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第ニ部 ―新米編―

ep.28 新たな課題(2)

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 朱鷺が若手の毒術師を任務に指名する時に、必ず投げかける質問がある。

『麒麟を目指す気はあるか』

 十中八九で返ってくる反応は、

「恐れ多い」
「麒麟抹殺が条件なんて到底無理」

 といったもので、そう答えた若手に朱鷺は二度目を与えなかった。

 大口を叩くが実力や努力が備わっていないと判断した者も、同様に。

「麒麟を目指す気がある?」
「はい」

 迷いなく即答し、かつ可能性を感じたのは、シユウが初めてだ。

 確かにシユウは神通術に必要な気の力が強いとは言えずむしろ平均以下。

 だが制御力を高めるという、弱点を補う努力の成果をあげている。

 年齢の割に知識が豊富で、知識欲も強い。

 賊との夜襲戦時には、戦況を見極める目と度胸も見せていた。

 運動能力も悪くなく、骨格や手足を見て、身体的な成長の見込みもありそうだ。

 何よりの長所は、素直な性格。

 これまでシユウが師事した師匠達にとってさぞ、教育しやすい弟子であったろう。

 シユウという可能性に賭け、育みたいという気持ちにすらさせられる。

 それでも、

「四年で獅子を目指す」

 これは非常識な目標と言えた。

 四年後のシユウは二十歳そこそこだろうか。

 この皮算用を重ねれば、龍に昇格し麒麟奪還任務の権利を得るのは二十代半ば頃になる。

 師道の本質は低年齢化を是とせず、年月の積み重ねによる道の研鑽、成熟を「邁進」とし、美徳とするものだ。

 歴代のあらゆる師道の麒麟昇格者の平均年齢は四十前後で、毒術に禍地と藍鬼が台頭しいずれに麒麟を継がせるかという時の二十八、九という年齢でさえ、技能職位管理官たちの間で「若すぎるか否か」という議論が沸騰したと聞いた。

