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ここはどこ!?
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凛は家庭教師に勧められた本を持って、丘の上の木に寄りかかりました。風が頬を撫で、水色のスカートが控えめに揺れます。華奢な指がページを捲り、風と遊ぶ髪を押さえつけました。凛の家庭教師は厳しいひとで、この本を全て読み切らなければ叱られてしまいます。
でも凛はあまりお勉強が好きではありません。活字を追うごとに瞼がゆっくりと重くなっていくのを感じ、ついに凛は夢の中へ旅立って行きました。
はたと目覚めると、そこは見知らぬ森の中。持っていたはずの本は見当たりません。
辺りは背の高い木々に囲まれて薄暗く、ずっと向こうまで続いている獣道には見たことがない植物が生えています。聞いたことがない鳥の声、薄暗くじめっとした重たい空気に身を縮めました。
「ここ…どこだろ…」
恐怖心を抑えるため、細い両腕で自分の体を抱き締めました。
あたりは鳥の声と葉が擦れる音だけ。凛は立ち上がって歩き出しました。誰か人がいればここはどこか聞きたかったのです。それに帰り方も…。
キョロキョロと辺りを見渡しながら獣道を歩きました。時折吹く風が徒に凛の髪を絡めとり、嘲笑うように消えていきました。
獣道の雑草は進むにつれて背が伸びていき、体の小さな凛は一生懸命草を掻き分けて進みました。
あまりにも険しい道なので、もしや道を間違えたのかもしれないと引き返そうとしたとき、遠くに人の声が微かに聞こえました。
「だれ…?あの!どなたかいらっしゃるのですか!」
不安と期待に胸をぎゅっと掴み、震えながらも大きな声を出しました。
道の向こうにふたりの人影が見えました。
「あ?」
「誰だ?女?」
目が覚めると見知らぬ森。動物の不気味な鳴き声に身を縮ませていた凛は人の声に安心して思わず涙が零れました。
声のする方へ小走りに近寄ると、そこにはまるで鏡に映したような、そっくりな双子の青年がこちらを見ていました。訝し気な4つの目に少し怯みながらも、凛は勇気を振り絞って声を出します。
「あの、道に迷ってしまったみたいで…」
人五人ほどあけて凛は歩みを止めました。
顔を見合わせ、それから同時に凛を一瞥した双子は一歩、凛に寄りました。
にやぁ…と双子の口角が上がり、凛は頬が引き攣りました。
「道を訊ねたい?」
「帰り方がわからなくなった“アリス”?」
双子の目の色が変わったのを感じ、言い知れない恐怖を覚えた凛は一歩後退しました。双子は操り人形のように同時に両手を前に差し出しました。ひ、と思わず声が出て、凛はちいさな手を握り締めます。そんなことではこの体の震えは止まらないと知っているでしょう、とでも言いたげに、凛の体は小刻みに震えました。
双子の口の端から涎がぽたりと垂れました。
「道を訊ねるならば代金を」
「帰り方を知りたければ代金を」
一歩。双子が踏み出せば凛が下がります。
「すみません、お金を持っていません…」
ちいさな声は双子に届いたかどうかはわかりません。必死に首を横に振って、噛み合わない奥歯を一生懸命合わせます。凛は獰猛な肉食獣に睨まれている子羊の気分です。
肉食獣はおかしそうに笑いました。
「女王のコインなんか一枚だっていらないのさ」
「俺らが欲しいのは、“アリス”の蜜…」
「喉が焼けるほど甘くって、あの味を覚えたら他のものなんかとても口に出来ない」
「ああ兄さん、俺お腹が空いてきた」
「奇遇だな。俺もだ」
「おや、あんなところにオイシソウナ…」
「あマイ蜜をモッていル…」
「オいしイ蜜…アリス…」
「おれタチに…」
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
遂に凛は恐怖に勝てず、背中を向けて走り出しました。
ゾンビのように両手を前に出し、涎をだらだらと垂らしながらのそのそと歩く双子から少しでも離れたくて、道も分からないのにとにかく走りました。
心臓のばくばくとした鼓動が耳の奥で警笛のように鳴り響きます。水色のワンピースが風を切り、ぬかるんだ足元に何度も滑りながら背の高い草を必死で掻き分け走りました。
