上 下
109 / 111
第三部

ep.35 翡翠の扉(7)

しおりを挟む
 肩に担いだ大刀を下ろし、キョウは振り向いた。

「怪我は大丈夫ですか。武器を勝手に拝借しました。乱暴に扱ってしまい失礼を」
 刃にこびり付いた煤を丁寧な仕草で払いながら、「いつもの」キョウはコウの前へ。

「あ、ああ…」
 片膝をついたキョウから大刀を手渡される間も、コウはまだ呆気に取られたような空返事を漏らした。

「二師は。動けますか」
 続いてキョウの視線が青に向く。

「は、はい!」
 立ち上がろうと左手で地面を押した瞬間、
「ぃっ……」
 左腕に疼痛が走って、目端を顰めた。

「怪我を?」
「い、いえ」
 痛みは一瞬で消失する。

「何とも。それより、ありがとうございます。さすが、お見事でした」
 止まっていた息をゆっくりと吐きながら、青は立ち上がる。

「獏の妖魔は俺も初めてだったもので。力づくにはなってしまいましたが」
 キョウは肩を回す。

「森が丸焼けにならず幸いでした」
「言い訳できませんね」
 二人は苦笑を向けあった。

 そんな若者のやりとりを、地面に座り込んだまま見上げて眺めていたコウは、くくっと肩を小さく揺らして笑った。

「…コウさん?」
 上背のある肩を丸めて視線を伏せるコウに気づき、青は正面に片膝をついた。

「あー…参った参った」
 と、苦笑のような泣き笑いのような、複雑な笑みをたたえて、コウはこめかみを掻く。
「君たちのような若者がいるなら、凪は安泰だ」
 コウの口調やそぶりの変容に戸惑いながら、青は次の言葉を待った。

「二師は気づいておられるだろう? オレは逃げも隠れもしない」
「……」
 返答に惑って青が肩越しに振り返ると、キョウは無言で頷き返す。
 改めてコウに向き直って、青は静かに答えた。

「コウさん…さきほど貴方は神通術、しかも上位の術を使われていましたね」
 その決定的な点を除いても、村で出会った時からいくつかの違和感はあった。

 コウは翡翠周辺を言い表す際に「西方」という言葉を用いた。しかし翡翠で出会った人々は、自分たちを主軸に五大国側を「東方」と呼称しているが、地元は「こちら」「ここいら」等と表現している。

