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4章.妹君と辺境伯は揺れ動く
121.リーゼロッテは和解する①
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ユリウスの部屋から戻ったリーゼロッテはベッドに腰かけた。
彼は心配するなと言ったが、客人を置いて席を立ち明日も仕事だ帰ってくれ、などと言う父を説得するような時間は無い。
(お父様は一体何をお考えなのかしら……)
リーゼロッテはベッドに倒れ込む。
漆黒の髪がばらり、とベッドに散った。
わざわざユリウスを招いてやっぱり婚約はしない、など釈然としないことが起こっている。
まるで昨日今日に白紙化を決めたような、辻褄の合わない行動に違和感しかない。
(何か私もできることがあれば……)
ユリウスがリーゼロッテと家族の間が和解、とまではいかずとも、せめて少しでもわだかまりがなくなるように、と心を砕いてくれているのは分かる。
だからこそ、彼にだけ任せるわけにはいかない。
(でもどうしたら、お父様を説得できるのかしら……)
一度婚約解消した、という痂皮のあるリーゼロッテを辺境伯家に嫁がせるなど普通はできないだろう。
最初はヘンドリックも了承していた。
それがここ二、三日で心変わりする何かがあったとしたら──。
リーゼロッテは仰向けのままため息をついた。
それがあったとしても、確かめる術がない。
悶々と考えていると、控えめなノックが響き思考が削がれた。
「起きているかしら」
扉に阻まれくぐもっているが、気品ある女性の声などこの屋敷にはひとりしかいない──ナターリエだ。
「は、はい、どうかされましたか?」
リーゼロッテは体を起こし、扉を開けた。
ガウンに身を包み、困り眉をさらに下げ、どこか不安そうな表情のナターリエがそこにいた。
「こんな時間にごめんなさいね。その……少しお話を、と思って」
ナターリエが部屋を訪ねてくるなど珍しい。
とりあえず中へ、と戸惑いながらも案内すると、彼女は部屋の中をつぶさに見回した。
必要最低限の家具しかなく、そのどれもが傷付いているのを見て、彼女は更に眉尻を下げる。
「どうぞ、おかけください」
椅子を勧め、その対面にリーゼロッテが座ると、ナターリエは俯き、その長い睫毛で影を作る。
「………………」
「………………」
「あの……お継母様……?」
わざわざ訪ねてくるからには用事があったはずだ。
沈黙に耐えきれなくなったリーゼロッテは、なかなか話し出そうとしないナターリエの顔を覗き込んだ。
「あ……ごめんなさい。何と言っていいか分からないの。久しぶりに見たあなたは綺麗になってるし、まさか追い出されたと思ったあなたが未来の旦那様を連れて帰ってくるとは思わなくて……」
はっとしたように喋り出した彼女は、ゼンマイが切れたように口を閉じた。
そうしてバツが悪そうに上目遣いにリーゼロッテを見つめてくる。
「……ひと息に喋りすぎね。ごめんなさい」
「い、いえ…………」
リーゼロッテは困惑した。
ナターリエは躾に厳しく、教養に溢れた成熟した女性だと思っていた。
しかし、目の前の彼女はまるで少女のように自らの感情を素直に表出させている。
今目の前にいるナターリエは、彼女の知るナターリエとはあまりにかけ離れていた。
「今までのこと……ですが」
ナターリエは口ごもりながらもゆっくりと話し始める。
「……申し訳なかったと思うわ。早く母親にならなければ、この家に馴染まなければと焦った結果、あなたに随分と辛く当たってしまっていた。あなたが家を出た後も……ずっと気がかりだったわ」
「……」
「……ううん、違うわね。気がかりだけど会いに行けなかった。あなたに拒絶されるかもしれないし、お父様にも……怖かった」
思わぬナターリエの吐露に、リーゼロッテは押し黙る。
追放される前は彼女の気持ちなど分からなかった。
そしてそれを今説明されても、理解できない部分がほとんどだ。
継母としてのプレッシャーがそうさせた、と言われても、リーゼロッテの思い悩んだ日々を納得させるのは難しい。
しかし、相手に拒絶されるかもしれない、という恐怖に支配されている部分は自分と同じだと思った。
