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大魔女と、王子と、ドラゴンと
しおりを挟む「アッ、やっべ」
そう言って、目の前に立ちはだかり、ドラゴンからの攻撃を防いだその人。
魔法とブレスがぶち当たり、風に巻き上げられた長い前髪が流されていく。
トレードマークの分厚いメガネは早い段階で飛んでいった。
紅にも、蒼にも、金にも見える不思議な虹彩をした七色の瞳。
古と、滅びたとされる最強のドラゴンの息吹を容易く相殺できる魔法の威力。
「大魔女、ベアトリーチェ……?」
しくったなぁ、と頬を掻く美しい白百合の顔の、ただの一般生徒とバカにしていた少女だったはずのその人。
誰もがぽかんと口を開けて少女・ベアトリクス――否、大魔女・ベアトリーチェを見た。
「ばれちゃった」
てへっ、と笑ったベアトリーチェはこの後どうしようかと逡巡して、「トンズラしよう!」と手を打った。
◇ ◇ ◇
黒髪のおさげ、長い前髪、分厚いメガネ。成績優秀生徒のベアトリクス・リージュ。
地味な見た目の少女は、魔法学園一の才女である。
「やぁ、ミス・リージュ。ご機嫌よう」
分厚いメガネの奥に隠れた瞳を細め、離しかけてきた青年を見る。
太陽の如く輝く金髪に、翡翠をはめ込んだ瞳の俗に言う正統派イケメン。
学園次席の成績を誇る我が国の第二王子パーシヴァル・マガーリッジ。
嫌味なくらい整った顔に胡散臭い笑みを浮かべて話しかけてくる面倒くさい男だ。
碧眼にはありありと「貴方が気に入りません」と書かれている。
巷の噂では、大魔女ベアトリーチェを敬愛しているとのことで、名前が似ているから気に食わないとかなんとか。なんとも面倒くさい男(二回目)だ。
「何かようかな、ミスター」
「何かようがなければ話しかけてはいけないのか?」
……思春期の子供か!
口をついて出そうになった言葉を寸でのところで飲み込んだ。
何でも、パーシヴァルは幼少期に魔物に襲われ命の危機に瀕したところをベアトリーチェに救われたらしい。
――なんとも、懐かしい記憶だ。
ベアトリクスは懐古に瞳を細めて精悍に育った青年を見やる。近代の国王陛下は育児がとても上手のようだ。
「私は御用がないので、失礼する」
「ま、待て待て待て! 用があればいいんだな、先の授業での属性反転についてディベートしようじゃないか!」
なんというか、本当に面倒くさい男(三回目)である。
ことあるごとに絡んできて、ついには箒術でも競ってくるようになった。
――国王陛下に恩があるからと言って、安請け合いしなければよかった、と今更後悔するが遅い。
件のベアトリーチェとは、ベアトリクスの本来の姿である。
わけあって、第二王子の護衛をしていた。
だからといって、護衛対象と仲を深めたいとは思わない。
「……そこの、可愛らしいお嬢さん」
「はいッ!?」
一番近くにいた女生徒に声をかける。
「王子様がさっきの授業について議論を交わしたいんですって。私はこの後用があるから、つきあってさしあげて」
「喜んでお相手いたしますわ!」と花を散らす女生徒の可愛らしさに頬を緩ませた。
「待て」とか「おい」とか聞こえるが、無視するに限る。
そもそも属性反転魔法についてなんてとうの昔に提唱がすんでいる。今更ディベートしたって、と思うのがベアトリクスだった。
◇ ◇ ◇
「ちょっと頭が良いからって、調子に乗っているんじゃなくって?」
これがいわゆる制裁と言う奴か! と心なしワクワクした表情のベアトリクスに気づかずに、少女たちは悪意ある言葉で詰っていく。
幼い恋心から芽生えた嫉妬心なんて、長い時を生きるベアトリクスにとって可愛らしい感情だ。
