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第二章 儀式(セレモニー)
儀式(セレモニー):延長、朝までコース
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着替えをすませて健悟と柳川が疾りこんだのは、三階の食堂だった。
河合をはじめとした当直組の面々に盛大に迎えられて、柳川は、ぽかんとした顔をした。
「あの出動指令は、此処から出たんだ」
健悟は左腕の防水腕時計を柳川に見せた。
「えっ……」
「ドッキリ大成功」健悟が宣言した。
柳川以外の全員が笑った。
「儀式も無事終了したことだし――」健悟が柳川の背中をバンッと叩く。「さあ、歓迎会だ」
食堂には簡単な飲み物と甘いお菓子が準備してあった。健悟は、柳川を自分の左隣りに坐らせた。
「俺の説教に三十分も耐えたんだぞ」健悟は、全員のまえで柳川をほめた。「それもプランクしながらだ。役作りのための覚悟はちゃんとできている。おまえらも力になってやってくれ」
若い隊員たちがどよめいた。
柳川は驚いた表情で健悟を見た。健悟は左眉をあげて、それに応えた。
「それじゃあ親分、乾杯といきましょう」河合が音頭をとった。
乾杯後は無礼講となった。若い消防士たちが、口々に自分の体験談を語りだす。
「洗い場で消防体操なんて、親分、あんまりっすよ」去年配属された新人が云う。
「丁度消防学校から帰ってきてすぐの時期だったろ。おまえがちゃんと覚えてるかチェックしたんだ」健悟が笑いながら云う。
「消防体操? 俺なんか腕立て伏せだったんだぞ」三年目の消防士が新人に云う。
そこへ河合が割りこむ。
「それだって消防学校で散々やらされただろ。俺なんか――」
健悟がじろりと睨む。
「洗い場をブラシで隅から隅まで磨いたんだぞ」
「歯ブラシでな」健悟が真顔で付け足した。
「その話、マジだったんすかあ?」さきほどの新人が素っ頓狂な声をあげる。
「んなわけねえだろ!」
健悟と河合が声をあわせて云うと、その場にいる皆が笑った。
誰もが儀式のメインについては口にしなかった。健悟のまえで四つん這いになって臀を見せたことは暗黙の了解となっているからだ。
柳川は、三階の雰囲気に馴染んでいた。健悟は、自分がいては云えない話もあるだろうと、あとは若い隊員たちに任せることにした。河合も、二番風呂に這入ると云って、席を立った。
「親分さん、ありがとうございました」
柳川は、席を立って深々とお辞儀をした。
健悟は歓迎会を中座し、待機室で書類の残りを片付け、それから仮眠室に直行した。病院の個室を小さくしたようなスペースで、ロッカーとベッドが備え付けてあるだけだが、別に不満はない。朝までぐっすり眠るための部屋ではないし、月に十日ほどの当番日に使うだけだからだ。それに署によっては大部屋で雑魚寝をするところもあるので、個室があるだけでも恵まれていると云える。
廊下に足音が響き、引き戸を開け閉めする音がした。二十三時、これから朝の六時まで仮眠の時間だ。
健悟は、エアコンを消して小窓を開けた。ムッとする夏の風が這入ってくるが、冷やしすぎる人工的な風よりは幾分ましだ。上着を脱いでハンガーにかけた。それから夜風にあたろうと、裏返しに着たTシャツに手をかけたとき、引き戸をノックする音がした。きっと河合だ。あの三十分の中身が知りたいのだろう。ガキの修学旅行じゃあるまいし、朝までトークなんて真っ平ごめんだ。さっさと自分の仮眠室に戻れと追いはらってやらなければ。健悟は、Tシャツの袖だけを両腕から抜いて頸に掛けたまま、面倒くさそうに引き戸を開けた。
「さっさと仮眠室に――」
健悟は驚いた。目のまえに立っていたのは、活動服を着た柳川だった。枕を両手で胸に抱え、デイバッグを背負っている。
「まだいたのか? マネージャーが迎えに来たんじゃないのか?」脱いだTシャツを片肩に引っかけて健悟は云った。窓辺に立って胸毛をさする。
「マネージャーは朝の八時半に迎えに来ます」柳川が応えた。「儀式の続きがまだあるので、ピックアップの時間を変更したんです」
「続き?」
「『親分と一緒に寝ろ』って」
柳川は、枕を健悟に見えるように持ちあげた。
河合に云われたのかと訊くと、柳川はそうだと応えた。河合のやつめ。『延長は個室があれば』とは、このことだったのか。それはそうと、行くあてのない迷子の仔犬のような柳川を追いだすわけにもいかなかった。ひとまず部屋に招き入れ、あらためて訊く。
「それで?」
「それで河合さんに渡されたものがあるんです」
柳川は、抱えていた枕を健悟の枕と並べてベッドのうえにおいた。それから背負っていたデイバッグを床に下ろしてファスナーを開け、何かを取りだそうとする。
まさか……。
健悟は、一度脱いだTシャツを急いで着なおした。
