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1章.妹君は少年伯と出会う

7.妹君は真面目にお掃除した②

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 教えると言っても、デボラはリーゼロッテの仕事ぶりに全く口出ししてこなかった。ただ監督官のように掃除するリーゼロッテをじっと見つめるだけだ。視線を感じつつも必死に手を動かし続けた。

 ひとしきり掃除したリーゼロッテが顔を上げると、既に掃除が終わった部分を眺めるデボラと目が合った。無表情でまじまじと見つめてくるデボラに、なにかしでかしてしまったのではないかと不安に駆られる。

(どうしましょう、もしかしてどこか至らない点があったのかしら)

 ほうきを持つ手に力が入る。

「あんた……ホントに御令嬢かい?」

 デボラの問いに意表を突かれたリーゼロッテは、一拍置いてぎこちなく小首を傾げた。

 聞けば今まで何人もの貴族令嬢が奉公人としてやってきては、デボラや他の使用人を見下し、掃除洗濯もそこそこに、ユリウスに取り入ろうとばかりしていたらしい。

 デボラ自身、好き放題振る舞う貴族令嬢たちには辟易していた。少なくとも、聖女に害意を成したとされるリーゼロッテを奉公人として受け入れると聞いた時さえ、口には出さずとも「またか」とうんざりする程度には。

 そんなデボラの気持ちをよそに、リーゼロッテは文句も言わず粛々と掃除をこなした。その上その仕上がりは、長年使用人として勤めるデボラさえも舌を巻くものだというから驚きだ。

 手放しに褒められた経験が乏しいリーゼロッテは、困惑したように視線を地に這わせる。

(こういう時、どんな顔でどう返せば……)

 そもそもリーゼロッテがなぜベテランの使用人を唸らせるほどの掃除ができるかというと、長年のディートリンデの嫌がらせにある。

 彼女はリーゼロッテの善行を自分のものにするだけでなく、よくリーゼロッテの自室を荒らした。物を壊すに飽き足らず、部屋全体に小麦粉を撒かれたことも、服全部を安いワインで汚されたこともあった。

 その度に父や継母ままははに訴えたが、何度も何度も繰り返されたそれに、次第に父親もまともに取り合わなくなった。ついには「自分で汚したのだろう、自分で片付けなさい」と、使用人たちが部屋に出入りすることを禁止した。

 途方に暮れたリーゼロッテを助ける者は当然いない。しかし荒れたままの部屋では過ごせない。なにより少しでも汚れていたら、きっと両親は彼女を更に鬱陶しく思うだろう。

 嫌がらせがある度に彼女はただ黙々と掃除や洗濯、裁縫、片付けをし続け、いつしか使用人以上の腕を身に付けた──いや、身に付けざるを得なかったというわけだ。

 デボラの疑問に正直に答えれば、今後彼女に変な気を遣わせてしまう。かと言って、その場でうまい嘘をつけるほどリーゼロッテの口は達者な方ではなかった。

(どうしましょう……)

 苦い思いが絡みつきうまく返答できないリーゼロッテの様子に、デボラは「ま、いいさ」と肩をすくめた。

「デボラ」

 唐突に中性的な声がホールに短く響く。リーゼロッテが振り向くといつの間にそこにいたのか、コートの下に軍服を身に付けたユリウスが階段を降りてきた。

 端に避けて玄関までの道をあけるデボラに倣おうとするが、「あんたは玄関の扉開けて」と小さく指示が飛ぶ。

「ユリウス様、どうなさいましたか?」

 先ほどまでの砕けた口調をガラリと変えたデボラが静々と問う。

(やはり彼が正真正銘の辺境伯なのだわ)

 ではなぜ子どもの姿なのか、とリーゼロッテは訝しんだが、それを屋敷に来たばかりの彼女が誰かに聞くには些か不躾な質問に思えた。

「今から少し出る。帰りは遅くなる。緊急の用件があれば騎士団の方に連絡してくれ」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」

「い、いってらっしゃいませ」

 用件を手早く伝え、出て行こうとしたユリウスは、頭を下げるリーゼロッテの前ではたと立ち止まった。

「リーゼ、顔を上げろ」

 戸惑いながらも顔を上げるが、ユリウスの鋭い視線にいたたまれなくなった。

 今の彼女は膝丈の黒ワンピースに白のエプロンというスタンダードなメイド服を着ている。ハイベルク家のメイドの古いお仕着せだ。道中、馬車の中でほつれや穴は直せたが、それでもデザインの古さや毎日のように袖を通したためにできた布地のテカりはどうしようもない。

 しかしほとんどの服を八つ裂きにされ、新しい服を買うお金も時間もなかったリーゼロッテには贅沢も言っていられない。

(わ、私は壁……私は壁……)

 心の中で呪文のように唱え、幾分か落ち着きを取り戻す。

 ユリウスはリーゼロッテより少し背が高いくらいだが、彼の鋭い眼光やまとう雰囲気がそう感じさせるのか、実際よりも大きく見える。

 そうして微かに息を呑む音が聞こえ、彼はぽつりと「違うな」と呟くと、デボラを呼んで何かを言付けた。その様子に一度落ち着きかけた心がまたもざわつき始める。

(違う……まさかこの屋敷に私の存在自体が合わないという意味では……)

 気もそぞろにユリウスを送り出すと、背後に立ったデボラがポンと肩を叩いた。その顔はニコニコ、と言うよりもニヤニヤとしている。まるで何かいたずらを思いついた幼子のような表情に、リーゼロッテは顔を引きつらせた。

「じゃ、そういうことだから」

 と、半ば強引に使用人控室へと連れて行かれたのだった。
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