 また「妖討伐」とも口にしたが、こちらも翡翠の人々は皆「妖退治」という表現を用いている。「討伐」は法軍の任務依頼での用語なのだ。

 そして青へ「薬師(くすし)」であるかを尋ねた際に「薬術師(やくじゅつし)」と最初に言いかけた事にも、青は気づいていた。

 自ずと導き出されるのは、コウが五大国いずれか出身の法軍人である、という事だ。

「そんなにボロを出していたとは……」
 そこまでを青の口から聞いたコウは、バツが悪そうに笑って頭を掻きむしった。

「元チョウトクが聞いて呆れるな。鈍ったものだ」
「え!?」
「チョウトク…?!」
 珍しく、キョウの口からも驚いた様子の声が漏れる。

 若者二人の反応を、悪戯が成功した子どものように楽しげに眺めていたコウは、座したまま改まって姿勢を正した。

「オレは元、凪之国、法軍の諜報部特務隊、東雲向陽(しののめ・こうよう)だ」

「!」
 漏れそうになった声を、青は必死に飲み込んだ。

「正確には「元」ではないんだがな」
「……と言いますと?」
「法軍の公式記録ではおそらく、オレは「行方不明」扱いとなっているだろう」

 正式な退役手続きを経ていない以上、今の向陽は凪を「出奔」したと同義である。
 法軍人による国の出奔は、命をもって償う重罪。

「……」
 故に、凪からの一隊が村へ来ると分かり、向陽の妻シズネはひどく怯え、警戒していたのだ。

「事情を説明していただけますか」
 青の内心と対照的に、キョウの声は冷静だった。

 コウこと向陽の説明によると。

 十五年ほど前の事。
 チョウトクとして向陽は調査任務で西方の国々を巡っていた。

 そのさなかに大怪我を負い翡翠の山奥で行き倒れたところを、薬草摘みに来ていたシズネに発見され、村人たちの手により村落へ運ばれたのだという。

 長い間の昏睡状態を経て意識を取り戻したものの、当時は首すら動かせず、記憶障害も残るほどだった。

 ようやく起き上がれるまでに回復したが、己が何者かの記憶がなく、まともに日常生活を送れるようになるまでに、またさらに月日を要した。

 少しずつ記憶がもどり、己の出自が思い出されるようになったが、それでも翡翠と凪の距離では式鳥も送れず。

 そうしてかつての体力を取り戻すまでに回復した頃には、村落でのシズネとの生活が向陽の日常となってしまっていたのだ。

「チョウトクとしての記憶を取り戻した頃には、オレはもうここから離れられなくなっていたんだ」

 ここには、シズネと鈴がいる。
 命を救ってくれた村を妖や賊から護るという、使命もある。
「言い訳だな。どうにかして凪へ帰還するか、翡翠石の商人に手紙を託すこともできたはずだ。結局は、オレがこうする事を、選んだんだ」

「……っ…」
 向陽の言葉に、青は心臓が握られるような息苦しさを覚えた。

 全ては俺が自分で決めたこと

 秋雨に濡れて薄暗い小屋の中で読んだ、藍鬼の手紙。
 その覚悟に、嘆く人間がいるとも知らないで。

 幼い当時は悲しみと同時に憤りすらも抱いたが、今なら理解できた。

「村に戻りましょう。立てますか」
 青の感傷を素通りして、平静なキョウの声が耳に響く。

「ああ」
 よっこらせ、と向陽は無事な右足で器用に立ち上がった。

「峡谷上士……」
 どうするつもりだと、青はキョウの横顔を見やる。
 この場において、青は上官であるキョウの判断に従わなければならない。

「コウ殿」
 キョウは向陽をそう呼んだ。
 凪法軍の元チョウトク、東雲向陽ではない。
 翡翠の村落の自警頭、コウとして。

「……」
 コウの精悍な瞳が、丸く見開いた。

 キョウの視線は、向陽の足元を見ている。
「歩けますか」
 そしてコウへ悪戯な笑みを向けた。
「もしくは、俺が担ぎましょうか、自警頭殿」
 と、米俵を担ぐ仕草を見せる。

「遠慮する。女房と娘に見られたくない。村の若い奴らにも示しがつかん」

 コウもそれに、またバツが悪そうに応えた。



 コウを伴い村へ帰還した青とキョウは、檜前と合流して状況を説明した後、休む間もなく任務を再開した。

 当初の予定通り、村の北側一帯を一巡し、三日後に再び村落へ帰還。妖討伐の報告および、青がその間に用意した獣避けの追加を渡して、この村落周辺での任務は完了だ。

 報告時はすでに日が暮れかけていたため、この日ばかりは村の好意に甘え、村の集会場となっている堂に一晩の寝床を構えさせてもらう事となった。

 堂の縁側に地図を広げ、次に向かう村の場所を三人で確認しているところへ、

「少し、話をする時間をくれないか」
 コウが尋ねてきた。

「……」
 青と檜前が同時に、キョウの横顔を見やった。
 班長としての判断を仰ぐためだ。

「どうぞ」
 堂内を示して短く応え、キョウは立ち上がる。
 青も地図を拾い上げて後に続いた。

 三人で寝泊まりするには広い堂内の中央で、四人は車座になる。

「お話とは」
 キョウが促す。

「君たちが翡翠へ派遣された目的は、陣守村と転送陣を敷く条約の締結へこぎつけるためであろう」

 コウが切り出した話は、単刀直入だった。
「……」
 対してキョウは即答を避けた。

「オレは元々、チョウトクとして西方の国々を巡る任務をいくつも請け負ってきた。恐らくは今の君たちよりも、事情をよく分かっている」
「……」
 キョウは尚も口を噤んでいた。

「峡谷上士……」
 その横顔を見やる青の心中は複雑だ。
 コウに聞きたい事は山程あるのだから。

 チョウトクの東雲天陽准士によれば、准士と彼の兄―目の前の東雲向陽であろう―は、藍鬼のために命を賭けたと語っていた。

 それはつまり、東雲兄弟は共にチョウトクとして西方への調査、潜入任務に携わり、重傷を負った。
 そして兄は凪への帰還がかなわず翡翠にとどまる事を選び、弟は片腕を失くして帰還を果たしたのだ。

