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幼児化トリップしちゃったポンコツ魔女がうっかりマフィアに溺愛されます。
しおりを挟む魔女養成学校に通うアルティナディアは、最終学年に進級するための試験に挑んでいる真っ最中だった。
十歳から十八歳の少女が通う魔女養成学校は一年生から七年生まではエスカレーター式だが、最終学年の八年生に進級するときだけ試験が発生する。座学試験と実技試験の二種類だが、頭があまりよろしくないアルティナディアは実技試験にすべてをかけていた。
普段は立ち入りを禁止されている『古き者の森』で、使い魔と契約をする――それが実技試験だった。
魔物や妖精たちには人間が勝手にランク付けをした等級が存在する。DランクからBランクは日常で目にする存在、Aランクはちょっと珍しいレア、Sランク以上になると御伽噺のような幻想上の存在だ。
筆記試験がダメなら、実技で補うしかないアルティナディアは、何が何でもAランク以上の使い魔と契約をしなければいけなかった。
「待って! お願いだから待ってったら……!」
木々の生い茂る森の中を、箒に乗ってなかなかのスピードで駆け抜けるアルティナディアの目の前をスイスイ飛んでいるのは黒い鱗に覆われた流美な体に、蝙蝠のような二対の翼。――Sランクのドラゴンよりも珍しい、SSランクのミニドラゴンだ。
しかも黒! ドラゴンと言えばレッドやグリーンが主だが、ブラックドラゴンとなればさらにレア度は上がる! あの子と使い魔の契約ができれば実技試験合格は間違いなしだ。
「お願いだからわたしと契約してちょうだいっ!!」
前傾姿勢でブラックミニドラゴンを追いかけるアルティナディアは恥もプライドもかなぐり捨てて必死に叫んで懇願する。ミニドラゴンはドラゴンよりも知能指数が高く、人語を理解すると言われている。
その証拠に、くーちゃん(すでに名付けている)は時折振り返っては「きゅるるる」と独特な鳴き声を発していた。こんなことなら龍語の授業も取っておくんだった、と今更ながら後悔する。
「待って、待って! お願いくーちゃん! わたしの進級がかかってるのっ!!」
きゅるっきゅるるっくるるるるっと独特に喉を鳴らして、ご機嫌に長い尻尾を揺らすくーちゃん(仮称)はご機嫌だった。こうして追いかけっこをして、かれこれ一時間。ここまでしぶとく、視界に入る距離を保って追いかけてくるニンゲンは初めてだった。だからつい、面白くてサービスをしようと、ついうっかり張り切ってしまったのだ。
目の前で揺れる尻尾に手を伸ばしたアルティナディアをすり抜けて、ぴたりと止まったミニドラゴンは炎を吐き出す要領で大きく酸素を吸い込んだ。かぱっと開いた口には鋭い牙が並んでいて、炎の息吹の前触れを感じ取ったアルティナディアは慌てて最高密度の盾を展開する。
「――炎、じゃない?」
しかし、吹き出されたそれは炎ではなく、どこまでも深く昏い深淵の闇だった。
「え、え、え、え、えっ!? なに!? くーちゃんこれなに!?」
くーちゃんは自慢げな様子で翼を畳んでおり、襲ってこない闇に首を傾げながら盾魔法を消してしまう。
――何が悪かったのかと言えば、盾魔法を解いて、警戒心無く闇に触れてしまったアルティナディアだ。
担当教師の魔女先生がこの愚行を知ったなら、顔を真っ赤にして怒鳴り散らすだろう。
「魔女見習いなんですから!! 触れる前に探知魔法やら索敵魔法やらを使いなさいと教えたはずです!!」
きっとSSランクのブラックミニドラゴンと使い魔契約をしたとして、もう一度七年生をやり直しなさい、と言われるに違いなかった。そしてそれを、闇(例えるならブラックホールだ)に触れてから思い出すものだから座学はポンコツと呼ばれるのだ。ちなみに、実技ではトップクラスの実力を誇る魔女見習いである。
「あっ」
「きゅるぅ?」
これは駄目だ。闇に触れた指先から伝わる、熱を奪い去る冷気に、すぐさま手を引っ込めようとした――はずだったのだが、逆に指先から手のひら、手首と吸い込まれていく。
ブラックホールとは、まさに言い得て妙だった。
座学がポンコツなアルティナディアはドラゴンに属性があるのを知らなかった。レッドドラゴンなら火炎、グリーンドラゴンなら風、ブルードラゴンなら水――それぞれの色が属性と対比となっており、ミニドラゴンとはいえ、ブラックドラゴンの希少価値が高いのは『闇』属性だからだ。
「うそ、まって、待って待って待って!! っ――」
顔を真っ青にして、箒でブラックホールの吸収から逃れようとするがドラゴンの魔力質量に人間が敵うはずもなく、悲鳴もろとも、アルティナディアは深淵の闇にとぷん、と飲み込まれてしまった。
ぱち、と赤い眼を瞬かせたくーちゃんは、少しだけ考えて、アルティナディアの後を追うように収縮し始めたブラックホールの中へ体を滑り込ませた。
柔らかく波打つ白金髪をした、とんでもなくお上品な顔立ちの女の子。
抗争真っただ中だった中心街は、突如現れた美少女――否、美幼女に揃って動きを止めた。
「う、う……うぅ……?」
ぱち、とけぶる睫毛に縁取られた瞳は、深海よりも深く透き通った蒼で、ぼんやりと血まみれの男たちを映し出している。右を見れば銃を持った血まみれの男の人、左を見ても刀を持った血まみれの男の人。
魔女養成学校は、一人前の魔女を育成する学校だったが、一流のレディとなるための学校でもあった。お転婆でわりと問題児扱いされていたアルティナディアだったが、厳めしい顔つきの大人の男の人たちに囲まれて、怖くないはずがなかった。
「ふ、ふぁ……ふぇ、」
「泣きそう」「泣くんじゃね?」「おいどーすんだよッ!」「どっから現れた!?」「さっさと殺しちまえッ」害悪極まりない声がだんだんと増えていき、蒼い瞳には大粒の涙が今にも零れそうなほど溜まっていく。
こういうときは、どうすればいいんだっけ。魔女先生は、「暴漢に襲われたら迷うことなく失神呪文を使いなさい」と言っていた。
ぱち、と瞬いた瞳から雫が零れ落ちる。幼女趣味の一部が「可愛い」「ペットにしたい」「妹にしたい」「あんなことやこんなことを手取り足取り」だとか言っているがアルティナディアの耳には届かなかった。
恐怖を飲み込みぐっと唇を噛みしめて、土埃や血溜まりばかりの地面から立ち上がる。
(あらぁ? なんだか、視界が低い?)
ハーフローブは足首まで覆っていて、制服のワンピースドレスは大きすぎて引き摺ってしまっている。パッと両手を見るとぷくぷくしてて、まるで幼児だ。まるで幼児、というよりもまさしく幼児なのだが、何でもありの魔法世界で過ごしていたアルティナディアは「まぁこういうこともあるか」と疑問にも思わず納得してしまう。こういうところがポンコツと言われる所以だった。
徐々に元の騒がしさ、ざわめきを取り戻していく中心街に、ポンコツながらに思ったのは「命の危機」だ。
元々片手に納まるサイズだった小ぶりの杖は、この体には少し大きくてぎゅっと握りしめないと取り落としてしまいそうになる。
魔女のコスプレをした幼女が、ローブの内側から小枝みたいな棒っきれを取り出したのをなんとなく見ていた男たちだったが、ぷるんと果実のようにみずみずしい唇から紡がれた言葉に全身に雷が走った。
「いかづちよ、まひせよ」
魔女先生が見たなら「また貴女ですか、アルティナディアさん!!」と怒声を響かせるだろう。
文字通り、空から降り注いだ雷によってプスプスと黒焦げになりながら地面に倒れる男たち。過剰防衛もいいところだった。雷魔法に麻痺効果を付与したアルティナディア特製暴漢撃退魔法は効果抜群だ。
背の高い男たち(幼女なアルティナディアに比べたら全員背が高い)が地面に倒れたのを満足気に見てひとつ頷き、さてここはどこだろうかと首を巡らせた。
「お前、何?」
パチ、と青い目とかち合う。しまった、麻痺しそこねた奴がいたのか。体が幼女になってしまったからか、精神まで体に引き摺られて泣きわめきそうになるのを必死に堪える。
アルティナディアの目を深海よりも深い蒼と称するなら、青年の目はどこまでも高く澄み渡った空の青さだった。
黒のワイシャツはぐっしょりと濡れて、赤い雫を地面に垂らしている。怪我、してるのかな。アルティナディアはポンコツなので、麻痺させた男たちよりも恐ろしい青年を相手にしているのだと気づくことができなかった。
厳つい男よりは美しい男のほうが好きなので、アルティナディは質問に対して素直に答えた。
「ありゅ、てな、でぃあ、です」
ぱちぱちぱち。舌足らずでうまく名前が言えない。
「あ、ありゅ、あー、るぅ、て、い、な! でぃあ!」
「…………アルティナディア、か?」
「!! うん! おにぃ、ちゃんは? だぁれ?」
すごいすごい! わかってくれた!
