううまくは見つからないと嘆いた。
「今日から…どうするんだ、その泊まるところとか」
あおはふっと顔を向けてきて、困ったような顔をした。
「まあ、また探すかな、一緒にホテルに行ってもいいし」
彼なら相手を探すのにそう苦労はしないような気がする。急に湧き上がってきた感情があった。別の男がこの花に触れるのかと思うと、不愉快になり、怒りすら覚えたのだ。思い切って提案してみた。
「君さえ…よかったら、仕事決まるまででも、うちにいるかい」
あおはまたあの眼を見開く驚きを見せた。
「えっ、でも、昨日知り合ったばっかだけど…」
いいのかと言うので、条件を出した。
「家事分担してくれて、朝コーヒー淹れてくれたらいいよ」
分担と言っても、食器洗うとか、掃除機掛けるとか、だからと言うと、あおが喜んだ。
「そんなんなら、前と同じだし、なんなら晩飯とか作るぜ」
ベッドの上で正座して、頭を下げた。世話になりますと真剣な顔でいうので、苦笑してしまった。
彼の花を独り占めできるうれしさ。抱き寄せて、そっとタトゥーに口付けした。
「そんなにタトゥー気に入ったなら、あんたも入れたらいいのに」
「痛いの苦手なんだ」
と笑った。その私の髪に彼もまたそっと口付けした。
駅のロッカーに荷物を預けてあるというので、一緒に出掛けて、受けとり、足りないものを買いにショッピングモールへ向かった。下着やTシャツ、スエットなどをカートに入れているのを見て、あおがあせった。
「でもさ、さっきロッカーから出すのに使った金が最後でさ」
出すからと言うと、すまなそうに首を折った。
「すまねぇ、借りとくな、働き口早く見つけて返すから」
気ままに生きているような見た目と違って、義理堅いところがある。そんなところにも惹かれていた。
その日はうちで夕ご飯を食べようと食材を買って、あおが腕を振るい、おいしいハンバーグを食べた。得意な料理はハンバーグ、カレー、チャーハンと言い、照れくさそうに頭を掻いた。
「へへ、ガキみたいだろ」
私は少し笑って、首を振った。
「私も好きだよ」
そっかぁよかったと笑う彼の笑顔に前のパートナーとの別れの痛みが癒されるような気がした。
先日まで同棲していたパートナーとは、最初はうまく共同生活をしていたが、次第に家事分担をしなくなり、クラブで遊んでたと言って深夜に帰宅することが多くなった。ごく普通の会社員だったが、ブランド物が好きで、バッグや時計に金を掛け、クラブで遊び、散財して、折半していた生活費が遅れるようになり、注意するとそのうち払うと切れるようになった。それでも情はあったので、我慢していたが、ある時、外泊して朝帰りしてきたので、理由を尋ねると、クラブで知り合った男と過ごしたと言った。カッとなり、責めてしまった。
「なんで浮気するんだ、誓い合ったの、忘れたのか」
すると、バカにしたように鼻で笑った。
「あんなの、ただのピロートークじゃないか、本気にするほうがおかしい」
それがきっかけで別れることになった。
いつもそう。こちらが真剣に想って一緒に暮らしても相手はただのセックスの相手か、同居人でしかないと思っている。その気持ちのズレを埋める相手などに巡り合うことなどないのかもしれない。それほど稀有なことなのだとあきらめかけていた。
あおは懸命に職探ししているようだった。何度か面接に行っていたし、家事もむしろ積極的にしてくれて、私の分担の洗濯やごみ捨てもしてくれていた。
「分担以外はしなくていいよ、私のすることがなくなる」
と言うと、あおはあの笑顔で手を振る。
「いいって、借りてる分の利息と思ってくれよ、そのかわり返済は元本のみでよろしく」
彼の言葉に私も笑ってしまった。
そんな毎日。もちろん、セックスも激しく、淫らで、楽しい。こんなに身体の相性が合うなんて。彼もそう思っていたようで、
「あんたのチンポの形が俺の穴に合うのかもな」「そうかもしれないね」
そんな卑猥な会話さえ、私には大切な会話だった。
あおが来てから一か月経った。なんとか仕事が決まりそうだというので祝おうかとあのカウンターバーに行って祝杯を挙げた。やはり住み込みの仕事ではなかったようで、部屋を借りる金が貯まるまでもう少しいさせてほしいと言ってきた。私はこの一か月ずっと考えていたことを話した。
「お金が貯まるまでと言わずに…一緒に住まないか、その…よかったらだけど」
するとあおは驚く時の眼で見返してきた。しばらく黙っているのでだめなのかと諦めかけた。
あおがビールのグラスを置く。グラスを握っている手が少し震えているように見えた。
「駄目ならそう言って…」
「ダメとかそんなわけないだろ…ただいいのかと思って」
遠慮しているのだとわかって安堵した。その夜は遅くまで飲み明かし、帰ってからパソコンでポストに貼る名札を作った。
『伊勢谷なつめ
別所 あお』
あおがしげしげと眺めていた。
「なんか、ちょっと恥ずいな」
照れ笑いして抱き付いてきた。そのままベッドインしてふたり果てるまでセックスした。
私は幸せだ。あの夜のバーテンの一言がなかったら、あおと出会えなかった。彼に感謝し、朝方ようやくあおから離れて眼を閉じた。
あおは前職と同じ建築系の仕事に付き、朝早く起きて自分で弁当を作り、夕方には帰宅して夕食の準備をするという規則正しい生活を送っていた。金遣いも慎ましやかで、唯一の贅沢品は革ジャンだと言った。
「初めての給料で買ったんだ」
大切に着てるんだと目を細めていた。
