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2章

87.木陰の風

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 エルディール王国において花祭りは特別な祭りだ。

 魔女との死闘を勝利した初代国王が、聖女の墓に白い花を手向けたことに由来する。墓前で国を立て直すと誓ったとも言われているため、元々は建国祭と呼ばれていた。

 前述の逸話から派生して家族や友人、恋人に花を送り合い感謝や愛を伝える日と現在ではなっている。

 国にとっても国民にとっても特別な日なのだ。

 その特別な日のために、騎士が準備に駆り出されるのは毎年のこと。

 街路樹には造花で装飾がなされ、花祭りに備えて育てられた色とりどりの花がそこかしこの軒先に飾られている。
 花のアーチなどの大掛かりなものもあるが、王族が控える壇上などの重要性や機密性の高い場所は騎士や文官たちが担っていた。

 そんな中、アルティーティはカミルやヴィクターと共に大通りの整備のため第三区画に来ていた。
 各区を結ぶ重要な道であり、祭り当日は王族の乗る馬車が通る予定になっている。重要中の超重要な場所だ。ジークフリートや他の隊員たちも別の区画の大通りを担当している。

 第三区画は第四区画よりも前にできた貴族街だ。真新しい店や貴族の邸宅が並び華やかな第四よりも比較的落ち着いた雰囲気がある。通行人より馬車が多いからだろうか。第四区画にあった井戸端会議をする婦人方や駆け回る子供らなどの姿は見えない。

 街灯に国旗をつるしながら、アルティーティは少し懐かしい思いに浸りつつ鼻歌を歌っていた。

 ストリウム家の邸宅は第三区画にあった。   
 といっても、大通りからかなり遠い。先々代が男爵に引き上げられた当時、貴族としては新参のストリウム家がやっと買えたタウンハウスがそこだったという。

 遠いはずのここが懐かしいのは、塔からいつも眺めていたからに他ない。

 周辺に高い建物がなかったせいか、遠くからでもよく見えた。あの時見た賑わいや、白っぽい石造りの道が目を引く。
 特に、花祭りの日は継母も異母妹もパーティーに行くためいつも留守だった。当然アルティーティは留守番で、塔の上から街の賑わいを眺めてため息を漏らしていた覚えがある。

 とても苦い思い出ではあるが、憧れがあったのは確かだ。それを今感じられる喜び。それ以上に、花祭りが単純に楽しみだったりもする。
 覚えている限りでは、祭りには初めて参加する。旅をしていた時も花祭りをしている主要都市に立ち寄ったことはない。噂で聞く程度だった。

 当日は警備があるが、それでも楽しくならないわけがない。
 魔力操作訓練はダメダメで、昨夜の夢見も良くなかったが、こうやって徐々に鮮やかになっていく街並みを眺めるとそんなことも忘れてしまう。

(あーどんなお祭りなんだろう。出店もたくさん出るみたいだし、イベントもたくさん……休憩時間に回れたらいいなぁ)

「ご機嫌だねぇ」

 ピィ、と高く口笛を吹くと、梯子の下からカミルに声をかけられた。どこかの店で買ってきたのか、手には木のコップいっぱいに注がれたジュースがある。
 カミルは梯子を押さえるヴィクターにそれを差し出すと、アルティーティに向けても「ちょっと休憩しよ」とウインクしてきた。

「花祭りが楽しみでして」

 梯子を降りてコップを受け取る。なんともいえない果物のいい匂いだ。何種類か混ざっているのだろうか。赤みの強いオレンジ色のとろりとしたジュースだ。
 街路樹の根本に腰掛け、ちびちびと口をつけているとヴィクターが茶化すように聞いてきた。

「告白でもする予定があんのか?」
「告白? いやそういうのはないけど、なんで?」
「なんでってそりゃオメェ、花祭りっつったらそういうもんだろ。知らねーのか、平民なのに」
「え、ええと……」
「アルトは片田舎の小さな村出身らしいから、その辺の慣習はないんじゃないかな」
「そ、そうそうっ! そうなんだよ! ぼ、ボクの村じゃ花を飾るくらいしかしてなくてさ」
「ふーん……オレんちの方でもあったがなぁ。ド田舎の村ってそんなもんなんか」
「そ、そういうもんだよ。お、王都はイベントもたくさんあるんだろ? いやー楽しみだなぁ」

 乾いた笑いを浮かべつつカミルに視線を送りつつ小さく会釈すると、親指を立てて笑い返された。

 アルティーティの正体を知っている彼は、時折、いやごくたまに気が向いた時にこうして助け舟を出してくれることがある。ありがたいことこの上ない。

「イベントといえば、今年の剣術大会は隊長出るんスね」

 ヴィクターの声が弾んでいる。よほどその剣術大会にジークフリートが出場することが嬉しいらしい。
 カミルも思い出したかのようにうなずいた。

「あーそうらしいね。オレもつい最近知ってびっくりしたよ」
「え? なんでびっくりしたんですか?」
「毎年アイツ、騎士団の推薦があっても出場辞退してたからね。おかげでオレが毎年出る羽目になってねぇ」
「辞退ってなんでまた」
「出る意味がないって言ってたよ。まぁ遊撃部隊こんな仕事だからあまり目立つことはしたくないってのはわかるけど、それにしても、ねぇ」
「なんで今年は出る気になったんスかね?」
「さぁ? 好きな子でもできたんじゃない?」