走って走って、そうして木の根に足を取られてしまいました。わ、と声に出たときはもう時すでに遅し。ぬかるんだ地面にどさりと倒れ込み、ぬるりとした泥が半袖から覗く凛の細い腕にべったりと絡みつきました。でもそんなことを構っている暇はありません。凛は慌てて後ろを振り返りました。
双子の姿はありませんでした。
はあ、と大きく息を吐き、緩慢な動作で起き上がります。お気に入りだった空色のワンピースは茶色い泥がべっとりと付着し、凛は唇を噛みました。
いきなり知らない森に来て、得体の知れない不気味な双子に追いかけられ、しかもお気に入りのワンピースは目も当てられないほど泥だらけ。終ぞ凛の頬に透明な雫が伝いました。体も細かく震えだしました。自分の体を抱きしめようと腕を伸ばすと、枝のように細く、きめ細かい白雪みたいな肌は茶色に染められています。
凛は声を上げて泣きました。
ここはどこ?おうちはどこ?早く帰って家庭教師の言いつけ通りに本を読み切ってしまわないと、厳しい罰が待ってるの…それに、ママにも会いたいし、お着替えしたいし…おうちに帰りたい…
グズグズと泣き止まないでいると、ふと、甘い匂いが鼻腔を掠めました。
「おや、お嬢さん。こんなところで、どうして泣いてるの?」
ひどく優しい声が降ってきました。凛が顔を上げると、鬱蒼と繁る森に似つかわしくなく、ぴしっとタキシードを着こなしてシルクハットを被った美しい青年が立っていました。
青年は小首を傾げると凛の前に膝をつき、真っ白いハンカチを差し出します。
「泣いていては可愛い顔が台無しだよ。これをお使いなさい」
優しい目が細められ、凛は硬直しました。
美しい動作。彫刻のように整った顔立ち。真夏の空を丸ごと閉じ込めたような真っ青な目。ふわりと微かに甘い匂いを漂わせ、更に目を細めて微笑んで見せる青年に、凛の心臓は狂ったようにどくどくと脈打ちます。男性に対して美しいと思ったことは初めてでした。
青年は膝をついて白いハンカチを差し出したまま首を傾げます。凛は手を伸ばしませんでした。転んだせいで泥だらけになってしまったので、この真っ白いハンカチを汚すのは躊躇われたからです。
それを察してか、青年は至極穏やかに微笑むと、何も言わずにハンカチで凛の濡れた頬を優しく拭いました。
「僕は蓮。きみは?」
「あ、り、凛…」
「そう。きれいな名前だね」
凛は唇のかたちが綺麗だと思ったことも初めてでした。さくら色の唇が緩やかな弧を描き、優しいテノールが鼓膜を擽ります。シルクハットから覗く金糸の髪が風に絡み、長いまつ毛の影が揺れました。
──息を飲むような美しさ。
家庭教師に進められた本の一節を思い出しました。活字では分かりにくかった表現を目の当たりにしてみるみると顔があかく染まっていき、声の出し方さえ忘れてしまったのです。
「随分と派手に遊んでいたようだね」
「あっ…」
口元に指を当ててクスクスと笑われて、泥だらけになったワンピースを思い出しました。恥ずかしくていっそ消えたいほどでした。
「こっちへおいで。そのままじゃ風邪を引いてしまうよ。着替えを用意してあげよう」
王子様がお姫様の手をとるように極自然に右手を取られ、そうと思えばふわりと抱えられて、気がつけば体は空の上。
「えっ!えっ…!?」
「ちゃんと僕に掴まって。落っこちてしまっては大変だ」
びゅうびゅうと風を切って、内蔵が浮き上がるような何とも言えない浮遊感に絶叫しながら必死に蓮にしがみつきました。蓮は喉の奥で笑って、凛をより強く抱えました。
「そんなに怒らないでよ」
やっぱりクスクス笑う蓮に、凛は泣きたいような怒りたいような、でも感謝もしているような複雑な感情を微塵も隠さず、部屋の隅で膝を抱えていました。
「空を飛ぶなんて聞いてないわ」
「あれ、そうだっけ」
ぶーたれて言う凛に、やっぱり蓮はクスクス笑うだけです。
小さな小屋はテーブルと椅子とスツールがいくつかあるだけです。
蓮が貸してくれた真っ白いワンピースは、細い肩紐が凛の白くてすべすべの肌に頼りなく引っ掛かり、成長途中の柔肌を優しく包み込んでいます。夢のように柔らかな太ももを半分だけ隠したさらさらの生地に、不貞腐れた顎を乗せる凛を見て蓮は密かに笑うのでした。
「凛はどこから来たの?」
椅子に座る動作さえ美しく、蓮は凛に問いかけます。凛は首を横に振るだけでした。
アリス…と呟いたような気がして、はっと顔を上げます。先程出会ったおかしな双子が同じ単語を発していたのを思い出しました。