「『朝まで親分のいびきに耐えるのまでが儀式だ』って――」屈託のない笑顔で柳川は云った。「口に貼るいびきストッパーです」
河合をはじめとした当直組の面々に盛大に迎えられて、柳川は、ぽかんとした顔をした。
「あの出動指令は、此処から出たんだ」
健悟は左腕の防水腕時計を柳川に見せた。
「えっ……」
「ドッキリ大成功」健悟が宣言した。
柳川以外の全員が笑った。
「儀式も無事終了したことだし――」健悟が柳川の背中をバンッと叩く。「さあ、歓迎会だ」
食堂には簡単な飲み物と甘いお菓子が準備してあった。健悟は、柳川を自分の左隣りに坐らせた。
「俺の説教に三十分も耐えたんだぞ」健悟は、全員のまえで柳川をほめた。「それもプランクしながらだ。役作りのための覚悟はちゃんとできている。おまえらも力になってやってくれ」
若い隊員たちがどよめいた。
柳川は驚いた表情で健悟を見た。健悟は左眉をあげて、それに応えた。
「それじゃあ親分、乾杯といきましょう」河合が音頭をとった。
乾杯後は無礼講となった。若い消防士たちが、口々に自分の体験談を語りだす。
「洗い場で消防体操なんて、親分、あんまりっすよ」去年配属された新人が云う。
「丁度消防学校から帰ってきてすぐの時期だったろ。おまえがちゃんと覚えてるかチェックしたんだ」健悟が笑いながら云う。
「消防体操? 俺なんか腕立て伏せだったんだぞ」三年目の消防士が新人に云う。
そこへ河合が割りこむ。
「それだって消防学校で散々やらされただろ。俺なんか――」
健悟がじろりと睨む。
「洗い場をブラシで隅から隅まで磨いたんだぞ」
「歯ブラシでな」健悟が真顔で付け足した。
「その話、マジだったんすかあ?」さきほどの新人が素っ頓狂な声をあげる。
「んなわけねえだろ!」
健悟と河合が声をあわせて云うと、その場にいる皆が笑った。
誰もが儀式のメインについては口にしなかった。健悟のまえで四つん這いになって臀を見せたことは暗黙の了解となっているからだ。
柳川は、三階の雰囲気に馴染んでいた。健悟は、自分がいては云えない話もあるだろうと、あとは若い隊員たちに任せることにした。河合も、二番風呂に這入ると云って、席を立った。
「親分さん、ありがとうございました」
柳川は、席を立って深々とお辞儀をした。
健悟は歓迎会を中座し、待機室で書類の残りを片付け、それから仮眠室に直行した。病院の個室を小さくしたようなスペースで、ロッカーとベッドが備え付けてあるだけだが、別に不満はない。朝までぐっすり眠るための部屋ではないし、月に十日ほどの当番日に使うだけだからだ。それに署によっては大部屋で雑魚寝をするところもあるので、個室があるだけでも恵まれていると云える。
廊下に足音が響き、引き戸を開け閉めする音がした。二十三時、これから朝の六時まで仮眠の時間だ。
健悟は、エアコンを消して小窓を開けた。ムッとする夏の風が這入ってくるが、冷やしすぎる人工的な風よりは幾分ましだ。上着を脱いでハンガーにかけた。それから夜風にあたろうと、裏返しに着たTシャツに手をかけたとき、引き戸をノックする音がした。きっと河合だ。あの三十分の中身が知りたいのだろう。ガキの修学旅行じゃあるまいし、朝までトークなんて真っ平ごめんだ。さっさと自分の仮眠室に戻れと追いはらってやらなければ。健悟は、Tシャツの袖だけを両腕から抜いて頸に掛けたまま、面倒くさそうに引き戸を開けた。
「さっさと仮眠室に――」
健悟は驚いた。目のまえに立っていたのは、活動服を着た柳川だった。枕を両手で胸に抱え、デイバッグを背負っている。
「まだいたのか? マネージャーが迎えに来たんじゃないのか?」脱いだTシャツを片肩に引っかけて健悟は云った。窓辺に立って胸毛をさする。
「マネージャーは朝の八時半に迎えに来ます」柳川が応えた。「儀式の続きがまだあるので、ピックアップの時間を変更したんです」
「続き?」
「『親分と一緒に寝ろ』って」
柳川は、枕を健悟に見えるように持ちあげた。
河合に云われたのかと訊くと、柳川はそうだと応えた。河合のやつめ。『延長は個室があれば』とは、このことだったのか。それはそうと、行くあてのない迷子の仔犬のような柳川を追いだすわけにもいかなかった。ひとまず部屋に招き入れ、あらためて訊く。
「それで?」
「それで河合さんに渡されたものがあるんです」
柳川は、抱えていた枕を健悟の枕と並べてベッドのうえにおいた。それから背負っていたデイバッグを床に下ろしてファスナーを開け、何かを取りだそうとする。
まさか……。
健悟は、一度脱いだTシャツを急いで着なおした。
「『朝まで親分のいびきに耐えるのまでが儀式だ』って――」屈託のない笑顔で柳川は云った。「口に貼るいびきストッパーです」
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