毒使い ―無力な少年は、運命の師と出会う

第一部 ―幼少期編―

ep.7 負傷（３）

　あらかた片付けて師の様子を見に行くと、

「…ず」

　呼吸に混じり、声がした。

「み…」

　水。
　乾いた唇が僅かに動いていた。

「水が欲しいの？分かった、待ってて！」

　立ち上がり、居間を抜けて戸口へ向かったところで、

「わっ！」

　青は何かに正面からぶつかった。
　反動で後ろに転んで、土間の段差に腰掛ける形になる。

「な、なに、」

　戸口から影が伸びる。
　青の目の前に、人が立っていた。
　まず目に入ったのは、妖鳥の面。

「わああああ！！」

　現れた人物―体格からおそらく男―は、凪の法軍のそれと分かる胸当てを装着しており、腕には藍鬼と同じ紋章が刻印された章。

　顔には猛禽類と思われる鳥を形どった仮面を装着し、外套を肩に羽織っていた。

「と、鳥…？」

　尻もちをついて後ずさる青の前、鳥仮面の男は「はて」と呟く。低い声だ。

「一師（いっし）に子がいるという話は聞いたことがないが」
「え、な、何、ですか？」
「まあいい」

　と自己完結した男は戸口を越え、青の体をまたぐように大股で居間へ上がり込んだ。

「あの！誰、誰ですか！師匠の知り合いですか？」
「師匠？」

　奥の部屋へ向かいかけた男の足が止まり、仮面が振り返る。鳥の羽飾りと思われる縁取りと、嘴を表した細工が特徴的だ。

「後で聞こう」

　猛禽類に睨まれたカエルのような状態の子どもから再び顔を背け、男は「一師」と呼びかけながら奥の部屋へ足を踏み入れた。

「……」

　男はしばし、掛布を枕に横たわり眠る藍鬼を見下ろした。
　その背後に青は恐る恐る近づく。

「見たのか」

　外套の肩越しに妖鳥が振り向いた。

「え」

　尋ねた男の意図はすぐに分かった。
　顔を見たのか、と問うているのだ。
　ざわりと男の背中から毛が逆立つような殺気が沸いた。

「み、見てない、見てません、だから僕、手ぬぐいを」

　青はしきりに首を横に振った。

　支離滅裂な言葉しか口から出てこないが、とにかく何も見ていない事を伝えなければ殺される、そんな気さえした。

　それには応えず男はまた青から顔を背け、室内の藍鬼の傍らに片膝をついた。

「ボウズ、お前がこれを？」

　腹に施された手当を、男の手が示す。
　男の手甲には、銀板がはめ込まれている。
　そこに、獅子が彫られていた。

　この男は、何らかの技能師。
　しかも高位の獅子の位を持っている。

「僕、解呪はできないから、それくらいしか…」
「十分だ」

　男は外套の下から何かを取り出す。
　それは小さな小瓶だった。

　片手で器用に蓋を外し、中の液体を、腹の傷周辺に広がる妖瘴跡全体が浸るように流した。瓶を手早く外套の下に仕舞い、両手の平を上下に重ねて腹の傷の上にかざす。

「解呪」

　かつて藍鬼が青に唱えたと同じ言葉を口にすると、液体が瞬時に蒼く発光し発火した。男は両手で青い炎をかき集め、炎を握りつぶす動作をする。

　蒼い炎は消え去り、男が手のひらを上向けて開くとそこにはやはり、黒い煤のような粉が残った。

「ボウズ」
「は、はい」

　呆気に取られて男のやる事を見ていた青が、肩を震わせる。

「水」
「はっ」

　思い出して青は土間へ駆ける。
　桶に残った水を水筒に移し、藍鬼の元へ戻った。

「飲ませてさしあげろ」
「わ、わかりまし、た」

　男の言葉遣いに少し驚きつつ、青は木匙で水を藍鬼の口へ運んだ。

　五回繰り返した頃には、息遣いが穏やかになってきている事に気がつく。

「落ち着いてきた。問題ないだろう。後はただゆっくり休むことだ」
「本当？？」

　良かった、とようやく青は心底からの安堵に脱力する。

「では」と鳥面の男は立ち上がり、外套の皺を伸ばすように一度翻し、居間の方へと出ていった。

「大したケガでもない。ただ任務続きで体力が落ちていたところに油断しただけだ」
「大したケガじゃない？」

　これが？

　青はぱくぱくと口を動かした。

　大の男が、妖獣を針で倒せるような男が、意識を失くして倒れたのに大したことないと表現できる状況なのか。

「だがもしやと思って引き返して正解だった。あのまんま眠ってしまって悪化していたかもしれないからな」
「あ…」

　男の言い草に少しの怒りを覚えたものの、どのような経緯か分からないが、助けに来てくれたのは事実だ。

　青は慌てて立ち上がり、男を追って居間に出る。

「あ、あの、ありがとうございま―」

　妖鳥の仮面は、居間の床に落ちていた二枚の合格証書を手にしていた。

「薬と毒の三級」

　お前のか？というように、面の嘴が青を向く。

「はい、この間、もらったばかりで」
「ほう」

　鳥面が青を見つめる。
　仮面の下から、青を値踏みしているようだ。

　男は証書を青の手に渡すと、踵を返して戸口へ向かう。

「俺はハクロ。薬術師の獅子だ」
「薬術…？」
「いつか遭う事があるかもしれん」

「ではな」と最後に残し、男は小屋の外へ。

「ハクロさん？」

　青が声をかけた次の瞬間には、姿を消していた。