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第21章 世界を壊す秘宝
第481話 シン・セイランの事情
しおりを挟む―――ドン!
机にたたきつけられた拳が、大きな音を立てた。
広い、しかし、ドアも窓も閉じられていて、『密室』になっているその部屋には、その音がよく響き……机についていた女性、ドロシー・グレーテルは、不快そうにその犯人の方を睨み返した。
が、その視線の先にいる、執務机を殴りつけた張本人である赤髪の女性……シン・セイランはというと、その何倍もの気迫と怒りのこもった視線をドロシーに向けている。
表情も、わかりやすく怒りに歪んでおり、眉間には青筋すら浮かんでいた。
元々釣り目気味の双眸をさらに鋭角にし、貫くような視線を向けながら……言い逃れなどさせないとばかりに、セイランはドロシーに詰め寄った。
「納得のいく説明をしてもらおうか、ドロシー殿……此度のことは、私には契約違反にしか思えないのだがな……!?」
「契約違反、ね……一体何のことを言っているのかしら?」
「とぼけるな! あなた方が『血晶』に関する調査を進めていたことだ!」
怒声、と言って差し支えない音量。込められている怒気もあいまって、セイランが今、どれだけ、そして芝居ではなく、本気で怒っているのだということは明らかだった。
もちろん、それを真正面から叩きつけられているドロシーは、それを理解している。
しかし彼女は以前、大声やその粗暴な態度に不快感を示してはいても、それを向けられて怯えたりするような素振りは微塵も見せていない。
はぁ、とため息を1つついて、手に持っていたペンを置き、汚れないよう書類を横にどけた。
「『血晶』に関する情報は、何か手に入り次第私に回してくれる約束のはずだ! 忘れたとは言わせんぞ……!」
「もちろん忘れてなどいないわ。『血晶』に関する情報の収集は、あなたが財団に協力する交換条件として提示してきたもの。私達もそれを飲んであなたを雇い入れた……あなたが我々のために働いてくれるのなら、こちらは組織力を生かした情報でもってそれに報いると」
「ならばなぜ……それがある可能性がある場所まで割り出しておきながら、私にそれを知らせなかった! 仮に『双月の霊廟』の探索でそれが見つかり、あの国の……『チラノース』政府の息のかかった商人どもが万が一にもそれを買い取っていたら、どうするつもりだった!?」
「それならそれで問題ないと思っていたわ。これからのプランを……ちょっと、物騒なものを向けないでくれる?」
ドロシーが言い終わらないうちに、セイランは背負っていた、折り畳み式の変形弓を展開させる。
反りの部分が刃になっていて、剣のように接近戦に使うことも可能なその弓。その刃部分の切っ先が、ドロシーの鼻先10cmほどのところに突きつけられている。
そのまま突くか、あるいは横に薙ぎ払うかするだけで、ドロシーの命は容易く刈り取られてしまうだろう。
ましてセイランは、既に資格を抹消されているとはいえ、元は冒険者ギルドでAAAランクの地位にいた凄腕だ。その程度のこと、瞬きほどの間にやってのけるだろう。
対してドロシーは、ダモクレス財団において『最高幹部』という地位にはいるものの、8人いる『最高幹部』の中で唯一、戦闘能力ではなく、その頭脳と実務の能力で抜擢されている。
多少の護身術や魔法は修めているものの、お世辞にも『戦える』と言えるような腕前ではない。
ギルドを追放されてからも自己の研鑽を怠っていなかったセイランとの間にある実力差は、天と地、いやそれ以上と言っても過言ではなく、この状況からの逆転などまず起こりえない。
だというのに、ドロシーの表情は変わらず涼し気で、それが余計にセイランの怒りの炎に油を注いでいた。
「最初から私を騙すつもりだった、ということでいいのか、ドロシー殿? 都合のいいことを言ってこき使い、報酬である情報を渡すつもりなどなかったと……?」
「滅相もない……きちんと、あなたの働きへの報酬として、情報は渡すつもりでいたわよ?」
「ならば、その可能性が浮かび上がった段階で教えなかった!? あまつさえ私に断りもなく、チラノース帝国に『血晶』が渡りかねないような動きを容認していた!?」
「……ハァ。察しが悪いわね、今の話から分からなかったの?」
すると今度は、もう1つため息と共に……ドロシーが向ける視線が、蔑みと呆れの感情のこもったものに変わった。
「私達はあなたに『働きに対する対価』として『血晶』に関する情報を渡すつもりだった。けれどそれは、あなたが私達の期待に応える働きをしてくれていれば、の話よ」
「っ……私の働きに不満があったと、そう言いたいのか?」
「ええ……気付いていないと思っているなら、そちらこそ舐めてくれたものね。知っているのよ、私達も……あなたがあちこちでやっている、色んな取引について、ね」
「……ッ!?」
その言葉に、今度はセイランの顔に、隠しきれない驚愕の表情が浮かんだ。ドロシーの返しは、彼女にとって予想外の反撃だったらしい。