つい嬉しくなって、スカートをずりずりと引き摺りながら青年に駆け寄る。
つい条件反射で拳を振り上げそうになった青年だったが、腹部に走った激痛に片膝を付いてしまう。そういえば一発食らっていたんだった。弾は貫通しておらず、あとで摘出手術しなくちゃいけないことを考えると酷く億劫になる。
「おにぃちゃん、けが、してるの?」
「あー……一発な」
「ディアが、なおしてあげようか?」
心配に眉を下げるアルティナディアに、青年は青空を瞬かせる。
「ちゆまほーつかえば、すぐに治るよ!」
きらきらと、邪気のない笑顔に毒気を抜かれた青年はクスリいつやっただろうか、と首を傾げる。もちろんクスリなんてやってないし、激痛でいつもより正気を保っているのだが、『魔法幼女』の存在に白昼夢を見ているに違いないと思う。
「……治すんなら、腹ん中の弾ぁ取ってからにしてくれ」
「はいってたらだめなの?」
「駄目に決まってんだろーが」
「うぅん、そっか、……たまって、これ? ピストルのたまみたいね!」
ころん、と地面に転がった弾丸に思わず目を見張る。銀の弾丸には鮮血がまとわりついており、血液検査をせずともそれが自身の体内にあったものであると確信した。
マジックでも見ているみたいだった。アルティナディア曰く『魔法』らしいが、まさか本当に魔法が使えるとでも言うのか。
「ちゆせよ」
大真面目な顔で、魔女の格好をしたアルティナディアが握りしめた杖を小さく振る。薄れていく痛みに目を見開き、ぐしょっりと血液で濡れ滴っていたシャツを急いでめくり上げる。
「は、なんだ、これ……」
思わず言葉を失う。
目を向けた先、筋肉や細胞が収縮を繰り返し、逆再生でもしているかのように傷口が塞がっていく。
「これで、いたくない?」
「……あぁ、ありがとう、ディア」
「ディア?」
「長いから、ディア。嫌か?」
「ううん! いやじゃないよ!」
「はっ、そうか。……俺は、シジョウ・アイテール・サクヤ。サクヤでいい」
「サクちゃん?」
随分と可愛らしいあだ名に凝り固まった頬が緩んだ。
ささやかすぎる微笑だが、美人の笑顔にディアのテンションは上がっていく。無表情なのもクールだけど、やっぱり笑っていたほうが素敵だわ!
シジョウ・アイテール・サクヤと言えば、ここら辺じゃあ泣く子も黙る恐ろしい男の名前だと知らないディアは無邪気にサクヤに笑いかける。その反応が新鮮で、致命傷を治してくれたこともあり、ディアへの好感度がうなぎ登りのサクヤはごく自然な動作で小さな体を抱き上げた。
身の丈に合わない洋服に、名前からして明らかに異国人のアルティナディア。長らくこの国は鎖国しており、組織犯罪集団やら指定暴力団などの反社会的集団が蔓延り勢力を広げる魔境と化している。魔法使いといえばイギリスなどが思い浮かぶが、彼の国から渡航船がやってきたという話は聞いていない。
降って沸いた、ワープでもして現れた美しい幼い女の子供は、この国じゃあすぐに食い物にされてしまうだろう。
『魔法』が使える美しい幼女なんて、話題に飢えたこの国ではすぐに噂が広まり、注目を浴びることになるだろう。手術をすることもなく体の中の弾丸を取り除けて、致命傷もあっという間に治せてしまう。手術も治療費も必要ない。そのうえ、血まみれの男に囲まれても物怖じしない度胸。おそらく、自衛もできるのだろう。
「ディアは、なんでこんなところにいた?」
「わかんない……くーちゃんを追いかけてたら、くーちゃんがまっくらやみをはきだして、ディア、それにさわっちゃったの! そうしたら、吸い込まれて、あそこにいたのよ」
なるほど、わからない。くーちゃんとは猫か何か(※ドラゴンです)で、まっくらやみは袋に詰め込まれて(※ブラックホールです)誘拐された、というわけだろうか。
革靴で血溜まりの中を歩きながら、良い拾い物をしたと上機嫌になる。
「行くところは?」
「……わかんない。ここ、どこぉ?」
「トウキョウ。シンジュク」
「どこぉ? それ?」
「おそらく、ディアがいた場所とは違う世界なんじゃないか?」
あてずっぽうなでたらめだったが、それが正しいことに誰も気付かない。
「どうしよぉ……ディア、帰れる?」
「魔法の使えない俺には無理だ」
きっぱりと言い切るサクヤに「そりゃそうよね」と納得しつつも、子供の感情コントロールはなかなか難しい。グッと唇を噛みしめていないと情けない声が出てしまいそうになる。
「帰り方はわからないが、魔法が使えるディアなら、そのうちわかるんじゃないか? 俺のところに居ればいい」
「ふ、ぁ?」
「住む場所も、食べる物も、着る物も、ディアが欲しい物は全て用意しよう。だから、俺のところにおいで」
青空を映した瞳の奥には、ディアへの執着が燻ぶっていた。無邪気に慕ってくれる、血まみれの腕の中に大人しく抱き上げられている幼い子供が欲しくてたまらなかった。無償の愛を溢れるだけ注いで、自分がいなければ生きていけなくなればいいんだ。
「いいの?」
「子供ひとりくらい、どうってことない」
「……ディア、サクちゃんといっしょがいい」
昨日も抗争、今日も抗争、明日は裏切り者への制裁。血を血で洗う日常に、すっかり荒び乾ききっていた心に、甘くとろりとした果実水のようなアルティナディアはとても刺激が強かった。
サクヤが降り注ぐ雷の中立っていられたのは、たまたま屋内にいたからだ。運が良かったとしか言えないが、それも含めて運命だったに違いない。
「サクちゃんは、何をしている人なの?」
「悪者をやっつける、正義の味方だ」
嘘八百を並べるサクヤに、嘘を見抜くのも魔女の嗜み、と教えられているはずだがポンコツでおバカなディアは純粋で素直にサクちゃんの言うことを鵜呑みにした。
「じゃあさっきの人たちはワルモノだったのね! よかったぁ、ディア、またイッパンジンに魔法使っちゃったのかとおもってふあんだったのよ!」
また、ということは前科があるらしい。それは追々聞くことにして、もし悪者たち(あの場にはサクヤの部下もいたが揃って黒焦げになってしまった)が一般人だったらどうしていたのか。
「きおくをけしちゃえばコンプリートよ」
何を当たり前のことを、という顔で言う幼女が面白くって、数年ぶりに笑い声が零れてしまった。一般人にためらいなく攻撃できるなら上出来だ。
この後、大慌ての幹部や部下たちと合流するのだが、その際腕に抱いた美幼女を見て「誘拐は駄目ですって!!」と叫ばれることになるとは思いもしなかった。
トウキョウ二十三区・シンジュク近辺で幅を利かせる組織犯罪集団シジョウ・ファミリーに随分と可愛らしい構成員が増えた。
「…………」
「はじめまして、ディアは、ディアって言うのよ。おにぃさんは、なんてお名前ですか?」
「…………」
「おにぃさん?」
「オニイサンじゃねぇ。カゲミヤ・ツバキだ」
「つっくんだね!」
ボスの右腕をつっくん呼ばわり!?!?
