妖夢幻影

陰東 愛香音

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第一章

実現した伝承

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 暗闇から、ゆっくりとした歩調で歩いてくる何者かの足音が聞こえてくる。
 仄かな青い光と、鈴の音も変わらず聞こえてきていた。
 その人物が暗闇の中から徐々に姿を現し月明かりの届く場所まで現れると、先導しているかのように釣り竿のような物の先に付いた人魂のような灯りを持った鼠と、立派な二尾の尾を持った人狼、阿魅雲羅《あみうら》が姿を現す。
 獲物を狙う狼その物のような鋭い目つきは、真っ直ぐに冴歌を捕えている。

「……っ」

 冴歌は、射すくめられたかのように身を固くし、背筋にゾクッとした寒気を覚えた。と、同時に信明は更にきつく抱きすくめて来る。

「大丈夫だ。奴に我々の姿は見えるはずがない」

 信明は小声でそう呟きつつも、額から汗が流れ落ちている。

 百鬼夜行に参列していた下級妖怪達には、二人の姿は確かに見えていなかった。しかし、こちらに近づいて来ている阿魅雲羅は妖怪トップ2を誇ると言われている人物だ。もしかしたらこのまやかしが通じないかもしれない。
 そんな一抹の不安が拭いきれない様子だった。

 阿魅雲羅は一歩一歩地面を踏みしめながらこちらに近づいてくる。そして、冴歌達の目の前に立ちはだかり、月明かりを背後に受けてギラつく眼光をこちらに注いでいた。

(……どうか、気付かれませんように!)

 冴歌は祈る思いで父にしがみつき、再び息を潜めた。

「……鉄鼠てっそ
「へぇ」

 阿魅雲羅は低い声で、傍に控えていた鼠に声をかけた。
 声をかけられた鼠が彼を見上げると、阿魅雲羅はじろりと視線を下げる。

「何か気配がするな……」
「気配、ですか?」
「あぁ……これは、人間の気配だ」

 その言葉を聞いた瞬間、冴歌も信明もサッと顔を青ざめ互いに体が硬直する。

 もしかしたら、彼には自分たちの姿が見えているのだろうか? だとしたら、今は彼に立ち向かう術は何もない。
 覚悟を決めなければいけないのだろうか……。

 信明は祈る思いで小声で呪文を唱え続け、冴歌は手が痛むほど強く父の着ている服を握り締めている。

 阿魅雲羅はぐっと腰を折り、父にしがみ付く冴歌の顔の側まで顔を近づけた。
 至近距離にまで近づいた阿魅雲羅の鋭い目つきに、体が小刻みに震えた。
 息を完全に止め、思わず出そうになる声をも堪える為に唇をぎゅっと噛み締める。

「……だが、気配はするのにどこにもいない。どういう事だ?」

 その言葉に、信明は内心僅かな安堵を覚える。
 気配は感じられても姿までは見えていない。だとするなら、このままやり過ごせれば相手はどこかへ行くはず。

 今はただ、それを強く願うばかりだった。
 目の前にある恐怖の対象。

「阿魅雲羅さま。ここは人間の世界です。我らの世界とは違い、人間が溢れかえっているのですから、人の気配があってもおかしくはないですよ」
「……」

 鉄鼠の言葉を聞いた阿魅雲羅は、しばし見えない冴歌の存在を睨みつけるように見つめそして顔を上げる。

「確かにな。誰もいない以上ここに長居は無用だ。先に出た妖怪たちの様子を見に行く。お前は一足先に情報収集に迎え」
「御意」

 鉄鼠は人魂と一緒にヒュッと暗闇に消え、この場を後にする。
 阿魅雲羅は冴歌達に背を向け、もう一度視線だけを背後に向けた。

「帝釈天の血を引く人間どもを、根絶やしにしてくれる……」

 不敵に笑いながら唸る様に呟いたその一言が、吹く風に流されていく。
 阿魅雲羅の長い髪がその風になびき、闇に溶けるように彼はその姿を消したのだった。

 誰もいなくなり、再び静まり返った道場。
 それまで抱き合っていた冴歌達はようやく安堵の長い息を吐き、痺れるほどに力を込めていた体中の力を抜いてその場にへたり込んだ。

「……た、助かった」

 心底安堵した信明が、力なく呟く。
 咄嗟の父の機転が無ければ、今頃自分はどうなっていたか分からない。

「あ、ありがとう、ございます……お父さん……」

 冴歌は膝の上に置いた手が、ブルブルと震えているのを見つめながら信明に礼を言った。
 信明は空に浮かぶ月を見上げ、もう一度深いため息を吐く。

「長い間何もなかったと言うのに、まさか実現するだなんて……。月食が終わって、また月が元に戻り始めた。妖怪たちは現世と繋がった道を伝ってこちら側へ来てしまったか……。これからいろいろと厄介な事が起きるかもしれない」

