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2章

75.彼女の強さを

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【ジークフリート視点】



「いやぁ~よかったねぇ~推薦してくれることになって」

 にっこりと笑うルーカスを、何を白々しく、とジークフリートは恨めしげに睨みつけた。

 元々、夜会で目的を達したら早々に帰るつもりだった。

 夜会という慣れない環境。加えて『魔女の形見』への好奇と敵意の視線に、アルティーティを長時間晒したくなかった。

 それがシルヴァ家の三女だとかいう変な女に時間を取られた。アルティーティへの礼を失した態度に、はらわたが煮え繰り返ったのはいうまでもない。

 早く帰ってアルティーティを休ませてやりたかったというのに。

 そもそも、だ。

「……パウマ卿と懇意ならば、わざわざ夜会で彼女を試すような真似をしなくてもよかったのでは?」

 隠しきれない苛立ちが、声色を低くする。手心を加えればなんとでも結果を捻じ曲げられるようなテストを課したルーカスに、ではない。それを了承してしまった自分に、だ。

 しかしルーカスは気づかない様子でへらりと笑った。

「そこはほらぁ~、雰囲気出し? みたいな」
「……兄上は俺の婚約を面白がってません?」
「んん~どうだろうねぇ~」
「彼女に何かしたら、いくら兄上でもただじゃおきませんが」
「おお、騎士様に凄まれると怖いぃ~私ただの領主なのにぃ~」

(こんなヘラヘラした領主が他にいるか)

 思わず悪態をつきそうになった口を閉じると、ジークフリートは腕を組んだ。

 外は暗く、時折街灯の光が馬車の中を差すが、それだけだ。夜会の間見えていた月は、分厚い雲に覆われてしまったのか、どこの空に浮かんでいたのかすらわからない。

 前を進むアルティーティの乗る馬車が下げたランタンが、チラチラと揺れるのをジークフリートは目を細めて眺めていた。

「でも、今日は色々わかっちゃった。我が弟はアルティーティ嬢を信頼していないってこと、とか」

 あまりの言葉に思わず兄を見ずにいられなかった。
 ルーカスは変わらず、腹の底も手の内すらも見えない笑みを浮かべている。昔からそうだ。ヘラヘラとしながらもその細い眼はちゃんと見えている、否、見透かしている。

 だが信頼してないと断言されるようなことは何もなかったはずだ。少なくとも、弓騎士としての彼女の実力と、ここ数日の彼女の努力は評価しているつもりだ。

 ジークフリートは努めて冷静に口を開いた。

「……そんなことは」
「じゃぁなんであんなに急いで彼女の元に向かったのかなぁ~?」
「それは……変な輩に絡まれていたら追い払おうかと。デビューしたての令嬢を狙う人間は男女問わずいるようですし」
「うんうん、我が弟は過保護なんだねぇ~。逆に言うと、それは彼女がうまくあしらえないだろう、できるわけがないと思ってるってことだよねぇ~」

 核心をついた、しかしトゲのある言い方に、ジークフリートも険しい顔にならざるを得ない。言った本人は変わらずヘラヘラと言葉を続ける。

「彼女は多分、お前が助けに入らなくてもなんとかしようとしてたんじゃないかなぁ~?」
「それは兄上の想像では?」
「いいや、そうでもないと思うなぁ~。それは近くにいるお前の方がよくわかってるんじゃない? 彼女、守られるだけってタイプじゃないと思うけどぉ~」

 にっこりと笑ったルーカスを前にジークフリートは押し黙った。

 たしかに、思い返せばアルティーティは守られるだけの女性ではない。むしろ厄介ごとに首を突っ込み、巻き込まれ、時に力技でなんだかんだ解決する。そんなタイプだ。

 わかってはいる。だからこそ三女の噂を聞いたとき嫌な予感がしたし、実際絡まれてもいた。彼女の元に急いだのも助けるため、と言えばそうだ。

 だがその行動を、目の前の兄は必要なかったとバッサリ切り捨てたのだ。

「最強の騎士。ジークフリートがそう呼ばれてるのは知ってるし、実際誰よりも強いんだろうねぇ~。そのおかげで周りから信頼を得ているのも知ってるよ。人気だってある。見合いの釣書なんて山ほどきたしぃ~」

 手を目一杯広げて見せておどけて見せているが、あながち嘘でもない。大量の釣書を見たくなくて一時期帰省しなかったほどだ。寮があってよかったとあの時ほど思ったことはない。