周囲で様子を伺っていた部下たちがギョッとするのを鋭い眼光で射殺した。
白花の顔に、腰まで伸びた艶やかな黒髪を後頭部で一本に結い上げた男は、匂い立つ椿の花のような美人だった。眦はキツくつり上がり、紅要らずの唇は不満を全面に押し出してへの字になっている。眉間に刻まれた深すぎるシワはペンが挟まりそうだ。
サクちゃんも綺麗な顔をしているけど、つっくんも綺麗だなぁ。美人に相手をしてもらえて嬉しいディアはいつも以上にぽやぽやしている。
片やツバキは、なんでこんなガキをボスはそばに置いてるんだ。柳眉をグッと寄せたツバキは細い体を折り畳んでディアの前にしゃがみ込み、ほけほけと呑気に笑う子どもにガンを付ける。
「……チッ、なんでおれがガキの面倒なんか見なきゃならねぇんだよ。ここは託児所じゃねぇんだぞ」
「つっくんは、きれいなお顔をしてるのに、お口がわるいのね」
「うっせぇばぁーか!」
見た目は三、四歳児だが中身は十七歳のディアと、凶悪な目つきをしているシジョウ・ファミリーナンバー2のツバキ。なんでボスはカゲミヤさんに預けて行ったんだ、と今にも銃を取り出しそうなツバキを構成員たちは怖々と様子を伺っている。
「まぁ! ばかって言ったら言ったほうがばかになるって先生がおっしゃっていたわ。ディア、ぽんこつって言われてたけどそれはわかるのよ」
「あぁん? ガキが小難しいこと言ってんじゃねぇよ。つか、センセーって誰だよ」
「先生は先生なの。いっつもディアのことをおこってくるの。でも、先生の作るケーキはおいしいから、ディア、だぁいすき」
うっとりと微笑む魔性の美幼女に息が詰まる。見た目は三、四歳のガキなのに、ふとした瞬間壮絶な色気を放つのだ。おしゃまだとか、ませてるとか、そういうのじゃない。言い表せない深淵を覗き込む感覚に背筋がぞわりと粟立った。
おうおう、その顔、ボスの前でしてみろ。ガキだとか関係なく食われちまうだろうなぁ。子供らしくない、妙に大人ぶる幼女が泣き喚く表情を想像して、ツバキはゾクリ、と背筋を言い合わらせない快感が走る。
「…………」
得体の知れないモノを見る目でガキ――ディアを見た。なんだってこんなのがボスのお気に入りなんだ。どこから現れたとも知れぬ美しい少女など争いの種にしかならないというのに。いつの時代も、女は格好の餌だ。弱みをぶら下げて歩いているのと同じ。
「一日、ディアに付き合ってやってくれ」
愛しげに幼女の頭を撫でて「俺が帰るまでいい子にしているんだ」と微笑むボスなんて見たくなかった。
サクヤは、参謀と交渉役を連れて違う区を仕切っているヤクザの頭とお話し合いをしにいっている。今回の交渉が上手く行けば、シジョウ・ファミリーの領土は一気に拡大するだろう。そのために必要な、とても重要なお話し合いだった。
本来なら、参謀ではなく親衛隊長のツバキがついて行くはずだったのだが、広い本部にディアをひとりで置いていくのは忍びない、と眉を下げたボスにお願いされたから託児所を引き受けたのであって、そうじゃなかったら喧しいガキの相手なんてしたくなかった。
第一にボス、第二にボス、第三にボス。その他大勢は塵芥、と豪語しているツバキは儚い見た目とは裏腹に短気で喧嘩っ早い。いつ可憐な幼女の脳天をぶち抜くか、部下たちは密かに賭けをしていた。
ちょっと力を入れたら壊れてしまいそうなガキを腕に抱き上げて、適当に暇を潰せそうな場所を探して歩く。「あれはなぁに?」「これはなぁに?」と幼女のなんでなんで攻撃にこめかみを引くつかせながらも、ツバキは忠実にボスの命令を守っていた。
「俺が帰ってきたときに、ディアに擦り傷ひとつでもついていろ。――ツバキ、わかっているな?」
底冷えした、淀んだ空の瞳にツバキは嬉々として頷いた。
「ボスのためなら喜んで腹ァ切りますね!」
爛々と黒真珠を輝かせて「わん!」と鳴いた忠犬の頭を撫でて、昨夜は颯爽と出かけて行った。頭を撫でてくれたからツバキは頑張れる。そうじゃなかったらガキを殺してボスの私室で腹を切っていただろう。
見た目は綺麗なお兄さんだが、やっぱり中身はぐちゃぐちゃでとっちらかっている。常人なら「イカレた野郎だな」で終わるかもしれないが、歪に歪んでヒビだらけのツバキの魂は、ディアにはとっても美しい宝物に見えた。
「ここの人たちは、みぃんなきれいだわ」
「オマエ、感性ダイジョウブか? 厳つい野郎共見て、どこが綺麗なんだよ」
№2をドン引きさせる偉業に、こっそり様子を伺う部下たちは思わず動揺した。
「とってもきれいよ! でも、一番綺麗なのはつっくんだわ! ボロボロで、ぜぇんぶにヒビが入っているのに、どうしてか形を保っているの。つついたら壊れちゃう、かな?」
脈絡を得ない子供の抽象的な言葉に、頭の良くないツバキは寄せていた眉根をさらに寄せ合わせて眉間に渓谷を作り上げてしまった。
片腕にディアを抱き上げているせいで、やたらと近い距離からキラキラしい笑顔を向けてくる。後ろ暗い輩には、邪気のないディアの笑顔が眩しすぎた。
「…………お前、きっっっしょくわるいな」
美人なお兄さんに、宇宙人を見る目で見られた。なんだかなつかしい視線に、ディアは蒼色をまん丸くしてから破顔した。
「よくいわれるの!」
ツバキは決して、褒めたわけじゃない。
導火線のない爆弾ことカゲミヤ・ツバキに、新入り美幼女構成員のディアは思いのほか懐いて、本部内にツバキがいるときは大抵その腕に抱かれているか、カルガモの親子のようにその後ろを着いて歩く姿がよく目撃されるようになった。
頭が飛んでるハッピートリガー兄弟は、美幼女を腕に抱いた№2の姿に腹筋が攣るほど地面を転げまわって爆笑して、クソ藪医者は真顔で「いつ産んだんだ?」と大真面目に聞いてくるものだからハッピートリガー兄弟が過呼吸で死にそうになっていた。いっそそのまま死んでしまえばいい。
しかしながら、ツバキの懸念は唯一無二のボス――サクヤだった。ボスのお気に入りが自分に懐いてしまった居心地の悪さに、ツバキはディアをどう扱っていいのか未だにわからずにいる。
「……げ、火ぃ切れた」
「えー、つっかえー! 僕のライターも切れてんだよなぁ。タナカ君、ライターなぁい?」
「も、申し訳ありませんッ、さ、さきほど、カグヤさんに差し上げてしまったので……」
運転手のタナカは、大げさなまでに肩を震わせて平謝りをする。
スモークガラスのいかにもな高級車の後部座席には、返り血塗れの男がふたり、シートが汚れるのも構わずにくつろいでいた。
片や抜身の日本刀を肩に担いだツバキと、片や物騒な猟銃を愛し気に撫でる実質№3のハッピートリガーの兄の方。名前はセイレン。どこが清廉だよ(笑)までがテンプレートだ。ちなみにハッピートリガーの弟の方はシュウレイ。秀麗って(笑)がテンプレート以下略。
ファミリーを裏切った馬鹿な奴らを制裁してきた帰りのふたりは、人を殺した直後だからか気分が高揚しており、いつにもまして穏やかに会話を続けている。
「それでそれでぇ、カゲミヤんとこにいるんでしょ?」
「……ぁんだよ」
「噂のぉ、かぁいい構成員ちゃん♡」
げぇ、と舌を出したツバキは心底嫌な顔をする。嫌そうな顔、じゃなくて明らかに嫌な顔だ。
「ボスのお気に入りなんでしょ? それ、お前がお世話してるらしーじゃん♡ なぁ、見せてよ。ていうか、お前だけズルくない? 僕たちにも遊ばせろよぉ」
にぃんまり、と口角を上げてニタニタ嗤う悪魔に聞こえないふりをする。
ディアがいくらふわふわぽわぽわしていたとしても、このハッピートリガー兄弟に会わせるつもりはない。なんだかんだ理由をつけてこいつらと会うことがないように調整をしていたのだ。
セイレン・シュウレイ兄弟は、愉しいこと面白いことが大好きな愉快犯である。弟はまだマシ(当社比)だが、兄のほうは手が付けられない。あのボスでさえお手上げで、放し飼いにしている。
見た目はマフィアと言うよりもモデルや俳優業のほうが似合う整った容姿をしているのに、中身がダメだ。社会性ゼロ。人間失格。社会不適合者。職業適性・反社◎。檻の中にぶち込んだほうがいいランキング№1。
黒髪にブルーのインナーカラーとシルバーのメッシュとかいう顔が良くないと似合わない派手髪に、兄弟で揃いのインディゴのスリーピーススーツ。ツバキよりも頭一つ分背が高く、すらりと細長い。
ツバキはイカレ兄弟に両脇を固められるのが心底嫌だった。一対一ならまだマシだ。ただし二対一になってみろ。膝から下を切り落としてやる。
「おにぃちゃんは、ディアにあいたかったの?」
「そうそう! ディアちゃんっつーんでしょ? めっちゃ可愛いっていうじゃん。下っ端にファンクラブが、」
「お前誰と喋って、」
ぽく、ぽく、ぽく。いるはずがない、鈴を転がした可愛らしい声に、ツバキは目を見開いて窓を見ていた顔をすぐさま横に向けた。
「おつかりぇさまぁ。つっちゃん、いっぱいよごれたねぇ」
ふわふわぽわぽわ。綿毛でも飛んでいそうな穏やかな笑顔の美幼女が、ツバキとセイレンの間にちょこんと納まっていた。
「おッッッ!?!? まえ!?!? なんでいやがる!?!?」
「サクちゃんがね、つっくんがおしごとおわったってね、おしえてくれたのよ」
オーマイボス!