まともな恋をしたことがないベアトリクスにしてみれば、少しばかり羨ましい気持ちもあった。
「つまり、王子様にかまわれている私が羨ましい、と? ならば君たちが王子様に声をかければいいじゃあないか。君の美しい紫の瞳だ。隣の君は艶やかな黒髪が美しい。後ろの彼女は魅力的な身体をしている。私とは比べ物にならない美しい素質を持っているのだから、それを利用しない手はないだろう?」
「な、な、なに言って……!」
「綺麗な黒髪……」
「魅力的な身体……!?」
顔を赤くしてたじろぐ少女たちを可愛らしいなぁと眺めていると呆れた溜め息が後ろから聞こえた。
「同性をナンパしてどうするんだ」
「失敬な。私は素直に彼女たちの魅力を褒めているだけだが。ほら、君たち、件の王子様だ。魅了の魔法でもなんでも使って虜にしてしまえ」
「バカか、お前は!」
ぱこんっ、と手に持っていた教科書で頭を叩かれる。
「えっ」と、戸惑い目を白黒させた。
大魔女の頭を叩くなんて今まで誰もしたことがない所業だ。しかも手加減をされている。こういうときはどんな反応をするのが正しいのだろう。
「……先生が探していたから呼びにきたんだ。行くぞ」
パーシヴァルの登場に、顔を真っ青にしていた彼女たちを置いて、手首を握られて連れて行かれる。
「先生? どの先生かな?」
「――嘘だよ! 分かれよ! あそこから連れ出すための口実だ!! 頭いいくせになんでわかんねぇんだよ!」
立ち止まり、振り向いたパーシヴァルの顔は赤かった。
つい、きょとん、として、笑い声が溢れてしまう。
なんだ、可愛いところもあるじゃないか。
「な、何んだよ。文句あるなら言えばいいだろう」
「文句なんてあるものか。ふふっ、ありがとう、助けてくれたんだね、ミスター」
「……困っている女性を見過ごすわけにはいかないからな」
ツン、とそっぽを向いたパーシヴァルは年相応の青年に見えた。
「たまになら、話し相手をしてやってもいいよ」
「違う。俺が話し相手になってやるんだ」
子供みたいに言うパーシヴァルに、やっぱり笑いが我慢できない。くふ、と喉で笑えば目を丸くしてベアトリクスを見た。
「……お前、笑えたんだな」
「失礼だな。私だって面白いことがあれば笑うさ」
「常に仏頂面で話しかけるなオーラ満載のリージュが?」
鼻で笑われてしまった。
面白くないのにどうして笑わなければいけないのだ。
ベアトリクスは学校に学びにきているのではない。パーシヴァルの護衛をしにきているのだ。
この護衛も今のご時世であれば必要ないと感じさせられる。
百年ほど前のように魔族が蔓延っているわけでも、さらにその前のように魔王が悪行を働いているわけでもない。
今一度この護衛の意味を国王陛下に問い質したいものだ。
「ところでリージュ、お前の親は偉大なる魔女・ベアトリーチェのファンかなにかなのか?」
「……私の名前がベアトリーチェに似ているからとでも言いたいのかい?」
「ベアトリーチェ様を呼び捨てにするな。いくらリージュが頭が良く、学園一の魔女だとしてもベアトリーチェ様は、」
長くなりそうだったオタク特有の早口を遮ったのは、肌をひりつかせ溶かすほどの光炎だった。
「リージュ!」
とっさにパーシヴァルに抱きかかえられ、防魔法のかかったローブの中に包まれる。
すぐ側にある整った顔は、焦りと混乱に引き攣っていた。
「――なんだ、あれ」
光炎が止み、ローブから顔を出したふたりの前にいたのは、鱗に覆われた巨体に鋭い爪、大きな翼を持つ魔法生物だった。
図鑑や、教科書でしか見たことがないSランク級の危険魔法生物・龍。
それも、黒光りした鱗に、時折光を放つ鱗を持ったドラゴンなんて、古き竜神の一頭であるとしか考えられなかった。
