上 下
45 / 231
2章.妹君と少年伯は互いを知る

44.妹君は糸を引く①

しおりを挟む
「奥の作業台を使わせていただくことは可能でしょうか?」

 エーミールを呼び、そう聞いたリーゼロッテだが、まさか彼と裁縫をするとは思ってもいなかった。

 対面に座るエーミールに目をやると、視線に気づいたのか彼はにっこりと微笑んだ。

「あの……ユリウス様は……」

「ユリウス様は他の商店にも顔を出してくるとおっしゃっていました。ゆっくり品を見るようにと仰せつかっております」

 お嬢様が何か作ろうとしていることは黙っておりますのでご安心を、と彼は表情を全く変えずに付け加えた。

 リーゼロッテは自分の腹の中を読まれているような気持ちになり頬を赤く染めた。

(う……エーミールさんはなんでもお見通しなのね)

 余計な気を散らさないように、微かに首を振ると、再び手元に集中し始める。

 そんな彼女の様子に、エーミールはくすりと笑うと、自身も手元を動かし始めた。

「……ユリウス様はお変わりになられましたね」

 懐かしむような声に、ふとリーゼロッテは顔を上げた。

 先ほどと変わらない笑みの中に、ほんの少しの寂しさを感じるのは、きっと手元から視線を一切上げないからだろう。

「ああ、これは私めの独り言でございますので、聞き流していただいて結構ですが」

 そう言うと、裁断ハサミで布地を切っていく。白い布が二つに断たれた。

「……戦争からお帰りになられたユリウス様はそれはもう、刺々しいという言葉では足りないくらい鋭利な刀身のようでございました。美しく、鋭く、そして冷酷……私に武の心得はございませんが、殺気というのはああいうものかと思わず感心してしまうほどでした」

「……」

「お嬢様はユリウス様よりお若いのでご存じないかと思われますが、先の戦争の発端となった出来事がございました……先代辺境伯ご夫妻が、かの国への道中、馬車ごと橋から落ちてしまわれたのです」

「……!」

 リーゼロッテは息を呑んだ。

 事故で亡くなったとは知っていたが、まさかそれが戦争の発端だったとは思ってもみなかった。

 彼の淀みなく布を断つ音だけが響く。

「ご夫妻は友好国の締結のため、一足先にかの国に入り、国王陛下をお迎えする予定でした。当時私は貿易商として同行しておりましたが、馬の調子が悪く本隊には遅れをとっていました。橋に差し掛かる手前で大きな地響きのような音を聞き、急いで橋に向かった時にはもう……橋は落ちてしまった後でした……」

「……」

「……後ほど橋を調べたら、一定以上の荷重がかかると縄が切れるように細工されていたそうです。その細工がかの国側にされていたことで友好国の取り付けは白紙に……ユリウス様は幼く、後見も立てないとのご判断から、一時このシュヴァルツシルトは王家の直轄領となりました」

 当時後見に名乗り出てくださった貴族もいたようですが、とエーミールはハサミを置きながら付け加えた。

 リーゼロッテは黙って聞いていたが、その理由がわかる気がした。

『直感』で誰かの何かが見えてしまったのかもしれない。

 辺境を謀略に利用される、と考えた彼が王家に領地返上したと今なら想像がついた。

「それから両国の関係は一気に悪化し、戦争が始まり……そこから先はお嬢様もご存知かと思います」

 彼女は僅かに頷いた。

 それは終始一方的な展開だった。

 この国から開戦宣言がなされ、軍事力を総動員し隣国を蹂躙した。

 隣国も前々から準備はしていただろうが、この国に比べれば弱小国な上、戦争の原因を作ったとして助けてくれる同盟国も現れなかったらしい。

 今では隣国は属国扱いだが、反乱分子も多いと聞く。

 故に、長く辺境を治めた一族であり、戦争の発端ともなった事件の孤児であり、戦争の功労者でもあるユリウスの存在が、隣国への圧力となり得るのだ。

「……ユリウス様はずっと塞いでいらっしゃいました。綺麗な紺の御髪は戦争の影響か色が抜けて白くなり、市民とも交流されることを避けているのか馬車から外を眺めるだけ。あの屈託ない笑顔はもう見られないのかと思っておりましたが……」