思わず天上を仰いだ。今までの俺の苦労は、と打ちひしがれている間にも、いそいそと膝の上に座って来ようとするディアの体をそっと支える。この一か月ほどで、ツバキの生活にディアは驚くほど馴染んでいた。
腕を伸ばせば抱き上げて、歩幅が小さくなれば抱き上げて、ぎゅぅっと抱き着いてきたら抱き上げて。とりあえず、ツバキの抱っこがディアの定位置になっていた。
右のふとももの上にお尻を乗せて、体を椿に預けた美幼女の深海の瞳と目が合った。
「…………。かっわいぃ~~~!! 君が噂の女の子デショ!? 想像よりずぅっとかあいいじゃぁん!! え~~~!! カゲミヤずーるーいー! 僕も抱っこしたぁい!」
「却下」
突然現れたとか、何もかもひとまず脳みそからすっぽりと抜いたセイレンは、まるで女子高生のように黄色い声を出して相好を崩した。
「ねぇねぇねぇ、お名前なんていうの? 僕はセイレン。清廉潔白のセイレンだよぉ」
「極悪非道の間違いだろうが」
「カゲミヤうっっっざ」
「あ゛ぁ? 三枚に下ろしてやろぉか?」
「ハチの巣にしてやるよ♡」
嗚呼、始まった、と悲観に暮れたのはタナカである。
ツバキとセイレン、もといハッピートリガー兄弟は混ぜるな危険である。水と油、犬と猿、呉と越、不倶戴天。周りから言わせれば団栗の背比べ、同族嫌悪だった。
ボスガチ勢のツバキは基本的にボス以外には沸点が低い。夕飯が好物じゃなかっただけでブチ切れるレベルで沸点が低い。常に沸々と煮だっているあのツバキが、大人しくガキを腕に抱いているのだから、セイレンにとってこれ以上に面白いことはなかった。それと同時に、面白くもない。なんでツバキに懐いて、僕に懐かないんだ。
ちょこん、と血まみれの男の膝に座った幼女はお人形のようにとんでもない可愛らしさだった。ふわふわの白金髪に、理智的な海の瞳。ふんわりと浮かべた笑みはマカロンみたいに甘い。ふわふわひらひらの真っ白なワンピースはきっとボスのチョイスに違いない。天使にはぴったりだ。さすがボス。センスが良い。
反社なんて職業をしていながら、甘いモノと綺麗なモノが大好きなセイレンは、天敵の膝に座っている可愛らしいお人形が欲しくて欲しくてたまらなかった。きっと弟も気に入るに違いない。あれでいて、僕よりもファンシーなの好きだし。
「ケンカ、しちゃだめよ」
うる、と瞳を潤ませた幼女に二人そろって口を噤む。
「しぇーれんは、」
「んふふ、セ・イ・レ・ン。呼びにくかったら、セイ君でもセイちゃんでも、なぁんでもいいよぉ」
「じゃあ、セイちゃん! ディアはね、ディアっていうのよ」
「そっかぁ、ディアちゃんって言うのかぁ♡ ディアちゃんはぁ、何が好き? 僕はねぇ、あまぁいスイーツとぉ、キラキラしてて壊し甲斐のある綺麗なモノが好きかなぁ♡」
とろぉり、とまるで蜂蜜のように榛色の瞳をとろけさせたセイレンに、ぽんこつでおバカだけど危機察知能力はピカイチなディアは「あ、コイツヤバイ奴だ」とツバキの返り血塗れのワイシャツにしがみついて顔を押し付けた。
「ぶぁっはっはっはっはははははは! 拒否られてやんの~~~!!」
「うわ、うっざ、なんか犬っころが喚いてるわぁ。人見知りしちゃっただけだよねぇ、ディアちゃんくらいの歳の子って、大体人見知りだよねぇ」
「これ、初対面の俺に対して『口が悪いのネ』とかほざいてたけどな。お前、嫌われてんじゃネ」
愉悦を含んだツバキは、見せつけるようにディアを抱きしめ、その柔らかいマシュマロほっぺにわざと音を立ててキスをした。
「うっっっわロリコンかよ! キッッッショ!! その顔面未亡人変態野郎から離れてこっちにおいでディアちゃん!!」
「うるッせぇ近親相姦野郎に言われたくねぇわ!! ロリコンじゃねぇわぶっ殺すぞテメェ!?」
ついに武器を手に取り出したふたりに、ディアはほっぺたを膨らませた。
「ケンカしちゃ、メッ!」
あわや大惨事になるかと思われたその時、パァンッと運転席でタナカの頭が弾け飛ぶ。
瞬時にツバキに頭を抱きかかえられ、座席よりも下に体を押し付けられた。
タナカの頭はぐしゃりと側頭部が抉れ、足はアクセルを強く踏み込み、倒れた上半身はハンドルを押しつぶしてコントロールを失った車は勢いよくガードレールにぶつかった。
ぱぱぱぱぱ、と銃声が連続して鳴り響き、防弾ガラスはヒビが入り、幾度目かの銃声で砕け散る。
「信号は?」
「シュウレイに送った」
低く体を伏せたまま、ツバキとセイレンのやり取りに耳を傾ける。どうやら、わたしたちは襲われているらしい。ディアは、胸元で杖をぎゅっと握りしめた。運転席から、赤くて鉄臭い液体が流れてくるのをじぃっと見つめた。
オフィス街だと言うにも関わらず、不気味なほどにシンと静まり返っている。おそらく、囲まれている。後続していた部下の車も襲われているだろう。ほぼ無傷なのはツバキとセイレンだけに違いない。
大きく舌を打ったツバキは、腕の中で小さくなっているディアを見下ろす。ガキを庇いながらなんてまともに殺り合える気がしない。しかし、ディアに傷一つでもつけたらボスが怒り狂うだろう。
「……つっくん、ディア、なにしたらいい?」
「あ? ガキに何ができんだよ」
「魔法がつかえるよ」
にこっと自慢げに笑うディアに、男ふたり揃って目を瞬かせる。命の危機に瀕しているというのに、泣いて怖がるどころかそこらへんの部下よりも自信満々な笑みを浮かべるものだから、言葉を失ってしまった。
しかし、今は子供のお遊びに付き合っている余裕はない。――ツバキは良く世話を焼いてくれるが、ディアの魔法を見たことがなかった。
「どうしても、という時以外は魔法を使うな」とサクヤと約束をしていたからだ。「どうしても」という時がディアはわからなかったので、これまで移動魔法くらいしか使っていなかったが、今がまさに「どうしても」という時なんじゃないだろうか!
格好良く、悪い敵をやっつけたら、つっくんもセイちゃんも褒めてくれるに違いない!
「ディアちゃん、魔法少女なの?」
「ううん。ちがぁう。ディアは、魔女見習い! 箒でとぶのがいちばんじょぉずなのよ!」
「ばっか、声小さくしろ!!」
「つっくんの声のがおおきぃわよぅ……」
へにょん、と眉を下げたディアは、パッと杖を両手で握りしめる。
「それが、魔法使いの杖?」
「魔女の杖! ね、ね、ディア、なにしたらいーい?」
きらきらと目を輝かせるディアに、セイレンは肩を竦め、ツバキは投げやりに「外のやつらをひとまとめにしてみろよ。できるもんならな」と鼻で嗤った。
「わかったわ!」
つっくんが頼ってくれた!
ぱぁっとさらに笑みを花色に染めるディアに、セイレンは苦笑いする。できっこないのに、イジワル言われて可哀そうだなぁ。できないって泣くのかな、ガキの喚き声キライなんだけど、ついうっかり殺しちゃったらドウシヨ、とかしょうもない(なくない)ことを考えている目の前で、ツバキの腕の中から抜け出したディアがするりと銃痕だらけの扉を開けて外へ飛び出した。
「ば、バッカ!! お前!!!! 馬鹿!!!!! 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたがここまで馬鹿だとは思わなかった!! 戻れ!! オイッ!!」
「おっと、これは僕ら、ボスに拷問されるフラグかな」
「呑気言ってんじゃねぇよ!!」
慌ててディアを追いかける二人は車から転がり飛び出して――本当の魔法を目にする。
「かぜよ、いざなえ」
一陣の風が吹き荒れる。雲が流れ、目を開けていられないほどの強い風がどこからともなく現れて、まるで竜巻のようになった風は隠れていた敵対勢力の人間を空へ巻き上げてから地面へと叩きつけた。
ボコッゴキッだとか何かが落ちてきては折れる音がして、野太い悲鳴があたりに広がる。
「……はぁ?」
リアリストなマフィア幹部のふたりは不可解な現象に頭がついていかず、ぽかんと口を開けて間抜け面を晒した。――まるで、魔法を見ているようだった。
いくつもの竜巻がオフィス街に現れて、それは人間だけを巻き込んで巻き上げて吹き飛ばして、意思を持っているかのように一か所に武装した敵対組織の構成員たちを山積みにしていく。
四本の大きな竜巻がディアに迫る。思わず、吹き飛ばされてしまうと駆けだしたツバキの襟首をセイレンが掴んで引き留めた。
「オイッ」
「ディアちゃんの魔法なんデショ」
「ッ、ディア!」
ぐッ、と襟首を引き寄せられて首が絞まる。ツバキよりもガタイが良くて力も強いセイレンを振り払うのは無理だ。声を張り上げて、手を伸ばす。
「こっちに来い!!」
花の顔には似合わない険しい表情をするツバキに眉を下げる。褒められると思ったのに、ツバキはどうして怒っているのかしら。危険な人間は一か所に集めたし、武器も取り上げたのに。唇を尖らせて、しょんもりするディアは大変可愛らしいが、ツバキは心を鬼にして「かわいいッ……!」とほぼほぼ出ている言葉を飲み込んだ。
風に包まれ、文字通り風たちによってツバキの元まで運ばれたディアは、ふたりが割と酷い格好(返り血塗れ)をしているのに今更気づいて、魔法を見せたのならもういいだろう、とそう思って杖を振る。
「きれいになぁれ」
白い光がふたりを包み込み、ボロボロだったスーツは新品同様にパリッと糊のきいた状態にまで綺麗になった。今度こそ、現実ではありえない現象が自身に起こって、『魔法』を認めざるを得ない。怒りとか混乱とかでクラクラする頭を押さえながら、ツバキはしゃがみ込んでディアと目線を合わせる。
「……俺は、お前の命をボスから預かってンだよ。勝手に動いて怪我でもしりゃぁ、俺の首が物理的に飛ぶ」
「ざんしゅけいってこと?」
「斬、いや、あ、……あぁ、そうだ。俺は斬首刑で、あのハッピーイカレ野郎はアイアンメイデンの刑だ」
鉄の処女!
