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エリカ様への薬

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ルゴールデン家に泊めて頂いた翌日、籠などは用意していなかったので街には寄らずに自宅に戻った。

自宅に戻ってまずベリアルを探したが、やはりまだ帰宅した形跡がなく、押し寄せてくる不安を必死に「まだ1ヶ月経ってないから」と打ち消す。

一週間以上放置する事になってしまった作業場に向かい、軽く掃除をしてから久しぶりに通常業務に精を出す。
鮮度を欠いた材料の選別にはじまり、材料の殻剥きなどの下処理をし、陰干しが必要な材料を並べ終えたところで昼食を取る。

眠気覚ましに薪割りを少しして身体を動かし、午後からは売れ筋の薬の調剤を行い、在庫を増やす。
陰干しさせていた材料を一度作業場に戻して鍵をかけた。
自宅に戻り水を沸かして、お湯に浸したタオルで風呂がわりに身を清める。
夕食を軽く取り、再び作業場に戻って日の光に弱い薬の精製を行った。


一週間街に卸しに行けなかったから、前回かなり多くの薬を卸したとはいえ、薬屋には迷惑や心配を掛けている事だろう。
しかし、エリカ様に薬を渡すまではこうした状況も増えそうだ。
明日は朝イチで街に卸しに行き、1ヶ月程の間は定期的に来られなくなる可能性がある事を伝え、普段より安い値段で多めに買い取って頂こう。

過去の世界より随分と競合による争いのない売買であるが、今まで丁寧に真面目にして築いてきたお付き合いにヒビを入れたくはない。
薬屋に迷惑を掛けてあそこの顧客を減らすよりは、正直に話した方が良いだろう。

ともかく、黒の魔女としてエリカ様に薬を渡し、無事に黒猫達を街に帰してベリアルの無事が確認出来れば、今まで通りの日常に戻る事が出来る。
私が求めてやまない、優しく穏やかな日常だ。

「黒の魔女」の仕事が終わったら、この国では生き辛い黒髪を毛染めで珍しくない茶髪にして、もう少し街に溶け込める様にしよう。
黒髪に未練がある訳ではないし、毛染めを使用すれば暑苦しい外套をいつも着ないで済むし、黒眼だけならば今より自由になる事も増えるだろう。

毛染めは当初、私も治験をする予定だった。
第一王子様に献上するのに、副作用があるかもしれないものは渡せない。
シスターの報告では問題なさそうだったが、被験者は多ければ多い程、安全も危険も確認出来る。
だが、乙ゲーで重要なキーとなる「黒の魔女」と呼ばれる自分が変わった時にどんな歪みが発生してしまうのか、全く想像が出来なかった。
その為、全てが終わってそれぞれのエンディングを見守った後に、自分も毛染めを使用する事にしたのだ。


劇薬をエリカ様に渡すのは賭けではあるが、それをしなければ黒猫達の命はない。
問題は、その先だ。
それを、食い止めなければならない。
だから、ベアトリーチェ様から第一王子様との面会時に傍にいてとお願い事をされた時、私もひとつお願い事をしたのだ。


「それは奇遇ですね。私からもまた、一つお願いしたい事がございまして……第一王子様に、お伝えして頂きたい事がございます。これから生涯、口になさる飲み物は全て飲み干される事のございません様に、と。念のため、食事も一口分ひとくちぶんは必ず残されます様に。……出来たら、ベアトリーチェ様も」
「どういう事ですの?」
「私の作る劇薬は無味無臭で、飲み干した場合3分で死に至ります」
ベアトリーチェ様は、ひゅ、と息を飲んだ。
「ただし、全て飲み干さなければ効果はないのです」
「何て事……!!我が国では、王族同士の争い……暗殺は大罪だと言うのに、まさかそんな事を考えていたなんて……!!」
ベアトリーチェ様は、目眩がしたのか額に手をあて背凭れに寄り掛かる。
「大丈夫ですか?……必ず第一王子様に、お伝え下さい」
「……わかったわ。必ず、伝えます」

そうしたやり取りを経て第一王子様との面会を果たした後、私が
「リーチェ様、私のお願いも叶えて下さいましたか?」
と聞けばベアトリーチェ様は
「ええ、お伝えしておきましたわ」
と答えて下さったのだ。

