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3章.妹君と少年伯は通じ合う

107.二人は通じ合う②

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 彼が少年の姿を写す鏡を見ながらこの髪紐を結い終えた時、感じたものは決して絶望などではない。

 心にぽっと灯るような暖かさと、情愛のそれだった。

 愛おしそうに髪紐を撫でる彼の姿に、リーゼロッテは一瞬息が止まる思いだった。

 なんだか自分が撫でられているような気がしてきて、彼女はだんだんと恥ずかしくなってきた。

「お、お話、があるというのは……」

「ああ、いくつかある」

 少し裏返った声の彼女に、ユリウスは髪紐から手を離すとその慈愛に満ちた微笑みを消した。

「時の聖女の話、だ。あまり時間が取れず、簡単にしか話できてなかったからな」

 時の聖女、と聞いて、リーゼロッテもまた神妙な表情を作る。

(確かに……私も『時を操れる』としか聞いてませんでした)

 後で説明する、と言われてそのままにしていたものの、今までの不可解な出来事と照らし合わせて合点がいく部分はあった。

 ディートリンデの傷を癒した、のはおそらく彼女の時を戻したから。

 庭の古木もまた同様に時を戻し、反対にユリウスには時を進めるよう作用したのではないか、と。

 リデル家別荘で見たユリウスの両親の映像については時を戻した、と言うよりも過去の一部を抜き出した残像のようなものだろう。

 もしかしたら書架で見た彼の母親も、幽霊などではなく聖女の力で見たものなのかもしれない。

「とはいえ私もテオから聞いただけで、そこまで詳しいわけではない。だが、知っておいた方がいいと思う」

 ユリウスはそう前置きすると話を続けた。

「時の聖女は歴史上でも片手で足りるほどの数しかいない。だから残っている文献もほとんどない。あるのは王宮の禁書庫の中。しかも記述は『金の魔力』と『時に干渉する』の二つだけだ。具体的な能力については分からない」

「だから……テオ様が最初に気付くことができた、のですね」

「ああ。逆に言えばあいつ以外には癒しの聖女だと思われていた。私も……テオから聞くまではそうかと……すまない」

「い、いえ、私も癒しの力かと思っていたくらいですし……」

 リーゼロッテが慌てて首を振ると、ユリウスはやや逡巡するように視線を巡らせると意を決して彼女を見据えた。

「……十年前に聖女の力を使ったと言っていたな。その時はどういう状況だったのだ?」

 その言葉に、彼女は凍りつく。

 十年前の出来事をユリウスに話すということは、ディートリンデとの約束を自ら破るということだ。

(……言え……ない……)

 今までこれだけ力を使った後で、時の聖女だと判明していてもなお、呪縛のようにその約束はリーゼロッテを縛り付けていた。

「リーゼ」

 ユリウスは強く、しかし優しく彼女の両肩を掴む。

「正直に話してくれ。私は……リーゼは何もやっていないと信じているのだから」

 覗き込んだ彼はリーゼロッテの伏せた両眼をまっすぐ見つめる。

 長い睫毛で影のできた深海色の瞳は、青が濃くなり飲み込まれそうな印象を受けた。

 もう一度、「リーゼ」と囁くように呼ばれた彼女は迷いながらも口を開いた。

「……ディートリンデ……双子の姉の傷を治しました。当時もう、聖殿にはマリー様がいらっしゃいました。それで姉には黙っててもらう代わりに……その……」

「罪を被った、と」

「……はい」

 何かに耐えるように俯いた彼女の黒い髪がさらり、と落ちる。

 小さくなる彼女の姿に、ユリウスは肩を掴む力を強めた。

「……よく、言ってくれた」

 絞り出すような彼の声に、彼女はゆっくりと顔を上げる。

 そこにはほっとため息が出るような笑みを浮かべる彼の姿があった。

「ユリウス様、その……そのことは……」

「……正直、リーゼを辛い目に合わせ続けてきたその女には怒りを感じる。しかるべき罰を与えられるべきだとも思うし、できることなら私がそれを与えたいとも思っている。だが……」

 悔しそうに眉を歪めた彼はひと息つくと、自らを落ち着かせるように目を瞑った。

「……それは私の考えであって、リーゼの気持ちには沿ってない」

「……私は……」

 ユリウスの言葉にリーゼロッテは戸惑った。

 彼は何も言わず、ただ耐えるように彼女の言葉を待っている。

 思えば、彼はずっとリーゼロッテの気持ちを優先させてくれていたように思う。

(私の気持ち……)

 改めて考えてみるが、浮かんでくる思いはこれしかない。

 リーゼロッテは慎重に口を開いた。

「私は……いいのです。ずっと、家族からは邪険にされておりました。罪を被ったおかげで、ここにお世話になって……」

 真っ直ぐに、目の前の彼を見つめる。

 強く、美しく、そして愛しい人。

「ユリウス様にお会いできて、こうしておそばでお仕えできたので……これ以上何も、望むことはございません」

 その彼が、自分のために憤ってくれる。

 それだけで嬉しかった。

 それ以上は何も要らない。

 リーゼロッテは自然と、口元を綻ばせる。

 その表情を、ユリウスは驚いたような呆れたような笑みで見つめていた。

「……え、ええと、ユリウス様……?」

 あまりに不思議な笑みだったため、彼女は怪訝そうに様子を伺う。

「いや、すまない。驚いたというか、予想通りの言葉だったというべきか」

「?」

 彼は口元を隠すように手を当てると、こほん、とひとつ咳払いをした。

 無欲で、無垢な彼女のことだ。

 ユリウスが問えば彼女はこう答えることは予想がついていた。

 ただそれでもほんの少しでもいいから、理不尽な仕打ちに対して、強かで自分本位な部分があってもいいのではないかとも思ってしまう。

 ──そうなったらもう、リーゼではないか。

 彼は内心そう独りごちると、懐から小さな紙を取り出した。
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