 だが、その話とアルティーティのことは関係ない。彼女のことは兄よりもわかっているつもりだ。
 迂遠な話に、腕組みの隙間から出た人差し指が、トントンと小刻みに腕を叩く。

「だけど、お前は強いからこそ、他人の力を信用できてないんだよ。他人に任せるより自分がやった方が確実だから。さっきだってそうさ。彼女が危ないと思ったら飛び出していっちゃった。あんな焦って飛んで行ったら、周りから『アルティーティ嬢がジークフリートの弱点だ』と知らしめるようなものだよぉ~」

 まぁ皆概ね好意的に見てたけどねぇ~若いっていいねぇ~って、とニヤニヤしながら言われ、反応に困ったジークフリートは顔をしかめた。

「そりゃ最初は手を出してもいいかもしれないけどさ、それがずっと続くとなると、彼女がひとりで誰も助けてもらえないような状況だった時、困るのは彼女なんじゃないかなぁ~?」
「では……兄上は放っておけと?」
「んー……放っておくとかそういうことじゃなくて、ね。相手を信頼して任せて……言い方少し悪いかもしれないけど、成長する機会をあげないと、これから先自分も相手も辛いことになるんじゃないかなぁ~って思うんだよねぇ~」
「…………………………」

 今度こそ、ジークフリートは黙り込んだ。

 図星だ。

 元婚約者を守れなかった彼にとって、強くなることは必然で必要だった。強くなればあんな悲劇は起こらない──未熟ながら導き出した答えだ。

 実際、力をつければつけるほど守り助けられることが増えた。周りからの信頼も得られるようになった。アルティーティのことも必ず守ると心に決めている。

 だが、時折ふと思う。もし、守れなかったら。

 これが正しい道だと決め、進んだ道だ。そこに後悔はない。

 しかし強くなっても不安は消えない。まだ足りない、と鍛錬を積む毎日だ。それでもアルティーティが目に届くところにいなければ、自分の強さは意味がない。

 守るためにそばにおく。逆に言えば、そばにいなければ守れない。

 脳裏に掠めるのは守れなかった元婚約者の虚な瞳。あの目をアルティーティにはさせるわけにはいかない。彼女が強くならなくても、自分さえ強ければ。

(……わかってる。俺の、ひとりよがりだ)

 曇ってきたのか、窓の端で揺れているランタンの光も心もとない。

 難しい顔のままのジークフリートに、ルーカスはクスっと笑いかけた。

「まぁ、私が個人的に思ったことであって、それをどうするかはお前次第だよ」
「………………信頼を、得るにはどうしたらいいでしょうか」

 彼女の、という言葉を飲み込んだはずが、上擦る声にルーカスの顔が意地悪げな笑みに変わる。

「やだ、ジーくんが私を頼ってくれてる……! こんなの久しぶり……!」
「……聞かなかったことにしてください」
「あはは。冗談冗談。弟に頼られるのが嬉しくてねぇ~」

 へらりと笑われると脱力感に見舞われる。

 彼は人をからかうのが趣味みたいなものだ。
 そう理解していても、やはり真面目な話の合間に冗談を差し込まれるのはついていけない。話の緩急の付け方が極端すぎて、親しい間柄以外の人間は彼と話すのに苦労するだろう。

「そうだねぇ~。私なら彼女の好きなようにさせるけど……ジーくんには難しいかな。信頼ってのは関係なく、騎士の性質さがってやつのせいで放っておけないみたいだしぃ~」

 意地悪い冗談はまだ続いていたらしい。顔を覗き込んでくるルーカスに、ジークフリートは目を瞑った。

「会話、してみるといいかもねぇ~」
「……会話ならしてますが」
「んーまだ足りないと思うよ。今日だってお前、彼女に綺麗だとも言ってないでしょ? 可愛らしかったのに。お前がそんなだと横から掻っ攫われちゃうよぉ~」

 笑顔でばっさりと切られ、ジークフリートは閉口した。

 綺麗だ。確かにそう思った。他の令嬢には社交辞令で言えていた言葉を、彼女にだけは心の底から思っていたのに言えなかったのは何故だろうか。

 掻っ攫われる、と言われて一番に思い浮かんだのはヴィクターだ。あれが一番アルティーティと仲がいい。あいつが絡んだ時の何も考えてない笑顔を思い返すと何故かムカムカしてくる。

