上 下
23 / 231
2章.妹君と少年伯は互いを知る

22.妹君は赤髪の優男に翻弄される

しおりを挟む

「あれ? ユリウス、もういいのかい?」

 書斎で本を探していたユリウスの背後から、呑気のんきな声が掛けられた。

(こいつはいつも急だな……)

 ユリウスはやれやれ、と本人に気付かれないよう小さくため息をつき、振り返った。

「……テオか。この間はすまなかった。いつものが」

「ははは、水臭いな。僕と君との仲だろ」

 テオ、と呼ばれた青年は快活な笑顔を浮かべた。

 年の頃は二十五、六といったところか。

 一見すると有力貴族の放蕩息子、という出で立ちのその男は、ユリウスの唯一の友と言ってもいい。

 所々はねた襟足の長い赤毛をそのままに、地につきそうなほど長い真っ黒なマントを羽織るなんともアンバランスな様相の彼は、悪戯いたずらっぽくウインクした。

「今回は復活が早くて正直驚いたよ。明日に間に合わないかと思ってたくらいだ。一体どんな手を使ったんだい?」

「……お前には絶対言わん」

「つれないなぁ。ま、こうして早く仕事に復帰できたならそれでいいんだけどさ」

 机の上の書類の山を一瞥すると、テオは軽く笑ってソファに腰を沈めた。

 食事を摂れたおかげか、ユリウスはいつもより一日ほど早く出歩けるようになった。

 まだまだ本調子ではないが、書斎にこもった彼は書類整理と調べ物にいそしんでいる。

 本来なら大事をとって静養するはずのところだが、そうも言っていられない事情があった──数日前に騎士団の詰所におもむいた件である。

(あれから報告は受けているが特に進展はなし、か……予想以上に骨が折れそうだ)

 本を探し当てたユリウスは、とある書類を手にテオの向かいに座った。

「まぁた随分と厄介な案件を抱えてるようだね」

 と言いながら、テオは頬杖をついた。

「じゃなきゃお前を呼ばない」

「ですよねぇ。用がなきゃ全然呼んでくれないの、僕悲しいなぁ」

 全然悲しんでいない、むしろどこか楽しむような様子のテオに、ユリウスはあからさまにため息をついた。

 手にした書類をテオに差し出すと、背もたれに寄り掛かる。

 騎士団が調べているのは領民の失踪事件だ。

 領内に点在する一軒家から小さな集落まで規模はまちまちだが、そのほとんどが一夜にして居住者全員消えるという点では共通していた。そしてもう一つの共通点が──。

「亜人、ねぇ……」

 書類を読んでいるであろうテオの、感情の読めない声が響く。

 ユリウスは頭に手を当てた。

 国の進める政策により、亜人や移民の居住が認められたのは先代国王の時代からだ。

 それまではこの国の人間しか居住権は認められていなかった。ここ数十年でやっと緩和されてきたものの、未だに亜人や移民への差別は根強い。

 亜人が住む一軒家が急に空き家になっても、近隣住民は夜逃げとしか思わなかったのだろう。そのため、集落丸々ひとつが消える大規模な失踪が起こるまで事件の発覚が遅れたのだ。

 今は隣国の裏工作の可能性もなくはないと、騎士団が各亜人集落の警備に当たっているが、本来の職務の国境警備も欠かせない。回せる人員にも限りがある。

「騎士の増員要請が通れば良いのだが……」

「ま、何もないうちは厳しいだろうね。先王の意思を引き継ぐ現国王が床に伏せっている。今、この国を動かしてるのは宰相と王太子だよ。彼らは亜人があまりからねぇ」

 ユリウスは大きくため息をついた。

 せめて誰の仕業か、それとも自然発生的なものなのかが分かれば──そこまで考えたところで、ノックが響き渡る。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」

「入れ」

 リーゼロッテは扉を開けて入室──しそうなところでとどまった。

「お、お客様がいらっしゃってたんですね。申し訳ございません、出直してきます」

 慌てて出て行こうとする彼女に思わず目を細めかけたユリウスだったが、すぐにはっとし、首を振った。

「いい、すぐ追い出す」

「えーそれはひどいなぁ。ね、君もそう思うよね?」

 いつの間にかリーゼロッテの方へ移動していたテオは、壁に手をかけ彼女の顔を覗き込んだ。

 まるで彼女に迫るようなその仕草が、ユリウスは何故だか面白くない。

(……あいつ……燃やしてやろうか……っ)