深く昏かった海の瞳がキラキラと輝きだすのを見て、話題を間違えたことに気づく。これではもう叱ることなんてツバキにはできなかった。
なんだかんだ世話をしているうちに、すっかりふわふわほわほわに絆されているツバキはサクヤの次にディアを甘やかしている。否、ディアの天使と見紛う容姿に、叱り怒ることができる奴がいるなら見てみたい。もしそれで泣かせたものならすぐに処刑だが。
「んでさぁ、結局、ディアちゃんって何者なワケ?」
「ディアは、魔女見習いよ!」
「……ごっこ遊びとかじゃなく?」
「もう! サクちゃんは信じてくれたのに! 箒でお空だってとべるし、つかいまだって――」
ぷんぷん、と頬を膨らませるディアはとても可愛らしいが、何かを思い出したように言葉を途切れさせたディアは、パッと空を見上げて、左右を見渡した。
「オイ、どうした? まだどっかに敵がいんのか?」
「ち、ちがうの! ディア、くーちゃんを追っかけてきたんだった! くーちゃんをつかまえて、つかいまにしないと、しんきゅーできないの! ディア、ぽんこつだから!」
自身のことをぽんこつと呼ぶ幼女に微妙な顔をする。
くーちゃんが何かはわからないが、その「使い魔」というやつなのだろう。未だ半信半疑だが、『魔法』をこの目で見てしまったからには『魔女見習い』だというディアの言うことを信じないといけない。
それにちょっとわくわくしていた。血を血で洗うリアリストだが、ガキの頃は戦隊ヒーローやら仮面ライダーやらを見ては真似っ子をしたものだ。ツバキは戦隊ヒーローのブルーが好きだったし、セイレンは敵の女幹部が大体好きだった。ちなみにサクヤは、朝起きることができないので日曜日のヒーロータイムは魔法少女物を見ながら朝ごはんを食べていた。
「魔法で呼べばいんじゃね?」
ディアは、戦隊ヒーローでも仮面ライダーにも出てこなさそうだが、魔法少女モノには出てきそうなキャラだ。途中で仲間になる転校生タイプである。
「……けーやく、まだできてないから呼べないのぉ」
大きな海を波立たせる。無理やり呼びかけることもできなくは、契約ではなく服従になってしまうのであまりやりたくはない。
「おーおーおーおー、今泣くなよぉ、泣くんじゃねぇぞぉ」
「泣いたら、つっくん、こまる……?」
「ちょー困る」
「じゃぁ、泣かない」
ぐ、と桃色の唇を噛みしめて涙をこらえる姿がいじらしい。キュン、と心が母性に目覚めた。母性じゃなかったらちょっとロリコン的な意味でやばいから母性ということにしておく。
推定三、四歳。あと十三年くらいか、いや、十年でもいけるか。美しく成長したディアを想像して、余計な虫がつかないようにしなければ、と親心なのか男心なのかよくわからない決意をする。
腰で波打つ緩やかな白金髪に、けぶる睫毛に縁取られた濡れた深海の瞳。ぷくりとみずみずしい唇は艶めかしく、ほどよく肉厚で柔らかな肢体。ツバキの想像通り、絶世の美女と呼べるほど美しく成長するアルティナディア。
――だが、いかんせんおバカでポンコツで物理魔法に頼りがちな脳筋。なによりも、敬愛する魔女先生の趣味が『拷問器具収集』であり、大好きな魔女先生にとても多大なる影響を受けているアルティナディアの趣味は『拷問観賞』であった。いくら見目麗しくとも、デートがお家デート(という名の死体解剖観賞)なのはチョット、と全力で遠慮する意気地なしの男ばかりだったものだから、何人もの男をたわわなおっぱいに埋めてきました、みたいな顔と体つきをしていながら未だアルティナディアは処女である。
ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らすディアを抱き上げて、死屍累々(死んではいない)の山に足を運ぶ。
「おい、セイレン。シュウレイたちが来るまであとどれくらいだ?」
「十分もかからないよ。かっ飛ばしてくるって言っていたからね。で、こいつらどーする? さすがにこの数は運べないし、この中からリーダー探すとかクソ怠くね」
「……ディア、この中からリーダー格を見つけられるかぁ?」
物は試しだ。ディアの『魔法』がどれくらいのことをできるのかわからないが、ツバキの中での魔法のイメージは万能だった。
魔法を使うにあたって、大切なのは想像だ。できない、無理、ありえない。――そんなことない。魔法は偉大だ。なんだってできる。ディアはおバカでアホでぽんこつだったから、なぜできないのかがわからなかった。魔法を使えばなんでもできるんだもの! 理論も、原理も、なにもかもを無視して、ディアは魔法を自分の手足のように扱えた。――故に、天才とも呼ばれた。
「おいで」
たった一言。なんてことないように呟かれた一言で、山の中からひとりの男が引き摺り現れる。左足はおかしな方向に折れていて、右手は落下したときの衝撃で潰れていた。虚ろな目で、胸を荒く上下させる髭面の男は圧迫感から解放されて詰まっていた息を緩く吐き出した。
「ワァ! ディアちゃんすっげぇね。ちょー便利じゃん」
「魔法は、なんでもできるのよ!」
こんなことだってできるの!
セイレンが褒めてくれるからおもわず調子に乗って、また杖を振った。それは、友人と開発した人間の記憶をスクリーンのように映し出す魔法だった。モノクロ映画の感覚だ。音もあるし、もちろん動く。
突然、屋外上映が始まったことに驚くが、それがこの男の記憶だというのに気付くまでそうかからなかった。男目線の映像に、我らがボスが映っていたのだ。
椅子に腰かけたボスはとても優雅で、背後には参謀と交渉役が控えている。――なるほど。先日の和平会合か。リアリストがゆえに、ツバキもセイレンも自分の目で見たならそれを信じるしかないと頭で理解(わか)っていた。
交渉役は気持ち悪いほどすんなり終わった、と拍子抜けしていたが、どうせ後から裏切るつもりなのだから下手な会合などさっさと終わらせて信用を得るつもりだったようだ。幹部をそれぞれ襲って戦力を削ぎ、ボスひとりになったところであちら側が有利になる話を持っていく。シジョウ・ファミリーの傘下に下るのではなく、シジョウ・ファミリーを吸収しようと企んでいたわけだが、まぁ、ディアのおかげでそられはすべておじゃんになった。
犬猫を撫でる感覚でディアの頭を撫でこ撫でこするツバキをセイレンは二度見した。お前……頭撫でるとかできたんだな。
「ふ、はっ、はははっ! どうせお前ら全員死ぬんだ!! 俺たちには悪魔がついてる!! あの人がいる限り、俺たちは、ぁ、がッ」
正気じゃない男は、不自然に言葉を詰まらせた。スクリーンを見ていたふたりは、視線を下へズラして唖然とする。顎下がすっぱりと切り取られていた。顎を、舌を失い言葉を喋れなくなった男は痛みに呻き声を上げる。不思議なことに、血液は一滴たりとも溢れていなかった。
「じょぉえいちゅーは、おしゃべりしちゃいけないのよ」
メッ、と子供を叱るようにお姉さんぶるディアだが、やってることは全く可愛くない。
ボスがガキを拾ってきただの、カゲミヤがガキの世話を焼いているだの、耳にしたときはいつからマフィアは託児所になったんだよ、とどこぞの誰かと同じことをぼやいていたセイレンだったが、嗚呼、このガキは壊れていたんだ、と上機嫌だった気分がヤクでもやったときのようにハッピーになる。
そもそも、厳つい男共に臆すことなく懐いて、血まみれの腕に抱かさっている時点で頭がイカれているに違いないと思っていた。なるほど、これはボスも、カゲミヤも気に入るはずだ。
知らず知らずのうちに、口角が上がってハイになる。弟とこの可愛らしい天使を並べて写真に収めたい。なんなら、セーフハウスに持ち帰りてぇ。僕好みに躾けたいなぁ。
「ねぇ♡ カゲミヤぁ♡ 一生のお願いだから、ディアちゃん、僕にちょぉだい♡」
「ぜっっってぇイヤだ♡ 寝言は寝て言え、蛇野郎」
「じゃあ~~~、オマエぶっ殺したらぁ、ディアちゃんは僕のモノになるかなぁ!」
「ならねぇっつってんだろぉがよ! ディアはボスのだわ!!」
ディアはモノじゃないわよぉ、という幼気な幼女の言葉はふたりには届かなかった。
ディアは基本的にサクヤかツバキの部屋で寝起きをしている。ディアの部屋もあるにはあるのだが、ほとんどプレゼント置き場と化している。人形だとか洋服だとかがわんさか。ベッドはお姫様も驚くキングサイズ。推定三、四歳児には大きすぎるため、ディアを連れ込んで(※ディアの部屋)抱き枕にし、幹部たちの昼寝場所となっている。
今日のサクちゃんは随分とお疲れだったようで「魔法少女アルティナディア」とかわけのわからん語呂のよい単語を呟きながらディアを抱き枕にしてベッドインした。おやすみ三秒だった。
推定幼女が楽しすぎて忘れそうになってしまうが、私は十七歳だ。くーちゃんと契約できていれば晴れて進級ができていたはずの立派な魔女見習いである。
サクちゃんのさらさらの金髪をよすよすしながら、ポンコツな脳みそを働かせる。
おそらく、というか多分、この世界はディアたちが生きていた世界とは違うのだろう。見上げるほどの高い建物(ビルと言うのだとサクヤが教えてくれた)も、地面を走る鉄の塊(車と言うのだとツバキが教えてくれた)も、あっちにはなかった。だって空を飛んだ方が早いし、移動魔法が主流だった。
魔法も、魔物も、魔女も存在しない。マフィアとか、ヤクザとか、よくわからない抗争があるけど、あっちの戦争よりずっと平和。
サクちゃんは優しいし、つっくんもなんだかんだ文句をいいながらもお世話をしてくれる、セイちゃんは頭を撫でてお菓子をくれるし、シュウちゃんはお出かけに連れてってくれて、ネコちゃんは美味しいご飯を食べさせてくれる。あっちだったら考えられないほど穏やかな日常を過ごしている。たまに、皆怪我をしてくるけど、魔法でちょちょいのちょいだ。
戻らないといけない。帰らないといけない。進級しないといけない。――別に、戻らなくても、帰らなくても、進級しなくてもいいんじゃないかな。
「……くーちゃん」
くーちゃんが吐き出したブラックホールに吸い込まれたせいで異世界へと来てしまったわけだが、同じくくーちゃんのブラックホールに吸い込まれたら元の世界に戻れるかもしれない。
抱き枕がう゛んう゛ん唸っているのに、ゆっくりと意識を覚醒させたサクヤは眉間にしわを寄せる幼女のほっぺにかぶりついた。おや、起きたと思ったがこれは寝ぼけてるな。マシュマロほっぺを食べられるのはよくあることだった。
「サクちゃん、サクちゃん、おはよぉ、おきたぁ?」
「んんん……まだ……」
「つかれてるの?」
「犬共が派手に取っ組み合いし始めたせいで会合がおじゃんになったんだ」
そっかぁ、それはつかれたねぇ、それならほっぺ食べてもしかたないねぇ(?)
