上 下
262 / 329
その後の二人

188.自由の味

しおりを挟む
 向かうは駅の反対側。駅からそう遠くない所に、お目当ての店はあった。繁華街の駅ビルの階段を登っていく。蒼空とこういう妖しい雰囲気の階段を登るのも初めてだな。今日は何をするにも初めてで、楽しい。


 店に入ると、美味しい煙が視界を曇らせる。ジュージューと先客が肉を焼く音を聞きながら、俺たちは案内された席についた。蒼空と一緒に買えた衣服の嬉しい重みが、座席に移る。

 そう、ここは焼肉屋だ。今日俺たちは地下オメガ生活では味わえなかった、自由の味を堪能しにやってきた。
 俺が『蒼空くんとやりたいことリスト』に特に目立つように書いたから、優しい蒼空くんはきっと俺の意図を汲んで、焼き肉を選んでくれた。


 もちろんここでの注文は食べ放題コースだ。今日はたらふく自由の味を満喫するつもりで、一番高い食べ放題コースを選んだ。それでも二人なら諭吉さん一枚とちょっとで足りる。とても良心的なお店だ。

 俺たちは、普通の人が普通に楽しめる事をできることが、何よりも尊いと知っている。二人で居られれば、それ以上は身に過ぎた贅沢だ。だから、これくらいの贅沢で充分だ。それ以上は要らない。
 それに迂闊に高い店に行って、もし元社長令息である蒼空の顔を知っている人物と鉢合わせたら、もっと嫌だしな。


 熟成厚切りカルビに、ハラミ。なんとも美味しそうな写真がタッチパネル上に並ぶ。

「今日は食べ放題だから、この画面上のものはなんでも好きに食べていいんだよ。」

 蒼空にそう言うと、パッと花を咲かせた様に顔を輝かせた。可愛いな。
 恐る恐るタッチパネルを押して、四苦八苦して注文している姿も愛おしい。


 蒼空は余りタッチパネルの扱いに慣れていない様だ。それもそうか。こういう庶民的な店に来る様な育ちじゃないもんな。こういう時に、稀に蒼空の過去の片鱗を見る事がある。


 あれだけ週刊誌で騒がれてしまったから、蒼空が元社長令息で元地下オメガだった話は蒼空の今の職場でも公然の秘密らしい。
 だから職場の飲み会に行っても、お坊ちゃま育ちなのとオメガである事の二重の意味で、お姫様扱いなんだそうだ。上司の隣の上座に座らせて貰えて、周りの人がお世話をしてくれるらしい。
 注文をしたりと下っ端がする様な気遣いをした事は無く、同じ総合職なはずなのにと本人はそれが不満なのだそうだ。

 最初その話を聞いた時には、正直なんだそりゃと思った。俺の蒼空は確かに綺麗だ。だからと言って、ホステス宜しく上司の隣に侍らされるのは気分が良くない。
 蒼空に対してちやほやと世話を焼いて優しく接してくれることは良い事だが、逆に言えば職場の野郎どもは、俺の蒼空を異性として見ているという事だ。そう思うと複雑だった。今度職場の飲み会があったら、絶対に店まで迎えに行こうと心に決めた。


 蒼空は「食べ放題初めて!こういうの、ずっとやってみたかったんだ♪」と目を輝かせて一生懸命選んでいるから、俺が手を出すのは無粋だろう。
 初デートに初食べ放題、初焼き肉。蒼空の初めてをまた一つ貰えた事にも満足し、俺は蒼空がたどたどしく選ぶのを微笑ましく見守る事にした。


 一番最初に頼んだ飲み物が来た。俺は生だが、蒼空はビールが苦手な様で、ジンジャーエールを注文した様だ。カチンと軽い音を立てて、二人で乾杯する。二人の目が合って、微笑み合う。なんとも穏やかな時間だ。


 やがて蒼空が注文したお肉がテーブルにやってきた。やってきたお肉はどれも一人前だった。あぁ、そこの注意をしてあげるのを忘れていたな。焼肉初心者がよくする間違いの一つだよな。

