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2章 カタハサルの決闘

18.できること

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 ◇

「買わないなら、他を探す。」

 北方人は、テーブルに出したアメクモのたば鷲掴わしづかみにするとバックパックの中に入れた。
 イザークは黙っていた。相手が先にれると思っていたからだ。
 そもそも100万ラーメルという価格は高すぎる。こっちが破産してしまう。金庫にも10万ラーメルしかないのだ。

 だが、北方人は振り向くことはなかった。力づくで奴が持っているアメクモの糸だけでも奪いたかったが、用心棒もビビって奥に引っ込んでしまった。北方人は軟弱な奴ばかりだと思っていたのに、この男は見かけによらず腕っぷしも強かった。

「ま、待て。」

「時間切れだ。オレには時間がないって説明しただろ?」

 北方人は、少しだけ振り向いて不機嫌そうに言った。

「わかってる。俺が悪かった。待ってくれ…。」

 油汗あぶらあせが出る。この取引では、こちらのほうが優位になれるはずだったのに、初めから押されっぱなしだ。
 アメクモの糸の価値を知るものは少ない。価値を知らない旅人からタダ同然で買い取ることができるというのに、どんな言葉を並べても北方人には通用しなかった。
 王族の衣服や、防具、貴金属部品の縫合にも転用できるアメクモの糸は、高級品を扱う店では必須の材料だった。このことを知っているのは、職人と職人に材料を売る商人ぐらいだろう。北方人は腕っぷしの強さから戦士だと思われたのだが、職人のように糸の性質や価値を知っていた。
 
 アメクモを専門に狙うハンターなんてものがいただろうか?と記憶を探ってみたものの、そんな酔狂すいきょうな奴はいないと頭を振った。
 そんなハンターがいるなら、この辺の流通に詳しい自分の耳に入らないはずがない。そもそもアメクモという生き物自体が稀少きしょうなのだ。アメクモの糸を入手した戦士や旅人から聞いても、魔物の身体に付着していた糸だとしかわかっていない。

「買う。買わせてくれ。だが、手元に100万もの大金はない。今から、集めてくるから時間をくれ。」

 北方人は、ようやく振り向いて、テーブルの前に戻ってきた。

 イザークは強引な商売をする男としても知られている。商売敵に恨まれているのも知っている。だが、危険な取引には手を出したことはなかった。交渉は堅実けんじつをモットーにしてきた。
 それが今、なぞの北方人と、手元にはない品物の買取について話し合っているのだ。
 北方人の持ってきたアメクモのたばの品質は最高品質だった。この100倍の量を来月には持ってくるという。それが事実ならば100万ラーメルは何倍もの利益を生むだろう。
 南方では多くの国が戦争状態にあり、防具も武器もよく売れる。その素材になるアメクモの糸は常に不足しているという状況も、イザークの心を揺さぶったのだ。
 
「110万だ。」

 椅子に腰を降ろすと、北方人は言った。早速、値を吊り上げてきたのだ。
 イザークはうなずいた。腹は決まった。この交渉に商人としての人生を賭けるしかない。

「では、明日中に30万を用意してくれ。40万は半月後でいい。1ヶ月後、最後の40万は、約たばの300たばのアメクモの糸と交換だ。」

 イザークは黙ってうなずいた。
 2週間後の40万というのが気に入らなかったが、これ以上、話をこじらせたくなかった。

「じゃあ、この3たばはあんたのものだ。」

 北方人は、きれいに整ったアメクモの糸のたばをテーブルに置いて、店を出ていった。
 部下に追跡を命じたが、最後まで北方人の隠れ家も正体もわからなかった。
 イザークは知り合いに連絡し、金の工面に奔走することにした。