しかし、なおもドロシーの追及は続く。中途半端で止めるつもりはないようだ。
「あなたはどうしても『血晶』の情報が……というより、『血晶』そのものを手に入れたいようだったから、あなたがきちんと財団のために働いてくれるのなら、情報は渡すつもりだったわ。でも、あなたは裏切った……他の組織と通じてスパイの真似事なんて、舐めた真似してくれるわね」
「……知っていたのか、ならばなぜ……」
「総裁の指示だったからよ、泳がせておけばいい、ってね。正直私としては、すぐにでも処断してしまえばよかったと思っていたけれど」
セイランは、ある目的のために『血晶』を探していた。そのために財団に所属し、自分の働きへの対価として、『血晶』に関する情報を求める、という契約を交わしていた。
だがその一方で、他にもいくつもの組織と接触し――合法・非合法を問わず――そこでも情報を収集していた。
その中には『ダモクレス財団』と敵対関係にある組織もいくつかあり、セイランはそれらの組織に対して、財団の内部情報を売り渡すという形でつながりを作ったり、情報を引き出すための対価としていた。
それらは何も1つ2つではなく、またそうして『裏切っている』そしきも、同じく1つ2つではない。あるAという組織に取り入るために別な組織を裏切って情報を売り、またそのAに関する情報をBという組織に売るといった、二重スパイならぬ多角スパイのようなことをやっていたのだ。
しかし、それは既に財団に知られていた。そしてその時点で、彼女は最早、協力者ではなく、単なる敵、あるいは裏切り者として扱われることになっていたのである。
それでもなお彼女が処断されなかったのは、総裁であるバイラスがある目的のために彼女を泳がせ、見定めていたからなのだが、それを説明するつもりはドロシーにはなかった。
代わりに、と言うわけではないだろうが、続けざまにセイランに、またしても予想外の言葉が投げかけられる。
「盗人猛々しい、人の振り見て我が振り直せ……そんな格言が世の中にはあるそうよ。本当によく言ったものだとは思わない? シン・セイラン…………いえ、『ファン・シャロン』」
「ッ!?」
先程、多角スパイのことを言い当てられた時よりも、さらに驚愕した様子のセイラン。
それも、無理のないことではある。スパイのことを感づかれていたのみならず、目の前にいる女は、彼女に対してはもちろん、ここ数十年誰にも名乗った覚えのない、自身の本名を知っていたのだ。
「よっぽど驚いたようね、『お姫様』? 素性が知られていることが、そんなに驚きだった?」
「なぜ……どうやって、それを……その名を……!?」
「当時を知る者も、資料も少なかったから大変ではあったけどね……それでも、『血晶』はもともと『リャン王国』の国宝として管理されていたというところまでは、早い段階で私達も知っていた。しかしその存在自体が広く知られているようなものではなかったから、それを知っていて探しているあなたは何者なんだろうと思って調べたのよ。まさか、亡国の王女様だったなんて思わなかったから、流石に驚いたけどね……ハーフエルフということは、妾腹の隠し子だったのかしら?」
「……っ……」
「決してよくしてもらったわけでもなかったでしょうに……目的は復讐かしら? それなら猶更、仇敵である『チラノース帝国』にそれが渡りそうになったのなら、慌てもするでしょうね」
追及、ともとれるドロシーの言葉を、セイランは黙って聞いている。
先程まで、セイランの体から迸らんばかりだった怒気は、すっかりなりを潜めていた。先程突きつけていた弓の刃も、今は腕を脱力させ、体の横に降ろしていた。
だが代わりに、その目の中に……冷たい決意と殺意が宿っている。それらを隠すためか、彼女本人は不気味なほどに静かだった。
「……このことは、既に財団内部には知れ渡っている……ということでいいのか」
「末端まで知ってるわけじゃないわ。でも、総裁と……幹部クラスは全員知ってるわね。いつ、どんなバカな真似をやらかすかわからないから、警戒のためにね」
「そうか……しかしならば、こうしてあなたが私の前に姿をさらしたのは、その警戒が足りなかったではないのかな?」
冷たい声音のまま、セイランは手にした弓の刃を再びドロシーに向ける。
「あら怖い、私を殺すつもり?」
「安心しろ、殺しはしないさ。だが、一緒に来てもらう」
抑揚のない声で、淡々というセイラン。
「財団にはいられなくなったからな……ここから逃げる際、あなたには人質になってもらう。それと……現時点で財団がつかんでいる全ての情報を話してもらおう。……抵抗はしないことだ、暴れなければ、気絶させるだけにする。極力、傷はつけない」
「思い切りのいいことね。でも……やめておいた方がいいと思うわよ?」
「悪いが……私が止まることはもうないよ。この道を進むと決めた時から、覚悟はできている。どんなことをしても……仇を討つ、とな」
その瞬間、手首を返して『峰打ち』の形にして、弓を振るうセイラン。元AAAランクの名に恥じないその素早い動きに、ドロシーは反応すらできていない。
