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夢は捨てられない。
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「お父さんずるい。夜中にこっそりやっていたでしょう!」
コントローラーを操る父の手が妙にこなれていたので変だと思っていた。
「わかったか。美代には負けられないからな」
小さいころからずっとゲーム機になじんできた父は、年甲斐もなくゲームで私に負けたくない。
プレイステーションもWiiもX-BOXも、ぜんぶ父がそろえたものだ。
そのどれもで私はかなわない。
「おかあさ~ん、またお父さんがズルしてる」
母は決まって台所でペコちゃん人形みたいにぺこぺこ笑顔を揺らしている。
「あ、そこ、そんな技があったの?」
「はは、昨日発見したんだ」
「ほんっとにお父さんたら」
ぴこぴこ。
そんなお父さんが、私は大好きだった。
こんなにゲームが好きなんだもの。私はお父さんのためにもゲームのクリエイターになるんだって、ずっと心に決めていた。
だけど私が高校3年になった年、年にいちどの健康診断でお父さんに要精密検査のハガキが届いた。
「なあに、たいしたことないさ」
元気に出て行ったのに、帰ってきたら魂が抜けたみたいになっていた。
「どうだった?」
「うん」
返事が濁っていた。
いつもの溌剌が蒸発したみたいだった。
「今の時代、本人に告知するようになったんだ」
何それ?
私には父の言っていることをうまく飲み込むことができなかった。
母は「まさか」と息を呑んだ。「がん?」
音という音がさっと引いていき、沈黙が尾を引いた。
がん?
まさか?
しばらくすると父の、母の、私の、ざらついた感情の上をこすりつけるような、ぎこちない息の音が戻ってきた。
「ほんとうなんだ」
父は入院した。
症状はなかったのに、入院したらとたんに病人に見えた。
病院のベッドは、健康な人をとたんに病気の人にする。
それでも父は元気にふるまっていた。
事実、笑顔が溌剌をふりまいている。
「回復してみせるさ」
ところが、入院して間もなく執られた手術の直後、父はみるみるやつれていった。
「入院したのがいけなかったんじゃないの?」
入院したとたんに病状が悪化するとテレビでやっていたのを思い出す。
病院には、健康体を変異させるウィルスが蔓延しているのだ、きっと。
そうとしか思えないほど、父の様子は急変していった。
私が高校3年の春のことだった。
進路は専門学校へ。ゲームを作る人になるつもりでいた。
父も「いいじゃないか」と嬉しそうだった。
だけど、日々やせ細っていく父を見ていたら、いたたまれくなって、呑気なことは言っていられないと思うようになっていた。
私は人を助ける仕事がしたい。看護の仕事こそが私がやるべき仕事なのかもしれない。
日に日にその思いが強くなっていく。
ある日ベッドに身を沈めた父に、「私、看護の仕事をやる」と宣言した。
父は力の入らなくなった体で眉をくっとあげてから、困った顔をした。
それから目を閉じ、「そうか」と答えた。
声は弱々しかった。
自分の決めたことだ。お父さんは反対するつもりはない、と言ってくれたのだと思った。
父は私が高校を卒業するのを待たずに他界してしまった。
私は父に宣言したとおり、卒業後看護の勉強をして看護士になった。
私がやりたかった仕事に就いたのだ。
だけど、地に着く足が大地を踏み切れていないような違和感が襲った。
人を助ける仕事をしているのに、どうしてだろうと不思議だった。
お父さんだったら、何と言ってくれるだろう?
その時、私は認めたくなかったことを認めざるを得ないことを覚悟した。
そうなんだよね。助けたかったはずのお父さんは、もういないんだ。
やっていることが、とつぜん虚しく思えてきた。
心のままにやってきたけれど、気の迷いは大河の夢には敵わなかった。
しばらくしてから、私は看護士を辞めた。
辞めなければ学ぶ時間を作ることができなかったから。
困った顔をしたあの時、お父さんは、本当は寂しかったのだと今ならわかる。
目を閉じたのは、心に蓋をするため。
本当は、ゲームのクリエイターになりたいんじゃないのか?
お父さんのために本意を曲げているんじゃないのか?
そんな理由で夢を諦めていいのか?
