竪琴の乙女

ライヒェル

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五章

告白

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自信と威厳に満ちた微笑みを浮かべ、堂々としたカスピアンの横顔が見える。
その雄々しい横顔が、とてつもなく遠くに感じ、胸が潰れるように痛かった。
私の頭は完全にショートしてしまい、真っ白になっている。
ユリアスが私の手を引いて前に出て、シーラ公国のヴェルヘン侯爵へ、何か見送りの言葉らしきことを述べている間、私はただ目を伏せて立ち尽くす。
この場を今すぐ去りたい強い衝動に襲われながら、なんとか踏み留まるべく耐えていると、体がぶるぶると小刻みに震えてしまう。
私が緊張していると思ったのか、ユリアスが私の手をきゅっと握りしめて、励まそうとしてくれているのがわかる。
どうにかしてこの場は切り抜けねばと必死の思いで、身を固くし震えを押さえようと努力した。
「近いうちにまた、ウィスラー閣下には、我が国へお越し頂きたいと、フィンレイ大公からも言付かっております」
「ええ、是非とも」
ようやくユリアスと侯爵との会話が終わりそうだ。
「ところで、こちらの姫君には、初めてお目にかかるようですが……」
「あぁ……」
ユリアスが私の背に手を添えて、顔をあげるように促す。どうにか無理矢理笑顔を作り、侯爵にむかって丁寧にお辞儀をした。
「次の機会に、正式に紹介しますよ」
「おぉ、それはそれは。では次回は是非我が国へ、姫君もお連れ下さい。では、楽しみにしています」
「えぇ、ヴェルヘン侯爵。きっと近いうちに」
ユリアスの言葉をどういう意味で受け取ったのかは不明だが、初老の侯爵はご機嫌で笑いながら、私に向かって礼をした。
なんとかこの危機を乗り越えた。
一刻も早くこの場を去りたい。
ユリアスの手から自分の手をむしり取って、一目散に逃げ出したい気持ちを押し留めながら、なんとか貼付けた笑顔で侯爵の後ろ姿を見る。
そして、こちらに目を向けたカスピアンと視線が合った。
彼は大きく目を見開いてこちらを凝視している。
彼がものすごく驚いているのは確かだ。
でも、私の目は、カスピアンから離れてその隣にいた姫君に移る。
優雅な身のこなしで振り返ったのは、すらりと背が高く、まるで天使のように美しい、生まれながらの姫君だった。
美しく結い上げたブロンドの髪をさらに際立たせる、ダイヤモンドが鏤められた銀色のティアラ。
サファイアのように輝く青い瞳は、まるで夢を見ているように煌めいている。
彫刻のように整った繊細な顔立ちは気高くて、同性の私でも息をのむような美しさ。
堂々たる国王カスピアンの隣に立つのに相応しい、本物の姫君だ。
やがて彼女がカスピアンに、花が開くような華やかな微笑みを向けたのを合図に、二人は揃って、侯爵を見送るため扉の外へと歩き出した。
美しい姫君の手を引き、優雅にエスコートしている立派な国王然としたカスピアンの後ろ姿に、涙がこぼれ落ちた。
やっぱり、現実はこんなものだ。
当たり前といえば、至極当たり前のこと。
カスピアンのような立場にいる人が、私みたいな人間を手に入れたがるのは、興味本位で、ペットを飼うような感覚なのだろう。
一国を司る国王であるカスピアンを隣で支えるのは、高貴な生まれの姫君でなければ務まらない。あの姫君はきっと、生まれてからずっと、お妃になるための教育を受けて来たに違いないだろう。本当に、そこに立つだけで回りが跪いてしまうような、そんな際立つ存在感がある女性だった。
一体私は何を考えていたのだろう。
私みたいな普通の人間が、王室に相応しいはずはない。
そんな器量もなければ、教育も受けていない。
せいぜい、頑張っても愛人?