 来るべきものを待ち望んで熱を持て余していた網の上は、独り者で一杯になった。やがて、美味しい煙が席を満たす。俺はその煙が目に染みたのか、視界がだんだんと霞んでいくのを感じた。


「えっ!正吾さん、どうしたの?」
 蒼空が俺の様子に気が付いて、心配して声を掛けてくれる。


「いや…なんでもない。煙が目に染みたみたいだ。」


「そっそう?ならいいんだけど。」


 でもその言葉が引き金になってしまったのか、俺はもはや泣いているのを隠せなくなり、目を片手で覆って動けなくなった。


「もう~正吾さん。正吾さんが泣くと、僕まで泣けてきちゃうじゃん。
 美味しいお肉の前で…。ほら、僕あまりよく解らないからさ、焼き加減見てよ。」

 蒼空のツンデレ仕様も可愛い。
 蒼空はわざとおちゃらけて、明るく場を盛り上げようとしてくれた様だった。


「ごめんな。だって…。とうとう…とうとう蒼空と外でデートが出来たんだぞ?こんな風に、他の人も居る席で、地下生活では絶対に食べられなかった焼肉も一緒に食べられるなんて。
 もうあの生活が全部過去になって…。嬉しいと思ったら、つい…こんなことに…。
 年甲斐もなく、恥ずかしいな。」

 俺はおしぼりで涙を拭い、苦笑した。


「僕も、今日は一日中正吾さんと一緒にお外を歩けて嬉しかったよ。ずっと夢だったんだ。僕達本当にもう誰に憚る事も無く、堂々とお外でデートできる様になったんだね。」


 そういう蒼空の声も若干鼻声だった。その言葉を聞いて、俺はもっと泣きそうになってしまった。
 俺を慰めようとしているのか、おしぼりを掴んだままの俺の手に、蒼空の手が重なる。


 他に他人が居る空間で、カップルである事を隠さずに食事をする。蒼空の存在の全てを秘匿しなければならなかったあの頃とは、大違いだ。
 目で人前に居る蒼空を見て、鼻で自由の香りに混じった蒼空のフェロモンの香りを嗅いで、口で味わって、耳で喧騒を聞いて、手で触れて。五点責めだ。感情が出やすい夜に、五感で感じる事で、蒼空が傍に居てくれているという事がより一層実感が湧く。


「もう、正吾さんったら…。泣いてないで、お肉焼けたから食べなよ。もう。」


 蒼空が俺の皿に若干焦げた肉を乗せてくれる。
 蒼空は確かに肉の焼き加減が解らない様だ。焼き肉は戦場だ。確かに泣いている場合じゃないな。
 全てが炭になる前に、俺も涙を拭ってトングを手にした。


 一口お肉を口に入れて、「美味し~い♡」とじたばたする蒼空の笑顔が眩しかった。


 今日の焼肉の味は永遠に忘れられないだろう。俺たちの初デートは大成功だった。
 でも、これからが大人のデートの本番だよな?俺は会計をしつつ、少し悪い顔でほくそ笑む。


ーーーーーーーーーーーーーーーー
X企画での #RTの早い5人に落書き投げつける見た人も強制でやる タグでリクエスト頂きました焼き肉です♪
リクエスト頂きありがとうございました☆
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶の欠片

藍白
BL
囚われたまま生きている。記憶の欠片が、夢か過去かわからない思いを運んでくるから、囚われてしまう。そんな啓介は、運命の番に出会う。 過去に縛られた自分を直視したくなくて目を背ける啓介だが、宗弥の想いが伝わるとき、忘れたい記憶の欠片が消えてく。希望が込められた記憶の欠片が生まれるのだから。 輪廻転生。オメガバース。 フジョッシーさん、夏の絵師様アンソロに書いたお話です。 kindleに掲載していた短編になります。今まで掲載していた本文は削除し、kindleに掲載していたものを掲載し直しました。 残酷・暴力・オメガバース描写あります。苦手な方は注意して下さい。 フジョさんの、夏の絵師さんアンソロで書いたお話です。 表紙は 紅さん@xdkzw48

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

春風の香

梅川 ノン
BL
 名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。  母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。  そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。  雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。  自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。  雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。  3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。  オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。    番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

処理中です...