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2章

52.押し付けるべきではない感情

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【ジークフリート視点】





(俺、いま何言って……?!)

 かわいい。

 たしかに今まで彼女に対してそう思ったことはある。しかしそれは幼少の彼女を知っているからだ。
 幼い頃と比較して大きくなった、大人になったなと思う、いわば遠い親戚のような目線である。そしてそれを今まで一度も口にはしていない。

 17も年上の男にそんな感想を漏らされて、嬉しい女性はいないだろう。その相手が大して好きでもない契約結婚の相手なら尚更だ。

 だが今、口走りそうになった「かわいい」は、どうも意味合いが違う。

 口元を押さえたままのジークフリートは、アルティーティをゆっくりと見下ろした。

 前髪の隙間から懇願するように潤んだ瞳。

 濡れたワインレッドの瞳が扇情的に揺れ動き、呼吸をするのも忘れた。

 シミひとつない頬が綺麗なピンク色に染まり、これにもまたかわいい、と感想を漏らしかける。

 抱きつかれた身体越しに、やっとわかるほど線の細い、しかし柔らかくしなやかな身体が強張るように震えた。

 馬と戯れたせいか、草原の爽やかな匂いが強い。その中にほのかに彼女特有の甘い香りがふわりと漂い、ジークフリートの鼻をくすぐる。

 年齢や立場が、ぐらりと揺れるような感覚に酔いそうだ。

 女性に感じていた嫌悪など微塵もない。状況は全く同じ、体を押し付けられているのに振り払いたくなるような衝動もない。

 むしろこの小さなぬくもりが心地良い。
 先ほどまで感じていた焦燥感も、嘘のように消えていく。

 代わりに全身がどくり、と脈打つような感覚が止まらない。

(何なんだ……これは……)

 これまで感じたこともない衝動に、ジークフリートは困惑した。

 流されるべきか踏みとどまるべきか。そんなことも考えられないほどに、目の前のアルティーティに全神経が向いている。

 口から離した手が、吸い寄せられるようにアルティーティの頬に触れる。

 頬から伝わる熱がさらに高まり、ワインレッドの視線が戸惑いを深くした。

 なぜここまで、彼女の一挙手一投足に心を揺さぶられるのか。

 ただわかるのは、彼女から目が離せない。離したくない。この手も、頬も、……唇も。

 ジークフリートはゆっくりと顔を近づけ──。

「…………っ!」

 目の前でじわり、と滲む涙に、我に返った。

(何してんだ俺は……!)

 彼女を泣かせたいわけではない。衝動に任せてなんてことを。

 ジークフリートは顔をゆっくりと遠ざけた。アルティーティからは、戸惑い混じりの不思議そうな視線を向けられる。

 彼女は騎士であり続けたいがために契約結婚を了承したのだ。お互いの利害のためであって、情を交わしたかったわけではない。

 そのはずなのに、いま抱いている感情は真逆だ。

 女性との接触を避けていたというのに、彼女との接触は不快じゃない。むしろもっと、と求めてしまいそうになる。

 だがそれは迷惑だ。彼女は自分のものではない。これは押し付けるべきではない感情だ。契約結婚するならば、やり取りしていい感情ではない。

 ジークフリートは喉の奥まで出かかった言葉を飲み込み、深いため息をついた。

「…………かわっ……てるな…………とりあえず、離してくれるか?」
「……! す、すみません……!!」

 顔を真っ赤にして離れた彼女に、再び頬が緩みそうになったジークフリートは眉間のしわを深くさせた。

 
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