そんなの、絶対に嫌だ。
もう、彼と顔をあわせたくない。
こんな醜い嫉妬をしている自分を見られたくない。
もう、王宮には居たくない。
独り占めなんて出来るはずがない人を好きになってしまった自分が悪いのだ。
悔やんでも悔やみきれない、己の愚かさ。
激しい後悔とショックがぐるぐると頭の中を駆け回る。
「セイラ?顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
ユリアスが気遣うように声をかけてくれるが、とても返事をする余裕もない。
一刻も早くこの場を逃げ出したい衝動を必死に耐えていると、広間の端のほうからサリーがやってきて、ユリアスの背後にまわる。
「ユリアス様、セイラ様は病み上がりですので、もうここで失礼させていただきたく存じます」
「そうだったね。では、ここで」
納得したようにユリアスが私をサリーに引き渡した。
「また近いうちに。今度はゆっくり話をしよう」
にっこりと微笑まれて、なんとか作り笑顔で挨拶をすると、くるりと広間に背を向け、震える足で歩き出した。
走り出したい衝動を必死に抑えてはいるけれど、優雅に歩くなんて出来るはずもなく、広間から離れるに従い、気がつけば早足になっている。私の手を引いて誘導しながら歩くはずのサリーが、私の歩く速さに合わせて小走りになり、焦ったように私を止めようとした。
「セイラ様、お待ちください!」
「……」
見覚えのある奥宮に足を踏み入れるなり、私は走り出した。
もう、これ以上、平静を装って歩くなんて、無理!
「セイラ様!」
サリーの叫ぶ声が聞こえたけれど振り返らず、ドレスの裾をたくし上げて一気に階段を駆け上がる。
マナーなんてクソ食らえ!
私は、姫君でもないんだから!
心の中でそう叫び、上品の欠片もない勢いで走り、驚いて扉を開けた衛兵に目もくれず、部屋に飛び込んだ。
咄嗟に、二人掛けのカウチを掴み、扉の前まで移動させようと力一杯押す。
決死の思いで押すと、重いカウチがゆっくりと絨毯の上を滑る。
火事場の馬鹿力というべきかわからないが、サリーが扉を開けようとする直前、カウチが扉の前で止まった。
「セイラ様!開けてください!」
「駄目!お願い、一人にして!」
そう叫び返し、私はベッドに飛び込んだ。
扉がガタガタ動いているが、カウチの重みで動かないようだ。
さすがに衛兵を使っての強制突入まではしないらしく、サリーは扉の向こうから、辛抱強く私を呼ぶ。
クッションに顔をうずめるなり、一気に涙が溢れ出した。
衝撃と、悲しみと、混乱と、諦め。
これから、どうしよう?
自分の意思で、自分の世界と異世界を行き来出来るわけじゃないのだ。
空間を繋げる魔力のある、その復元した竪琴というのがどこにあるかも知らない。
場合によっては、このままずっとこの国に生きて行く可能性もある。
ほんの少し前までは、ここに留まりたいという強い想いがあったのに、今や、一瞬でも早く逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
自分の世界に戻れないのなら、なんとかしてアンリとヘレンのところに戻りたい。
それが無理なら、せめて、カスピアンが見えないところに行きたい。
先ほど目にした光景を思い出すだけで、胸が張り裂けそうになる。
失恋というのは、これほど苦しいものだったのか。
思い返せば、カスピアンは一度も、私のことが好きだとか口にしたこともなかったことに気がつく。
ユリアスみたいなお世辞さえ言われた事は無い。
さっき目にした、カスピアンの隣に居た姫君は、気高く、美しく、堂々としていて、嫉妬している私から見ても、本当に彼に相応しい女性に見えた。
カスピアンも、あんなに柔和な微笑みを浮かべて、彼女を見ていた。
それに、私が知らないだけで、あの姫君以外にも、お妃様がすでにいる可能性だってある。下手したら、子供だって生まれてるのかもしれない。
そこまで考えてショックのあまり吐き気がした。
あんまりだ!