そして、自分の弁当の他に私の分の弁当も作ってくれて、会社でいつ結婚したんですかと尋ねられて焦ってしまった。健康のために自分で作ってるとごまかしたが、うれしくて仕方なかった。
…結婚…できたらいいのに。
ある区では、同性カップルの「結婚に相当する関係」とする証明書を発行したり、宣誓を受け付けたりなどできるようになってきているが、まだまだ結婚までには至っていない。養子縁組でもしなければ、戸籍も一緒にはできない。そういう制度など関係ないという考え方もあるが、私は大事なものだと思う。
そう、私には結婚願望があった。強い絆の証としての結婚。堂々と一緒に暮らすことのできる手段としての結婚。
同棲する相手にそれを求めてきたが、いつも価値観の違いで破局になっていた。
だから、あおにはそれを求めないようにしようと思った。失いたくない。その思いが強く、強く私の中に芽生えていたのだ。
私の職種は残業も多く、帰宅も不規則で夜中近くなることもある。その分給料もよく、同世代よりも遙かに多い年収を得ていた。それでこのようなマンションに住むことができ、余裕のある生活を送ることができていた。
あおは朝早いから先に夕食を済ませて休んでいてもいいからと言っても、私が帰ってくるのを待って、一緒に夕食を食べたがった。
「だってよ、別々に食ったら一緒に住んでる意味ないだろ」
並んで後片付けしてはうれしそうに身体を押し付けて愛撫をねだってくる。わたしを一夜に何度も求めてくる。愛おしくてしかたなかった。寝る時間よりも交わる時間の方が多いときも多々あった。その分、休みの日は昼近くまで寝ていたが。
その夜も遅くなってしまったが、あおは起きていて、軽めの食事を用意していた。食べながら、ニュースでも見ようとテレビをつけると、恋愛ドラマをやっていた。丁度最終回らしく、結婚式のシーンだった。教会で新郎新婦が並んでいる前で、神父だか牧師だかが誓いの言葉を唱えていた。
『健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓いますか』
いつ聞いても、なんと清らかで美しい文句だろう。思わず目頭が熱くなったが、あおに見られたらとあわてて堪えた。気になって横のあおを見ると気が付いた様子もなく中華がゆをすすっていた。
ベッドに入ってから、抱き付いてきたあおを抱き締めてから、そっと腕を外し、半身を起こし、項垂れた。あおが気にして尋ねてきた。
「どうした、疲れてるなら、今日は…」
ゆっくりと首を振って否定した。胸の奥にいつも押し隠している思いが先ほどの結婚式のシーンを見て、溢れてしまった。
「あおといて、とても楽しくて、幸せで。でも、いつか終わりが来るかもって思う時があって。怖いんだ」
何の保障もない関係だ。だが、逆に気軽でしがらみもない。そういう関係のはずだ。それでいいはずだ。それ以上求めたら、今までのように壊れてしまう。だから、言ってはだめだと理性は止めるが、感情がそれを上回ってしまった。
「証が欲しい。あおが私とずっと一緒にいてくれるという証が」
あおが不思議そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
「今一緒にいて、なつめに抱かれるだけじゃ心配てことか」
頷くとどうすればいいかと私の両腕を掴んだ。
「俺、今まで長く付き合えるやつっていなくて、すぐに甘えちまうし、サカってるみたいにしたがるし、あんまりにベタベタしてきて気持ち悪いっていうやつもいて…でも、なつめはとことん付き合ってくれる。初めてなんだ、そんな相手」
俺もずっと一緒にいたいと言ってくれた。目の前に彼の花があった。その花も含めて彼が一緒にいてくれるという証がほしい。
「誓ってくれないか、さっきの結婚式の言葉みたいに」
ああとあおが納得いったような声を出した。
「さっきのか、結婚するみたいにか」
再び頷く。あおが頭を掻いた。
「テレくせぇけど、なつめがしたいっていうなら」
私はうれしくて目から溢れる涙を堪えることができなかった。その涙をキスで拭いながらあおがたどたどしく言った。
「えっと、すこやかなときとか、やめる?ときとか、えっと」
その後を引き継いだ。何度も頭の中で唱えていた言葉だ。
「…喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓いますか」
あおが私の唇にキスをしながら応えた。
「誓います…」
私はあおを押し倒し、彼の花に口づけながら、誓った。
「私も誓います」
そうして、私とあおは結婚して夫婦になった。
それからの毎日は夢のようだった。休みの日は昼頃までダラダラと寝て過ごし、昼食を食べにいき、買い物をして、夜ふたりで夕食を作ったり、外に食べに行ったり。平日は仕事から帰るとあおが待ち構えるように出迎えて、夕食の後、一緒に入浴したり、マッサージしあったり、セックスしたり。そんな毎日を重ねていった。
ある時タトゥーの花弁を舌で辿っていて、ふと思って尋ねた。
「そういえばなんで蓮の花なんだ?普通バラとかじゃないのか」
するとあおは少し言いよどんでから私の髪を撫でた。
「……実家の裏に沼があってさ、そこに蓮が生えてて、夏になると咲くんだ。死んだじいちゃんが言ってた。極楽に咲く花だって」
顔を上げるとあおの眼が潤んでいた。
「じいちゃん、極楽に行けたかな」
身内の往生を案ずるあおに情の深さが垣間見られたような気がした。
「きっと、行けたよ」
よかったとあおが安堵した吐息をついた。
…私も『極楽』にいるようだよ
