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1章

18.彼が探し求めていたもの

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【ジークフリート視点】





『母上……アルティーティの前で他の女性の話は失礼です』。

 ミレーラの言葉を慌てて止めた。

 我ながら大人気ない、とジークフリートも思った。両親もアルティーティも、困惑気味に口をつぐんでいた。さぞかし感じの悪い男だと思われたことだろう。

 だがそれでいい。

 これは契約結婚だ。お互いの利害が一致しただけ。相手の事情に深く立ち入るべきではない。そうアルティーティに思わせておきたかった。

 母親を思い出させたくないのもある。
 それに加え、もし彼女が騎士を辞めた時や── 万が一、彼がアルティーティを残して死んでしまった場合、すぐ次の人生を歩めるようにさせたかった。

『そういえば性格悪い上官がいたな』程度の存在で終われば、彼女も気が楽だろう。

 だからこそ、彼女にどう思われようが上官と部下の距離以上に距離を取る。そう決めたのだ。

 そう、決めたのだが……。

「隊長のご両親、いい方々でしたね」

 ドレスから着替え馬車に乗り込んでしばらく、アルティーティはそう話しかけてきた。

 日はまだ高い。馬車の外には全体的に白く整然とした街並みの中を、子どもたちが無邪気に駆ける様子が見える。

 わざわざこうして車窓を眺めていたというのに、どうしてこうも彼女は自分に話しかけてくるのか。

 いや、逆か。自分が何も伝えないから話しかけざるを得ないのかもしれない。今日のことも伝え忘れていた。
 伝達不足がよろくしないのは、戦場に何度も赴いた彼はよく知っている。

(距離を保ちながらの会話ならいいか)

 ジークフリートは車窓から彼女へ視線を移した。

「言っただろう。『魔女の形見そんなもの』なんて気にするような人たちじゃないと」
「それもそうですけど、なんていうかな。優しそうだったし隊長と大違……あ」
「…………」

 しまった、と口を押さえた彼女を無言で睨む。どうしてこうも思ったことをすぐ口に出すのか。

 美徳だとは言ったが、正直すぎる。本人もわかっているからこそ慌てて口を閉じたのだろうが。

 ジークフリートはため息をつくと、「そういえば」と口を開いた。

「お前こそ、バカ正直にを見せるとはな」
「バカ……いえ、結婚するならどうせそのうちバレちゃいますし」
「すでにバレてたかもな。調査していたようだから」
「はぁ……ですよね」

 アルティーティは肩をがっくりと落とした。その落胆ぶりに、思わずふっと笑いそうになる。

 素直すぎる彼女は、簡単に感情を表に出す。直情的、よく言えば表情豊かといったところか。そういえばカミルもそんなことを言っていた。

 騎士としてはいい傾向とは言えないが、思っていることがわかりやすい点では悪くない。

「……リブラックの情報網は広いからな。あまり気にするな。騎士団の奴らにはバレてないんだから」
「……ですよね!」

 ぱっと顔を上げたアルティーティの声は明るい。口元しか見えないが、きっと笑顔なのだろう、ということがわかる。

(まったく、面白いくらいコロコロ顔が変わるな)

 ジークフリートもつられて笑いそうになる。が、すんでのところで顔の筋肉に力を入れて止めた。

 どうにか距離を取ろうにも、彼女相手には気を緩めてしまう。昔会ったことがあるからだろうか。不思議なやつだ。

 ジークフリートが神妙な表情で固まったのを見て、アルティーティは座席に座り直した。

「隊員にバレてないならいいです。元々この結婚はそういうお約束じゃありませんか」
「……そうだな。にしてもなんで騎士なんかになろうと思ったんだ?」

 今度はアルティーティが固まった。

 考えてみれば、ひとりで生きていくだけなら死と隣り合わせの騎士にならなくていい。女なら尚更だ。

 わざわざ危険な職業を選んだことに、何か意味がありそうに思えた。

 返答を待っていると、アルティーティは口をもごもごと動かしこちらから見えないというのに視線を宙に浮かせてみせた。答えたくないらしい。

「……まぁ、いいたくなければいい」

 本当は聞いてみたい気もしたが、踏み込まれたくない部分があるのはお互い様だ。ジークフリートは再び車窓をつまらなそうに覗いた。

 馬車は郊外に差し掛かる。小川に陽の光が照り返し、ゆらゆらと優しく光っている。
 道なりにもう少し進めば騎士団の寮に着く。

 沈黙したままの車内で、アルティーティが「あ」と間の抜けた声を上げた。

「そうだ。隊長にお渡ししようと思って忘れてたものがありまして」
「……なんだ?」
「これなんですけど……」

 おもむろに懐から取り出したそれに、ジークフリートは再度硬直した。

 ──片羽の蝶のモチーフ。赤黒く、ネックレスとしてつけるにはあまりに禍々しい。白い手のひらにのせられたそれは、小さくも毒々しい光を放っていた。

 席から身を乗り出し、それを凝視する。「近いっ」とアルティーティはのけぞったが、彼の耳には入らなかった。

 気を利かせたプレゼントにしては悪趣味すぎる。見間違うはずがない。

 なんで、なぜそれがお前の手にある?

「お前っ……! これをどこで拾った……!?」

 さまざまな思いが脳裏をかすめ、ジークフリートは思わず声を荒げた。

「え? あ、ひったくりを捕まえた時に落ちたみたいで……」
「……あいつらか……」

 戸惑う彼女をよそに、ジークフリートは前髪をくしゃりと掴んだ。

 乗り出した体を元の座席にうずめる。疲労にも似た脱力感が全身に襲ってくる。無意識に歯ぎしりをしているのか、ギリ、と耳ざわりな音が聞こえた。

 同時に、もうひとつの一番恐れていた可能性に気づいた彼は、アルティーティをまともに見られない。

(もし、彼女がこれに気づいていたなら……マズい)

 顔色が悪くなってきたのが自分でもわかった。
 不機嫌とはまた違った苦悩の表情を、アルティーティは覗き込む。

「すみません、すぐに渡した方がよかったですか?」
「……いや、いい。それより……」

 首を横に振ったジークフリートは、ためらうように口を開いた。

「……お前、これに見覚えはないか?」
「これに、ですか? うーん……ないですね。気持ち悪いネックレスだなってくらいで」
「………………そうか……ならいい」

 きょとん、とした彼女の様子をじっと見つめる。嘘をついているとは思えない。そもそも嘘が下手なタイプだというのはあるが。

(よかった……気づいてはなかったか。ならば気づかれないよう事を進めなければならない)

 張りつめていた緊張の糸を解きほぐすように、ゆっくりと息を吐く。その様子を、アルティーティは不思議そうに眺めていた。

「……隊長……?」
「……疲れただろう。お前は先に寮に戻れ」
「隊長は?」
「俺は寄るところがある」

 馬車が寮の前に停まった。いぶかしむ彼女を寮の中に押しやり、ジークフリートは祈るように拳を額に押し付けた。

 見つけた。やっと、やっとだ。

 焦燥感と高揚感から、はやる気持ちを抑えきれず、ジークフリートは足早にその場を離れる。

 片羽の赤黒い蝶のネックレス──それは、彼の元婚約者、ブリジッタの亡骸が握っていたものと同じものだった。

 指の先が白くなるまで、ようやく手にした手がかりを握りしめた。
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