目が合った蓮はにこりと笑うばかりで、それ以上詳しいことは言いませんでした。
「僕が道案内してあげようか」
「えっ…」
願ってもないことでした。蓮が帰り道を知っているなんて予想外で、弾かれたように顔を上げました。
しかし次の瞬間には、凛の見えない獣耳がしゅんと下がってしまいました。
「あたし、お金を持ってないの」
しなしなと元気を無くしていく凛に、蓮は首を傾げて目を瞬かせ、それから本格的に笑い出します。
「女王のコインのこと?それなら僕はいらないよ。僕が欲し……。ええと、凛。僕はちょっと忙しいんだ」
今しがた道案内をしてくれると言ったはずなのに、蓮は不自然に話題を変えました。そんな蓮に、凛は少し不信感を覚えました。しかしこうやって親切にしてもらい、優しく笑う蓮が悪巧みしていると思いたくありませんでした。
凛の心情を知ってか知らずか、蓮は徐に席を立ち、シルクハットを被り直しました。
「先に南へ進んで行ってくれないかな。僕はその先で待ってるから」
「え、一緒に行ってはくれないの?」
「ごめんね。一緒に行ってあげたい気持ちは山々なんだけど僕が我慢出来……ああ、違うんだ。今のは忘れて。ええと、南へ下る道は1本だけだから、迷わず行けると思うよ」
「…蓮?」
「いい子の凛は、僕と待ち合わせしてくれるよね?待ってるからね」
目を合わせてくれませんでした。明らかに何かを言いかけた蓮に、やっぱり不信感が募っていきます。しかし、凛はやっぱり蓮を悪者だと思いたくありませんでした。
蓮が扉を開けて飛び立っていってしまうのを目で追い、やがて姿が見えなくなると凛はため息を零しました。
蓮は行ってしまった。ひとりでは帰り道が分からない。仕方なく凛は小屋を後にし、言われた通りに南へ下る道に入りました。
とぼとぼと歩く道には、見たことも無い鮮やかな花が咲き乱れる道でした。蛇のような蔦が絡んだおかしな木。黄色や紫や青い木の実や果物が沢山落ちています。こんなに色とりどりの小道を歩いたことなどない凛は、だんだんと森の美しさに魅入られていきました。ハチドリのような可愛らしい小鳥がすぐそばまでやって来て、黄色い実を銜えました。レモン色に金色を足したような美しい果実です。手のひらにすっぽりと収まるくらいの果実に手を伸ばすと、甘ったるい香りが鼻腔を抜けて行きました。
凛はまだ昼食を摂っていないことに気が付きました。
でも凛はあまりお勉強が好きではありません。活字を追うごとに瞼がゆっくりと重くなっていくのを感じ、ついに凛は夢の中へ旅立って行きました。
はたと目覚めると、そこは見知らぬ森の中。持っていたはずの本は見当たりません。
辺りは背の高い木々に囲まれて薄暗く、ずっと向こうまで続いている獣道には見たことがない植物が生えています。聞いたことがない鳥の声、薄暗くじめっとした重たい空気に身を縮めました。
「ここ…どこだろ…」
恐怖心を抑えるため、細い両腕で自分の体を抱き締めました。
あたりは鳥の声と葉が擦れる音だけ。凛は立ち上がって歩き出しました。誰か人がいればここはどこか聞きたかったのです。それに帰り方も…。
キョロキョロと辺りを見渡しながら獣道を歩きました。時折吹く風が徒に凛の髪を絡めとり、嘲笑うように消えていきました。
獣道の雑草は進むにつれて背が伸びていき、体の小さな凛は一生懸命草を掻き分けて進みました。
あまりにも険しい道なので、もしや道を間違えたのかもしれないと引き返そうとしたとき、遠くに人の声が微かに聞こえました。
「だれ…?あの!どなたかいらっしゃるのですか!」
不安と期待に胸をぎゅっと掴み、震えながらも大きな声を出しました。
道の向こうにふたりの人影が見えました。
「あ?」
「誰だ?女?」
目が覚めると見知らぬ森。動物の不気味な鳴き声に身を縮ませていた凛は人の声に安心して思わず涙が零れました。
声のする方へ小走りに近寄ると、そこにはまるで鏡に映したような、そっくりな双子の青年がこちらを見ていました。訝し気な4つの目に少し怯みながらも、凛は勇気を振り絞って声を出します。
「あの、道に迷ってしまったみたいで…」
人五人ほどあけて凛は歩みを止めました。
顔を見合わせ、それから同時に凛を一瞥した双子は一歩、凛に寄りました。
にやぁ…と双子の口角が上がり、凛は頬が引き攣りました。
「道を訊ねたい?」
「帰り方がわからなくなった“アリス”?」