(好きな人じゃなくて契約結んだ婚約者ならいますけどね)

 カミルの意味ありげなウインクに、アルティーティは苦笑いを浮かべた。

 ただカミルの言うこともわかる。

 パウマの夜会で、ジークフリートに婚約者ができたことを知った貴族たちは少なくはない。表向きは恋愛結婚で、貴族界隈にもそのように説明されている。その彼らの目を欺かなければならない。
 家まで用意する周到さだ。きっと今回の出場も、周りに向けてのパフォーマンスだろう。

 ひとり納得していると、彼女から思った反応を得られなかったのが残念だったのかカミルが肩をすくめた。

「まぁそれは冗談で、ほら、今年は隣国の王子様たちが何人か学園にご遊学中だから、うちの騎士強いでしょってところを見せたい国の思惑があるんじゃないかな?」

 国、ということは国王の意向か。王命ともなると流石のジークフリートも断れなかったのだろう。そんなことに王命を出す国王も国王だが。

(そういえば王様ってどんな人なんだろう。ちゃんと見たことないんだよね)

 この国の民、特に都市部ならば、一度は国王を見たことがある人間は多い。大きな式典の時や地方の視察などで挨拶することが多いからだ。

 旅先で一度、国王のことを聞いてみたことがある。悪い噂はなかったが、良い噂も聞けなかった。師匠曰く、『平凡な王』らしいが、非凡な師匠が言うことだ。平凡じゃない気がする。

 新人騎士の任命式にも来ていたが、成績順に並ばされ前に並んだ屈強な男子たちのせいでよく見えなかった。

 王子だか王女だかもいた気がするが定かではない。最後列にいたのだから当然のことだ。
 おかげで未だにこの国の国王のことはよくわからない。これから先、弓騎士という地味な後衛が国王に会えるタイミングは、勤続10年以上でもらえるという騎士爵の叙爵式くらいだろう。

「じゃあ休憩終わり。さっきの続きを、と言いたいところだけど、ヴィクターはオレと来てくれない? アルトはそのまま休憩しててくれていいからさ」

 カミルはにっこり笑うとヴィクターを連れて大通りの角を曲がっていった。

 姿が見えなくなると、アルティーティは小さく伸びをした。

 木陰の風が気持ちいい。最近は討伐やら発熱やら魔力操作やらで、なかなかゆっくりと時間を取れなかった。

 このままうとうとと眠りについてもいいかもしれない。
 昨夜は色のない上に少し怖い夢を見た。そのせいで変に目が覚めてしまったのだ。

 しかし変な夢だった。両親が出てきたのはまだわかるが、記憶に全くない人物が出てきたのだ。中性的で透き通った肌の少年など知り合いにいないし、いたとしても覚えている。
 その人物に触れられようとした時、夢とはいえ恐怖を感じた。誰に触られようと気にはしないし、まして夢だ。夢の中でどうされようと現実には影響はない。

 それなのにその少年に触れられると分かった瞬間、心臓を一気につかまれるような思いがした。

 誰だかわからない、記憶にもない得体の知れない人物だからだろうか。あの少年は──。

(なんだか頭が痛くなってきた……)

 アルティーティはズキズキと痛む頭をもたげ顔を顰めた。

 あの片羽蝶のネックレスを拾ってから時折頭痛がする。強く長く続く時もあれば、弱かったりすぐに治る時もある。
 目を閉じておけば少しましになるはずだと、顔を伏せながら「ちょっと疲れた……」とつぶやいた。

 その時だった。

「…………アルティーティ?」

 背後からかけられた声に振り返ると、ひと組の男女がそこに立っていた。

 アルティーティは息を呑んだ。

 声をかけてきたのは男性の方。真っ白な長髪が強い日差しを受けて銀色に光って見える。鼻筋の通った顔に柔和な笑みを貼り付けて佇む彼の双眸は、口元の笑みとは対称的に不自然なほど固く閉じられ、アンバランスな印象を受けた。

 この人を知っている。彼はあの夢の謎の人物だ。声色からしてそうだ。直感がそう告げていた。

 しかしそれ以上に、アルティーティが思わず後退りをしたのは女性の方だ。

 淡いピンクゴールドのふわふわ髪をツインテールに結び、どこかの茶会にでも出席したのか昼にしては派手な赤のラメ付きドレスを纏い豪華な馬車から降りてくる。

 天真爛漫なはちみつ色の瞳が、その甘さに反してアルティーティを鋭く睨め付けている。小さくふっくらとした唇が「おねえ様」と短く暗い響きを奏でた。

 それが異母妹いもうと──ネルローザ・ストリウムであることは、そのつぶやきを聞くまでもなくわかる。幽閉されている間ずっと、今と同じように侮蔑を込めた瞳で見られていたのだ。
 その目で見られたら最後、石にされたように体は動かなくなり、罵倒の嵐が過ぎるまで人形のように心を無くすしかない。

 今も同じように。

 だからだろうか。夢の少年だった彼が手を握ってきたことに反応が一瞬遅れた。

「やっぱりアルティーティだ!」
「あ……あな、た、は……?」

 ネルローザから目を離すことなく、笑いかけてくる彼に問う。

「覚えてないのも無理はないですね。私はロンダルク・ガレンツェ。あなたの婚約者ですよ」

 婚約者、と驚き固まるアルティーティのすぐ横を、風が逃げるように通り抜けていった。
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