 白磁のような面持ちを崩さないキョウへ、コウは、静かな笑みを手向けた。

「峡谷上士。オレを見逃した時点で、君の心は決まっていると思うがな。オレを西側の協力者として置いておく方が何かと都合が良い。だろ?」

 まるで、父親か師が、子を優しく諭すような色が感じられる。

「ふ……」
 キョウの口端が綻んだ。
 参りました、といった風に。

「その通りです」
 答えは最小限だった。

「ならば、伝えておきたい事がある」
 コウの視線が、車座の中心に置かれた地図を一瞥した。

「西方に、東方への転送陣が置かれる事を良く思っていない連中は、必ず存在する。例えば、五大国から国抜けして西方へ逃れてきた奴らだ。実際にオレは遭遇した。賊となって村落を襲ってきやがったんで、オレたち自警役で始末した事がある」

「この地理条件を越えられるほどの力を持っているのですから、賊となったならば厄介な存在ですね」
「これまで始末してきた賊の中にも、五大国出身者がいるかもしれない、という事ですか……」

 青と檜前が神妙に顔を見合わせる横で、キョウは表情を変えずに小さくうなずいている。

「分かってはいると思うが、もちろん、東方の五大国を恐れて国交を拒む国や勢力もいる。翡翠のように平和的な為政者や国民ばかりではない。今後、転送陣を更に西へ拡げていくのなら、十分な体制で挑んで欲しい」

 コウの視線が、キョウ、青、檜前へと順に巡った。

「ま、君たちのような気持ちの良い強者が揃っているのなら、大丈夫だろう」

 頑丈そうな白い歯を見せるコウの笑顔が、天陽と似ている。そう思ううちに青の口から「天陽さん…」と言葉が漏れていた。

「!」
 僅かに戦慄いたコウの瞳が、青を向く。

「弟を、知っているのか?」
 言われてようやく、青は内心の独語が口から出ていた事に気が付いた。

 やはり、兄弟だったのだ。

「あ……、東雲天陽准士には一度、お目にかかりました。ご兄弟がいらっしゃるとは聞いていましたが……」
「そうかそうか……帰還できたんだな。准士、という事は内勤に移ったか。腕一本ふっ飛ばしてりゃそうなるか」

 コウの瞳に、望郷の靄が揺蕩(たゆた)う。が、それも一呼吸ほどの間で「話が早い」と胡坐をかく右ひざをパシリと叩いて音をたてた。
「凪に帰還したら、東雲天陽を訪ねると良い。西方進出にあたって力になるだろう」

「東雲天陽……准士」
 キョウがぽつりとその名を復唱する。
 無意識に片手で、利き腕を撫でていた。

「あの、東雲准士に貴方の事は」
「弟が思うままにしておいてやってくれ」
 青の語尾を遮るように、コウは首を横に振った。

「運命が許せば、いずれまた会える」
「……分かりました」

 神妙な空気に沈んだ三人の若者の顔をもう一度、見廻して、
「では、オレはそろそろ。邪魔したね」
 右足で立ち上がった。
 左足をわずかに引きずりながら、ゆっくりとした足取りで縁側の方へ向かう。

「軍が保有している西方に関する情報は、チョウトクの命と引き換えに集められてきたものだ」

 最後に広縁で足を止めて、コウは振り返った。
 見送ろうと後に続いた三人も、その場にとどまる。

「それがようやく、こうして、君たちのような若者によって陽の目を見る日が来た。こんなに嬉しい事はない」

 言葉を失くしたキョウ、青、檜前の三人へまた白い歯を見せて、コウは縁側から堂の外へ。

 振り返る事なく村の灯りが集まる方へと、去っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5歳で前世の記憶が混入してきた  --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--

ばふぉりん
ファンタジー
 「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は 「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」    この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。  剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。  そんな中、この五歳児が得たスキルは  □□□□  もはや文字ですら無かった ~~~~~~~~~~~~~~~~~  本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。  本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。  

追放から始まる新婚生活 【追放された2人が出会って結婚したら大陸有数の有名人夫婦になっていきました】

眼鏡の似合う女性の眼鏡が好きなんです
ファンタジー
役に立たないと言われて、血盟を追放された男性アベル。  同じく役に立たないと言われて、血盟を解雇された女性ルナ。 そんな2人が出会って結婚をする。  結婚した事で、役に立たないスキルだと思っていた、家事手伝いと、錬金術師。 実は、トンデモなく便利なスキルでした。  最底辺、大陸商業組合ライセンス所持者から。 一転して、大陸有数の有名人に。 これは、不幸な2人が出会って幸せになっていく物語。 極度の、ざまぁ展開はありません。

