アリスと女王

ちな

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森の記憶

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蓮に抱えられて大空を飛び立った凛は、勿論元気に叫びました。さざめいて影を落としていた木々は遥か真下、湖はふたりを励ますように足元からきらきらと煌めき、大きな鳥が並走します。時折羽ばたいて見せて、凛を勇気づけてくれているようにも思いました。清涼な風はびゅうびゅうと体をすり抜けていき、はためく蓮のジャケットが羽のようです。

「あっ…」

一瞬下を見た凛は、思わず声を上げました。遥か下に、蝶を見たのです。スパイダーから逃げてきた、あの蝶です。肌色が絡み合い、数人が重なっていました。蓮の匂いから抜け出せないのか、それとも元々そういうものなのか…。どちらかは分かりませんが、凛はぎゅっと目を瞑りました。

森の端を過ぎ、小川が煌めく草原には、白い塊がありました。あの白い大蛇です。水辺で休んでいるのか、巨体を横たわらせているようでした。その周りにも小さな白蛇が数匹見えました。

唇を結んだ凛は、蓮の胸に頭を押し付けました。あの舌の感覚は、忘れようにも忘れられません。擦られ舐められ、足を捉えられて強制的に絶頂させられたあの快感…。腹の奥がずくりと疼きます。

「また、してもらえたらいいね」

凛の様子に蓮が笑いました。凛は顔を真っ赤にして、黙って小さく頷きました。すっかり絶頂を教化された体は、思い出しただけでも蜜を滴らせるほどです。同時に、ネコジャラシも思い出しました。炙られ、冷やされ、優しく撫でてくれたネコジャラシは、元の世界には絶対にないものです。少し残念に思う…なんて、凛は自分の思いに驚きました。あんなに恐ろしく思っていたはずの強制絶頂は、今や自ら欲していることに気が付き、急いで首を振りました。はしたない自分の心を振りほどきたかったのですが、物凄い勢いで空を飛ぶ蓮にしがみつかなければ、凛は為す術もなく真っ逆さまです。

そんな少女の心が手に取るように分かってしまった蓮は、思わずくつくつと笑いました。自分が手掛けた可愛らしいこの体が愛しくて堪らないのです。

「ああ本当に…手離したくないよ」

びゅうびゅうと風を切る轟音に、その声は凛の耳に入ることなくかき消されていきました。


体が冷えるほど強い風を切り、随分遠くまで移動したようです。静かに降り立った丘の上は、見たことがないほど手入れの行き届いた森でした。

「…あれが、お城…?」

「そうだよ」

要塞の如く切り揃えられた木々の真ん中に、大きな建物が見えます。白を基調とした四角い建物で、真ん中には大きなハート型を模したオブジェがありました。真っ赤なハートは毒々しく、凛は何故か鳥肌が止まりませんでした。

吹き抜ける丘の風は清涼なはずなのにどこか棘を含んでいるような、少し怖いような気もします。森を抜けた風とは全く違うものでした。

「あの城の一番上に、女王がいるよ。鍵はその奥に隠してあるはずだ」

「一番上…あの塔のこと?」

高い建物の天辺には、そこだけにょきっと伸びたような不自然な塔が見えます。窓は見当たりません。煙突のようにも見えますが、この場所からではその大きさは分かりませんでした。警備兵のような人間が数人、長い槍を持って立っているのが見えるだけです。

「どうやって入るの?まさか、入れてくださいって言う?」

入口はどうやら、煙突のような塔の一番下にある、小さな扉だけのようです。厳重な警備をしているあの人達を欺くことは不可能のように思いました。窓は無いので、今のように空を飛んで入ることも無理です。

「凛、よく聞いてね」

蓮はいつものように穏やかな笑みを浮かべませんでした。城を睨みつけるように眼光を鋭くし、凛のほうをちらとも見ません。凛は少し肩に力を入れました。

「さっきも言ったけど、僕は城付きの統括だから、今のところまだ城の中では融通が効く。これでも僕、一応上層部だしね」

「えっそうなの?」

「そう。びっくりした?」

おどけて見せる蓮ですが、しかしやっぱり目は鋭さを湛えています。それから再び城を睨みつけました。

「凛、よく覚えていて。あの警備兵は、人間のカタチをしているってだけで、人間じゃない。彼らの主食は、“女王の蜜”だ」

「っ…!」

「女王の蜜は、とんでもないよ。アリスの比じゃない。…ああ、凛を否定しているわけじゃないんだ」

「ああ、うん…それはどっちでもいい」

凛は心臓がバクバクしてきました。確かに蓮について行きたいと思ったことはまちがいありません。しかし、想定よりもずっと危険で、ずっと難しそうなのです。凛は、蓮の手を探って、それからぎゅっと握りました。やや暫くして、同じくらいの力で握ってくれた手に、凛は泣きたくなるほど嬉しくなって、震えそうになる体を叱咤しました。

まだ、なにも始まっていないのです。震えている場合ではありません。

蓮はゆっくりと言葉を続けました。

「女王っていうのは、最初から女王なわけじゃない。“アリス”を調教して、女王に仕立て上げるんだ」

「…っ…」

凛は言葉を失いました。

「だからね、絶対に見つかってはいけないし、絶対に捕まってはいけない。ここからが一番覚えていてほしいところだよ」

蓮は声を潜めました。ごくりと喉を鳴らす凛の耳元に唇を寄せ、囁きました。

「何を言われても、答えはNOだ。例え心が抉られるようなことを言われても、気持ちとは全く正反対のことでも、絶対にNOと答えること。いいね?」

凛の顔は、可哀想なほど青ざめていました。

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