楽しい日々、身体も心も満たされる。誓いは守られ、互いへの想いは深くなっていった。
「熱、下がらねぇな」
風邪を引いたらしく、熱が出た私を気遣って、あおがアイスノンやスポーツ飲料を用意してくれた。休めなくてすまないと言って仕事に行った。先日あおが風邪を引いたとき私が有給を取って休んで看病したから気後れしているのだろう。解熱剤を飲んで休んでいると午後にはずいぶんとよくなっていた。あおが帰ってきてくれてから、卵がゆを作ってくれて、それを食べながら、明日は出勤できそうと言った。
「無理しねぇほうがいいぜ、薬で熱下がっただけだろ」
私の額に自分の額を付けて、心配していた。それでも、洗面器に湯を入れて、タオルを絞り、身体を拭いてくれた。
「あんま、休んでもいられねぇか、役職だもんな」
一応課長だからねと笑い、されるままに身体中を拭いてもらった。あおは拭きながら、私のものを扱きだした。するとすぐに反応してしまった。
「うーん、チンポは元気っぽいから大丈夫だな」
でも、やるのは明日からだなと洗面器を片付けた。指を絡めあい、手を握り合って、眠った。
翌日朝は気分がよく、熱もなかったので、出勤したが、午前中溜まっていた仕事を熟していたら、昼過ぎ急に具合が悪くなった。また熱がでてきて、頭痛がひどくなった。
上司が気付いてくれて、早退するよう促してくれたので、ありがたく帰宅することにした。
タクシーでマンション前に着き、ふらつきながらエレベーターに乗る。
…そういえば、今日、あお、休みとか言ってたな。
工事の工程の都合で平日が休みになることもあった。彼に栄養ドリンクでも買ってきてもらおうと思いながら。玄関を開けた。見慣れないショートブーツがあった。あおが買ったのかなと思い、リビングに行くとあおはいなかった。寝室のドアが少し開いていて、声が聞こえてきた。
「もういいだろ、そろそろ」
あおの声
「えー、せっかく会ったんだからさ」
男の声。ドスンと鈍い音がした。全身に刃物で刺されたような痛みが走った。ドアを開けていた。ベッドの縁に座るあおに、見知らぬ男が覆いかぶさるようにしていた。
「あっ!」
あおがあわてて立ち上がろうとし、男が脱ぎ掛けていたGパンを引きあげてあおに手を振った。
「じゃ、俺帰るわ」
ドアの前で立ち尽くす私にぶつかりながら、男は部屋を出ていき、玄関ドアが閉まる音がした。
あおは青ざめた顔で下を向いていた。私はあまりのことに何も言えず、ただあおを見つめていた。あおが震える声で言い出した。
「あいつ、昔の知り合いで、たまたま会って、こんなマンション見たことないっていうから、見せるだけって連れてきたんだ、それだけなんだ」
私は痛む頭を振って、怒鳴っていた。
「それだけで勝手に他人を家に上げたのか!」
あおが顔を上げた。眼が赤くなっていた。
「それだけなんて信じられない!」
先ほどのふたりの姿が頭の中をぐるぐると回っている。
「ふたりの部屋で、ふたりのベッドで‼あんなことを!」
「違う!あいつが急に襲ってきて!」
あおが首を振っていたが、私には浮気者の常套句にしか聞こえなかった。私はもう吐き出さずにはいられなかった。
「貞節を守るって誓いあったのに、君も他の連中と一緒だ、誓いを破って私を裏切ったんだ‼」
「違う!違う!」
あおが身体を振って否定していたが信じられない気持ちは消えなかった。今朝まで誓いの下に愛し合っていたのに。こんな形で壊れてしまうなんて。もう一緒にはいられない。別れるしかない。
「出て行ってくれ」
私はふらつく身体で寝室を出てリビングのソファに座った。あおは追うように寝室から出て来て、しばらく私を見ていたが、
「わかった」
と言って、自分の部屋に行った。そして、少しして出て来て、今日給料が出たんだと金と家のカードキーをテーブルの上に置いた。
「今日までありがとな、元気で」
声が震えているように聞こえたが、私は振り返らなかった。
玄関ドアが閉じる音がした。少ない荷物をまとめて出て行ったのだ。
あまりに急な破局。急に今日までのあおとの睦みが思い出されて苦しくなってきた。
楽しかった日々、愛に包まれた毎夜、誠実で朗らかなあお。
やはり、浮気する気はなくて、この家を見せてやろうとしただけなのではないか。あおが言うように男が無理やりしようとしただけなのではないか。
もしそうなら。もしそうなら、私は早まったことをしたのでは。
ソファから立ち上がった。
その時、外で車のブレーキの音がした。
キキキーッ‼
そしてドォンという音。
ベランダに出て下を見た。トラックが止まっていて、ヒトが倒れていた。私は声にならない悲鳴を上げた。
警察署の安置室でその姿を見ても、信じられなかった。信じたくない。嘘だ、嘘に決まっている。そんなばかなことがあるのか。ついさっきまで目の前にいたのに、二度と眼を開くこともなく、二度と唇から言葉を紡ぐこともなくなるなんて。冷たくなった手を握りしめて震えた。
「同居されてた別所あおさんで間違いないですか」
警察官がそっと尋ねてきた。無言で頷く。目撃者の話によれば、横断歩道を渡っていたあおが急に向きを変え、戻ろうとしたところを直進してきたトラックが撥ねたとのことだった。あおは戻ろうとしたのだ、私の元へ。
ビニール袋に入ったスマホを見せてきた。
「別所さんのスマホです。壊れていません。ご家族や知人に連絡してくれますか」
受け取って了解しようとしたが、できなかった。
「ああっ、ああーっ!」
堪えきれずあおの身体に突っ伏していた。警察官が、その私の肩を掴んで、引き離し、安置室から連れ出した。