 だが今の毒術は椿事(ちんじ)と異例のさなかにあり、一刻も早い次の麒麟奪還候補者の出現を待ちわびている。

 麒麟が凪から奪われてからすでに十年。

 禍地が存命のうちに奪還が叶わなければ、麒麟の継承は途切れ、凪における毒術の麒麟の意義と権威は一度、失われる。

 国は公に毒術の麒麟の喪失を宣言し、新たに麒麟を立てるはこびとなる。

 それは凪の毒術のみならず、技能師全般にとっての、歴史的不名誉だ。

「やります!」
「…!」

 詰め寄るシユウの凄みに、朱鷺は息を呑み込んだ。

 可能性を感じ、熱と勢いのままに煽ったものの、ここまで前のめりに即答された途端にふと、もう一人の冷静な自分が問いかけてくる。

 自らの身勝手な願いのために、目の前の若者を犠牲にしようとしているのではないかと。

「……」
 朱鷺はその場にしゃがみ込んだ。

「一師?!」
「…喋りすぎて…疲れちゃった…」

 気が途切れた途端、目眩にみまわれた。こんなに多くの文字数を声にしたのは、いつぶりだろう。

「え…あ、大丈夫ですか、日陰に移動しましょう」

 慌てるシユウの手をやんわりと解き「いいからこれ」と空の小瓶を数本、突き出した。

「残りの素材…集めてきて…」
「―はい」

 苦笑いして小瓶を受け取ったシユウは、まだ朱鷺が手をつけていない毒蜥蜴の死骸の元へ向かう。

 実は朱鷺が炬の国との国境付近で狙おうとしていたのはこの毒蜥蜴で、厄介な事態にはなったが、ここで目的が果たせるのは不幸中の幸いだった。

「ごめんね…ちょっと聞いてほしい昔話があるから…体力…温存したくて…」
「ぜひ、聞きたいです」

 シユウは千本を取り出して、蜥蜴の体の検分をはじめる。体は朱鷺の方へ傾けていた。

「十年くらい…前…かな」

 深呼吸を数回はさんで呼吸を整え、朱鷺はおもむろに口を開いた。


 十年前。


 当時まだ昇格したての虎の位であった朱鷺は、妖虫討伐隊の解呪役として任務に当たっていた。

 害虫駆除程度の難易度の低いもので、短期間のうちに帰還できるはずだった。

「隊長を務めたあやめ上士は…よく任務で一緒になってお世話になった方…で…その当時、日野家に嫁がれたばかりだった」
「日野…有名な名家ですね」

 シユウが手を止めて、顔を上げた。

「あやめ隊長はその任務を最後に…退役する事が決まってて…」

 名家に嫁いだ以上、世継ぎの出産と育成が期待されるのは必然であり、また任務出立直前に懐妊していた事も分かっていたのだと言う。

 だが赴いた地で待っていたのは、地獄だった。

 偶然出くわしたのは、特級任務を請け負った凪の小隊―名だたる特士や上士、高位の技能師で構成された精鋭部隊。そして任務で消耗した彼らを狙って奇襲を仕掛けた、他国反乱分子の暗殺部隊が、衝突したのだ。

「ま~見事に私たちの隊は巻き込まれてしまって…壊滅よ…」

 若手の虎だった朱鷺に為すすべは無かった。

 敵は暗殺部隊とあって強力な毒術を駆使し、妖魔までも使役。辛うじて凪の精鋭部隊がねじ伏せたものの、巻き込まれた朱鷺の部隊の隊長あやめはまともに猛毒や妖瘴を喰らってしまった。

「その特務隊には…藍鬼一師や薬術の…今は麒麟になられたハクロ特師がいらして…」
「…え」

 誰の名前に反応したのか、シユウの肩が大きく震える。覆面をしていても心の内が手に取るように分かった。

「おかげで、あやめ隊長は辛うじて命を取り留めたけど…」

 その後に聞いた風の噂によれば、あやめは全身を毒に侵されながら双子を出産したものの、後遺症で体が爛れ、腐り落ち、数年の内に死に至ったという。

 ちまたでは、日野家に生まれた忌み子の呪いだとかいう醜聞が、流布した。

「この間…偶然あやめ隊長の娘を…見かけたのよね」

 炬之国との国境付近の滴の森にて出会ったあやめの娘は、凄まじい治癒体質を生まれながらに持っていた。

 あれは決して、忌み子などではない。

「……」

 振り返った姿勢のままシユウは微動だにせず、しばしの沈黙の後、ようやく再び遠慮がちに声を発した。

「何故その話を、僕に…」

 シユウの語尾をかき消すように、渓谷から乾いた強風が吹き抜ける。

「…覚えておいて欲しかったから…かな…」

 砂埃を巻き上げた風が、朱鷺の外套を強くはためかせた。桃花が刺繍された裏地の薄桃色が、見え隠れする。

「手…止まってる…」
「は、はい」

 促され我に返ったように、シユウは再び蜥蜴の方へ視線を戻した。探り当てた器官を千本の先で引っ掛けて持ち上げ、空き瓶へ入れる。

「あの」
 瓶の蓋を締め、シユウが顔だけ振り返った。

「隊が壊滅したという事は…朱鷺一師は…」

 額当ての陰に隠れているが、シユウの視線が、外套で覆い隠された朱鷺の全身に注いでる様子が分かる。

 何を言いたいのかは、想像がついた。

「…見ての通り…」
 冗談めかして首を傾げて答えると、

「……」
 シユウは困ったように口を噤んで俯いた。失言したと気に病んでいるのだろう。覆面をしていても感情が漏れ出す癖は、矯正してやらねばならない。

「早いとこ終わらせて…引き上げましょ…」

 再び手が止まっていたシユウを促して、残る空き瓶を埋めるよう指示を出す。

 吹き曝しの大蜥蜴の死骸に、渓谷からの風が運ぶ埃と砂利が、薄っすらと積もり始めていた。
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