双子の目の色が変わったのを感じ、言い知れない恐怖を覚えた凛は一歩後退しました。双子は操り人形のように同時に両手を前に差し出しました。ひ、と思わず声が出て、凛はちいさな手を握り締めます。そんなことではこの体の震えは止まらないと知っているでしょう、とでも言いたげに、凛の体は小刻みに震えました。
双子の口の端から涎がぽたりと垂れました。
「道を訊ねるならば代金を」
「帰り方を知りたければ代金を」
一歩。双子が踏み出せば凛が下がります。
「すみません、お金を持っていません…」
ちいさな声は双子に届いたかどうかはわかりません。必死に首を横に振って、噛み合わない奥歯を一生懸命合わせます。凛は獰猛な肉食獣に睨まれている子羊の気分です。
肉食獣はおかしそうに笑いました。
「女王のコインなんか一枚だっていらないのさ」
「俺らが欲しいのは、“アリス”の蜜…」
「喉が焼けるほど甘くって、あの味を覚えたら他のものなんかとても口に出来ない」
「ああ兄さん、俺お腹が空いてきた」
「奇遇だな。俺もだ」
「おや、あんなところにオイシソウナ…」
「あマイ蜜をモッていル…」
「オいしイ蜜…アリス…」
「おれタチに…」
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
遂に凛は恐怖に勝てず、背中を向けて走り出しました。
ゾンビのように両手を前に出し、涎をだらだらと垂らしながらのそのそと歩く双子から少しでも離れたくて、道も分からないのにとにかく走りました。
心臓のばくばくとした鼓動が耳の奥で警笛のように鳴り響きます。水色のワンピースが風を切り、ぬかるんだ足元に何度も滑りながら背の高い草を必死で掻き分け走りました。
走って走って、そうして木の根に足を取られてしまいました。わ、と声に出たときはもう時すでに遅し。ぬかるんだ地面にどさりと倒れ込み、ぬるりとした泥が半袖から覗く凛の細い腕にべったりと絡みつきました。でもそんなことを構っている暇はありません。凛は慌てて後ろを振り返りました。
双子の姿はありませんでした。
はあ、と大きく息を吐き、緩慢な動作で起き上がります。お気に入りだった空色のワンピースは茶色い泥がべっとりと付着し、凛は唇を噛みました。
いきなり知らない森に来て、得体の知れない不気味な双子に追いかけられ、しかもお気に入りのワンピースは目も当てられないほど泥だらけ。終ぞ凛の頬に透明な雫が伝いました。体も細かく震えだしました。自分の体を抱きしめようと腕を伸ばすと、枝のように細く、きめ細かい白雪みたいな肌は茶色に染められています。
凛は声を上げて泣きました。
ここはどこ?おうちはどこ?早く帰って家庭教師の言いつけ通りに本を読み切ってしまわないと、厳しい罰が待ってるの…それに、ママにも会いたいし、お着替えしたいし…おうちに帰りたい…
グズグズと泣き止まないでいると、ふと、甘い匂いが鼻腔を掠めました。
「おや、お嬢さん。こんなところで、どうして泣いてるの?」
ひどく優しい声が降ってきました。凛が顔を上げると、鬱蒼と繁る森に似つかわしくなく、ぴしっとタキシードを着こなしてシルクハットを被った美しい青年が立っていました。
青年は小首を傾げると凛の前に膝をつき、真っ白いハンカチを差し出します。
「泣いていては可愛い顔が台無しだよ。これをお使いなさい」
優しい目が細められ、凛は硬直しました。
美しい動作。彫刻のように整った顔立ち。真夏の空を丸ごと閉じ込めたような真っ青な目。ふわりと微かに甘い匂いを漂わせ、更に目を細めて微笑んで見せる青年に、凛の心臓は狂ったようにどくどくと脈打ちます。男性に対して美しいと思ったことは初めてでした。
青年は膝をついて白いハンカチを差し出したまま首を傾げます。凛は手を伸ばしませんでした。転んだせいで泥だらけになってしまったので、この真っ白いハンカチを汚すのは躊躇われたからです。
それを察してか、青年は至極穏やかに微笑むと、何も言わずにハンカチで凛の濡れた頬を優しく拭いました。
「僕は蓮。きみは?」
「あ、り、凛…」
「そう。きれいな名前だね」
凛は唇のかたちが綺麗だと思ったことも初めてでした。さくら色の唇が緩やかな弧を描き、優しいテノールが鼓膜を擽ります。シルクハットから覗く金糸の髪が風に絡み、長いまつ毛の影が揺れました。
──息を飲むような美しさ。
