毒使い

キタノユ

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第一部 ―幼少期編―

ep.12 蟲之報(2)

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 次にキョウとタイの二人に出逢ったのは資料室で、青が書棚の前で床に座って巨大な図鑑を膝にのせている時だった。

「なに読んでるの?」

 と気さくにタイが声をかけてきた。

 青を真ん中に挟むように両側にタイとキョウがそれぞれ腰を下ろす。

 しばらく会話をして分かってきたのは、キョウは青より二歳年上の九歳、タイはキョウより二歳年上でつまり青の四つ上の十一歳であること。

 タイの将来の目標は医者で、そのために薬術、毒術を学んでいて、術に頼りすぎない医療や治療を確立させたいのだという。

「治癒術者もそりゃいるけど、でも術って術者にとっても負担になるの。誰かを治すために他の誰かが倒れてしまったら意味がないでしょ?」

 というのがタイの主張だ。青はタイに口や知識では勝てないし、気が強い性格に気圧されてしまう事も多いが、目標に邁進する情熱は刺激になった。

 一方のキョウについては、わからない事が多い。

「この子は戦闘バカだから」

 という、タイの冗談めかした言葉をキョウは否定しなかった。人形のように整った微笑のまま「まあね」と応えるだけで、必要以上に口を開こうとしない。

 それは青も同じだった。

 物心ついた頃から旅をし難民孤児として凪に来た事や、霽月院で暮らしている事は口にしなかった。

「誰に一級の試験勉強を教えてもらったの?」というタイの質問にも、小松先生の名前を出してごまかした。

 軽率に藍鬼の名前を出してはいけない気がしたのだ。

「青君は、技能師を目指してるの?」
「キョーミはあるけど…」
「確かにまだ早いか」

 年下である事を活かした青のとぼけた応えを、タイはさほど気にしている様子もなく自己完結してくれた。

「技能師は大変だよ~?麒麟なんて一人だけしかなれないんだから」
「え」

 どういうこと?と青は大仰に振り向く。

「麒麟って、各国とも各職に一人しか存在してはいけないんだよ」

 技能職位が総合職位と異なる大きな特徴の一つが「稀少性価値の維持」だ。

 高位技能職の水準維持と向上および価値の担保のため、狼以上の職位には厳しい人数制限が設けられている。

 タイが言う通り、麒麟は各職に一人のみ。前任者が降格、引退もしくは死亡しなければ、その座は空かないのだ。

 しかも唯一の存在である麒麟のみ「継承制」で、同職の龍から、麒麟が認めた者、もしくは麒麟に打ち勝った者にしか引き継がれない。

 次点の龍は、三年に一人しか授与されず、それも水準に達していなければ該当者無しとなる。獅子以下も一定の人数に制限するよう厳しい基準が設けられているという。

「だから技能職の箔がおされた薬や道具は貴重なの」

 稀少性ゆえに価値はますます高騰する。

「……」

 青は背中に大量の冷や汗が垂れるのを感じていた。

 藍鬼の薬を取引に使用したり、素材と引き換えにしようなど、よくも怒られなかったものだ。今さらだが師の寛大さに感謝する。

 そして資格一級取得に向け藍鬼とホタル―高位の技能師たちからの援助を得ることができた自分の境遇がどれだけ恵まれていたのかも。

 課題は自分で見つけるものだ。
 藍鬼はそう言った。

 これまでは青の悩みや疑問を藍鬼が一つずつ掬い上げ、解決の糸口へ導いてくれていたのだ。

 こうして放り出されてみると、課題を見つけること自体が、なんて難しい課題であろう。

 それでも藍鬼は、そんな「麒麟」になれると、青を励ましてくれていたのだ。

「どうしたの」

 キョウの水面のような色の瞳が、時を止めていた青を覗き込んだ。

「タイが脅かすからだよ。麒麟の話なんかして」

 キョウの冗談めいた非難を、

「ううん、僕、頑張る」

 青が否定した。

「え?」
「あら」

 両側から同時にひっくり返った声。