  ◇

 イザークのことは、下宿先を貸してくれた防具屋の老主人から聞くことができた。
 ラタンジュだけではなく、南方諸国の中でも有力な武器商人だという。イザークが扱う商品は、武器だけではなく防具や衣装、家具や装飾品まで様々だった。大商人といわれる部類に入るが、イザークは商人としてはナンバーワンでもナンバーツーでもなかった。
 オレは、この男なら話ができると思った。
 商人という人種は、上位に行けば行くほど堅実けんじつになり、危ない交渉には応じない。
 3位ぐらいのイザークなら、オレの無茶むちゃな話にも乗ってくると思っていた。
 そして、まんまとイザークはオレの話に乗った。
 30万ラーメルといえば、カタサハルの王女がサロス遠征えんせいに持参した金額と同じ額だった。ちなみに、オレを買うために支払ったお金は5万ラーメル。オークションにならなかったので格安で入手できたということだった。
 その遠征費えんせいひ30万ラーメルもラタンジュにつく頃には2万ほどしか残ってなかったという。それも宿から逃亡した際に残してきたので、今の王女は無一文だった。
 その遠征費えんせいひと同じ大金をオレはアメクモの糸3たばで作り出した。
 これで、王女を守るために私兵を集めることができる。軍隊を作るための資金にもなる。

 ◇

 イザークとの交渉を終えたオレが、防具屋の二階に上がると、驚いたことに王女が部屋の中の掃除を行っていた。一階の主人が早めに帰ったので、はじめたしたらしい。
 掃除のつもりだろうが、椅子は倒れ、クッションはやぶれて布綿が散乱さんらん。部屋の隅に眠っていたほこりかたまりまでも叩き起こしたようで、視界がさえぎられるほどの真っ白になっていた。

「窓を開けて、ください!」

 咳き込みながら、オレが叫ぶと、王女はもたもたしながら窓を開けた。
 海の香りのする暖かい空気が部屋に流れこんできて、少しだけ視界が開ける。
 煙の中から、咳き込む王女の顔が見えてきたが、彼女の白い顔は黒く汚れていた。

「何事ですか?」

 咳が収まるのを待って、オレが尋ねると

「ルカが頑張ってくれているのに、私は何もしてなくて、できることから始めようと思って…」

 王女はうつむきながら答えた。

 王族である。掃除などしたこともなくする必要もない立場だろう。そんな彼女が、必死に考えて思い立った『仕事』だった。
 
 オレは、午前中は仮眠を取って、その後はずっと外に出ていた。夜ももう一度港近くの酒場に出かけなければならない。明日も大金を受け取りにイザークの店に出かけることになっている。
 王女を一人にする時間が多くなっている。彼女の人生の中でこれほど放って置かれることなどなかっただろう。心細いだろうし、寂しい思いもさせているに違いない。
 やむを得ない状況なのだが、申し訳なく思った。

「すみません。もう少しの辛抱です。」

 だが、オレの言葉に、王女は真面目な顔をした。

「いえ、ルカはよくやってくれています。私は何もできない自分が腹立たしいのです。悔しいのです。
 ルカが話してくれたでしょう? 地球に行って無力な自分を知ったという話。」

「ああ、あれですか。でも、あれは、王女には関係ないと思います。」

 それは義肢装具士の手伝いとして、親方の工房に通うようになったころの話だった。
 オレは最初、親方に何もさせてもらえなかった。掃除でさえもさせてもらえなかったのだ。親方はいつも微笑み、掃除ですら楽しそうに取り組んでいた。
 オレは、このまま何もせずにお客様状態だったら、いつか追い出されると思って、必死に考え、ゴミ拾いや手すりみがきからはじめた。できるだけ親方の邪魔にならないような場所で掃除をはじめたのだった。それしかできなかったというのが、本当のところだった。
 そのことを随分後になって親方に褒めてもらえて、とても嬉しかったというエピソードだった。

「関係なくはないでしょ。ルカがやれたのですから、掃除ぐらい私にもできるはずです。」

 やれてない。むしろ散らかしている。
 と言いたかったが、オレは黙っていた。王女には必要のない作業かもしれないが、王女の人生には意味のあることかもしれない。
 それに、彼女の「なにかしよう」という心根に胸を打たれた。

「わかりました。でも、オレが帰ってきたら寝られるようにしておいてくださいね。隠れ家の替えはないですからね。」

 王女は、やぶれたソファのクッションをオレに投げた。

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