家庭教師に進められた本の一節を思い出しました。活字では分かりにくかった表現を目の当たりにしてみるみると顔があかく染まっていき、声の出し方さえ忘れてしまったのです。
「随分と派手に遊んでいたようだね」
「あっ…」
口元に指を当ててクスクスと笑われて、泥だらけになったワンピースを思い出しました。恥ずかしくていっそ消えたいほどでした。
「こっちへおいで。そのままじゃ風邪を引いてしまうよ。着替えを用意してあげよう」
王子様がお姫様の手をとるように極自然に右手を取られ、そうと思えばふわりと抱えられて、気がつけば体は空の上。
「えっ!えっ…!?」
「ちゃんと僕に掴まって。落っこちてしまっては大変だ」
びゅうびゅうと風を切って、内蔵が浮き上がるような何とも言えない浮遊感に絶叫しながら必死に蓮にしがみつきました。蓮は喉の奥で笑って、凛をより強く抱えました。
「そんなに怒らないでよ」
やっぱりクスクス笑う蓮に、凛は泣きたいような怒りたいような、でも感謝もしているような複雑な感情を微塵も隠さず、部屋の隅で膝を抱えていました。
「空を飛ぶなんて聞いてないわ」
「あれ、そうだっけ」
ぶーたれて言う凛に、やっぱり蓮はクスクス笑うだけです。
小さな小屋はテーブルと椅子とスツールがいくつかあるだけです。
蓮が貸してくれた真っ白いワンピースは、細い肩紐が凛の白くてすべすべの肌に頼りなく引っ掛かり、成長途中の柔肌を優しく包み込んでいます。夢のように柔らかな太ももを半分だけ隠したさらさらの生地に、不貞腐れた顎を乗せる凛を見て蓮は密かに笑うのでした。
「凛はどこから来たの?」
椅子に座る動作さえ美しく、蓮は凛に問いかけます。凛は首を横に振るだけでした。
アリス…と呟いたような気がして、はっと顔を上げます。先程出会ったおかしな双子が同じ単語を発していたのを思い出しました。
目が合った蓮はにこりと笑うばかりで、それ以上詳しいことは言いませんでした。
「僕が道案内してあげようか」
「えっ…」
願ってもないことでした。蓮が帰り道を知っているなんて予想外で、弾かれたように顔を上げました。
しかし次の瞬間には、凛の見えない獣耳がしゅんと下がってしまいました。
「あたし、お金を持ってないの」
しなしなと元気を無くしていく凛に、蓮は首を傾げて目を瞬かせ、それから本格的に笑い出します。
「女王のコインのこと?それなら僕はいらないよ。僕が欲し……。ええと、凛。僕はちょっと忙しいんだ」
今しがた道案内をしてくれると言ったはずなのに、蓮は不自然に話題を変えました。そんな蓮に、凛は少し不信感を覚えました。しかしこうやって親切にしてもらい、優しく笑う蓮が悪巧みしていると思いたくありませんでした。
凛の心情を知ってか知らずか、蓮は徐に席を立ち、シルクハットを被り直しました。
「先に南へ進んで行ってくれないかな。僕はその先で待ってるから」
「え、一緒に行ってはくれないの?」
「ごめんね。一緒に行ってあげたい気持ちは山々なんだけど僕が我慢出来……ああ、違うんだ。今のは忘れて。ええと、南へ下る道は1本だけだから、迷わず行けると思うよ」
「…蓮?」
「いい子の凛は、僕と待ち合わせしてくれるよね?待ってるからね」
目を合わせてくれませんでした。明らかに何かを言いかけた蓮に、やっぱり不信感が募っていきます。しかし、凛はやっぱり蓮を悪者だと思いたくありませんでした。
蓮が扉を開けて飛び立っていってしまうのを目で追い、やがて姿が見えなくなると凛はため息を零しました。
蓮は行ってしまった。ひとりでは帰り道が分からない。仕方なく凛は小屋を後にし、言われた通りに南へ下る道に入りました。
とぼとぼと歩く道には、見たことも無い鮮やかな花が咲き乱れる道でした。蛇のような蔦が絡んだおかしな木。黄色や紫や青い木の実や果物が沢山落ちています。こんなに色とりどりの小道を歩いたことなどない凛は、だんだんと森の美しさに魅入られていきました。ハチドリのような可愛らしい小鳥がすぐそばまでやって来て、黄色い実を銜えました。レモン色に金色を足したような美しい果実です。手のひらにすっぽりと収まるくらいの果実に手を伸ばすと、甘ったるい香りが鼻腔を抜けて行きました。
凛はまだ昼食を摂っていないことに気が付きました。
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