ちなみに、犬とはツバキとセイレン・シュウレイ兄弟のことである。ツバキが忠犬で、セイレン・シュウレイ兄弟は狂犬だ。忠犬はまだサクヤに対して忠実でお利口さんだが、狂犬は狂犬だから狂犬なのだ。
取っ組み合い、とサクヤは言っているが実際は日本刀と猟銃の飛び交う乱闘だった。
「サクちゃんはぁ、ディアがいなくなったらさみしい?」
「は? ディア、いなくなるつもりか? ディアまで俺から離れてくの? なんで? 欲しい物も、なんでも用意するから俺から離れてくなよ。なぁ、俺のこと嫌いになった……? 俺は、こんなにディアのことが好きなのに、なんでディアは俺のこと、え、ディア、でぃあ……俺のディア」
「ち、ちがうのよぉ! もう、もう! サクちゃんったら、とってもあまえんぼさんなんだから! ディア、……わたし、ここにいてもいいの?」
ずっと、不安だった。今まで、好かれたことなんてなかった。頭も良くないし、難しいこともわからないから、同輩たちと会話することができなかった。だから余計、魔法にのめり込んで、そうしたらみんなと仲良くなれると思ったのに、魔法ができるようになったら「天才」だのなんだのともてはやされて、いろんなところからスカウトが来て、向けられる感情すべてが気持ち悪かった。
――だから、つい、うっかりだったの。最初からそのつもりじゃなくって、汚い手が体を這って、手首を掴まれて、固いベッドに押し倒されて――そうしたら、目の前が真っ赤に弾けてた。
「いなくなるなよ、帰るな、帰らないで。俺のとこにずっといて。……なんでも、欲しいモノ、なんでもやるから」
サクちゃんは、まるでわたしを見ているようだった。ひとりが嫌いで、寂しいのが嫌で、それでもなんてことない顔して、二本の足で立ってるの。
「――それなら、ツバキくんを、わたしにちょぉだい? そうしたら、わたしはあっちの世界を捨ててあげる」
しゃら、とさらさらの金髪が指の間から逃げていく。
ディアは光り輝く白金髪だけど、サクヤの髪はちょっとだけくすんだ月のような金髪だ。涙目になってるサクちゃん、かぁいいなぁ。空色の瞳は、食べたら甘そうだった。
「ツバキをお前にあげたら、何処にも行かないんだな。ツバキだけでいいのか? セイレンは? セイレンをあげたら、もれなくシュウレイもついてくるぞ」
お得セットみたいな言い方に笑ってしまった。ある意味、あの兄弟はハッピーセット(頭が)だから間違いじゃない。
「ううん。ツバキくんだけでいいの。わたし、ツバキくんが好き。だいすき。ツバキくんなら、わたしのぜんぶ、あげれるわ」
「……俺は?」
「サクちゃんはぁ、おにいちゃんみたいだから駄目よぅ。それに、サクちゃんになにかあったらつっくんがおこっちゃうもの」
くすくすくす。鈴を転がして笑う子どもに、美しい女の姿を幻視した。
「お前、ほんとに四歳児か?」
「……わたし、ひとこともそんなこと言ってないわよぅ。こっちに来たときに、なんだかわかんないけど、体がちいちゃくなってたの」
「…………マジ?」
「わたし、じゅうななしゃいなんだからね! 成人してて、立派なおとなのじょせいなんだから」
それにしたって、大人の女性はもっと警戒心があるし、あまりにも幼女のふりがうますぎるだろ、とサクヤは思ったが口には出さなかった。ぷんぷん、と無い胸を張るディアが可愛かったから。ちなみに、ディアは別に幼女のふりをしているわけではない。
成人しているなら、と思うものの体が小さすぎるから触れ合うことくらいしかできない。
外回りをしていたツバキは、自分の知らないところで敬愛するボスと可愛がってるガキが契約まがいのことをしていることに、くしゃみを一つした。その頭上には、トカゲに似ているがオオトカゲよりも大きく、二枚の翼を羽ばたかせる生き物が滑空をしていた。
「ディアは……ディアの世界には、魔女はたくさんいたのか?」
「ううん。少ないわ。わたしのどーはいは、四人しかいないし、こうはいたちも二十人もいなかった気がするわ」
「魔女、養成学校だったっけ。そこではどんなことを学ぶの?」
「いっぱんきょーよーとか、れきしとか、あとはやっぱり魔法よ!」
「思ったよりガッコーっぽいことしてんだな」
ふわふわの白金髪は綿あめみたいだ。ディアは、どこもかしこも甘い。ふわふわで、柔らかくて、一度食べたら病みつきになってしまう。まるでドラックのような少女だった。今更手放してなんてやれない。魔法の使えるディアなら、この場所どころか、この国からも簡単に逃げ出せるだろう。
ツバキには、ディアがどこへも行かないように、いなくなってしまわないための鎖になってもらう。たとえツバキが拒否したとしても、それはすでに決定事項だった。だって、俺と魔女の間で契約は結ばれてしまった。
シジョウ・ファミリーはイタリア系マフィアだが、拠点はイタリアだけじゃなく、世界中のあちこちにある。現在の本拠地がニホンなのは、サクヤの母が日本人だったから。唯一、サクヤを愛してくれた人。愛しくて、大好きで、可哀そうな人だった。
魔女に愛されたツバキと、マフィアに囲われた母。いったどちらが可哀そうなんだろう。
ツバキは、ここ最近やけにはっきりとした夢を見る。
緑薫る森の中で、美しい女と向かい合って茶をしばいているのだ。
きらきらと、光をまとった白金髪に、どこまでも深く昏い海の瞳。傷もシミもない真白の肌に、黒いレースのマーメイドドレスを身にまとって、呼吸をするのも忘れるほど美しい顔にドロドロに煮詰めた愛を滲ませた笑みを浮かべている。
その女は、どことなくディアと似ていた。
ボスが拾ってきた、正体不明のガキ。世話役を押し付けられて、気づいたら斜め後ろの下を気にするようになっていた。
夢は、いつも突然始まって突然終わる。穏やかなティーパーティー。ボスの目を思い出させる青空が赤く染まり、緑は燃え、どこからか発砲された銃弾から、女が自分を庇って、何事かを呟いて、それを聞き取る前に夢から目覚めるのだ。
「……」
腕の中にはすやすやと眠るディアがいる。小さな唇がむちゃむちゃしているのが可愛いから、きっと何かを食べる夢でも見ているのだろう。
可笑しなガキだ。強面の構成員も、血も、暴力も、銃も怖がらない不思議なガキ。現場に連れてっても、きっとこの小奇麗なガキはきゃらきゃらと笑っているに違いない。
細くて指通りの良い髪を撫でて、水でも飲もうとディアを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。――寝室を出て、五分と経たずのことだった。ガシャンッと盛大な破壊音がして、高層マンションの最上階からディアは連れ去られた。
あれはそうとうブチ切れてんなぁ、といつもはきっちりと後頭部で結い上げられている黒髪がさらさらと背中で揺れているのを眺めるシュウレイは、目を眇めて唇を笑みに歪めた。
シジョウ・ファミリーの№2カゲミヤ・ツバキのセーフハウスが襲撃された。襲撃くらいならよくあることだが問題なのは、最上級のセキュリティを誇る本邸宅が割れたことだ。
幹部たちの素顔、肉声、スケジュールやハウスの場所など全てトップシークレットである。
深夜二時。本部の地下、通称拷問部屋にはボスをはじめとした六人の幹部たちが勢ぞろいしていた。
「わ、わらひはっ、ただ、た、た、ただっ、聞かりぇたらけでっ」