それからは何も考えられず、警察官と葬儀社の担当の言われるままに通夜も告別式もなく荼毘に伏すだけの葬式をした。骨の入った骨壺の箱を抱えて、家に帰ってきた。
「おかえり、おつかれさん‼」
ふとあおの声がして見回した。
「あお、あお」
いるはずのないあおを探して私は家中走り回った。
なぜあの時あおの「言い訳」を聞いてやらなかったのだろう。なぜ浮気と決めつけて非難したりしたのだろう。なぜ出ていけと言ってしまったのだろう。
後悔の刃が身体を心を切り刻み、喪失感と絶望に苛まれた。枯れることのない涙が骨壺の箱の木肌に吸い込まれていった。
あおのスマホの電話帳には実家と私と会社の番号しか登録がなかった。LINEも私とのやり取り以外にはなにもなかった。その実家の電話番号をしばらく眺めていたが、思い切って押した。
長いコール。しかし出る様子がなく、切ろうとしたとき、
『はい』
低い男の返事があった。
「あの…別所さんのお宅ですか」
『そうだが』
少し躊躇った後説明した。
「私、あお君と一緒に暮らしていた伊勢谷というものですが」
沈黙。切られるのではと思い、急いで言った。
「あお君、交通事故で亡くなりました、お骨預かっているのですが」
お墓にと言いかけたとき遮られた。
『そっちで適当に処分してくれ』
ガチャと切られた。
ああ、あおも同じだったのだな。まだまだ理解されない境遇。自分もたぶん亡くなったら、同じように言われるのだろう。スマホをそっと骨壺の箱の上に置いた。
「今日で仕上がりですよ」
そう言って、姿見を引いてきて見せてくれた。
「ああ」
それを見て感嘆の息を付く。鏡に映ったそれ。
「蓮の花で青色もいいすね」
彫師がいい出来だと満足げに言う。私はワイシャツを着て、スーツに身を包むと彼に礼を言った。
「ありがとうございました」
彫師は困ったように返した。
「それはこっちのセリフですよ」
怪しげな店やサロンのある雑居ビルから出て、家路に着いた。
家に帰ってきた私はすべてを脱ぎ捨て、鏡の前に立った。しばし、手首の傷痕を眺めてから、鏡を見る。左の胸に咲く花。その花に触れながら私は笑む。
「あお、これでずっと一緒だ、君と私は死すらも分つことはできないほどに結ばれているんだよ」
青い蓮の花―ブルーロータス―に愛し慈しみ貞節を守ることを誓うのだった。 (完)
「誰かいねぇかな、今夜のヤサになりそうなやつさ」
ビールを飲みながらバーテンに聞いている。すぐ近くの席だったので聞こえていた。バーテンはさあと往なしながらコップを拭いている。
「また公園のベンチで寝るしかねえかな」
言っていることは深刻だと思うが、あまり困った様子もなく、笑っている。
二杯目が終わり、三杯目をどうしようかと思っていたが、明日は休みだし、もう少し酔おうとバーテンを呼んだ。
「同じのをもう一杯」
するとバーテンがちらっとあの男を見て、こそっと言った。
「ネコさんらしいですよ、よかったらお持ち帰りしたらいかがですか」
えっと息を飲んで、横眼で彼を見た。前回来た時にこのバーテンに同棲していたネコのパートナーと別れたことを愚痴ったのだが、それを覚えていたのだろう。
だが、別れた理由が理由なだけに、それほど時間も経っていないうちにとも思うのだが、ワンナイトの相手というなら、あってもよいかも。ビールを飲み終えても二杯目を頼んでいない様子にバーテンに彼に二杯目をとそっと頼んだ。
バーテンがビールを出しながら、私のほうを指し示している。彼が驚いたように眼を見開いてから、あの人懐っこそうな笑顔でグラスを持って、私のすぐ横の席に座りなおした。
「ごちになっていいのかな」
頷くとグイッと飲み、はあっつと息をついた。
「うめぇ!」
そのうれしそうな様子に、なにかこちらまでうれしくなる。そんな雰囲気が彼にはあった。
バーを出て、近くのホテルを何軒か回ったが、金曜の夜、どこも満室だった。
「隣の駅にもあるけど」
彼が駅の方を指さしていたが、電車に乗ってホテル探しはさすがにやりたくない。かといって、せっかく知り合ったのに、このまま別れるのは残念な気がしていた。
「タクシーでうちに行こうか」
彼はさっきと同じ驚いたように眼を見開いた。
「えっ、いいのか」
それに応えるように手を上げてタクシーを止め、乗り込んだ。
二十分足らずでマンションに着く。カードで支払って降りると、先に降りていた彼がマンションを見上げていた。
「立派なマンションだな、あんた、リッチなんだな」
おごってくれたしなと振り返った。オートロックの玄関を入り、エントランスにある管理室の管理員に挨拶してエレベーターに乗る。十五階で降りた。中に入った途端、彼が感心していた。
「へえ、モデルルームみたいにキレイな部屋だな、すげぇ」
きょろきょろと見回していたが、急にすまなそうに言った。
「あのさ、先にシャワー貸してくんねぇか、二、三日入ってなくてさ」
苦笑してどうぞと案内した。バスタオルを出して脱衣場をでて、寝室に入った。シーツとピローカバーを取り換えて、寝酒のブランデーを枕元のテーブルに置いた。
シャワーから出てきた彼は腰にバスタオルを巻き、上半身を晒していた。その姿を見て惹きつけられた。着痩せしていたのだ。程よく筋肉がついていて、そして、その胸には。
「それ、タトゥー…?」
彼が左の胸を押さえた。
「ああ、そう。ちゃんと彫ってあるんだぜ、ブルーロータスてんだ、キレイだろ?」
ブルーロータス、簡単に言葉では言い表せないほど、美しい。澄んだ青の花。筋肉質で美しい肉体に咲く花。強く惹きつけられる。
