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第ニ部 ―新米編―

ep.22 獣人(けものびと)(3)

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「…罠…か」

 状況の把握と共に、青はひらめきをそのまま口にした。賊との距離がある今のうちなら、試してみる価値はあるかもしれない。

 青は苦無を手にすると、足元に隆起する木の根に突き立て、切り込みを押し広げる。道具袋から青黒い液体が詰められた小瓶を取り出し、根の切り込みへ流した。そして突き立てた苦無を握り、目を瞑る。

「シユウ君…?」

 青の様子に気づいた蓮華が、近くにいる准士へ目配せした。

『その子を護って』

 声を発する事ができない事態に使う指文字で手早く伝える。准士が頷き返した。

 法軍の一隊と賊、お互いに息と気配を殺し睨み合う時間が続くが、包囲は少しずつ距離を縮めている。

「どこか一点を崩す事ができれば…」

 楠野上士は包囲網の気配を探り続けた。下手にこちらから打って出れば、別の角度からの攻撃が部下を襲う可能性が高い。

「気を温存したかったが…仕方ないか…」

 楠野は刀の刃を自らの腕に当てる。血触媒を使って一気に一帯の賊を薙ぎ払うか。

 力技のやむを得ない考えに至りかけた思考を、

「ぎゃあ!」
「ぐあ!」

 暗がりの奥から響く賊の叫び声が蹴散らした。

「そこか!」

 楠野が即座に声へ向かい飛び掛かる。藪の中に身を隠していた賊二人を斬り伏せた。

 足元に転がった賊達は、揃いの黒い装束と覆面に身を包んでいる。組織化されている事が見て取れた。

「何だこりゃ!?」
「チクショウ!毒か!」

 森の奥でせわしなく気配が右往左往する。
 包囲網が崩れた。
 続いてまた、

「ぐふっ!」
「うがあ!」

 別方向からも悲鳴やくぐもったうめき声が矢継ぎ早に連なった。

「こちらはお任せを」

 声を頼りに中士や准士が次々と、身を隠す賊を仕留めていく。

「っ…上手く、行った…!」

 根に差した苦無を引き抜いた勢いで体勢を崩し、青は地に両手をつく。

「…ぐらぐらする…」

 賊の叫喚、上士らの怒号、術が発動する轟音、肉を裂く音―飛び交う戦いの音を聞きながら、青は必死に息を整え、目眩をやり過ごそうとした。

「こっちへ」

 動けない青へ准士が一人駆け寄り、丸めた筵(むしろ)を抱える要領で青の体を片手で担ぐ。

「この野郎!」

 そこへ飛び出した賊が長斧を振り降ろすが、准士が投擲した苦無が頸動脈を裂きいとも容易く沈められた。

 そのまま青は、蓮華がいる後方に運ばれる。岩陰では、矢傷を追った中士が蓮華に手当をされていた。

「矢に…毒は?」

 矢が抜かれ止血まで終えた状態の腕を、青が覗き込む。

「大丈夫。解呪済み」

 それより、と蓮華は疲労した顔色の青の額に、手を当てた。

「何をしたの。ひどい顔色じゃない」
「即席の罠を張ったんですが…ちょっと気を使いすぎて」
「何それ面白そうじゃない。詳しくは後で聞くわ」

 蓮華は白い外套の中から一枚の符を取り出す。符を青の首筋に当てると口の中で小さく唱えた。

 符の文字が淡桃色に発光。符ごと蓮華の手の平が、青の首筋に押し当てられる。

「うわ…」

 初めての感覚に青は思わず声を漏らした。蓮華の手が触れたところから、全身に温かな気が巡る。

 手を離すと符は消えていて、青の体から気だるさが消えていた。

「気分はどう?」
「すごい…さっきまで動けなかったのに」

 指先まで血が通い、体温が戻っていくのを感じる。

「でしょ?」と紅を引いた蓮華の唇が、満足げに笑った。

「奴ら、退いていきます!」

 小毬中士の声。

「!?」

 岩陰から戦況を覗き見ると、黒装束の影が森の西側に向けて散り散りに引き返そうという動きが見えた。

「まさかトモリの…一色隊へ向かう気か!」
 楠野上士の声に珍しく動揺が混在している。

「追います!」
 最初に飛び出したのは小毬中士だ。

「待て!」と楠野の呼び止める声。直後、賊の殿(しんがり)が振り返り、木戸のような大剣を中士に向けて振り抜こうとした。