『スキルの素』を3つ選べって言うけど、早いもの勝ちで余りモノしか残っていませんでした。※チートスキルを生み出してバカにした奴らを見返します

ヒゲ抜き地蔵
ファンタジー
【書籍化に伴う掲載終了について】詳しくは近況ボードをご参照下さい。 ある日、まったく知らない空間で目覚めた300人の集団は、「スキルの素を3つ選べ」と謎の声を聞いた。 制限時間は10分。まさかの早いもの勝ちだった。 「鑑定」、「合成」、「錬成」、「癒やし」 チートの匂いがするスキルの素は、あっという間に取られていった。 そんな中、どうしても『スキルの素』の違和感が気になるタクミは、あるアイデアに従って、時間ギリギリで余りモノの中からスキルの素を選んだ。 その後、異世界に転生したタクミは余りモノの『スキルの素』で、世界の法則を変えていく。 その大胆な発想に人々は驚嘆し、やがて彼は人間とエルフ、ドワーフと魔族の勢力図を変えていく。 この男がどんなスキルを使うのか。 ひとつだけ確かなことは、タクミが選択した『スキルの素』は世界を変えられる能力だったということだ。 ※【同時掲載】カクヨム様、小説家になろう様

異世界起動兵器ゴーレム

ヒカリ
ファンタジー
高校生鬼島良太郎はある日トラックに 撥ねられてしまった。そして良太郎 が目覚めると、そこは異世界だった。 さらに良太郎の肉体は鋼の兵器、 ゴーレムと化していたのだ。良太郎が 目覚めた時、彼の目の前にいたのは 魔術師で2級冒険者のマリーネ。彼女は 未知の世界で右も左も分からない状態 の良太郎と共に冒険者生活を営んで いく事を決めた。だがこの世界の裏 では凶悪な影が……良太郎の異世界 でのゴーレムライフが始まる……。 ファンタジーバトル作品、開幕!

前世では伝説の魔法使いと呼ばれていた子爵令嬢です。今度こそのんびり恋に生きようと思っていたら、魔王が復活して世界が混沌に包まれてしまいました

柚木ゆず
ファンタジー
 ――次の人生では恋をしたい!!――  前世でわたしは10歳から100歳になるまでずっと魔法の研究と開発に夢中になっていて、他のことは一切なにもしなかった。  100歳になってようやくソレに気付いて、ちょっと後悔をし始めて――。『他の人はどんな人生を過ごしてきたのかしら?』と思い妹に会いに行って話を聞いているうちに、わたしも『恋』をしたくなったの。  だから転生魔法を作ってクリスチアーヌという子爵令嬢に生まれ変わって第2の人生を始め、やがて好きな人ができて、なんとその人と婚約をできるようになったのでした。  ――妹は婚約と結婚をしてから更に人生が薔薇色になったって言っていた。薔薇色の日々って、どんなものなのかしら――。  婚約を交わしたわたしはワクワクしていた、のだけれど……。そんな時突然『魔王』が復活して、この世が混沌に包まれてしまったのでした……。 ((魔王なんかがいたら、落ち着いて過ごせないじゃないのよ! 邪魔をする者は、誰であろうと許さない。大好きな人と薔薇色の日々を過ごすために、これからアンタを討ちにいくわ……!!))

パーティーを追放された装備製作者、実は世界最強 〜ソロになったので、自分で作った最強装備で無双する〜

Tamaki Yoshigae
ファンタジー
ロイルはSランク冒険者パーティーの一員で、付与術師としてメンバーの武器の調整を担当していた。 だがある日、彼は「お前の付与などなくても俺たちは最強だ」と言われ、パーティーをクビになる。 仕方なく彼は、辺境で人生を再スタートすることにした。 素人が扱っても規格外の威力が出る武器を作れる彼は、今まで戦闘経験ゼロながらも瞬く間に成り上がる。 一方、自分たちの実力を過信するあまりチートな付与術師を失ったパーティーは、かつての猛威を振るえなくなっていた。

処理中です...