 当の彼女は困惑した様子で、ユリウスに視線を送っていた。

 ユリウスがテオを追い出そうと立ち上がったちょうどその時、リーゼロッテはテオを見上げた。

「あ、あのっ」

「ん? なにかな?」

「私はユリウス様の奉公人ですので……こういったことはその、ちょっと……」

 リーゼロッテは真っ赤な顔で必死に言葉を紡ごうとするが、うまくいかずごにょごにょと口ごもる。

 その姿に一瞬目を丸くしたテオは、腹を抱えて笑い出した。

「……テオ」

 ユリウスは非難の意味を込めて名を呼んだ。

 先ほどとは違う意味で戸惑っているリーゼロッテから離れると、テオは呼吸を整えた。

「いや、ごめん、一生懸命な君があんまり可愛いもんだからつい、ね。ユリウスもいい婚約者候補がいてよかったじゃないか」

 未だ笑いの虫が治らないのか、テオのくくくと噛み殺した笑いが微かに聞こえる。

 『婚約者候補』という言葉に、思わずリーゼロッテとユリウスは顔を見合わせた。

 頬を赤く染め、軟派ナンパな態度の悪友の誘いを精一杯断った、『婚約者候補』──。

(そういえば、そうだったな……婚約者候補……今の今まで忘れているなんてどうかしていた)

 ほぼ同時に顔を背けた二人に、テオの含み笑いがさらに大きくなる。

 ひとしきり笑って気が済んだのか、出窓を大きく開け放った彼は振り返った。

「じゃ、そろそろ帰ろうかな。またね、リーゼロッテさん」

「あ、危ないです!」

 リーゼロッテの制止も聞かず、彼は窓の外に吸い込まれるように消えた。

 慌てて窓の外を覗き込むが彼の姿は影も形もなく、ただ一筋の風がリーゼロッテの髪を乱しただけだった。

「窓を玄関かなにかだと思ってるような馬鹿は放っておけ。いつものことだ」

「で、でもここ三階です」

「大丈夫だ。馬鹿は死なない」

 はっきり言い切ったユリウスに、リーゼロッテはくすりと笑った。

 優しく完璧な少年──実際は青年だが──だと思っていた彼が、友人とまるで兄弟のようにあけすけに物を言い合う一面を持っている。

 それが彼女にはなんだか微笑ましく思えた。

「……お茶を貰おうか」

「はい、ただ今」

 気まずさを隠そうと、こほんとひとつ咳をしたユリウスは、忙しなく準備に移るリーゼロッテの背中を見つめた。

 母の粥を再現して以来、彼女は使用人たちの間で『ユリウス様付き』という立ち位置に収まりつつある。

 特定の人間を重用しない彼の元で、使用人たちは働きやすさを感じてはいたが、同時に彼の婚期を心配する声も密かに上がっていた。

 とはいえ彼女は一応、罪人疑いがあるので、表立ってあからさまにユリウスとくっつけようとする無粋な人間はいなかったが。

「……」

 ユリウスが無言で彼女を見つめる中、手際良くカップを置いていく。

 最初は彼にお茶を出すだけで震えてカタカタ食器を鳴らしていたが、ここ二、三日の看病でどうやら慣れたらしい。

「慣れたものだな」

「あ、……はい、おかげさまで」

 一瞬キョトンとした彼女は顔を綻ばせた。

 ここ数日で少しずつだが、彼女の表情から緊張と怯えが取れてきている。

 罪人の監視、という名目で彼女をここに住まわせている手前、それでいいのかと疑問に思わなくもない。

 が、彼女がこの辺境伯家の奉公人として実績を上げているのもまた事実だ。多少のびのびと暮らしてもらっても構わないだろうと、ユリウスは判断した。

「あの、もう少しお休みされてなくて大丈夫でしょうか?」

「ん? ああ、私のことか。平気だ」

「でも」

「大丈夫だ」

 ぴしゃり、と言い放ったユリウスに、リーゼロッテは両目を瞑った。肩を震わせた彼女が急に小さな生き物に見えてくる。

(しまった。強く言いすぎたか)

 ユリウスは視線を一巡りさせ、やがてため息をついた。

「……わかった。リーゼがそう言うなら少し休ませてもらおう」

 彼の言葉にリーゼロッテの縮こまった身体から力が抜ける。

 根を詰めすぎていたのは確かだ。

 そのまま書斎で一人うなっていても妙案が浮かぶとも思えなかった。

 ユリウスは腰を浮かすと、扉前に掛けられた黒色の帽子を手にとった。

「あ、あの、ユリウス様……?」

「休憩がてら散歩に行く。リーゼも来い」
しおりを挟む
感想 102

あなたにおすすめの小説

愛を知らない「頭巾被り」の令嬢は最強の騎士、「氷の辺境伯」に溺愛される

守次 奏
恋愛
「わたしは、このお方に出会えて、初めてこの世に産まれることができた」  貴族の間では忌み子の象徴である赤銅色の髪を持って生まれてきた少女、リリアーヌは常に家族から、妹であるマリアンヌからすらも蔑まれ、その髪を隠すように頭巾を被って生きてきた。  そんなリリアーヌは十五歳を迎えた折に、辺境領を収める「氷の辺境伯」「血まみれ辺境伯」の二つ名で呼ばれる、スターク・フォン・ピースレイヤーの元に嫁がされてしまう。  厄介払いのような結婚だったが、それは幸せという言葉を知らない、「頭巾被り」のリリアーヌの運命を変える、そして世界の運命をも揺るがしていく出会いの始まりに過ぎなかった。  これは、一人の少女が生まれた意味を探すために駆け抜けた日々の記録であり、とある幸せな夫婦の物語である。 ※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」様にも短編という形で掲載しています。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