よって、エリカ様経由で第二王子様へ劇薬が渡ったとしても、第一王子様が脅されて飲み干さなければならない状況でもない限り、飲み物や食べ物に混入していたとしても飲みきったり食べきったりしなければ問題ない筈なのだ。

蘇生薬はあるが、王都まではここから一日半かかってしまう。
24時間以内に蘇生薬を使えなければ、助ける事は出来ない。



そんな事を考えながら精製していると、空の隅っこが明るくなってきた。
急いで切りの良いところで作業を中断し、作業場を後にする。
ベリアルがいるとどんなに遅くとも仕事に付き合ってくれたから、作業に没頭していても適度に声を掛けてくれて、夜更かしする事は殆どなかった。

そう言えば、つい夢中になると時間を忘れてしまうのは、過去もそうだった。その時は、ベリアルではなく先輩に声を掛けられていたが。


急に重たくなりだした瞼をそのまま休め、ベッドで仮眠をとる。
今日……いや、昨日作った薬を午前中には届けたかった。
目覚まし時計のないこの世界で、生活リズムが狂っている私が無事に起きられるだろうかと心配しながら、あっという間に眠りについたらしい。



***



翌朝、まだ太陽が昇りかけている時間から何とか無事に起きられた私は、軽く朝食をとってから籠いっぱいに薬を入れ、街に出た。
森林のマイナスイオンはとても心地好く、胸いっぱいに空気を吸い込む。

薬屋に到着するや否や、売り子のお嬢さんがわざわざお出迎えしてくれた。

「黒の魔女さん!!いらっしゃい!!今回は遅かったですね、何かあったのかと思ってそろそろご自宅に行こうかと思ってたんですよ~」
半泣きで言われ、本当に心配を掛けてしまったと反省する。
例え仕事上のお付き合いで、友人ではなくともこうして心配してくれる人がいるというのは非常に有難い事だ。
「すみません、急に王都まで行かなくてはならない用事が出来てしまって。何も言わずに出てしまったのは、こちらの落ち度です。申し訳ありませんでした」
ペコリと頭を下げれば、売り子のお嬢さんは慌てて手を振った。
「いいえ、病気で倒れたとかじゃないなら良いんです!また沢山買わせて下さいな」
「はい、ありがとうございます。ただ、後1ヶ月程は王都に行ったり来たりの生活になるかもしれず、もしかしたら今後もこうした事態になるかもしれなくて……」
「……も、もしかして黒の魔女さん、王都に引っ越ししたりしちゃいます!?」
売り子さんに言われ、目が丸くなった。
「いいえ?そんな予定はないですよ」
「よ、良かった~!!街で、黒の魔女様が公爵家や伯爵家の馬車に乗っていたからいよいよお抱えの調剤師になってしまうのではないかと街で噂になっていたんです~」
「ふふふ、確かに用事はございましたが、お師匠の代からこの街の皆様にはとてもお世話になってますからね。お抱えにはなりませんよ」
「ですよね!良かったー、良かったー!!」
安心しきりの売り子のお嬢さんは、でも薬の在庫が切れるかもしれないからと、前回に引き続き持ってきた大量の薬を全て購入して下さった。


帰り際、私はひとつの箱を売り子のお嬢さんにお願いする。
「あの、これのお渡しをお願い出来ますか?……エリカ様に。彼女を覚えていらっしゃいます?」
私がそう言うと、売り子さんは眉間にシワを寄せた。
「あぁ……あの人ですね。……黒の魔女さんの頼みですものね、承知致しました!」
やはりあまり良い感情は持てなかったらしい。
申し訳なく思いながら、チップを多めに渡す。
この世界では、店の常連客が小さな荷物であればその店にお願いしてやり取りするのは普通であった。
私がこの街でよくお願いするのが、この薬屋と材料屋、そしてマージェのパイの喫茶店と八百屋だ。

「今回も普通ですか?普通にしては……」
チップの額の多さに気付いたのだろう。
「いえ、今回は金庫で」
「珍しいですね。了解しました!」

冷蔵庫が必要であれば喫茶店や八百屋に頼むが、今回必要なのは金庫だ。
この店には以前エリカ様もいらっしゃったから間違いないだろう。
これで、エリカ様への依頼は終了だ。
後は、これを受け取ったエリカ様がどう動くかである。
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