竪琴の乙女

ライヒェル

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六章

亡きシルビア王妃の書庫

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視線を動かすと、丁度議会場へ到着したらしいユリアスが居た。後方にやっぱりぞろぞろ護衛が付いている。
カスピアンの兄君、つまり王室の人間に対しては敬意を示す必要があるので、今度はちゃんと丁寧にお辞儀をした。
「随分と顔色がよくなったようだ」
「昨日は、大変失礼しました」
余計な事を言わないように気をつけて、言葉少なに答える。
ユリアスは金色の瞳を細めて、にっこりと華やかに微笑み、私の手を取った。
「今日はまた一段と美しい。ご覧、皆が麗しい君の姿を一目見ようと必死だ」
しょっぱなから歯の浮くようなお世辞に吹き出しそうになるのをぐっと堪える。
「議会など退屈なところに行くより、是非、君と二人きりで話をしたいね」
冗談だとは分かっていても、流石に反応に困る。
社交に長けており、外交に関わる交渉の手腕はピカイチとの話は、この流暢な話術を見れば納得出来る。でも、さすがにこのように口説き文句に聞こえかねないことまで悪気なく口にするのは、問題じゃないだろうか。
「ユリアス」
背後から声がして、ハッとすると、目の前のユリアスがにやりと意味深な笑みを浮かべた。
振り返ると、ものすごく不機嫌そうにしかめっ面をしたカスピアンがいた。
仁王立ちで腕組みをして、じろりとユリアスを睨んでいる。
どうやら、さっきの台詞は、カスピアンが私の後ろにいると知っていて、わざと口にしたらしいと気がついた。つまり、ユリアスの質の悪い悪戯だったらしい。
ユリアスは軽く私の手の甲に口づけると、可笑しそうに目配せをした。
「セイラ、とても残念だが、またの機会に」
華麗な所作で身を翻し、護衛を引き連れて議会場へと去って行くユリアスの後ろ姿を呆然と眺める。
「あいつは……」
イライラしたように呟いたカスピアンは、依然として混雑している議会場の出口に目をやり、皆の好奇の視線に深々とため息をついた。
ユリアスは、カスピアンとはまるで真逆のタイプ。
母親が異なるとはいえ、ここまで性格が違うなんてびっくりだ。
でも、私をダシに使って、カスピアン相手にこんな際どい冗談を言えるなんて、それだけ仲がいい兄弟だということだろう。
「面白いお兄様だね」
思った通りの感想を述べると、カスピアンは苦虫を噛み潰したような表情で私を見下ろした。
「あいつを相手にするな。口から先に生まれたようなやつだ」
言い得て妙だと思って、笑いたいのを必死で我慢する。
カスピアンは腹立たしそうに出口に集まっている集団を一瞥すると、私の背を抱いて議会場に背を向けた。
「書庫に行くのだろう。送ってやるから来い」
肩を抱かれて歩きながら、ドキドキする胸を抑えた。
昨日、お互いの気持ちを告白し合ったばかりで、今はいわゆる恋人同士という関係なのだと思うと、どうしても胸が高鳴ってしまう。熱くなる頬を隠そうと、つい、俯きかけて、慌てて顔を上げる。あちらにもこちらにも視線がある限り、気を緩めるわけにはいかない。
どこかからか、殺気立つような強い視線を感じ、一瞬だけその方向に目を走らせ確認しようとした。しかし、衛兵は皆、同じ濃紺の制服に帽子姿で立っているし、女官も皆、同じ制服でお辞儀をしていて、結局それが誰の視線なのかはわからなかった。
議会場の上階に行くと、いくつかの小部屋があった。
カスピアンが胡桃色の扉の前で足を止めると、サリーが持っていた鍵をカスピアンに渡す。
カチリ、と静かな解錠の音が回廊に響くと、扉が音も無くゆっくりと開いた。
「ここは、母、シルビアが使っていた書庫だ」
直射日光が入らないように、臙脂色のカーテンがかけられた大きな窓と、たくさんの書物が奇麗に並べられた本棚の列、座り心地のよさそうなカウチや、勉強に最適なデザインの木製のデスクと椅子。クリーム色のきめの細かい絨毯が敷き詰められて、とても心が落ち着く場所だ。