 力なくそう呟いた信明の言葉に、まさか本当に伝承が今現実のものとして起きるとは思わなかった冴歌も顔を俯かせた。

 もしかしたら自分はあの時の夢の続きを見ているのじゃないかと、自分が楽になる方へ勝手な解釈してしまいそうになるが、現実に起きてしまった以上夢とは言えない。

 百鬼夜行とあの人狼は一体どこへ行ったのか。
 そう考えた時、冴歌はハッとなって顔を上げた。

「お、お母さんとおばあちゃんは?」
「あぁ、二人なら大丈夫。あらかじめ二人の周りに結界を張っておいたから、見つかってないはずだよ」

 緩く微笑む父に、母と祖母の無事が分かり冴歌はホッと胸を撫で下ろした。

「お父さん……。あの妖怪たちは、一体どこへ?」

 不安げに視線を上げてそう聞き返すと、信明はいつになく真面目な顔で頷き返した。

「その話をこれからしよう。まずは居間へ移動しようか」

 まだ震えの収まらない体を支え起こされ、冴歌と信明は道場を後にし先ほどまでいた居間へと移動した。



               ******



「伝承が現実の物となったね」

 居間へ行くと百鬼夜行が通過した事で部屋の電気の一切が落ちて、真っ暗闇だった。
 あらかじめ用意してあった蝋燭を机の上に立てて、戻ってきた冴歌たちを祖母が重々しい言葉と共に出迎えた。

 四人は食卓を囲む時と同じ位置に座り、顔をつき合わせる。
 風が吹いて窓がカタカタと鳴る音を聞きながら、冴歌はおもむろに口を開く。

「さっきの百鬼夜行はどこへ行ったんですか? それに、あんなに沢山の妖怪が現れて、今後どうなるんですか?」
「その話の前に、少しあたし達の事について話をしておく必要があるね」

 頼子は真剣な表情でそう切り出すと、冴歌に向き直り一度すっと息を吸い込んだ。

「冴歌にはまだ言っていなかった事だけどね。あたしらは“かぐや”の血を引いているんだよ」
「かぐや? かぐやって、あの御伽噺のかぐや姫の事、ですか?」
「あぁ、そうさ。今は御伽噺の一つとして日本中に知れ渡っている話だけどね。かぐや姫は実在していたんだ」

 あまりにも突拍子も無い話に、冴歌の眉間に皺が寄った。
 かぐや姫の話を知らない訳じゃない。小さい頃から母親に本を読み聞かせてもらっていた。だから単なるフィクションにしか過ぎないと思っていたのだが、あの話が本当の事だと言う祖母の言葉が俄かには信じられない。

「まさか、そんな事……」
「そう思うだろう? だけどね、これは真実なんだ。かぐや姫の存在をあたしら人間は忘れちゃいけない。だから御伽噺として日本中に広めたんだ」

 忘れちゃいけない。その言葉に、冴歌は首を傾げた。
 頼子は夕食後、倉にしまい込んであったかぐや姫に関する古い書物を持ち出しており、冴歌の前にそれを開いてみせる。

 大昔に書かれた書物はあまりにも脆く、力の加減を少しでも間違えればすぐに破れてしまいそうな危うさがある。そんな紙に墨でかかれた文字は冴歌には読めないものがほとんどだが、頼子はすらすらとそれを読んでいく。

「かぐやが月へ帰ってほどなく、地球での育ての親が妖怪達に殺された。その事実を知ったかぐや姫は怒り狂い、修羅界と現世への道を唯一繋ぐ最も大きな満月の時を見計らい、もう一度地球へ戻って全ての妖怪たちを封じたとある」
「その話が真実だとしたら、かぐや姫の血を引いている私達にも、その……妖怪を封じる力が備わっている、と言う事ですか?」

 物分りの良い冴歌に、頼子はニッと笑って大きく頷いて見せた。

「ご名答。月へ戻ったかぐやは、自分と同じ力を持つ三人の愛娘の内の次女を地上《ちきゅう》へ下ろし、その血を細々と受け継がせた。なぜなら、またいつ妖かしが地上にはびこるか分からないからね。その時のために娘を、属に言う人柱としたのさ。その次女の血をあたしらが色濃く引き継いで今に至っているんだよ」
「……だから、妖怪たちから見たら自分達を封じる力を持った者は厄介だと?」
「そう。だがそれだけじゃない。更にややこしい事に、かぐやは天の神である帝釈天の血を引いているんだ」

 あまりに途方も無い話に、冴歌は眉根を寄せる。
 全てが作り話のように思えて仕方が無いのだが、頼子が見せる古書に書き残されている以上、事実なのだと受け入れるしかない。

「帝釈天にはどう言った関係が……?」
「大昔、妖怪たちを束ねる阿修羅と帝釈天の間に拗れがあったんだ。もともと阿修羅は天族に属していて、阿修羅は自分の娘を帝釈天に嫁がせたいと思っていた。が、思ったようにいかず、帝釈天は阿修羅の怒りを買う事になってしまった。その後、阿修羅は地獄に近しい場所まで堕ち、復讐に生きている」
「つまり、その帝釈天の血を引くかぐやと、そのかぐやの血を引く私達は、無条件に阿修羅王や妖怪たちから憎まれている……と言うことですか?」

 そう聞き返すと、頼子は大きく頷き返した。
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