お父さんが閉じた、本音。
親を想ってくれるからこその我が子の決断を、その意志を、父は否定したくなかったのだ。
私の時間が、父の病床に戻っていって再現されていく。
「お父さん。本当は私にゲームのクリエイターになってもらいたいんでしょう?」
尋ねても父は答えてくれなかった。
困ったような、悲しそうな顔をして、寝返って窓に目を向けた。
私に向けられた背中が小刻みに揺れている。
私に見えないように、父が泣いているのがわかった。
お父さん、私、やっぱりゲームのクリエイターになる。
お父さんが夢中になるようなゲーム、すぐには作れないかもしれないけど、やるだけのことはやってみる。
見ててね。
私、やっと本当のスタート・ラインに立てたような気がする。
今ならわかる。
私が叶えたかった大きな夢が実現する時、お父さんは曇った顔を緩めて、溌剌とした笑顔を私に向けてくれるということが。
コントローラーを操る父の手が妙にこなれていたので変だと思っていた。
「わかったか。美代には負けられないからな」
小さいころからずっとゲーム機になじんできた父は、年甲斐もなくゲームで私に負けたくない。
プレイステーションもWiiもX-BOXも、ぜんぶ父がそろえたものだ。
そのどれもで私はかなわない。
「おかあさ~ん、またお父さんがズルしてる」
母は決まって台所でペコちゃん人形みたいにぺこぺこ笑顔を揺らしている。
「あ、そこ、そんな技があったの?」
「はは、昨日発見したんだ」
「ほんっとにお父さんたら」
ぴこぴこ。
そんなお父さんが、私は大好きだった。
こんなにゲームが好きなんだもの。私はお父さんのためにもゲームのクリエイターになるんだって、ずっと心に決めていた。
だけど私が高校3年になった年、年にいちどの健康診断でお父さんに要精密検査のハガキが届いた。
「なあに、たいしたことないさ」
元気に出て行ったのに、帰ってきたら魂が抜けたみたいになっていた。
「どうだった?」
「うん」
返事が濁っていた。
いつもの溌剌が蒸発したみたいだった。
「今の時代、本人に告知するようになったんだ」
何それ?
私には父の言っていることをうまく飲み込むことができなかった。
母は「まさか」と息を呑んだ。「がん?」
音という音がさっと引いていき、沈黙が尾を引いた。
がん?
まさか?
しばらくすると父の、母の、私の、ざらついた感情の上をこすりつけるような、ぎこちない息の音が戻ってきた。
「ほんとうなんだ」
父は入院した。
症状はなかったのに、入院したらとたんに病人に見えた。
病院のベッドは、健康な人をとたんに病気の人にする。
それでも父は元気にふるまっていた。
事実、笑顔が溌剌をふりまいている。
「回復してみせるさ」
ところが、入院して間もなく執られた手術の直後、父はみるみるやつれていった。
「入院したのがいけなかったんじゃないの?」
入院したとたんに病状が悪化するとテレビでやっていたのを思い出す。
病院には、健康体を変異させるウィルスが蔓延しているのだ、きっと。
そうとしか思えないほど、父の様子は急変していった。
私が高校3年の春のことだった。
進路は専門学校へ。ゲームを作る人になるつもりでいた。
父も「いいじゃないか」と嬉しそうだった。
だけど、日々やせ細っていく父を見ていたら、いたたまれくなって、呑気なことは言っていられないと思うようになっていた。
私は人を助ける仕事がしたい。看護の仕事こそが私がやるべき仕事なのかもしれない。
日に日にその思いが強くなっていく。
ある日ベッドに身を沈めた父に、「私、看護の仕事をやる」と宣言した。
父は力の入らなくなった体で眉をくっとあげてから、困った顔をした。
それから目を閉じ、「そうか」と答えた。
声は弱々しかった。
自分の決めたことだ。お父さんは反対するつもりはない、と言ってくれたのだと思った。
父は私が高校を卒業するのを待たずに他界してしまった。
私は父に宣言したとおり、卒業後看護の勉強をして看護士になった。
私がやりたかった仕事に就いたのだ。
だけど、地に着く足が大地を踏み切れていないような違和感が襲った。
人を助ける仕事をしているのに、どうしてだろうと不思議だった。
お父さんだったら、何と言ってくれるだろう?
その時、私は認めたくなかったことを認めざるを得ないことを覚悟した。
そうなんだよね。助けたかったはずのお父さんは、もういないんだ。
やっていることが、とつぜん虚しく思えてきた。
心のままにやってきたけれど、気の迷いは大河の夢には敵わなかった。
しばらくしてから、私は看護士を辞めた。
辞めなければ学ぶ時間を作ることができなかったから。
困った顔をしたあの時、お父さんは、本当は寂しかったのだと今ならわかる。
目を閉じたのは、心に蓋をするため。
本当は、ゲームのクリエイターになりたいんじゃないのか?
お父さんのために本意を曲げているんじゃないのか?
そんな理由で夢を諦めていいのか?
お父さんが閉じた、本音。
親を想ってくれるからこその我が子の決断を、その意志を、父は否定したくなかったのだ。
私の時間が、父の病床に戻っていって再現されていく。
「お父さん。本当は私にゲームのクリエイターになってもらいたいんでしょう?」
尋ねても父は答えてくれなかった。
困ったような、悲しそうな顔をして、寝返って窓に目を向けた。
私に向けられた背中が小刻みに揺れている。
私に見えないように、父が泣いているのがわかった。
お父さん、私、やっぱりゲームのクリエイターになる。
お父さんが夢中になるようなゲーム、すぐには作れないかもしれないけど、やるだけのことはやってみる。
見ててね。
私、やっと本当のスタート・ラインに立てたような気がする。
今ならわかる。
私が叶えたかった大きな夢が実現する時、お父さんは曇った顔を緩めて、溌剌とした笑顔を私に向けてくれるということが。
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