「中級生徒は下級生徒を連れて非難しろ!!」
「上級生徒は防護魔法を張りなさい!!」
教師の声が聞こえる。
学園一のベアトリクスはもちろん、次席の実力を持つパーシヴァルはある程度の実力を認められた上級生徒に含まれる。
顔を見合わせ、炎の弾の間をすり抜けながら二人は前線へと走った。
突風でメガネにヒビが入る。
外壁の崩れた校舎に、抉れた大地。死者が出てもおかしくなかった。
「リージュ! 校舎崩れたところに下級生徒がいる! 彼らを――ッ」
息吹を防いだパーシヴァルに、鋭い爪が襲い掛かる。
避ける間もなく振り下ろされたそれに、息を飲み自身の死を覚悟した。
「――余所見するから、そうなるのよ」
バチン、と鋭い爪は透明な魔法壁に阻まれ、ノックバックした龍めがけて凶悪なほどの魔力の塊がぶち当たった。
「な、なに……?」
大地を揺るがす衝撃に思わず目を閉じる。
「敵対しているときは目を逸らさない。授業でいの一番に習ったはずだけどなぁ」
大きく空気を吸い込み、今まで以上に大きく灼熱の息吹を――彼女は、ベアトリクスはいとも簡単に相殺して見せた。
◇ ◇ ◇
――冒頭に戻る、というわけだ。
「来い、箒」
ばびゅんっ、と何処からともなく現れた箒に飛び乗って、さっさと住処へ戻ろうとした矢先、箒の尻尾をとっ掴まれてつんのめる羽目になった。
「ま、待ってくれ……! ミス・リージュは!? 貴方は大魔女・ベアトリーチェだろう!? なんでこんなところに!? ドラゴンは!? あの魔法は!?」
質問ばかりのパーシヴァルに顔を潜めた。せっかくの白百合が台無しである。
「――-私は、国王陛下に恩がある。このような事態に備えて、女生徒に扮して紛れていたのさ」
大きく目を見開き、言葉を失うパーシヴァルに今度こそ飛び立とうとする。
「だからッ、待てって!!」
「んぎゃッ!?」
背後から飛びかかられて、前のめりに転倒する。
最悪だ。土埃の中倒れこむなんて!
原因の男を睨みつければ、眉を下げて「すまない」と言った。
いつもの高飛車な態度は? 嫉妬心丸出しの目線は?
まるで耳の垂れた子犬のようなパーシヴァルに勢いが削がれてしまう。
「お、俺は、ミス・リージュがまさかベアトリーチェ様だとは思わず、失礼な態度を……!」
「……対抗心を燃やすのは良いが、女子に対してあの態度はなかったな」
「……!」
多大なるショックを受けるパーシヴァルだが、ベアトリクス・リージュの正体がベアトリーチェだったからこそ良かったが、普通の一般女子生徒であれば意気消沈して登校してこれないだろう圧があった。
まぁ、第二王子としてあの態度はいただけないな、と言葉を零せば今度こそ地面に手をついてうなだれてしまう。
「きゃあああッ! ドラゴンが……!」
地面に倒れ伏していた古きドラゴンは、鋭い眼光に怒りを滲ませて
「守護せよ」
バツッ、と全体を覆い隠す魔法の楯にドラゴンの息吹は空へ弾かれる。
「貴方のように偉大な古の龍が、何に怒っておられるのか!」
凜と透き通った声が響きわたる。
黒髪を結んでいた紙紐が火の粉にちぎれ、風にあおられた毛先から、色が変化していく。
風に靡く金の稲穂のように、膨大なる魔力によって変化する髪色に、誰もが魅入られた。
太陽を纏う白金髪に、虹色に輝く宝石眼。
教科書や伝承にて伝わる大魔女が、生徒たちの目の前に現れたのだ。
教師ですら興奮を隠しきれず、前のめりになってドラゴンと対峙する大魔女を見つめた。
すぐ側に、手の届く距離にいる美しい女性に、憧れの大魔女に、パーシヴァルは歓喜に身を震わせた。
グアァ、と大きく啼いた龍に大気が震える。