死んでるはずの私が溺愛され、いつの間にか救国して、聖女をざまぁしてました。

みゅー
恋愛
異世界へ転生していると気づいたアザレアは、このままだと自分が死んでしまう運命だと知った。 同時にチート能力に目覚めたアザレアは、自身の死を回避するために奮闘していた。するとなぜか自分に興味なさそうだった王太子殿下に溺愛され、聖女をざまぁし、チート能力で世界を救うことになり、国民に愛される存在となっていた。 そんなお話です。 以前書いたものを大幅改稿したものです。 フランツファンだった方、フランツフラグはへし折られています。申し訳ありません。 六十話程度あるので改稿しつつできれば一日二話ずつ投稿しようと思います。 また、他シリーズのサイデューム王国とは別次元のお話です。 丹家栞奈は『モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します』に出てくる人物と同一人物です。 写真の花はリアトリスです。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

氷の騎士は、還れなかったモブのリスを何度でも手中に落とす

みん
恋愛
【モブ】シリーズ③(本編完結済み) R4.9.25☆お礼の気持ちを込めて、子達の話を投稿しています。4話程になると思います。良ければ、覗いてみて下さい。 “巻き込まれ召喚のモブの私だけが還れなかった件について” “モブで薬師な魔法使いと、氷の騎士の物語” に続く続編となります。 色々あって、無事にエディオルと結婚して幸せな日々をに送っていたハル。しかし、トラブル体質?なハルは健在だったようで──。 ハルだけではなく、パルヴァンや某国も絡んだトラブルに巻き込まれていく。 そして、そこで知った真実とは? やっぱり、書き切れなかった話が書きたくてウズウズしたので、続編始めました。すみません。 相変わらずのゆるふわ設定なので、また、温かい目で見ていただけたら幸いです。 宜しくお願いします。

冷酷非情の雷帝に嫁ぎます~妹の身代わりとして婚約者を押し付けられましたが、実は優しい男でした~

平山和人
恋愛
伯爵令嬢のフィーナは落ちこぼれと蔑まれながらも、希望だった魔法学校で奨学生として入学することができた。 ある日、妹のノエルが雷帝と恐れられるライトニング侯爵と婚約することになった。 ライトニング侯爵と結ばれたくないノエルは父に頼み、身代わりとしてフィーナを差し出すことにする。 保身第一な父、ワガママな妹と縁を切りたかったフィーナはこれを了承し、婚約者のもとへと嫁ぐ。 周りから恐れられているライトニング侯爵をフィーナは怖がらず、普通に妻として接する。 そんなフィーナの献身に始めは心を閉ざしていたライトニング侯爵は心を開いていく。 そしていつの間にか二人はラブラブになり、子宝にも恵まれ、ますます幸せになるのだった。

【完結】中継ぎ聖女だとぞんざいに扱われているのですが、守護騎士様の呪いを解いたら聖女ですらなくなりました。

氷雨そら
恋愛
聖女召喚されたのに、100年後まで魔人襲来はないらしい。 聖女として異世界に召喚された私は、中継ぎ聖女としてぞんざいに扱われていた。そんな私をいつも守ってくれる、守護騎士様。 でも、なぜか予言が大幅にずれて、私たちの目の前に、魔人が現れる。私を庇った守護騎士様が、魔神から受けた呪いを解いたら、私は聖女ですらなくなってしまって……。 「婚約してほしい」 「いえ、責任を取らせるわけには」 守護騎士様の誘いを断り、誰にも迷惑をかけないよう、王都から逃げ出した私は、辺境に引きこもる。けれど、私を探し当てた、聖女様と呼んで、私と一定の距離を置いていたはずの守護騎士様の様子は、どこか以前と違っているのだった。 元守護騎士と元聖女の溺愛のち少しヤンデレ物語。 小説家になろう様にも、投稿しています。

世界を救いし聖女は、聖女を止め、普通の村娘になり、普通の生活をし、普通の恋愛をし、普通に生きていく事を望みます!

光子
恋愛
 私の名前は、リーシャ=ルド=マルリレーナ。  前職 聖女。  国を救った聖女として、王子様と結婚し、優雅なお城で暮らすはずでしたーーーが、 聖女としての役割を果たし終えた今、私は、私自身で生活を送る、普通の生活がしたいと、心より思いました!  だから私はーーー聖女から村娘に転職して、自分の事は自分で出来て、常に傍に付きっ切りでお世話をする人達のいない生活をして、普通に恋愛をして、好きな人と結婚するのを夢見る、普通の女の子に、今日からなります!!!  聖女として身の回りの事を一切せず生きてきた生活能力皆無のリーシャが、器用で優しい生活能力抜群の少年イマルに一途に恋しつつ、優しい村人達に囲まれ、成長していく物語ーー。  

処理中です...