 青の頭上でキョウとタイは視線を合わせる。

「いいね」

 キョウの肘が青の腕を軽く小突いた。

「好きだよそういうココロイキ」
 透き通った瞳が、青を映して細められる。

「……」

 肩が触れ合うほどの至近距離。
 見惚れるというよりも、呑み込まれそうな感覚に青は目眩をおぼえた。

「えっと、本、新しいのと替えてくる」

 膝に載せていた図鑑を抱き、逃れようと立ち上がる。

「いってらっしゃい~」と呑気なタイの声が見送った。

「不思議な瞳の色だったな…」

 図鑑を胸にかかえ、青は螺旋を描く書架に沿って奥へ進んだ。古い機構書コーナーの片隅の棚、一番下に、持っていた図鑑を押し込む。

 その時だった。

「聞いたか?麒麟の話」

 まさにその単語が耳に飛び込んできた。

「?」

 本の隙間から書架の向こう側を覗く。
 二人分の足元が見えた。
 黒い穿きもの、脚絆、靴と、黒尽くめ。
 声や足の大きさから、男が二人。

 更に見上げると、一人は黒い覆面で顔の下半分を隠し、一人は鼻筋と目を隠した仮面を身に着けていた。何かしらの技能師の二人組のようだ。甲当の紋章までは見えない。

「ああ、毒術の麒麟だろ。国抜けしたっていう」

(…え…?)

 青の心臓が跳ね打つ。

 毒術の麒麟が国抜けをした。
 確かにそう聞こえた。

 床に這いつくばった不自然な姿勢のまま、青は身動きが取れなかった。本の影に隠れた小さい存在に、男たちは気付いていない様子。

「毒術の知人から聞いた話だが、諜報部が行方をつきとめたとかで、三月(みつき)前ほどに、征伐隊が向かったらしい」
「抜けたのはもう三年、四年も前だろう。ようやくか」

 毒術の麒麟。
 国抜け。
 征伐隊。

(何…何の話…)

 歯の根がかじかみかけて、青は手のひらで口元を覆う。

「そうは言っても相手は麒麟だ。生半可な追手は出せないだろう」
「それで、結果は?」
「まだ音沙汰が無いらしい」
「三月(みつき)か…任務は誰が?」
「禍地(かじ)特師に対抗できそうな龍といえばそりゃあ…藍鬼一師しか」

 ヒュッ…

 息が逆流した。

 聞こえてくる言葉の全てが、青の頭を殴りつけてくるようだ。

 毒術の麒麟が凪を抜けた。
 三、四年前のこと―それは森で師弟が出会う直前の頃。

「長い任務に出ることになった」と言っていた藍鬼の任務は、麒麟を追い、討ち果たすことだった。

 毒術の麒麟の名は、禍地(かじ)。

「じゃあ、毒術の麒麟って、どんな人?」という弟子の問いに師は、

「ロクでもない野郎だ」

 と答えていた。

「思い出したくない野郎」と言いながらも、うなされ、うわ言で口にしていた名。

 酷い目眩がして世界が回る。

 足のつま先から体温が急激に奪われていくようだ。

 熱がせり上がり、脚と上半身を通り、左腕へ流れ、

 激痛
 
「っぁあ!」

 たまらず青は悲鳴をあげた。

「!?」

 書架の向こうの人影たちが振り返る気配。

「痛っ…あつ…ぃ!」

 青は体を丸めて書架へもたれかかる。体が強張って動かない。焼けたコテを押し当てられたかのような熱さが左腕を襲う。

 この感覚には、覚えがあった。

 痛みに痙攣する左腕の袖を捲るとそこには、赤黒いミミズ腫れが模様を描いている。

「これ…鍵…!」

 藍鬼が青に刻みつけた、「あるもの」を開ける鍵。

 その時が来たら分かる、そう言っていた。
 なぜ今が「その時」なのか。

「どうした?!」

 苦しむ子どもの姿に気付き、二人の技能師は驚いた様子で書架を回り込む。 

「な…ん、で」

 咄嗟に伸ばした青の手が書棚の縁を掴んだ。体積のある物が落下する音が続く。青が咄嗟に掴んだ棚が揺れて本が雪崩を起こし、小さな身体の上に降り注いだ。

「お、おい!」
「子どもが下敷きに!」
「青君!?」

 いくつかの慌てた声が近づく。

「青!」

 駆け寄るキョウの声を最後に、青の意識は途切れた。
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