彼女もまた、この家の歪みの被害者なのだと。
「でもそれは言い訳ね。許して欲しいとは言わないわ。ただ、あなたの幸せだけは祈らせて」
「お継母様……」
ナターリエは首を振り、リーゼロッテに微笑みかける。
「この貴族社会で、好きな人と結婚できる貴族は少ないわ。だから……少しでも応援したいと思っているの」
「好きな……」
言いかけて、リーゼロッテは顔を真っ赤にさせた。
継母とユリウスが会うのは今日が初めてのはずだ。
初対面でも娘が好いていると分かってしまうほど自分は分かりやすいのだろうか、と頬を両手で挟む。
リーゼロッテの反応を楽しむようにナターリエはくすくす笑った。
「そんなに驚かなくても、あなたが辺境伯を、辺境伯があなたを大事にしているのはすぐに分かったわ。ここであなたと辺境伯が別れてしまったら……きっとずっと後悔するわ」
「後悔……」
リーゼロッテはまだ赤い頬から手を離す。
(そういえば、お継母様とお父様は再婚同士でしたが……)
父は十三年前に母を亡くし、ナターリエは十二年ほど前の戦争で前夫を亡くしている。
二人が再婚したのが十年前の、ちょうどリーゼロッテの力が発覚した頃だったはずだ。
そこから十年、何を考えているか分からない仕事人間の父と連れ添った彼女の言葉は、どこか重みがあった。
「お継母様は……後悔しているのですか? お父様と……再婚なされたことを」
「……どうかしら。お互い未亡人同士、割り切った再婚だったのもあるから……それに……」
ゆっくりと、言葉を選びながら答えたナターリエは、リーゼロッテに微笑みかける。
「子供のできない私に、あなたたちという子供が三人もできたのはとても……嬉しかったのよ。結果的に空回りしてしまったけど……」
「お継母様……」
リーゼロッテはナターリエの少し悲しそうな微笑みに数歩遅れて微笑み返した。
躾と称して厳しくしてきた継母のことを嫌いになれなかったのは、おそらくこれだろう。
不器用すぎるのだ。
やりすぎて空回りし、かと思えば前に出過ぎないよう周りばかりを気にして──そんな彼女のことをリーゼロッテは自分と似ていると思っていた。
リーゼロッテが頬を緩めたことで、ナターリエはほっとしたように息を吐いた。
彼は心配するなと言ったが、客人を置いて席を立ち明日も仕事だ帰ってくれ、などと言う父を説得するような時間は無い。
(お父様は一体何をお考えなのかしら……)
リーゼロッテはベッドに倒れ込む。
漆黒の髪がばらり、とベッドに散った。
わざわざユリウスを招いてやっぱり婚約はしない、など釈然としないことが起こっている。
まるで昨日今日に白紙化を決めたような、辻褄の合わない行動に違和感しかない。
(何か私もできることがあれば……)
ユリウスがリーゼロッテと家族の間が和解、とまではいかずとも、せめて少しでもわだかまりがなくなるように、と心を砕いてくれているのは分かる。
だからこそ、彼にだけ任せるわけにはいかない。
(でもどうしたら、お父様を説得できるのかしら……)
一度婚約解消した、という痂皮のあるリーゼロッテを辺境伯家に嫁がせるなど普通はできないだろう。
最初はヘンドリックも了承していた。
それがここ二、三日で心変わりする何かがあったとしたら──。
リーゼロッテは仰向けのままため息をついた。
それがあったとしても、確かめる術がない。
悶々と考えていると、控えめなノックが響き思考が削がれた。
「起きているかしら」
扉に阻まれくぐもっているが、気品ある女性の声などこの屋敷にはひとりしかいない──ナターリエだ。
「は、はい、どうかされましたか?」
リーゼロッテは体を起こし、扉を開けた。
ガウンに身を包み、困り眉をさらに下げ、どこか不安そうな表情のナターリエがそこにいた。
「こんな時間にごめんなさいね。その……少しお話を、と思って」
ナターリエが部屋を訪ねてくるなど珍しい。
とりあえず中へ、と戸惑いながらも案内すると、彼女は部屋の中をつぶさに見回した。
必要最低限の家具しかなく、そのどれもが傷付いているのを見て、彼女は更に眉尻を下げる。
「どうぞ、おかけください」
椅子を勧め、その対面にリーゼロッテが座ると、ナターリエは俯き、その長い睫毛で影を作る。