 エーミールは手元を止め顔を上げた。

 話の流れに反して優しそうな微笑みに、リーゼロッテは首を傾ける。

「……馬車から降りられ、あの頃のような笑顔に戻られているのも、お嬢様のおかげでしょう。僭越ながら市民を代表してお礼申し上げます。ありがとうございます」

 恭しく頭を下げる彼に、リーゼロッテは慌てた。

「そんな、私などなにもしておりません。ユリウス様は最初から優しく、穏やかでいらっしゃいました……から……その、私の方こそユリウス様に助けていただいてばかりでして……」

 慌てて釈明する様子を謙遜だと受け取ったのか、彼の笑みはさらに深くなる。

(なんだかすごく勘違いされているような……)

 実際何もしていないと彼女は思っていた。

 ユリウスが今回馬車を降りて市民と話そうと思ったのは、彼の魔法が解けたからだ──彼女はそう認識していた。

 しかし誤解を解こうにも話してはいけない部分が多すぎて、なんと言っていいかわからない。

「さ、ユリウス様がお帰りになられる前に、仕上げてしまわなければなりませんね」

 リーゼロッテがまごまごしている様子に目を細めた彼は、手をひとつ叩いた。
しおりを挟む
感想 102

あなたにおすすめの小説

呪われ令嬢、王妃になる

八重
恋愛
「シェリー、お前とは婚約破棄させてもらう」 「はい、承知しました」 「いいのか……?」 「ええ、私の『呪い』のせいでしょう?」 シェリー・グローヴは自身の『呪い』のせいで、何度も婚約破棄される29歳の侯爵令嬢。 家族にも邪魔と虐げられる存在である彼女に、思わぬ婚約話が舞い込んできた。 「ジェラルド・ヴィンセント王から婚約の申し出が来た」 「──っ!?」 若き33歳の国王からの婚約の申し出に戸惑うシェリー。 だがそんな国王にも何やら思惑があるようで── 自身の『呪い』を気にせず溺愛してくる国王に、戸惑いつつも段々惹かれてそして、成長していくシェリーは、果たして『呪い』に打ち勝ち幸せを掴めるのか? 一方、今まで虐げてきた家族には次第に不幸が訪れるようになり……。 ★この作品の特徴★ 展開早めで進んでいきます。ざまぁの始まりは16話からの予定です。主人公であるシェリーとヒーローのジェラルドのラブラブや切ない恋の物語、あっと驚く、次が気になる!を目指して作品を書いています。 ※小説家になろう先行公開中 ※他サイトでも投稿しております(小説家になろうにて先行公開) ※アルファポリスにてホットランキングに載りました ※小説家になろう 日間異世界恋愛ランキングにのりました(初ランクイン2022.11.26)

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

冷酷非情の雷帝に嫁ぎます~妹の身代わりとして婚約者を押し付けられましたが、実は優しい男でした~

平山和人
恋愛
伯爵令嬢のフィーナは落ちこぼれと蔑まれながらも、希望だった魔法学校で奨学生として入学することができた。 ある日、妹のノエルが雷帝と恐れられるライトニング侯爵と婚約することになった。 ライトニング侯爵と結ばれたくないノエルは父に頼み、身代わりとしてフィーナを差し出すことにする。 保身第一な父、ワガママな妹と縁を切りたかったフィーナはこれを了承し、婚約者のもとへと嫁ぐ。 周りから恐れられているライトニング侯爵をフィーナは怖がらず、普通に妻として接する。 そんなフィーナの献身に始めは心を閉ざしていたライトニング侯爵は心を開いていく。 そしていつの間にか二人はラブラブになり、子宝にも恵まれ、ますます幸せになるのだった。

婚約破棄のその後に

ゆーぞー
恋愛
「ライラ、婚約は破棄させてもらおう」 来月結婚するはずだった婚約者のレナード・アイザックス様に王宮の夜会で言われてしまった。しかもレナード様の隣には侯爵家のご令嬢メリア・リオンヌ様。 「あなた程度の人が彼と結婚できると本気で考えていたの?」 一方的に言われ混乱している最中、王妃様が現れて。 見たことも聞いたこともない人と結婚することになってしまった。

運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。

ぽんぽこ狸
恋愛
 気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。  その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。  だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。  しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。  五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

処理中です...