思わず感嘆のため息をついて、ぐるりと書庫を見渡した。
「シルビア様は、ここでお妃教育の勉強をされました。正妃様になられた後も、ここでお手紙を書かれたり、幼い頃のカスピアン様のお勉強を見られたりと、長い時間をお過ごしになっていたのです」
サリーが懐かしそうにそう言って、デスクの上に置いてある羽ペンやインクのボトルを指差した。
「これらもすべて、シルビア様のものです。お亡くなりになってからは、誰も入室を許可されておりませんでした。きっと、セイラ様がお使いになられるのを、シルビア様も心からお喜びのことでしょう」
サリーの話を聞きながら、私は棚に整列しているたくさんの書記や本の題名を眺めた。よく見れば、子供向けの絵本のようなものもある。目についた、黄色のカバーの絵本を手に取ってみた。
可愛らしい挿絵のあるその絵本のページを捲っていると、落書きを見つけた。
「これ、カスピアンが?」
そのページを見せると、カスピアンが私の指差すところを見て、クスッと笑いを零し頷いた。
「陛下も、王立学校が終わるとよくこちらにいらして宿題をされていました」
サリーが懐かしそうに微笑みながら、私が持っている絵本を覗き込む。
ここは、カスピアンと母シルビアの思い出がいっぱい詰まったところなのだ。
目を閉じれば、優しい母に甘える幼いカスピアンの姿が見えるようで、胸がいっぱいになる。
こんな心が温まるところで学ぶことが出来るなんて、なんて幸せなのだろう。
「有り難う、カスピアン。こんな素晴らしい書庫を使わせてもらえるなんて、とても嬉しい」
心からお礼を言うと、カスピアンが目を細めて微笑んだ。
俄然お妃教育に向ける闘志が出て来て、やる気が漲ってくる。
絶対に、しっかりと学んで、シルビア様をがっかりさせないような王妃にならなくては。
「陛下、そろそろお時間です」
書庫の外でエイドリアンが声をかける。
議会も、カスピアンが来ないと始まらないのだろう。
せっかく会えたのにすぐにまた居なくなってしまうと思うと、やはり寂しい気持ちになるのは止められない。でも今は私自身も予定が詰め込まれているわけで、寂しいなんて言っている暇もない。常に忙しければその分寂しさも紛れるわけで、そう言った意味では、予定をガンガン入れられるほうが好都合だ。
書庫見学の後は、乗馬の講師との面会、そして長丁場になりそうなマゼッタ女官長のマナーレッスンだったなと思い出しながらカスピアンを見上げた。
彼が穏やかに微笑んで両腕を広げたのを見て、ドキドキしながら近づいてその背に手を回した。
ぎゅっと力強く抱きしめてくれるカスピアン。
心が通じ合ったのは夢じゃなかったんだと、嬉しくて私も力一杯彼の大きな背を抱きしめ返す。
目を閉じて聞く彼の心臓の鼓動。
心が安らぎで満たされる。
「また夜に会いに行く」
頭上で聞こえる低い声も、とても優しく耳に響く。
「待ってるね」
嬉しくて頬が熱くなるのを感じながら、しっかりと頷く。
私の背を抱く腕が緩んだかと思うと、ふいに抱き上げられて体が宙に浮いた。
いきなりの高さに思わず両手をカスピアンの肩に乗せ彼を見下ろすと、そのまま引き寄せられて唇が重なる。カスピアンは私の額にも口づけを落としてから、そっと私を絨毯の上に下ろした。
突然のことにドキドキしていると、カスピアンは難しい顔で、何かを思案するように私の顔をじっと見つめ、やがてサリーを振り返った。
「サリー。奥宮を出る時は、セイラの髪をベールで隠せ」
「かしこまりました」
眉間に深い皺を寄せ未だに硬い表情のカスピアン。
「今後、書庫に来る時は、議会場の前の階段は使うな。手前の階段から上がれ」
「かしこまりました」
サリーが、心得たというように即答すると、彼は少し表情を緩めた。
そして、私の熱い頬に一度手を触れた後、エイドリアンを引き連れ書庫を去って行った。
未だに動悸の収まらない胸を抑えていると、サリーに指示を受けたエリサが、ベールを取りに行くために足早に出て行く。
