理科準備室のお狐様

石澄 藍

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13.憑依

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 翌日、あきあかりに起こされて目を覚ました。

 何だか泥のように眠った気がする。しかし、それでもまだ寝ていられるほど、強烈に眠い。
 ここのところのバタバタで、よほど疲れが溜まっていたのだろうか。

 危うく二度寝してしまいそうだったが、さすがにそういうわけにもいかないので、無理やり身体を起こした。

「おはようございます、燈様」
「ええ、おはよう。もうお昼だけどね」

 まだ眠そうに目を擦っている灼に、燈は何ともいえない視線を送る。

「それ。誰か人が来て、廊下から差しこんでいったわ。灼がちっとも起きないから……」

 燈が指さした先には、ドアから一枚のメモが滑りこんでいた。

 灼が拾いあげて見ると、白い無地の紙に「13時に書斎まで来るように」とだけ、素っ気なく書かれていた。見覚えのある父の字で、書きなぐってある。
 おおかた、秘書にでも渡すようにいったのだろう。

 時計を見ると、12時少し前だった。あまり悠長にしている時間はないらしい。

「着替えたいので、ちょっと外に出ていてもらえますか?」

 タンスから適当な服を引っつかんでふり返ると、燈が露骨に不服そうな顔をしていた。

「灼はまだ子どもなんだし、別にわたしは気にしない」

 唇を尖らせていう。
 そちらが気にしなくても、こちらは気になるのだが、と灼は思った。

「じゃあ、灼が外に出て着替えれば?」

 拗ねた子どものように、そんなことをいう。全く、どちらが子どもなのか、わからなくなる。

「それだと、僕が変態みたいですよ」

 父の秘書や使用人たちだって部屋の前を通る。もちろん、その中には女性もたくさんいる。
 子どもだからといって、わざわざ部屋の外に出て着替えていたら、どのような噂を立てられるかわかったものではない。
 ただでさえ噂好きな連中なのだ。

 灼はため息をついて、燈にいった。

「じゃあ、そっちを向いていてください。すぐに着替えますから」

 燈が渋々目を背けた隙に、灼は素早く着替えた。Tシャツに短パンという小学生らしい格好を見て、思う。

 燈には、どうやら着替えの間外すのも億劫なほど、子ども扱いをされているらしい。どうして外に出てほしいのかも、全く理解していないようだ。
 果たして、自分が異性として認識してもらえるときは来るのだろうか。

 若干憂鬱になりながら身支度を整え、軽く朝ごはんを食べた。もっとも、もう昼ごはんが用意されていたが。

 燈はその間、ずっと部屋で待っていた。
 少しは屋敷内を歩いてもよい気はするが、あまり軽々しく人前に出ることも許されてはいないらしい。
 普通の人間のふりをして外を出歩くよりも、正体がわかってしまう人間が多い屋敷内を歩くほうが、気を遣うのだそうだ。

 狐と依代は本来一緒にいるべきものであるため、あまり離れられないようになっている。
 だが社くらいの広さならば、それぞれ別々に行動していても、今まで問題はなかったらしい。
 灼の部屋から居間や洗面所はそれほど遠くなかっため、燈は部屋に籠っていたのだった。

「父様の話を聞きにいきますが、どうされますか? 今後のことなので、多分、燈様も同席されたほうがいいとは思いますが……」

 書斎へ行くには、嫌でも人目に触れることになる。一緒に来てもらえると心強いが、無理強いするわけにはいかない。
 第一、この部屋から書斎までの距離は、社の広さ以上離れているわけではないため、燈が無理についてくる義務はない。

 そのような考えから遠慮がちになった灼の問いに、燈は即答した。

「ああ、それなら大丈夫! あなたに憑依していくから」

 こともなげに、恐ろしそうなことをいう。
 灼は若干ドン引きしながら、訊いた。

「憑依って、幽霊みたいですね……。お化けでもできるんですか? というか、そんな簡単にして問題ないんですか?」
「何をいっているの! そのための依代よ? お化けは憑依というより操るほうが多いけど、わたしは孤塚家の血を引く人間なら、憑依できるわ」