「蓮の…花だね、青色なんて珍しいね」
こくっと頷いた。
「俺の名前があおだから」
「あお」
名前を呼んでみる。
「あんたは?」
なつめと答えると、彼も呼んだ。
「なつめ」
ワンナイトなのに名前を教え合ってしまうとは。ああ、それ以前にうちに連れて来てしまうとは。
この時、もう私は彼に、彼の花に、心を奪われ、そして、身体も支配されてしまったのだ。
ベッドに横たわったあおのものを舐めながら自分のものを扱いて勃たせた。
「うわ、うめぇな、あんた、気持ちいい、すげぇ」
あおが喘ぎだし、腰が動き出した。自分のものを扱いていた手を離し、ローションを手に取ってあの窪みを撫でた。
「あ、ああっ」
半身を起こして、その様子を見ている。
「優しんだな」
うれしそうに笑む。その笑顔が胸を刺す。指でゆっくりと解し、自分のものにもローションを塗って、押し当てた。
「はあうっ!」
あおが小さいが悲鳴を上げて、息を吐いた。すると、あおの窪みは花のように柔らかく開き、私のものがずいっと深く入っていく。だが、やはり奥は狭く、きつい。
「ああ、奥、きつい」
中で絞られるようだ。しばし、その感覚に浸っていると、あおがじれったそうに身体を捻った。
「動けよ、ガンガン突けよ」
言われるままに動きだす。すぐに高潮に達してしまいそうになるが、我慢して、身体を重ねるように倒した。あおの足を折って尻山を掴み、激しく突く。
「ああーあっ、あぅああ」
あおが劣情に濡れた声で何度も喘ぎ、泣き、震えた。
手を伸ばして、あの美しい花に触れる。汗ばんで温かい肌から、繋がっている部分から、あおの乱れた熱が伝わってくる。
「美しい…この花」
そしてあおの淫らな姿。美しい。私は一夜、彼と彼の花に酔い痴れた。
朝、休みということもあって起きもせず、ゆっくりと横で眠るあおの花を撫でていた。
「よっぽど気に入ったんだな、タトゥー」
眠っていたと思っていたが、目が覚めていたようで少し身体を起こした。
「あ、起こしてしまったかな」
あおは首を振り、カーテンの隙間から差し込む日の光にまぶしそうに眼を細めた。
「いや、もう起きてた」
かったると言ってベッドから降り、寝室から出て行った。用足しだったようですぐに戻ってきて、また横になった。
「一晩泊めてくれてありがとな。助かった」
そういえば、公園で寝なければならないと言っていた。これ以上深入りするのはどうかと思ったが、気になって聞いてみた。
「住まいはどうしたんだ、家がないとか?」
あおが大きなため息をついた。
「それがよ、働いてた会社がいきなり倒産しちまって、三人ばっか借り上げの寮に住んでたんだけど、追い出されてさ」
残りの給料も未払いのままだという。しばらくはカプセルホテルやネカフェで過ごしていたが、金が尽きて、公園で寝る羽目になり、最後の千円でビールでも飲もうとあのバーに入ったということだった。
「働き口探すにしてもヤサの住所とかいるじゃん、住所不定じゃあな」
住み込みの仕事を探しているが、この時勢、そううまくは見つからないと嘆いた。
「今日から…どうするんだ、その泊まるところとか」
あおはふっと顔を向けてきて、困ったような顔をした。
「まあ、また探すかな、一緒にホテルに行ってもいいし」
彼なら相手を探すのにそう苦労はしないような気がする。急に湧き上がってきた感情があった。別の男がこの花に触れるのかと思うと、不愉快になり、怒りすら覚えたのだ。思い切って提案してみた。
「君さえ…よかったら、仕事決まるまででも、うちにいるかい」
あおはまたあの眼を見開く驚きを見せた。
「えっ、でも、昨日知り合ったばっかだけど…」
いいのかと言うので、条件を出した。
「家事分担してくれて、朝コーヒー淹れてくれたらいいよ」
分担と言っても、食器洗うとか、掃除機掛けるとか、だからと言うと、あおが喜んだ。
「そんなんなら、前と同じだし、なんなら晩飯とか作るぜ」
ベッドの上で正座して、頭を下げた。世話になりますと真剣な顔でいうので、苦笑してしまった。
彼の花を独り占めできるうれしさ。抱き寄せて、そっとタトゥーに口付けした。
「そんなにタトゥー気に入ったなら、あんたも入れたらいいのに」
「痛いの苦手なんだ」
と笑った。その私の髪に彼もまたそっと口付けした。
駅のロッカーに荷物を預けてあるというので、一緒に出掛けて、受けとり、足りないものを買いにショッピングモールへ向かった。下着やTシャツ、スエットなどをカートに入れているのを見て、あおがあせった。
「でもさ、さっきロッカーから出すのに使った金が最後でさ」
出すからと言うと、すまなそうに首を折った。
「すまねぇ、借りとくな、働き口早く見つけて返すから」
気ままに生きているような見た目と違って、義理堅いところがある。そんなところにも惹かれていた。
その日はうちで夕ご飯を食べようと食材を買って、あおが腕を振るい、おいしいハンバーグを食べた。得意な料理はハンバーグ、カレー、チャーハンと言い、照れくさそうに頭を掻いた。
「へへ、ガキみたいだろ」
私は少し笑って、首を振った。
「私も好きだよ」
そっかぁよかったと笑う彼の笑顔に前のパートナーとの別れの痛みが癒されるような気がした。
先日まで同棲していたパートナーとは、最初はうまく共同生活をしていたが、次第に家事分担をしなくなり、クラブで遊んでたと言って深夜に帰宅することが多くなった。ごく普通の会社員だったが、ブランド物が好きで、バッグや時計に金を掛け、クラブで遊び、散財して、折半していた生活費が遅れるようになり、注意するとそのうち払うと切れるようになった。それでも情はあったので、我慢していたが、ある時、外泊して朝帰りしてきたので、理由を尋ねると、クラブで知り合った男と過ごしたと言った。カッとなり、責めてしまった。