サリーが可笑しそうに目を細めて私を見る。
「陛下があれほどの心配性だとは存じませんでした」
「心配性?」
私が寝込んでいる時にとても心配していたのは知っていたが、どうやら別の話をしているようだと思い聞き返すと、頬を赤く染めたアリアンナが笑い出した。
「セイラ様があまりにお美しいから、他の男性に見せたくないと思われているんですよ!」
「困ったものですね。王妃様になられたら、それこそ国内外、多くの人から見られることになるのに、陛下はどうされるおつもりなのか」
サリーがクスクスと笑いながら、カーテンを開き窓を開けると、暖かな午後の日差しが書庫を照らす。カーテンがふわりと揺れ、初秋の柔かな風が流れ込んで来て、私はゆっくりと深呼吸をした。
こんなに幸せでいいのだろうか。
そんな贅沢な悩みを抱えながら、本棚に目を走らせる。
「サリー、ここにある本は、借りて部屋に持って行ってもいいの?」
「もちろんです」
「よかった!」
この国を知るために、ひいてはカスピアンを知るためにも、少しでも多くの知識を得たい。
ラベロア王国の文字は、表意文字である漢字とは違い、いわゆる英語などに使われるアルファベットと同じ表音文字。つまり、極端な話、ラベロア王国で使われている30個の文字さえ読み書き出来れば、後はスペルを覚えればいい。アンリに教わっていた事もあり、現時点でかろうじて文字は読めるのがせめてもの救いだ。書くほうはまだ殆ど出来ないけれど、毎日練習すればなんとかなるだろう。
アリアンナに手伝ってもらいながら、借りる本を選んでいると、ノックの音がした。
サリーが扉を開けると、一人の若い衛兵が敬礼し立っていた。
「サリー様。セイラ様のお迎えに参りました」
もしかして、乗馬の講師をしてくれる騎士かと思い、持っていた本をアリアンナに渡して扉のほうに向かう。深々とお辞儀をしている騎士の前まで来ると、サリーがにっこり微笑んだ。
「セイラ様。乗馬の練習を担当するエリオットです。まだ若いのですが、昨年の馬術大会で優勝した実績があります。今年、高位騎士に昇格し、王宮の出入りを許されております」
王宮内への出入りを許されている高位騎士と、そうでない下級騎士がいる、くらいの大まかな違いしかわからないが、恐らく、この2グループ内も更に何段階にも階級が分かれているのだろう。この辺もちゃんと調べ、把握しなければならない。騎士階級のシステムも詳しく知らないのに、知ったふりをして昇格について何か言うのも気が引けるので、余計な事は口にしないことにする。
「エリオット、私は本当の初心者なので、迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
へりくだってはならない、とサリーにうるさく言われているので、例え講師相手でも、敬語くらいの丁寧さで話さなくてはならない。
ようやくエリオットが顔を上げると、しっかりと私の顔を見た。
恐らく、エリサやアリアンナと同じくらいの年齢に見える彼は、騎士の割にはすらりとして、明るいチョコレート色の短髪に、聡明さが現れている落ち着いたヘーゼル色の目をしていた。他の皆のように好奇の視線を向けられることを予想していたが、意外にも、彼は落ち着いた様子で私をじっと見た後、人懐っこい笑顔を浮かべ再度、深々とお辞儀をした。
「セイラ様。このような役目を仰せつかり、身に余る光栄です」
厳格な講師が来るのかと思っていたが、肩を張らずに楽しみながら乗馬の練習が出来そうな感じだ。
少しホッとして、胸を撫で下ろす。
「今日は、セイラ様が明日からお乗りになる馬をご覧いただきながら、馬について理解を深めていただきます」
「ありがとう」
私が乗る馬、という言葉にドキドキして、声がうわずってしまった。
エリオットの案内で厩舎に向かうため、サリーや護衛達全員をぞろぞろ従えつつ、書庫を後にしたのだった。
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