鉄製の冷たい椅子に拘束された男は襲撃をされたマンションのコンシェルジュをしていた。シジョウ・ファミリーの幹部が住むのだから、もちろんマンションの従業員を始め住人たちの情報は精査済みで、このコンシェルジュは白丸のはずだったのだが。
可哀想なことに、目の周りは青あざになって、鼻は可笑しな方向に曲がっている。数本飛んで行った歯が壁際に転がっており、両足の甲の骨は砕かれていた。
「だぁかぁらぁ~~~! 俺はだぁれに指示されたかぁって聞いてんだよなぁ!!」
黒目は赤く血走って、無理やり形作った笑みは引き攣っている。こめかみには青筋が浮かび、抑えきれない衝動に再び振りかぶった拳は赤く腫れていた。
「お、おりぇはあんたがま、ま、マフィアだにゃんてもしあなかった!! た、ただ、女の子を連えた、綺麗な男がッ、あがっ……!」
「ぎゃははははっ、き、綺麗な男だってぇよ!」「ツバキちゃぁん! 気分どーお?」外野のハッピートリガー兄弟に銃弾を一発ブチこんでおく。
「――ツバキ」
悪意の渦巻く拷問部屋に、清涼な声が響く。決して大きな声ではないが、よく通る声だった。ぴたり、と賑やかな笑い声も止んで、全ての目がボスへと向けられる。
「もういいよ」
「……ボス、」
「ネコがそいつの飼い主を見つけたって」
無感情に、「裏切者には、制裁を」と判決を下した王様に頬が紅潮する。
「僕だったら、待てなんてできないなァ」
「ぼくも無理。にーさんはさっさと殺しちゃうだろォ」
パァン、とあっけなく命の散る音がした。
アルティナディアは、緩やかに揺蕩う意識にぼんやりと目蓋を持ち上げた。うす暗くて、すこし埃っぽくて寒い。本部でお昼寝をするベッドとも、ツバキと一緒に眠るベッドとも違う。硬くて体が痛くなる安っぽいベッドにディアは寝かされていた。
腕と足が縛られていたが、口内で「ほどけろ」と呟けば、しゅるりと蛇のように縄が自らほどけていった。
緩慢な動作で起き上がるが、頭がくらくらふわふわして、再びベッドに体が倒れてしまう。
(――がっこうで、おくすりのしけんをしたときみたい)
久しぶりの、懐かしい感覚に重たい腕を持ち上げて見る。右腕は違う。じゃぁ、と見た左腕の二の腕の上あたりに注射痕があった。これはなんの薬だろう。魔力を増幅させるのかな。それとも、言うことを利かせるやつかな。
ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返していると、鉄錆びた扉がギィと音を立てて開いた。
「おや、目が覚めたんだね。よかった、意識がないから心配をしたんだよ。君を攫ってきた悪い奴はおじさんが懲らしめたからもう安心して大丈夫だよ」
嘘だな、とすぐに気づいた。ディアを浚った人間と、このおじさんは繋がっているのだろう。
無意識に杖を探した手を、何を思ったのか男はぎゅぅっと握りしめてきた。汗ばんでべたべたした、肉厚で高い体温。気持ち悪くて、気色悪くて、ゾッとした。振り払おうにも体は力が入らない。「は、は、」と荒くなる息と共に吐き気がこみ上げてくる。
「ああ、怖かったんだね。そうだよね、君のように可愛らしくて愛らしい存在が、マフィアなんていう野蛮な奴らと一緒に居ること自体おかしかったんだ。もう大丈夫だよ。おじさんが一緒にいてあげる。きっと、アイツらは君の良心を殺してしまったんだろう? だかから君はあのゴミ共と共にいたんだろう? 大丈夫。もう安心するといい。温かい食事も、柔らかい寝床も、可愛らしい服もおじさんがぜぇんぶ用意をしてあげるから。おじさんが君のお父さんになってあげるからね。ほら、その可愛い小鳥の囀りでパパと呼んでおくれ」
なんて押しつけがましいのか。ポンコツだけど、ディアにはサクヤやツバキがディアのために用意をしてくれる最上級の生活を越えるモノをこの男が用意できるとは思わなかった。
それほど長い年月を生きてきたわけではないけれども、美しいが故に厄介な変質者に絡まれることは多々あった。この男も、その類いに違いない。
白髪交じりのオールバックに、笑みに歪められた目元にはシワがある。――見覚えがあった。この男、サクちゃんたちがカイゴウとやらをしていた組織のボスじゃないだろうか。あの上映会のときに映っていた。
ぼんやりと、深海のひとみにじぃっと見つめられた男は何を思ったのか、小さくて術らかな手を撫でさすり、ディアが抵抗しないとわかると頬にその手を持っていき柔らかな感触を楽しんだ。黒い目には薄汚い欲情と、優越感が滲んでいる。
――嗚呼、穢いなぁ。サクちゃんやつっくんたちとは大違い。
「……ぉ、――」
「ん? なんだい? どうしたのかな?」
ご機嫌に笑う男を無感情に見つめながら、ディアはただ思った事を口に出した。
「おじさまは、まるで、ドロ水をすする、穢いねずみさんのようねぇ」
可愛らしい少女の口から飛び出した言葉を一瞬理解できなかった男だったが、「おじさま、みたいなのを、ドブネズミ、と言うのだったかしらぁ」と続いた言葉に、カッと頭に血を登らせて、気が付いた時には少女の美しい顔を殴り飛ばしていた。
人形のように、ぽーんと飛んで行ったディアはゴロゴロと固いコンクリートの床を転がって、身体のあちこちに擦り傷を作りながら手をついて体を起こした。
「いたい……」
殴られたほっぺも、すり傷だらけの体も、どこもかしこも痛くて泣いてしまいたかった。てっきり、サクちゃんたちの弱みになるから誘拐されたのかと思ったけれど、初めから私が目的の少女性愛者だったのね。――それなら、やってしまっても、問題はないわよねぇ。
「や、や、優しくしていればっ、つけ上がりやがって……! あ、あ、ち、違うんだよ、間違えた、殴るつもりなんてなかったんだ! 君が、君がまるで悪い子のような、口汚いことを言うからいけないんだ! そう、これは躾だよ。あのゴミクズ共に汚染されてしまったんだね。私がきちんと教育をし直してあげるから、安心しな――」
「はじけろ」
ぱぁん。その音は、サクちゃんたちといるとよく耳にする銃の発砲音とよく似ていた。
人間の体は約八十パーセントが水分だ。ぐつぐつと、煮えたぎった水分によって皮膚や肉が膨張して――理屈はいろいろあるけれど、それらの過程をふっとばして、暴力的な魔力でいとも簡単に、ディアは人間の体は弾けさせることができる。
魔法を覚えたての頃、カエルで実験をして遊んだのを思い出した。まるまると太ったカエルを勢いよく踏みつぶすと、ぱぁん、と小気味いい音を奏でて弾けるのだ。靴の裏がぐちゃぐちゃになるから二度とやるつもりはないけれど。
「あ゜、え?」
鼻から上を弾けさせた男は、ピンク色の塊や赤い液体を拭き出しながら仰向けにどしゃりと倒れた。
「……きったなぁい」
ベトベトの赤い液体やら飛び散った肉片やらで汚れてしまった体を清めて、ゆっくりと立ち上がる。体のいたるところが痛かったはずだけど、なんだか、気分がフワフワする。頭もフワフワしてるし、とっても楽しい! 体も羽のように軽い気がする。今ならママのチカラも使えちゃう気がする!
べしゃり、と男だったモノを踏み越えて、鍵のかかっていない扉を潜り抜けた。
はじけろ。弾けろ。爆発けろ。
ディアはポンコツだから、複雑な魔法はよくわからない。全部感覚とシックスセンスで使いこなしていた。薄暗い廊下は、随分と鮮やかに彩られていた。
幼気な幼女を誘拐するような悪い奴らには、お仕置きをしなくっちゃ!