「なんで浮気するんだ、誓い合ったの、忘れたのか」
すると、バカにしたように鼻で笑った。
「あんなの、ただのピロートークじゃないか、本気にするほうがおかしい」
それがきっかけで別れることになった。
いつもそう。こちらが真剣に想って一緒に暮らしても相手はただのセックスの相手か、同居人でしかないと思っている。その気持ちのズレを埋める相手などに巡り合うことなどないのかもしれない。それほど稀有なことなのだとあきらめかけていた。
あおは懸命に職探ししているようだった。何度か面接に行っていたし、家事もむしろ積極的にしてくれて、私の分担の洗濯やごみ捨てもしてくれていた。
「分担以外はしなくていいよ、私のすることがなくなる」
と言うと、あおはあの笑顔で手を振る。
「いいって、借りてる分の利息と思ってくれよ、そのかわり返済は元本のみでよろしく」
彼の言葉に私も笑ってしまった。
そんな毎日。もちろん、セックスも激しく、淫らで、楽しい。こんなに身体の相性が合うなんて。彼もそう思っていたようで、
「あんたのチンポの形が俺の穴に合うのかもな」「そうかもしれないね」
そんな卑猥な会話さえ、私には大切な会話だった。
あおが来てから一か月経った。なんとか仕事が決まりそうだというので祝おうかとあのカウンターバーに行って祝杯を挙げた。やはり住み込みの仕事ではなかったようで、部屋を借りる金が貯まるまでもう少しいさせてほしいと言ってきた。私はこの一か月ずっと考えていたことを話した。
「お金が貯まるまでと言わずに…一緒に住まないか、その…よかったらだけど」
するとあおは驚く時の眼で見返してきた。しばらく黙っているのでだめなのかと諦めかけた。
あおがビールのグラスを置く。グラスを握っている手が少し震えているように見えた。
「駄目ならそう言って…」
「ダメとかそんなわけないだろ…ただいいのかと思って」
遠慮しているのだとわかって安堵した。その夜は遅くまで飲み明かし、帰ってからパソコンでポストに貼る名札を作った。
『伊勢谷なつめ
別所 あお』
あおがしげしげと眺めていた。
「なんか、ちょっと恥ずいな」
照れ笑いして抱き付いてきた。そのままベッドインしてふたり果てるまでセックスした。
私は幸せだ。あの夜のバーテンの一言がなかったら、あおと出会えなかった。彼に感謝し、朝方ようやくあおから離れて眼を閉じた。
あおは前職と同じ建築系の仕事に付き、朝早く起きて自分で弁当を作り、夕方には帰宅して夕食の準備をするという規則正しい生活を送っていた。金遣いも慎ましやかで、唯一の贅沢品は革ジャンだと言った。
「初めての給料で買ったんだ」
大切に着てるんだと目を細めていた。
そして、自分の弁当の他に私の分の弁当も作ってくれて、会社でいつ結婚したんですかと尋ねられて焦ってしまった。健康のために自分で作ってるとごまかしたが、うれしくて仕方なかった。
…結婚…できたらいいのに。
ある区では、同性カップルの「結婚に相当する関係」とする証明書を発行したり、宣誓を受け付けたりなどできるようになってきているが、まだまだ結婚までには至っていない。養子縁組でもしなければ、戸籍も一緒にはできない。そういう制度など関係ないという考え方もあるが、私は大事なものだと思う。
そう、私には結婚願望があった。強い絆の証としての結婚。堂々と一緒に暮らすことのできる手段としての結婚。
同棲する相手にそれを求めてきたが、いつも価値観の違いで破局になっていた。
だから、あおにはそれを求めないようにしようと思った。失いたくない。その思いが強く、強く私の中に芽生えていたのだ。
私の職種は残業も多く、帰宅も不規則で夜中近くなることもある。その分給料もよく、同世代よりも遙かに多い年収を得ていた。それでこのようなマンションに住むことができ、余裕のある生活を送ることができていた。
あおは朝早いから先に夕食を済ませて休んでいてもいいからと言っても、私が帰ってくるのを待って、一緒に夕食を食べたがった。
「だってよ、別々に食ったら一緒に住んでる意味ないだろ」
並んで後片付けしてはうれしそうに身体を押し付けて愛撫をねだってくる。わたしを一夜に何度も求めてくる。愛おしくてしかたなかった。寝る時間よりも交わる時間の方が多いときも多々あった。その分、休みの日は昼近くまで寝ていたが。
その夜も遅くなってしまったが、あおは起きていて、軽めの食事を用意していた。食べながら、ニュースでも見ようとテレビをつけると、恋愛ドラマをやっていた。丁度最終回らしく、結婚式のシーンだった。教会で新郎新婦が並んでいる前で、神父だか牧師だかが誓いの言葉を唱えていた。
『健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓いますか』
いつ聞いても、なんと清らかで美しい文句だろう。思わず目頭が熱くなったが、あおに見られたらとあわてて堪えた。気になって横のあおを見ると気が付いた様子もなく中華がゆをすすっていた。
ベッドに入ってから、抱き付いてきたあおを抱き締めてから、そっと腕を外し、半身を起こし、項垂れた。あおが気にして尋ねてきた。
「どうした、疲れてるなら、今日は…」
