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5章.妹君と辺境伯は時を刻む

170.リーゼロッテは再会を果たす①

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 聖女の朝は暁の頃から始まる。

 入殿の時と同じく身を清めた後は、祈りの間と呼ばれる部屋で神に祈りを捧げる。

 特に魔力を込める必要もなく、ただじっと手を胸の前に合わせて国の安寧を祈るだけだ。

 それを陽が上り、城の中が侍女や兵たちで賑わい出す頃まで続ける。

 朝の祈りが終わってからは眠る前の祈りまで自由に過ごしていいことになっている。

 しかし、聖殿から出てはいけないのに加え、特に行くところもないリーゼロッテは自室にこもっていた。

 昨夜のマリーの様子が気がかりで、祈りの間で声をかけようと思っていたのだが、辺境の亜人の元に赴いているらしく不在だと言う。

(マリー様……ご無理をなさってなければいいのですが……)

 窓から中庭を見つめながら、リーゼロッテは今日何度目かになるため息をついた。

「やあ、お勤めご苦労様」

「テオ様……」

 ヘッダに通されたのだろうか、扉の前にテオが軽い笑みを浮かべながら手を振っている。

 しかしヘッダはそこにいない。

 テオが人払いをしたのだろうか。

「どうしたんだい? 浮かない顔だねぇ」

「それが……」

 リーゼロッテは促されるまま、昨夜の出来事を説明した。

 もちろん、マリーがテオに恋心を抱いていることは伝えなかったが。

 話を聞いた彼は口元に拳を当て、考え込む素振りを見せる。

「……マリーの具合が悪い、か。確かに昨日の食事の席でも少し腹のあたりを触っていたかな」

「はい……指摘をしたらすぐに帰ってしまわれたので、もしかしたらあまり触れられたくないことだったのかもしれませんが……」

「……念のために聞くけど、腹のどのあたりを触っていたか覚えていないかい?」

「ええと…………確か、おへそより少し左側……だったかと」

さいより左……」

 考え込んでいたテオの瞳がにわかに鋭くなる。

 その燃え上がるような真紅の瞳が一瞬、身震いするほど冷たく光り、リーゼロッテは小さく後退った。

 しかしすぐにいつもの軽薄そうな笑みを浮かべると、

「……なるほど、知らせてくれてありがとう」

 と、リーゼロッテに頷いた。

「いえ……あのそれで、今日はどう言ったご用件でしょうか?」

 彼の一時の変化に首を傾げながらも尋ねると、テオは思い出したように手を打った。

「……あ、そうそう昨日言ってたエルメンガルト様、到着したから案内したよ」

 どうぞ、と扉の方に声をかけるとしばらくした後、妖艶なハスキーボイスが聞こえてくる。

「やれやれ、王子様は人遣いが荒いのぉ……」

「エル様……!」

 血液を連想させるほど赤黒い長髪に、胸元がぱっくりと開き、身体のラインが強調された漆黒のロングドレスのエルが姿を現した。

 聖殿におおよそ不釣り合いな色合いの彼女は、リーゼロッテの姿を認めると駆け寄り抱き締める。

「リーゼロッテかえ? 見違えたのぉ、お主ちょっと見ぬ間になかなかいい顔をするようになったではないか。このような面妖な場所に一人閉じ込められてはさぞ寂しかろう。もう大丈夫じゃ、わらわが来た故」

「え、エル様、少し苦しい……」

 彼女の豊かな胸に押し付けられ窒息しかけたリーゼロッテは、くぐもった声を上げる。

「おお、すまぬの。そうそう、あともう一人連れてきたぞえ」

 さして気にしたそぶりもなく身体を離したエルは、背後にいる人物に目を向けた。

「リーゼ、久しぶりだね」

「デボラさん!」

 エルとは対称的に、でっぷりとした身体に朗らかな笑みを浮かべるデボラが顔を覗かせた。

 ユリウスの屋敷で身につけていたメイド服は健在だ。

 再会を喜ぶ二人は手を合わせる。

「でもデボラさんがどうして……話ではエル様だけと」

「うん、エルメンガルト様の世話係も要るからね。それに君の主治医であるエルメンガルト様が療養に必要だと判断されたからだよ。今日から君の身の回りのことは彼女に任せる」

 テオの言葉に、リーゼロッテは少々戸惑いの表情を浮かべた。

「ですがヘッダさん……神官は……」

「うん、多分全部任せるとなると反感を買うだろうからね。ヘッダという神官には湯浴みを任せるつもりだよ」

「湯浴み……」

「嫌かい?」

 テオの問いかけに、リーゼロッテは逡巡する。

 素っ気ない態度のヘッダだったが、湯浴みを手伝っていた時はどこか満ち足りた表情をしていた気がする。

 一糸纏わぬ無防備な聖女の世話をするのが、もしかしたら神官にとって最も栄誉あることなのかもしれない。

 それに、デボラがいかにメイドとして優秀であっても湯浴みまではしたことがないのではないか。

 となると、テオの言う通り、ヘッダに湯浴みを任せるべきだろう。

「いえ……その方がいいかもしれませんね」

「よろしくね、リーゼ。あ、リーゼロッテ様」

「いえ、今まで通りリーゼ、とお呼びください。その方が嬉しいです」

 言い直したデボラに、リーゼロッテはにっこりと微笑んだ。

「そうかい? じゃあそうさせてもらうよ」

「リーゼロッテ、ちといいかの?」

「はい」

 部屋の隅で何やら作業をしていたエルにリーゼロッテが呼ばれると、デボラはごく自然な歩みでテオの横に並んだ。

「……テオドール様、お気づきですか?」

「なにがだい?」

 二人は互いにしか聞こえない程度の小声で会話を始める。

 他の者から見たら、リーゼロッテとエルが談笑するのをただにこやかに見守っているようにか見えないだろう。

「……天井裏のです。もし必要とあれば駆除させていただきますが」

 デボラの物騒な言葉に、テオはぷっと吹き出しかけた。

「『熊殺し』の君の手を煩わせるほどのネズミじゃないさ」

『熊殺し』の言葉にデボラが一瞬、笑顔を固める。

「……はて、誰のことでしょう。私は一介のメイドでございます」

 その恰幅の良さに似合わず、しずしずと述べた彼女にテオは苦笑した。

「……まあいいさ。だけど少し目障り、かな?」

「ええ、リーゼは気づかないかもしれませんが」

「ま、出来るだけ早急に対処するよ。少しリーゼロッテさんにもしてもらうかもしれないけど」

 不穏な言葉を口にするテオに視線を向けず、デボラは微かに剣呑な雰囲気を滲ませた。

「あまり変なことに巻き込まないでくださいね。リーゼはか弱い女の子ですから」

「そんなことないさ」

 変わらず読めない笑みを浮かべ、デボラにしか分からない程度に彼は首を振った。

「僕が見た中で一番芯のある女性だよ」
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