 燈がなぜか、得意そうに胸をはる。
 側から聞いている灼には、何が自慢になるのかもわからなかったが。

「まあ、あなたは霊力が少ないから、多少心配だけどね。でも、しばらくは母屋で過ごすことになるのだし、占いでも使うから慣らしておいたほうがいいと思う」
「占いでも、憑依って使うんですか?」

 何気なくした問いに、燈が信じられないものを見るような顔をした。

「当たり前よ! わたしは人前には姿を現さないんだから。……こんなことなら、無理やりにでも、もっと勉強させておくべきだったかしら……」

 何だか、すごく失礼ないいかたをされている気がする。だが、気をとり直して、灼は気になったことを質問した。

「じゃあ、占いや予言を伝えるときに、僕がわざと嘘を教えることはできないんですか?」
「ええ、できないわ。わたしは真実を話さなければならないし、あなたに憑依してその口を借りて伝えるから、嘘はいえない」

 兄はまだ知らなかったようだが、この間兄にいった脅しもすぐに使えなくなるかと思うと、灼は少し残念だった。

「それじゃ、時間もないことだし、パパッと入っちゃうわね!」
「ま、まだ心の準備が……」

 灼の静止はお構いなしに、燈がズンズンと近づいてきた。覗きこむようにして、顔と顔が近づく。
 灼は急に恥ずかしくなって、思わず目をつぶった。しかし、何かが触れた感触はない。
 恐る恐る目を開けて見ると、もう燈はいなかった。

 慌てて辺りをキョロキョロと見まわすが、どこにも姿がない。

「どう? 別に怖くはないでしょう?」

 ふいに、声が聞こえた。耳で聞いたのではない。灼の中から、心の声と同じように聞こえてきた。

「僕の中にいるんですか?」

 灼が声に出して尋ねると、心の声が返事をする。

「ええ。これで実際に話さなくても、心で思ったことがそのまま、わたしに伝わるわ。便利でしょう?」

 確かに便利といえば便利かもしれないが、思ったことがそのまま伝わるというのは、プライバシーも何もないのではないか。……という考えも、燈には伝わっていたらしい。

「え~、しょうがないなあ」

 燈が不服の声を漏らす。

「じゃあ、シンクロ率を低くしてあげる。これで、わたしに話しかけるように念じないと、わたしには伝わらないようになるから。すっごく不便だけど!」

 何だか、ひどく残念そうな声だ。しかし、多少でもプライバシーが確保されたのだから、ここはよしとしよう。
 灼は話題を変えることにした。

 声に出す代わりに、心で念じてみる。思わず、口が動きそうになった。
 心の中で会話するには、まだまだ慣れが必要なようだ。

「憑依というくらいだから、僕の思いどおりに身体が動かせないのかと思っていました。でも、普通に動くんですね」

 そのように、念じてみた。

 身体は憑依されているということが信じられないほど、いつもどおりだった。もしかしたら、勝手に憑依されても気づかないのではないかと思ったほどだ。

 試しに、手を握ったり開いたりしてみる。
 妙に重いとか、思いどおりに動かないといったこともない。

「まあ、完全に乗っとることもあるけどね。占いのときとか……。あなたは霊力が弱いから、拒んでも簡単に身体の主導権を奪えるわ」

 こちらの声がちゃんと伝わったのはよかったが、さらっと恐ろしいことをいう。
 心なしか、燈の声も弾んでいる気がする。

「それはちょっと勘弁してほしいです……」

 げっそりとした灼の口調に、フフッと笑う声が聞こえた。

「憑依も大丈夫そうだし、それじゃあ当主殿の話を聞きにいきましょうか」

 燈が明るくいう。灼の緊張を解くために、わざと冗談をいっていたのかもしれない。

 ふたりの心が入った灼は、覚悟を決めた面もちで部屋をあとにした。
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