命ではなく、意識を刈り取る目的でのその攻撃は、吸い込まれるようにドロシーの首元に命中して打ち据えた―――かに思われた。
だが、
「なっ!?」
セイランが弓を振るい、それがドロシーの意識を刈り取る……その間のわずかな、それこそ、瞬きをするよりも短い時間。
その間に、2人の間に割り込んだ影が、振るわれようとした弓の刃を止めていた。
刃を止めているのは、1人の男だった。
軍服のような装束に身を包み、手足には、頑丈そうなグローブとブーツ。金属板らしきものが取り付けられているため、手甲と具足といってもいいかもしれない。
彫りの深い顔をしていて、髪は短く刈り込まれ、額にはバンダナを巻いている。
指2本。片手の親指と人差し指。男は、たったそれだけで、つまむようにして刃を止めていた。しかも、驚いたセイランがそれを引っ張って戻そうとしても、ぴくりとも動かない。
「っ……ハイロックか……!」
そして、セイランはその男を知っていた。
ドロシーと同じく、8人の『最高幹部』の1人……ハイロック・リナージ。
そしてドロシーと違い、幹部の中でも特に戦闘能力が高いと言われる1人だ。
それこそ……セイランでは、どう考えても勝ち目がない、と即断できるほどに。
それを理解したセイランは、一瞬ためらったものの、即座に弓から手を放して捨てる決断をし……ドアを蹴破るように開けて部屋の外に飛び出した。
そのまま、魔力で限界まで体を強化し、全速力で逃げ出した。
その彼女を、ドロシーもハイロックも、特に追うこともせずにいた。
ハイロックは無表情のまま。ドロシーはやや不満気な様子だ。はぁ、とまたため息をついて、
「裏切り者、それも敵対関係になったことが確定的な相手なのだから、始末してしまうのが一番あと腐れがないでしょうに……」
「……総裁のご意思だ。我々は、それに従うのみ」
ぶっきらぼうにそう返したハイロックは、つまんで持っていた弓を、ぽい、と放り投げた。
しかし、弓は床に落ちることはなく空中で溶けるように消えてしまった。どうやら、ハイロックは持っていた収納アイテムか何かの中にそれを回収したらしい。
「我々にとって重要なのは、我々と敵対するかどうかではない。我々の目的に沿うかどうかだ。シン・セイラン……いや、ファン・シャロンは、どちらであるか……それは、この先の時代が、世界が判断するだろう」
「気の長い話ですね……まあいいでしょう。さて、それじゃあ私も、そろそろ準備を始めないと。ハイロック、打ち合わせ通りにお願いしますね」
「わかった……決行は、明後日だな?」
☆☆☆
「ハァ……ハァ…………追っては、来ないか……くっ、舐められたものだ。私程度、生かしておいても何も構わないと……そういうわけか」
先程までいた『ダモクレス財団』の拠点の1つから、這う這うの体で逃げ出したセイラン。
あらかじめ、何カ所かに用意してある自分の隠れ家に逃げ込んだ彼女は、滝のような汗を流しながら――全力疾走による汗なのか、それとも冷汗なのかは最早わからない――どうにか息を落ち着けようとしていた。
荷物の中から水筒を取り出し、喉を潤す。物理的に冷やされたのも加わってか、少しずつ、気分が落ち着いてきた。
幾分か冷静に考えられるようになった頭で、セイランはこれからについて思案する。
『ダモクレス財団』にいられなくなった以上、自力で『血晶』についての情報を集めなければならない。別に他の、今まで『多角スパイ』を行って来た組織を引き続き頼ればいいのかもしれないが、どの道それらの組織も大した情報はつかめていない。
ならば、これまでとは違ったアプローチが必要になるだろう、と考えた。
同時に、財団で耳にした最後の情報……『双月の霊廟』の探索結果についても思いだす。
厳密には、結果を知っているわけではない。ただ……冒険者がそこを探索して、何かしらの成果を持ち帰り、報告したらしい、という情報を手にしていただけである。
「……霊廟を探索して、成果と情報を持ち帰ったのはミナト殿だったな……。だが、元とはいえダモクレスに所属していた私では、それを聞くことはできないだろう……」
何せ、『サンセスタ島』では思い切り敵対して殺し合いにまで発展している。
加えて、ミナトは『ヤマト皇国』で、そこにいた最高幹部の1人、カムロと交戦し、これを撃破している。現在、ミナトとダモクレス財団は、明確に敵対関係にあると言っていい状態だった。
……どういうわけか、『総裁』の意向により、積極的な敵対や交戦には至っていないのだが。
また、『ローザンパーク』でも一度会っているが、あの時は単に伝言を伝えるためと、エータの護衛としてきただけだ。多少話したが、それで関係や印象が幾分でも改善したかと問われれば、そういうことはなかった。
いずれにせよ、ミナトに近づいて情報を狙うのは無理だ。関わるの自体危険とすら言っていい。
「となれば、報告された後で扱われている情報を探る方がまだ難易度が低い。となると、冒険者ギルドか、それとも政府機関か……いずれにせよ、ネスティアだな」
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