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2章

88.正当な婚約者

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 婚約者だと名乗ったロンダルクは、戸惑うアルティーティを馬車へと誘った。

 アルティーティとしては一目散に逃げ出したかったが、「おねえ様、騎士みたいな格好だけどもしや……」とネルローザに気づかれてしまったからには仕方がない。人目につく大通りの真ん中で正体をバラされるよりは、馬車の中で糾弾される方がマシだ。

 馬車の中は外観と同じく豪華で広い。とはいえ、同じ空間にネルローザがいるとそれだけでアルティーティは身の縮む思いだった。

「アルティーティ、ずっと探してましたよ。いきなり家を出たって聞いてから、私はずっと生きた心地がしませんでした。ああ、今も夢のようです。顔を見たいですがこの目ではもう、君の美しさを見れないのが口惜しい」

 隣に座ったロンダルクが、アルティーティの存在を確かめるように手を撫で続ける。

 久しぶりの再会とはいえ、異性アルティーティとの距離の近さに驚いたが、実は彼は目が見えないという。流行り病で視力を失い、両親も失ったとか。固く閉ざされた双眸は、病で白濁した瞳を見せないためだとネルローザが懇々と説明してくれた。
 辺境伯としては最年少の12歳で家督を継いだためか、現在20そこそこの彼は同年代より落ち着いて見える。目を閉じているおかげで感情を悟られにくいのもあるだろう。

 その彼が言うには、アルティーティが行方不明になった後、すぐにでも探したかったが自身の治める辺境伯領と接する共和国と緊張が高まり、動くのが遅れたこと。

 その後、捜索に人を割いたものの手がかりすら掴めなかったこと。

 何度も諦めかけたが、きっと生きていると信じここまでやってきたこと。

 つい先日、同じ枢機卿のよしみで招かれたパウマの夜会で偶然アルティーティを見かけたこと。

 そしてアルティーティがジークフリートの婚約者として名前が挙がっていることを知っていると言うと、ロンダルクは柔らかく笑った。

「長らく婚約者のいないリブラック卿には悪いことをしました。見初めた相手に婚約者がいたなど、貴族の世界ではよくあることです。傷は浅い方がいいですし、すぐに解消してもらえるようこちらからも書簡を送りましょう」

「ま、待ってください……! わたしが閣下と婚約してたなんて、お父様からも聞いたことがありません……!」

「閣下だなんて。どうかロンダルクと呼んでください。そうですよね。君はその時幼くて、お父上も『最初は友人のひとりとして紹介させてくれ』とおっしゃっていましたよ。だから君が知らなくても無理はありません」

「で、でも男爵の娘と辺境伯なんて……家格がつり合わないんじゃ……?」

「それに関しては卿もでしょう。聞きましたよ。君を平民として受け入れると。高位貴族が平民を娶るなんて、辺境伯家に男爵令嬢が嫁ぐよりあり得ない。逆を言えば、それが許されるなら私たちの関係も許されるということです」

 ロンダルクに悉く論破されてしまい、アルティーティは口をつぐんだ。

 彼の弁は論理的で淀みない。ひとつひとつが婚約者として正しいことを言っている。
 彼にとって、ジークフリートとの婚約は間違いなのだ。婚約を解消し、ロンダルクと結婚する。それが元々の正しいあるべき姿だという。
 そもそもジークフリートとは契約結婚なので正しい正しくない以前の話でもあるが、そこは言うべきではないだろう。

 偽りの婚約者であるジークフリートとの婚約を解消する。そう言われ、何故こんなにも自分は動揺しているのだろうか。必死だったアルティーティにはそこまで考えることはできなかった。

 それまで冷ややかな視線を送っていたネルローザが口を挟んできたからだ。

「ネリィわかっちゃった。ロン、おねえ様はきっとジークフリート様のことが心配なのよ」

 不意にかけられた恐るべき相手の言葉に、アルティーティは肩をびくりと震わせた。その反応に、ネルローザのふくよかな唇は満足げに弧を描く。

「だってそうでしょ? ジークフリート様は昔婚約者を亡くして以来ずっと独り身。お付き合いすらしてない。その元婚約者の人が好きで誰のことも好きにならない覚悟じゃなきゃそんなことしないじゃない? そんな人がわざわざこんな陰気で不吉な見た目のおねえ様を奥さんに迎えようとする? きっとおねえ様はそんなジークフリート様に同情して婚約者になって。ジークフリート様もおねえ様の境遇に同情して婚約して。ね? そうでしょ? というか無理やり婚約させられたんじゃない?」
「そうなのですか? アルティーティ」
「それ、は……」

 唇が震える。

 冷静に、客観的に見ればネルローザの言う通りなのだ。『魔女の形見』の自分を誰が好き好んで娶ろうというのか。

『昔、お前に助けられたことがある』。ジークフリートはそう言った。本人がそういうならそれは事実なのだろう。婚約相手がアルティーティでなくてはならない理由でもある。

 しかし、果たしてそれだけで結婚という大きな決心をするのだろうか。相手への感謝以上に境遇への同情はなかったのだろうか。

 契約結婚だからこそ、ネルローザの言うこともまた理解できてしまった。

 そもそもアルティーティが契約したのも、女であることを黙っておいてもらうためだ。そんな打算から始まった契約だ。同情どころか何の感情もなかった。実際自分も、最初はこの契約には何か裏があると疑っていたのだ。

 それなのに、ネルローザから同情でもなければ婚約しないと言われた衝撃はことのほか強い。胸を抉られるような痛みすら伴う。そんなことないと強く否定したくなる。

 憐れみの目で見られても今まで気にしなかったというのに、どうしたことだろう。他の誰でもなく、ジークフリートがそう見ていると言われると言葉を忘れるほど動揺した。

 アルティーティが押し黙ったのを肯定と受け取ったのか、ネルローザの笑みが深くなる。

「ほらね。ネリィはなんでもわかるんだから」
「なるほど、ネリィは素晴らしいですね。アルティーティ、卿のことは心配しなくていいですよ。私が新しい婚約者候補を紹介して差し上げてもいいのですから」
「か、閣下……わたし、は」
「そぉだ! ネリィ、いいこと思いついちゃった」

 嬉々として手を合わせたネルローザは、目を細めてアルティーティを見下ろした。幼い頃から変わってない。かつてアルティーティの髪を不吉だと言って剃り上げた時と同じ笑い方だ。

 嫌だと泣き叫ぶアルティーティを押さえつけ、笑いながらハサミを動かしていた彼女の姿は騎士となった今でも忘れられない。恐怖で身体が打ち震える。嫌だと言いたいのに、声すら出ない。

 顔面蒼白のアルティーティに、ネルローザはにぃ、とさらに残酷に笑った。

「ネリィとおねえ様を取り替えっこすればいいのよ」
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