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3章.妹君と少年伯は通じ合う

105.妹君は見送る②

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「ユリウス」

 アンゼルムの姿が見えなくなった頃合いを見て、聞き耳を立てていたエルが咎めるような口調でユリウスを呼んだ。

「……お主、あの小僧に言ってやれば良かったものを」

「エル様? どうかされましたか?」

 リーゼロッテは僅かに苦い表情のエルに声をかけた。

「どうもこうも……ユリウス、お主の呪いは解けておろう?」

「え……?」

 思ってもみなかった言葉に、リーゼロッテはユリウスの方を見る。

 彼は少し困ったように眉を下げながら、彼女から視線を外した。

「そうなのですか?!」

「いやその……おそらく、まだ完全ではないが徐々に解けてきては、いる……と思う」

 珍しくはっきりしない物言いに、エルは補足するように口を開いた。

「解けておる、とは言っても今は魔力が徐々に戻ってきている状態じゃろ。実感がないのは無理もなかろうが、あの小僧が赴任する頃には完全に解けてるはずじゃ」

「……すまない、言う機会を逸した」

 ユリウスはリーゼロッテの表情を窺うようにちらり、と視線を向ける。

 そして小さく息を呑んだ。

「よかった……よかったです……ユリウス様……」

 リーゼロッテはその深海色の瞳を潤ませ、微笑んでいた。

 少年の姿であることを悟られないために、彼はずっと不名誉な噂を受け入れざるを得なかった。

 魔法も満足に使えず、領民とも満足に触れ合えず、旧知の仲の人間とも関わりを断っていた。

 彼の今までの苦労を思うと、自然と目に涙が溜まっていく。

(ダメ……泣いたりしたら、きっとユリウス様はお困りになるわ)

 必死にこぼすまいと目に力を入れていると、束の間惚けていたユリウスが、ゆっくりと彼女の目元を拭った。

「リーゼ……」

 微かに愛でるような笑みを浮かべ、その手で彼女の存在を確かめるように頬を撫でる。

 リーゼロッテは紫電の瞳が纏う、静かで柔らかく穏やかな輝きに、ようやく、彼を苦しめ続けていたものが終わったのだと実感した。

「どれ、妾はお邪魔のようじゃの」

「エル様」

 二人の様子を見ていたエルはにやり、と笑うと、踵を返しその笑みを隠した。

 が、数歩進んだところで思い出したようにまた、リーゼロッテの方へと振り返る。

「ああ、そういえばひとつ言い忘れておったわ」

 ずずい、と彼女に迫る勢いで戻ってくると、エルは閉じた扇子を手の中で弄んだ。

「リーゼロッテ、お主の聖女の魔力は安定してきている。ただまだ意のままに操るのは難しい故、あまりその力を頼りにしてはならぬぞ」

「は、はい……」

 リーゼロッテ自身もそれはなんとなくではあるが感じていた。

 リデル家別荘で発動したのは全くの偶然、暴発したようなものだ。

 古木の時のように暴走はしていないものの、彼女の意思と関係なく発動している。

 魔法としてていを成していたとしても、まだ彼女は力に振り回されているにすぎない。

「……とはいえ、問題はない」

 そんなリーゼロッテの不安を感じ取ったのか、エルは彼女の耳元に唇を寄せた。

「意図せず発動しそうになったらユリウスにまた助けて貰えば良い。あやつはお主が困った時には助けずにいられぬようじゃからの」

 エルの意味ありげな笑みを見た瞬間、その言葉の全てを理解したリーゼロッテの顔は真っ赤に染まった。

(つまり……暴走させた時みたいに……?)

 今のところ暴走したリーゼロッテの魔力を止められるのはユリウスだけだ。

 もしかしたらある程度魔力の強い者──たとえばエル──もできるのかもしれないが、それはリーゼロッテも抵抗がある。

 かといってユリウスにしてもらう、というのも嬉しいような、恥ずかしいような、覚えていないのが勿体無いような複雑な思いに駆られ、彼女は赤くなった頬を両手で包んだ。

「そ、それはエル様も……義務感は駄目だと仰っていませんでしたか?」

 声をひそめたリーゼロッテに、エルは彼女の唇に扇子の先をあて、心底呆れた声を出した。

「それはお主がしようとした時のことであろ? あやつは……まぁあとは本人に聞くと良い」

 それでは妾は先に行くぞえ、とエルは踵を返すとアンゼルムの後を追った。

「何を言われた」

「い、いいえっ、その、大丈夫だとっ」

「そうか」

 顔に集まった熱が冷めやらぬまま、リーゼロッテは話しかけてきたユリウスにどもりながらも首を振った。

(……言えません、『困ったときはキスをしてもらえ』なんて言われただなんて、絶対言えません……)

 頬にあてた手にまで熱が移ってきたような気がして、手の甲を軽くあて直す。

 改めて、リーゼロッテはユリウスを見つめた。

 まだ少年の姿のままである彼は、彼女より少しだけ背が高い。

 少しあどけなさはあるものの、その眉目秀麗な顔立ちは少年と言うには不釣り合いなほど覇気に満ちている。

 かと思えばその中に繊細そうな線の細さを感じるところもあり、それが中性的な魅力を醸し出していた。

 今の姿でも、成長した姿でも、彼に何度も助けられた。

 どう控えめに見ても、聖女の力に振り回されている自分になど勿体無いほど、異性としてこの上なく素敵な人だ。

「リーゼ」

 不意に名前を呼ばれ、頭に小さな温もりを感じてはっとする。

 ぽうっとしたまま見つめすぎたのだろう。

 彼女はユリウスの手が接近していたことに気が付かなかった。

「髪に、花びらが」

 彼の手にはどこから落ちたのか、赤く色付いた花弁がひとひら乗っていた。

 どうやらリーゼロッテの頭についていたようだ。

 その花弁はひと筋の風に乗り、揺れ動くように空高く舞ってどこかへ消えた。

「……綺麗な髪、だな」

 風に靡くリーゼロッテの黒髪は、晴れ間の光にさらされてさらに艶めき、その眩しさにユリウスは思わず目を細める。

 その慈しむような視線に見惚れたリーゼロッテは、一層朱を濃くした顔を押さえたまま硬直した。

(ユリウス様の方が……お美しいです……)

 そんなことを言ったら、また呆れられてしまうだろうか。

 口を結んだ彼女は、伏し目がちにくすりと笑った。

「リーゼ」

 表情を引き締め少々硬い口調で、ユリウスは彼女を呼ぶ。

「見送りが終わったら……私の部屋に……あの指輪を持って来てくれないか。少し話がある」

 まるで何か、重大な決断をしたかのような彼の雰囲気に、リーゼロッテは微かに首を傾けた。
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