 いや、掻っ攫われても、そいつがアルティーティを守り切れればそれでいい。なにせ自分は兄から見て、お互いに信用し合えてない間柄だ。それならば彼女が心底信頼できる相手に守られる方がいい。

 そう思っていたが、ヴィクターの横で笑うアルティーティを思い浮かべると、面白くない。アルティーティを掻っ攫うか、ヴィクターをどこぞの部署に異動させたくなってくる。もちろん、そんなことは絶対にしないが。

「君は彼女を常に助けないといけないくらい弱い女の子だと思ってるし、彼女は君に遠慮してるのか一歩どころか五歩くらい引いてる。少なくとも私にはそう見える。お互い本心をさらけ出してない。さらけ出せない」
「本心は……」

 言えない。言えるわけがない。

 言い淀むジークフリートを前に、ルーカスは呆れたように苦笑した。

「助けに向かうのは構わない。それがお前だ。仕事でもある。立派だよ。でも常に助けるなんて無理だ。だからお前は、彼女の強さをほんの少しでも信じるべきだ。信じ合うためにもお互いをもっとよく知った方がいい」

 珍しく大真面目な口調で言われると、本当にそれが必要なことだと思えてくる。

 いや、実際そうなのだろう。彼女の芯の強さを認識しているものの、どうしてもそこに自分が守らなければというエゴが邪魔してくる。

 先ほどもそうだ。シルヴァ家の三女とやり合ってた場に声をかけた時、アルティーティが一瞬安堵の表情を見せたことに、変な話だがホッとした。
 彼女がとりあえず無事だったことに加え、自分がたった一瞬でも彼女に安心感を与えることができたという充足感。しかしそれらは兄に言わせれば、成長を阻害する足枷でしかない。

 彼女のことを信じていないわけではない。弓の技術は右に出るものがなく、家族から追放されても生き抜く肉体的精神的な強さは信じられる。信じているつもりだ。

 騎士同士ならばそれで十分だ。男女間では不十分でも、契約結婚となれば定めた契約をお互い守っていればそれは信頼に値する。

 しかしながら、自分ではそう思っていても、相手や周りはそうは思わない。そこを邪な人間につけ込まれないとも限らない。

 この先、騎士の妻としても騎士としても危険なことに出くわすだろう。その時に、手が届かないところに彼女がいたら──自分はどう動くのだろうか。信じていたら何か変わるのだろうか。
 守り、助けることしか考えてなかったからか、全く想像がつかない。

(……自分の迷いも含めて、話し合えということか……)

 ジークフリートは窓の外に目をやった。前を行く馬車のランタンはほとんど見えず、街灯の光がやけに主張してくる。

 眩さに思わず顔をしかめていると、ルーカスがのぞきこむように尋ねた。

「ねぇ、本当に言わなくていいの? あの時の騎士だよぉ~って」

 『あの時』がどの時なのかは、考えなくてもわかった。
 こんな時、兄がどんな顔をしているのかさえもわかる。ジークフリートは視線をわずかに落とした。

「……それは、彼女に余計な気を回させることになりますから」

 嫌なのに結婚しなければならない、恩を感じなくてはならない。彼女の性格上、多少嫌なことでも受け入れてしまうだろう。

 もしこの先、彼女が騎士を辞めたいと思った時、想い人ができた時、彼女に二の足を踏ませることになりはしまいか。

 それ以前に、『あの時』母親を助けられなかったジークフリートと結婚することに対して、悩み苦しむことになりはしまいか。

 事実を知ってアルティーティが辛い思いをする。ならば知らなくていい。名乗り出るつもりはない。

 口をつぐんだジークフリートの様子に、ルーカスは長いため息をついた。

「……ま、ジーくんが決めたならいいけどねぇ~。これから夫婦になるなら、なんでもいいから少しは話すようにした方がいいんじゃないかなぁ~、なぁんて」
「兄上」
「ん? なぁに?」
「そろそろジーくんはやめてください」
「えぇ~……ダメ?」
「ダメです」

 ケチぃ~、と子供っぽく口を尖らせたルーカスを横目で見ると、ジークフリートはもう見えなくなった揺れるランタンを想った。

(信頼か……長くかかりそうだな……)

 人知れずため息をついた彼は、雲行きの怪しい空を見上げながらそんなことを物憂げに考えていた。

 だが彼はまだ知らない。アルティーティが今、自分との契約が破棄されると思っているということを。
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