ディアが通った道には、レッドカーペットが出来上がっていた。
ルンルンと、軽い足取りに鼻歌を奏でながら出口を探す。窓が無いから、ここが地下なのか地上なのか上空なのかもわからなかった。けれどこれだけ派手に遊んでも思ったより人が集まって来ないところを考えれば地下なのかもしれない。ホンブの地下も、防音だってつっくんが教えてくれた。悪い事をするなら、地下がテンプレートだとかなんとか。
軽やかで甘い歌声に誘われた男たちが、ひとり、またひとりと真っ赤な花を咲かせていく。
「la,la,ulala,」
ぴちゃん、ぴちゃん、と真っ赤な血だまりを素足で突き進む。分かれ道があればなんとなく、こっちかな、と勘で突き進んだ。
「あ、かいだん」
ようやく、上へ向かう階段を見つけた頃には、身なりにはそれなりに気を使うディアが、血まみれの格好を気にすることもできないほどにハイになっていた。
――魔女あるいは魔女見習いは、適正のある少女しかなれない。魔力の有無はもちろん、魔女に成り得る精神状態。アルティナディアはポンコツだけど、魔女としてのポテンシャルは最高傑作であると学校では評価されていた。
しかしながら、いくら膨大な魔力を秘めていたとして、魔法をバンバン使い続ければそれは枯渇してしまう。湯水のように沸いてくるとは言え、供給と消費が比例して、ほどよいバランスを保たなければいけないのだ。
魔法を使いすぎてはいけません。
入学して、先生に口酸っぱく、耳にタコができるくらい言い聞かされる文言だった。とくにディアは、中学年と呼ばれる年齢になるまで、よく魔力枯渇状態に陥っては寝込むというのを繰り返していた。
己の力を過信しているわけではない。ただ、ちょっとばかしチョーシに乗ってしまうだけ。
とっくに、ディアの体は限界を超えていた。
魔法の連発による魔力の枯渇。クスリによる体調不良。暴力による精神的負荷。血まみれで、痣だらけの美しい少女はふらふらと階段を上って――大好きな人を見つけてにへらっと笑みを崩した。
「――つっくん!」
背中から生えた翅を羽ばたかせて、ツバキの胸に飛び込んだ。マフィア幹部勢ぞろい、階上は地獄絵図が広がっていた。それでも、なによりも、ツバキが迎えに来てくれたことが嬉しかった。
「ディア! ディア、怪我は!? テメェ何連れ去られてやがんだよ!?」
「ご、ごみぇんなしゃぁい……」
怒髪冠を衝くツバキに体を震わせる。ガッと顎を掴まれると、殴られた頬が痛んだ。
「あぇ」
「……殴られたのか」
スンッと表情を落としたツバキは、強引に掴んだ顎を話すと、ディアを抱き上げたまま全身をくまなくチェックした。頬の打撲痕、パジャマから覗いた手足は擦り傷だらけ、極めつけには手首を縛った後。よくよく見れば白雪の顔は紙よりも白く、目は焦点が合っているようで合っていない。不規則な呼吸音に、指先がかすかに震えている。
腐ってもマフィア幹部。即座にクスリを使われた可能性が頭をよぎり、袖をめくって腕を確認すれば痛々しい注射痕。
アウトだった。もう何がとは言わない。全部アウトだ。
「つっくん?」
こてん、といつも通りの笑みを浮かべて小首を傾げるディアが酷く痛々しい。
絆されたとは言え、なんだかんだ可愛がっていた少女だ。蝶よ花よと愛でていた少女が、下手をすれば手遅れになっていたかもしれない事実にツバキはもちろんサクヤも、セイレンも、腸が煮えくり返りそうだった。
「ディアちゃん、ずいぶん酷い格好だねぇ。せぇっかくの可愛いがだぁいなし」
「ボクらが新しい服を買ってあげる」
「セイちゃん、シュウちゃん」
深海の瞳がぱち、と瞬く。
「それなら、おれは最上級の部屋を用意しよう」
「ひめちゃん」
「カグヤてめぇ、それディアを囲うつもりだろぉが! んなの俺が許さねぇよ!!」
「ふむ、オマエはディアのなんなんだ。なぁ、ディア、そんな顔だけ男より、おれのほうが良いだろう?」
「……ディアは、つっくんがいいなぁ」
「ディア……!!」
あのツバキをここまで陥落させるなんてなぁ、と他の幹部たちが苦笑いをするが、足元には死体が転がっており、そして新たに襲撃者を迎え撃つ兵たちが現れた。
「き、貴様らぁ! 同盟を結んでいながらよくも……!」
間髪入れずに眉間が撃ち抜かれる。
「さきに協定を破ったのはそっちだろう?」
サクヤが、硝煙を燻ぶらせる銃を握る腕をだらりと垂らした。酷薄な笑みを浮かべ、腹心の部下たちに合図をする。すかさず愛銃を構えた幹部たちは一発も外すことなく眉間を、心臓を、咽喉を打ち抜いていった。
「……ディア」
「……サクちゃん」
「ディア、無事でよかった」
「……うん。むかえにきてくれて、ありがとぉ」
「でも、二度目はない。俺から離れて行くなんて、許さないから。ディアにはツバキをあげたんだから。約束、破ったら許さないよ」
え、と声を上げたツバキだがサクヤに黙殺された。おれ、いつのまにディアのモノになってんの?
「…………サク、ちゃん」
「何? 俺、怒ってるんだからな」
「…………ごめん、ね、サクちゃん。……でぃあ、げんかい」
「――ディア?」
「おい、おい、ディア? っ、医療班!!」
「本部向かったほうが早い! おい! 車回せ!」
賑やかな男たちの声を耳にしながら、ディアは緩やかに意識を失った。
ぱちり、と目覚めたディアはやけに体が重たかった。寝すぎてしまったときのような体の怠さに、腕に繋がる点滴を見て顔を顰める。
ぶちり、と思い立って引き抜いたらけたたましいアラーム音が鳴り響いて、勢いよく扉が開いたと思ったら血相を変えたツバキが飛び込んできた。
「ディア!?!? 目ェ覚めたのか!? ――って、あぁ!? 何勝手に針抜いてんだよこの馬鹿!」
「わたしは、ばかじゃなくって、ぽんこつなのよぅ……」
ぱこん、と頭を軽く叩かれる。本当に軽く、叩くというよりも撫でるような触れ方だった。
どうやらディアは十日ほど眠っていたらしい。ツバキはその間のことをかいつまんで教えてくれる。誘拐した組織は上から下っ端までひとりも残さず制裁を下して魚の餌にしたとか。
ベッドの端に腰かけたツバキは、深く深く息を吐き出して、ディアの白い頬に手を添えた。
「おれはロリコンじゃねぇし、どうせならボンキュッボンな女が好きだ」
「それ、ディアに言うのぉ?」
「……おれはお前の将来に期待してんだよ」
ぱち、ぱち。
「多分、つっくんのキタイには応えられると思うの」
体が縮んじゃう前は、それなりにナイスバディだったし。というか、いつになったら体、大きくなるのだろう。
「つーか、いろいろ聞きたいことがあんだけどよぉ、オマエ、ボスから俺を貰ったのか?」
「うん。サクちゃんが、どこにも行かないでずっとここに居て欲しいっていうから、だからそのかわりに、つっくんのことをもらったのよ」
知らない間に人権を無視したやりとりがされていてげんなりした。そういうのは本人がいるところでやってくれ。
「……まぁ、お前が裏切んねぇなら、なんでもいーよ」
「うらぎらないわぁ。だって、つっくんも、サクちゃんも、セイちゃんたちのことも、わたしはだぁいすきだもの」
「お前がいたところのやつらは?」
ディアから、親兄弟や友人の話を聞いたことはなかった。四歳児にしては大人びているし、話もできる。普通のガキだったらママに会いたくて泣き喚くモンだと思っていたツバキはそれがとても不思議だった。
「きょぉみないわぁ」
お金のために子供を作って売り払うような親だもの、とは口に出さなかった。
「ディアはね、サクちゃんに拾われてとってもよかったわぁ。みぃんなやさしくて、ごはんもおいしいの」
「こないだみてぇに攫われて、痛い目に合うかもしれねぇんだぞ」
「――つっくんが、きょかをだしてくれればいいのよ」
無垢な狂気が、ツバキを見つめた。
何の許可を。――殺しの許可だ。
意識を失ったディアを連れて、すぐに現場を離れたが、あの建物の地下はそれはそれは酷い有様だった。人の所業じゃない。内側から頭や体が破裂した死体がレッドカーペットを彩っていた。実際の現場は見ていないが、提出された証拠写真を見て参謀役がゲロっていた。マフィアやっててグロが苦手とか意味がわからない。
とんでもないバケモノに懐かれたな、と口角が上がるのを抑えきれない。美しい、愛らしい見目の皮を被った未知数のバケモノ。
可愛くって、可哀そうで、愛おしい。
「いいぜ。もう二度と、その肌に、顔に、体に傷をつけんな。おれはお前のモノなんだろ。それならお前もおれのモノだ」
「――ディアも、つっくんのモノ?」
「そうじゃなきゃ不公平だろ。おれはディアのモノで、ディアはおれのモノで、おれとお前はボスの所有物だ」
明確な繋がりができた。主従でも従僕でもない、不思議な繋がりだ。
誰かのモノになるのって、初めて!
なんとも言えない高揚感に、くふくふと笑いが溢れてしまう。恋なのか、愛なのか、庇護なのか、よくわからない関係性だった。それでも、この距離感がとても心地よい。
「それじゃあ、サクちゃんが冥界に行くときは、いっしょにばしゃにのっていこぉね」
「なんで冥界なんだよ、つーか、勝手に地獄行きにするなや」
「……? エデンにいけると思ってるの?」
「その顔腹立つからやめろ」
顔面を鷲掴みにされて、けれど一ミリも力の入っていない手のひらにきゃぁきゃぁ声を上げて戯れる。
「――ディア、おれの知らねぇとこで勝手に死ぬんじゃねぇぞ」
うっそりと、子供らしからぬ微笑を浮かべてディアは頷いた。
約束をするたびに、ディアとツバキの繋がりは強固になっていく。それに気付けるのは魔女のアルティナディアだけ。
第三者――サクヤが介入している契約だから簡単には破棄できない。ディアに契約破棄するつもりなんてなかったが、もし、そうなったときはツバキが死ぬかディアが死ぬかの二択だった。
一心同体。運命共同体。そう言えるところまで強く結びついてしまった運命の糸をうっとりと指先で撫でながら、ツバキに処女を捧げたいなぁ、と小さな体を見下ろした。
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