『――我は眠っていた。時が来るその時まで眠りについているはずだった。それを誰が起こした。誰が眠りを妨げた! 約束のその時まで、我は眠っているはずだった! 許すまじ、許すまじき事よ……!』
低く、地面をも揺るがす声に矮小なる人間は気を失い、腰を抜かし、呆然と
「古き偉大なる龍よ。その時が来るまで、再び眠りにつこう――大地よ、癒しの精霊よ。大いなる龍を最良なる眠りへ導け」
地面から、光の泡が溢れ出す。
ただの魔法使いには到底扱える魔法ではない、人成らざるモノに力を借りる精霊魔法。溢れ出る魔力に、ベアトリーチェの足元に草花が咲いた。
『許すまじ……ヒトよ、闇は、すぐそばまで来ている――』
ズシン、と重たげな音を立てて倒れ、眠りに落ちた古の龍に、ゆったりと歩みを進める。
ごつごつした鱗肌を撫で、剥がれかけていた一枚を指先ではがした。
きらきらと輝くドラゴンの鱗は砕いて粉末状にすると火の粉となり、粉末状にしたものと人魚の住む湖の水を混ぜ合わせれば消えないインクができあがる。
他にも使い道はたくさんある。とても貴重な材料だ。
「ベアトリーチェ、様――窮地を救っていただき、ありがとうございました」
「礼を言われる筋合いはないわ。私は、私の役目を果たしたまでよ。――国王陛下への恩、これで返したわ」
だから、さようなら。
短い、あっという間の別れだった。
巨体のドラゴンとともに、偉大なる魔女・ベアトリーチェは学園から姿を消した。
◇ ◇ ◇
迷いの森の奥深くにある小さな赤い屋根の家が、ベアトリーチェの住処である。
「……どうして、君がここにいるのかなぁ」
寝起きのぼさぼさに乱れた髪を梳くのは、つい先日までベアトリーチェが護衛していた青年――パーシヴァルだ。
やけに晴れ晴れとした表情で、髪を梳いていく姿はとてもベアトリクスにツンケンしていた青年と同一人物とは思えない。
「父上に聞いたんだ。貴方が、かつて受けた恩を返すために俺を守っていてくれたと。それならば、俺は貴方に守られた恩を貴方に返したいんだ」
「……それとこれと、どうして君が私の家にいるのかを聞きたいんだけど」
「父上が教えてくれたんだ。学校には休学届けを出した。魔法を学ぶのであれば、貴方――ベアトリーチェの側にいるのが一番だと」
やけにキラキラした目に耐えられずに目を逸らしてしまう。
どうしてこうなったのやら。朝、目が覚めたら物が散乱していた室内が綺麗に片付いて、役割を発揮していなかったキッチンからいいにおいがしたのだ。
極めつけは、いつもはおさげか下ろしているだけの金髪を、器用な手つきで結い上げていくものだから言葉が出なかった。
「つまり、弟子入りすると?」
「そういうことになる」
だからそのまっすぐな目をやめてくれ……!
純粋百パーセントで頼み込まれたら断れないじゃないか。
王子だというのにやたらと家事が得意なパーシヴァル。朝食のタマゴサンドはとても美味だった。
綺麗に整頓された部屋と、美味しいご飯。顔の良い弟子。
「……私に師事しても得られることは少ないよ。それでもいいなら、ここにいたらいいさ」
断るメリットがなかった。
人はいつだって、誘惑に負けてしまうものである。
それにしても、と目を細める。
古き龍の言っていた「闇」が気になった。約束、というのもひっかかる。
龍が真っ先にパーシヴァルを狙った理由も、この先一緒にいればわかるだろうか。
魔女というのは、いつまでも研究熱心なものである。
目下の問題は、この小さな家のどこにパーシヴァルを住まわせるかであった。
― 了 ―
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