ゆっくりと首を振って否定した。胸の奥にいつも押し隠している思いが先ほどの結婚式のシーンを見て、溢れてしまった。
「あおといて、とても楽しくて、幸せで。でも、いつか終わりが来るかもって思う時があって。怖いんだ」
何の保障もない関係だ。だが、逆に気軽でしがらみもない。そういう関係のはずだ。それでいいはずだ。それ以上求めたら、今までのように壊れてしまう。だから、言ってはだめだと理性は止めるが、感情がそれを上回ってしまった。
「証が欲しい。あおが私とずっと一緒にいてくれるという証が」
あおが不思議そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
「今一緒にいて、なつめに抱かれるだけじゃ心配てことか」
頷くとどうすればいいかと私の両腕を掴んだ。
「俺、今まで長く付き合えるやつっていなくて、すぐに甘えちまうし、サカってるみたいにしたがるし、あんまりにベタベタしてきて気持ち悪いっていうやつもいて…でも、なつめはとことん付き合ってくれる。初めてなんだ、そんな相手」
俺もずっと一緒にいたいと言ってくれた。目の前に彼の花があった。その花も含めて彼が一緒にいてくれるという証がほしい。
「誓ってくれないか、さっきの結婚式の言葉みたいに」
ああとあおが納得いったような声を出した。
「さっきのか、結婚するみたいにか」
再び頷く。あおが頭を掻いた。
「テレくせぇけど、なつめがしたいっていうなら」
私はうれしくて目から溢れる涙を堪えることができなかった。その涙をキスで拭いながらあおがたどたどしく言った。
「えっと、すこやかなときとか、やめる?ときとか、えっと」
その後を引き継いだ。何度も頭の中で唱えていた言葉だ。
「…喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓いますか」
あおが私の唇にキスをしながら応えた。
「誓います…」
私はあおを押し倒し、彼の花に口づけながら、誓った。
「私も誓います」
そうして、私とあおは結婚して夫婦になった。
それからの毎日は夢のようだった。休みの日は昼頃までダラダラと寝て過ごし、昼食を食べにいき、買い物をして、夜ふたりで夕食を作ったり、外に食べに行ったり。平日は仕事から帰るとあおが待ち構えるように出迎えて、夕食の後、一緒に入浴したり、マッサージしあったり、セックスしたり。そんな毎日を重ねていった。
ある時タトゥーの花弁を舌で辿っていて、ふと思って尋ねた。
「そういえばなんで蓮の花なんだ?普通バラとかじゃないのか」
するとあおは少し言いよどんでから私の髪を撫でた。
「……実家の裏に沼があってさ、そこに蓮が生えてて、夏になると咲くんだ。死んだじいちゃんが言ってた。極楽に咲く花だって」
顔を上げるとあおの眼が潤んでいた。
「じいちゃん、極楽に行けたかな」
身内の往生を案ずるあおに情の深さが垣間見られたような気がした。
「きっと、行けたよ」
よかったとあおが安堵した吐息をついた。
…私も『極楽』にいるようだよ
楽しい日々、身体も心も満たされる。誓いは守られ、互いへの想いは深くなっていった。
「熱、下がらねぇな」
風邪を引いたらしく、熱が出た私を気遣って、あおがアイスノンやスポーツ飲料を用意してくれた。休めなくてすまないと言って仕事に行った。先日あおが風邪を引いたとき私が有給を取って休んで看病したから気後れしているのだろう。解熱剤を飲んで休んでいると午後にはずいぶんとよくなっていた。あおが帰ってきてくれてから、卵がゆを作ってくれて、それを食べながら、明日は出勤できそうと言った。
「無理しねぇほうがいいぜ、薬で熱下がっただけだろ」
私の額に自分の額を付けて、心配していた。それでも、洗面器に湯を入れて、タオルを絞り、身体を拭いてくれた。
「あんま、休んでもいられねぇか、役職だもんな」
一応課長だからねと笑い、されるままに身体中を拭いてもらった。あおは拭きながら、私のものを扱きだした。するとすぐに反応してしまった。
「うーん、チンポは元気っぽいから大丈夫だな」
でも、やるのは明日からだなと洗面器を片付けた。指を絡めあい、手を握り合って、眠った。
翌日朝は気分がよく、熱もなかったので、出勤したが、午前中溜まっていた仕事を熟していたら、昼過ぎ急に具合が悪くなった。また熱がでてきて、頭痛がひどくなった。
上司が気付いてくれて、早退するよう促してくれたので、ありがたく帰宅することにした。
タクシーでマンション前に着き、ふらつきながらエレベーターに乗る。
…そういえば、今日、あお、休みとか言ってたな。
工事の工程の都合で平日が休みになることもあった。彼に栄養ドリンクでも買ってきてもらおうと思いながら。玄関を開けた。見慣れないショートブーツがあった。あおが買ったのかなと思い、リビングに行くとあおはいなかった。寝室のドアが少し開いていて、声が聞こえてきた。
「もういいだろ、そろそろ」
あおの声
「えー、せっかく会ったんだからさ」
男の声。ドスンと鈍い音がした。全身に刃物で刺されたような痛みが走った。ドアを開けていた。ベッドの縁に座るあおに、見知らぬ男が覆いかぶさるようにしていた。
「あっ!」
あおがあわてて立ち上がろうとし、男が脱ぎ掛けていたGパンを引きあげてあおに手を振った。
「じゃ、俺帰るわ」
ドアの前で立ち尽くす私にぶつかりながら、男は部屋を出ていき、玄関ドアが閉まる音がした。
あおは青ざめた顔で下を向いていた。私はあまりのことに何も言えず、ただあおを見つめていた。あおが震える声で言い出した。