「危な…!」

 大剣の一閃が描く剣筋が中士の胴体を分断した、かに思えた。

 だがそこに小毬中士の姿はなく、大剣は空を切る。

「上か!?」
 と誰もが思うが宙空にも姿はなく。

 代わりに地面に現れたのは白く小さな生き物。賊の脚を伝い登り、腕を伝い、肩に上がり、

「がっ…!」

 次の瞬間には賊の男の首筋から血が吹き上がった。

 白く小さな生き物―ハツカネズミは賊の顔面を蹴って宙を跳ぶ。そのまま二人目の背中に飛びつき肩へ駆け上がり首筋を食い破った。

「ヒッ!」

 殿(しんがり)二人が血を吹いて倒れる様を目撃して、賊の動きが瞬時、固まった。

「追撃!」

 楠野上士の決断は速かった。残る中士、准士が一斉に駆け出す。手当を追えた中士も抜刀しながら岩陰から飛び出していった。青と蓮華も最後尾につく。

「急ぎ一色隊へ知らせます」

 真っ先に駆け出した雲類鷲(うるわし)中士の足が地を蹴る。一陣の風と共に跳躍した体は瞬きのうちに黒く巨大な双翼の影―オオワシへと姿を変え、どんな式鳥よりも速く、西の空へと急加速して飛び去った。

 一方で二人の殿の喉笛を噛みちぎったハツカネズミは、賊の後を追う隊員たちの肩を飛び石のように渡り追撃の先頭に躍り出ると、再び小毬中士の姿に変容した。

「え、あの、今のは、あの人たち」

 目の前で目撃した光景を整理できないまま、青は遅れまいと隊の後を追う。

「獣血人ね。噂には聞いていたけど、私もまともに見たのは初めてよ」

 隣を蓮華が並走する。

「獣血人?」
「訓練所出身の子たちよ。おそらく他国の出だと思うけど」
「他国って…?!」

 追撃隊の前方がにわかに騒がしい。
 前方を見ると、賊の遺骸が点々と続く。

 西側を迂回しているはずの一色隊に追いつかせまいと楠野上士らが猛追し、確実に賊の戦力を削ってはいる。だが賊側が地の利を得ている分、取りこぼしも少なくない。

「!」

 南方に逸れて逃れようとする数人の動きに気づき、青は片手に苦無、片手に針を握り込む。風術を発動させ速度を上げ、近距離武器が届かない程度の間隔を空けた背後についた。

 毒針で足を狙ってみるか、と機会を伺っていると、

『グオオオォオオオオ!』

 突如、前方から獣の咆吼が轟いた。

「!?」
「え!?」

 賊達の前に塞がるように重なる木々が、メキメキと瓦解音をあげて横薙ぎに破壊される。

 まるで枯れ草でも刈っているかの如くあっけなく木端となる木々の向こう、そこに立ちふさがるように現れたのは、巨大な濃茶色の壁―二足で立ち上がった羆(ヒグマ)。

「うぉああああ!」
「ひぃい!」
「ヒ、ヒグマ?!」

 賊の叫び声に、青の声が重なった。

『ガアアアア!』

 妖獣と見紛う巨大な獣は、賊や青を前に再び牙を剥き出しにして咆吼、腕を逆側から横に薙いで賊二人ごと張り飛ばした。

 ビシャッ

 強烈な張り手を食らい頭が吹き飛んだ賊の体が、樹木に叩きつけられる。

「うっ…」

 青の足元まで飛んできた哀れな被害者の血飛沫と脳髄に一瞬、吐き気を催しかけるが、すぐさま対妖獣毒を仕込んだ針を構えた。

 が、熊は青を避けて北方向へ体を翻す。

 咆吼し、木々を薙ぎ倒しながら賊の体も張り倒し、踏み潰し、頭蓋を噛み砕き、森を破壊しながら殺戮を繰り返していく。

 確実に、賊だけを狙って。

「あれは、もしかして…」

 訓練所出身者は、三人。

 一人は小毬サチ中士。ハツカネズミに姿を変えた獣血人。
 二人目は雲類鷲ソラ中士。オオワシに姿を変えた獣血人。
 三人目は―

「檜前(ヒノクマ)中士!もう十分です」

 なぎ倒された木々の間から、一色隊長が姿を現す。暴れまわるヒグマへ懸命に声をかけていた。

『……承知』

 唐突に熊は動きを止め、太い首を隊長の方へ向けると、壁のようなその巨体を人間の男の姿に変貌させた。

 三人目は檜前ユウ中士。
 ヒグマに姿を変えた獣血人。

 その周辺には、ボロ切れのごとく殺戮しつくされた賊の死体が多数、転がっていた。
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