「………………」
「………………」
「あの……お継母様……?」
わざわざ訪ねてくるからには用事があったはずだ。
沈黙に耐えきれなくなったリーゼロッテは、なかなか話し出そうとしないナターリエの顔を覗き込んだ。
「あ……ごめんなさい。何と言っていいか分からないの。久しぶりに見たあなたは綺麗になってるし、まさか追い出されたと思ったあなたが未来の旦那様を連れて帰ってくるとは思わなくて……」
はっとしたように喋り出した彼女は、ゼンマイが切れたように口を閉じた。
そうしてバツが悪そうに上目遣いにリーゼロッテを見つめてくる。
「……ひと息に喋りすぎね。ごめんなさい」
「い、いえ…………」
リーゼロッテは困惑した。
ナターリエは躾に厳しく、教養に溢れた成熟した女性だと思っていた。
しかし、目の前の彼女はまるで少女のように自らの感情を素直に表出させている。
今目の前にいるナターリエは、彼女の知るナターリエとはあまりにかけ離れていた。
「今までのこと……ですが」
ナターリエは口ごもりながらもゆっくりと話し始める。
「……申し訳なかったと思うわ。早く母親にならなければ、この家に馴染まなければと焦った結果、あなたに随分と辛く当たってしまっていた。あなたが家を出た後も……ずっと気がかりだったわ」
「……」
「……ううん、違うわね。気がかりだけど会いに行けなかった。あなたに拒絶されるかもしれないし、お父様にも……怖かった」
思わぬナターリエの吐露に、リーゼロッテは押し黙る。
追放される前は彼女の気持ちなど分からなかった。
そしてそれを今説明されても、理解できない部分がほとんどだ。
継母としてのプレッシャーがそうさせた、と言われても、リーゼロッテの思い悩んだ日々を納得させるのは難しい。
しかし、相手に拒絶されるかもしれない、という恐怖に支配されている部分は自分と同じだと思った。
彼女もまた、この家の歪みの被害者なのだと。
「でもそれは言い訳ね。許して欲しいとは言わないわ。ただ、あなたの幸せだけは祈らせて」
「お継母様……」
ナターリエは首を振り、リーゼロッテに微笑みかける。
「この貴族社会で、好きな人と結婚できる貴族は少ないわ。だから……少しでも応援したいと思っているの」
「好きな……」
言いかけて、リーゼロッテは顔を真っ赤にさせた。
継母とユリウスが会うのは今日が初めてのはずだ。
初対面でも娘が好いていると分かってしまうほど自分は分かりやすいのだろうか、と頬を両手で挟む。
リーゼロッテの反応を楽しむようにナターリエはくすくす笑った。
「そんなに驚かなくても、あなたが辺境伯を、辺境伯があなたを大事にしているのはすぐに分かったわ。ここであなたと辺境伯が別れてしまったら……きっとずっと後悔するわ」
「後悔……」
リーゼロッテはまだ赤い頬から手を離す。
(そういえば、お継母様とお父様は再婚同士でしたが……)
父は十三年前に母を亡くし、ナターリエは十二年ほど前の戦争で前夫を亡くしている。
二人が再婚したのが十年前の、ちょうどリーゼロッテの力が発覚した頃だったはずだ。
そこから十年、何を考えているか分からない仕事人間の父と連れ添った彼女の言葉は、どこか重みがあった。
「お継母様は……後悔しているのですか? お父様と……再婚なされたことを」
「……どうかしら。お互い未亡人同士、割り切った再婚だったのもあるから……それに……」
ゆっくりと、言葉を選びながら答えたナターリエは、リーゼロッテに微笑みかける。
「子供のできない私に、あなたたちという子供が三人もできたのはとても……嬉しかったのよ。結果的に空回りしてしまったけど……」
「お継母様……」
リーゼロッテはナターリエの少し悲しそうな微笑みに数歩遅れて微笑み返した。
躾と称して厳しくしてきた継母のことを嫌いになれなかったのは、おそらくこれだろう。
不器用すぎるのだ。
やりすぎて空回りし、かと思えば前に出過ぎないよう周りばかりを気にして──そんな彼女のことをリーゼロッテは自分と似ていると思っていた。
リーゼロッテが頬を緩めたことで、ナターリエはほっとしたように息を吐いた。
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