「あいつ、昔の知り合いで、たまたま会って、こんなマンション見たことないっていうから、見せるだけって連れてきたんだ、それだけなんだ」
私は痛む頭を振って、怒鳴っていた。
「それだけで勝手に他人を家に上げたのか!」
あおが顔を上げた。眼が赤くなっていた。
「それだけなんて信じられない!」
先ほどのふたりの姿が頭の中をぐるぐると回っている。
「ふたりの部屋で、ふたりのベッドで‼あんなことを!」
「違う!あいつが急に襲ってきて!」
あおが首を振っていたが、私には浮気者の常套句にしか聞こえなかった。私はもう吐き出さずにはいられなかった。
「貞節を守るって誓いあったのに、君も他の連中と一緒だ、誓いを破って私を裏切ったんだ‼」
「違う!違う!」
あおが身体を振って否定していたが信じられない気持ちは消えなかった。今朝まで誓いの下に愛し合っていたのに。こんな形で壊れてしまうなんて。もう一緒にはいられない。別れるしかない。
「出て行ってくれ」
私はふらつく身体で寝室を出てリビングのソファに座った。あおは追うように寝室から出て来て、しばらく私を見ていたが、
「わかった」
と言って、自分の部屋に行った。そして、少しして出て来て、今日給料が出たんだと金と家のカードキーをテーブルの上に置いた。
「今日までありがとな、元気で」
声が震えているように聞こえたが、私は振り返らなかった。
玄関ドアが閉じる音がした。少ない荷物をまとめて出て行ったのだ。
あまりに急な破局。急に今日までのあおとの睦みが思い出されて苦しくなってきた。
楽しかった日々、愛に包まれた毎夜、誠実で朗らかなあお。
やはり、浮気する気はなくて、この家を見せてやろうとしただけなのではないか。あおが言うように男が無理やりしようとしただけなのではないか。
もしそうなら。もしそうなら、私は早まったことをしたのでは。
ソファから立ち上がった。
その時、外で車のブレーキの音がした。
キキキーッ‼
そしてドォンという音。
ベランダに出て下を見た。トラックが止まっていて、ヒトが倒れていた。私は声にならない悲鳴を上げた。
警察署の安置室でその姿を見ても、信じられなかった。信じたくない。嘘だ、嘘に決まっている。そんなばかなことがあるのか。ついさっきまで目の前にいたのに、二度と眼を開くこともなく、二度と唇から言葉を紡ぐこともなくなるなんて。冷たくなった手を握りしめて震えた。
「同居されてた別所あおさんで間違いないですか」
警察官がそっと尋ねてきた。無言で頷く。目撃者の話によれば、横断歩道を渡っていたあおが急に向きを変え、戻ろうとしたところを直進してきたトラックが撥ねたとのことだった。あおは戻ろうとしたのだ、私の元へ。
ビニール袋に入ったスマホを見せてきた。
「別所さんのスマホです。壊れていません。ご家族や知人に連絡してくれますか」
受け取って了解しようとしたが、できなかった。
「ああっ、ああーっ!」
堪えきれずあおの身体に突っ伏していた。警察官が、その私の肩を掴んで、引き離し、安置室から連れ出した。
それからは何も考えられず、警察官と葬儀社の担当の言われるままに通夜も告別式もなく荼毘に伏すだけの葬式をした。骨の入った骨壺の箱を抱えて、家に帰ってきた。
「おかえり、おつかれさん‼」
ふとあおの声がして見回した。
「あお、あお」
いるはずのないあおを探して私は家中走り回った。
なぜあの時あおの「言い訳」を聞いてやらなかったのだろう。なぜ浮気と決めつけて非難したりしたのだろう。なぜ出ていけと言ってしまったのだろう。
後悔の刃が身体を心を切り刻み、喪失感と絶望に苛まれた。枯れることのない涙が骨壺の箱の木肌に吸い込まれていった。
あおのスマホの電話帳には実家と私と会社の番号しか登録がなかった。LINEも私とのやり取り以外にはなにもなかった。その実家の電話番号をしばらく眺めていたが、思い切って押した。
長いコール。しかし出る様子がなく、切ろうとしたとき、
『はい』
低い男の返事があった。
「あの…別所さんのお宅ですか」
『そうだが』
少し躊躇った後説明した。
「私、あお君と一緒に暮らしていた伊勢谷というものですが」
沈黙。切られるのではと思い、急いで言った。
「あお君、交通事故で亡くなりました、お骨預かっているのですが」
お墓にと言いかけたとき遮られた。
『そっちで適当に処分してくれ』
ガチャと切られた。
ああ、あおも同じだったのだな。まだまだ理解されない境遇。自分もたぶん亡くなったら、同じように言われるのだろう。スマホをそっと骨壺の箱の上に置いた。
「今日で仕上がりですよ」
そう言って、姿見を引いてきて見せてくれた。
「ああ」
それを見て感嘆の息を付く。鏡に映ったそれ。
「蓮の花で青色もいいすね」
彫師がいい出来だと満足げに言う。私はワイシャツを着て、スーツに身を包むと彼に礼を言った。
「ありがとうございました」
彫師は困ったように返した。
「それはこっちのセリフですよ」
怪しげな店やサロンのある雑居ビルから出て、家路に着いた。
家に帰ってきた私はすべてを脱ぎ捨て、鏡の前に立った。しばし、手首の傷痕を眺めてから、鏡を見る。左の胸に咲く花。その花に触れながら私は笑む。
「あお、これでずっと一緒だ、君と私は死すらも分つことはできないほどに結ばれているんだよ」
青い蓮の花―ブルーロータス―に愛し慈しみ貞節を守ることを誓うのだった。 (完)
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