どうして、私は彼に恋をしてしまったのだろう。
挙げ句に、この国へ戻るきっかけを自分で作り出して、彼のところへ来てしまった。
自業自得。
ちょっと考えればわかったはずなのに。
カスピアンは世嗣ぎ王子だった。
父王も複数の妃がいたじゃないか。
エティグス王国のルシア王子だって、すでに二人もお妃様が居た。
一国の頂点に立つ国王や王子達が、複数のお妃様を娶るのは、常識。政治的にも、王室存続のためにも、そうせざるを得ないのだ。
彼を好きになってしまう前になぜ、よく考えなかったか、自分の無知さを呪う。
この国で生まれ育っていたならともかく、一夫多妻制なんてほぼありえない世界に居た私には、どうしても受け入れられない。
どんなに彼の側に居たくても、心が壊れてしまうから、絶対に無理。
しばらく声を殺して泣いた後、疲れきってしまい、ベッドに仰向けにひっくりかえって茫然自失となる。
これから、どうしたらいいのだろう。
扉の向こうで私を呼んでいたサリーの声もいつの間にか聞こえなくなっていた。
しーんと静かになったこの部屋で一人きり。
単細胞の私が思いつくのは、また、ここから逃げ出すこと。
バルコニーに出てみて地上までの距離を確認してみたが、どう考えてもそこから降りるのは無理そうだった。
もう夕刻で薄暗くなっているし、下の方には警備の兵士が巡回しているのも見えた。
諦めて部屋に戻ると、扉を強くノックする音が聞こえた。
「セイラ。ここを開けろ」
カスピアンの声に、飛び上がるほどに慌てる。
よく考えたら、王子の間から衣装部屋を通ってこちらに来る事だって出来るのだから、逃げる事は出来ない。
でも今は絶対に会いたくない!
扉がギシギシと押されて、カウチがゆっくりと絨毯の上を滑り出すのが見え、仰天した。
扉が開くのはもう、時間の問題。
部屋の中央で足がすくみ、どこか隠れるところがないか探そうとして、とっさに衣装室に駆け込み、そのまま薄暗い王子の間に飛び込み、扉を閉めた。
どこか身を隠すところがないか探して右往左往していると、正妃の間の扉が開く音が聞こえ、急いで目についた熊の剥製の後ろに身を隠した。
子供染みて情けないと思ったけれど、今、カスピアンと向き合う勇気はない。
会ったら絶対、言ってはならないことを口走ってしまう。
お願いだから、今は一人にしてほしい。
膝を抱えて熊の後ろで小さくなり、息を潜める。
正妃の間のほうで人の気配がしたが、ほどなくして衣装部屋のほうで物音がし、王子の間に繋がる扉が開く音がした。
カスピアンが、この薄暗い部屋に入ってきた。
もう、ここに逃げた事がバレているのかとショックを受けながら息をひそめていると、部屋がぼんやりと明るくなり、ランプが暖炉の上に置かれる音がした。
「セイラ。なぜ隠れる」
苛立っているような低い声が聞こえて、絶対に声を出すまいと両手で口を覆うが、灯りに照らされたカスピアンの影が、こちらにまっすぐ近づいてくるのが見えて気が動転する。
熊の剥製の目の前で立ち止まった気配に、思わず飛び出して逃げた。
どこに逃げればいいのかも分からず、目についた一番大きな家具である天蓋付きベッドの向こうに逃げた。
「セイラ!」
「来ないで!」
ベッドを挟んだ反対側にいる、怒ったように目を吊り上げたカスピアンと対峙する。
「お願い!一人になりたいだけなの!」
「何故だ!」
「お願い、来ないで!」
カスピアンが動くと、私も反対側に逃げるという、ベッドを中心にぐるぐると時計回りの状態をしばらく続けていると、カスピアンが腹を立てたようにマントと剣を乱暴にもぎとり後方へ投げ捨てた。と、突然、彼は反対側からベッドを一気に飛び越えた。
「あっ」
一瞬で片腕を掴まれる。
腕をもぎ取りすり抜けようとしたが、そのまま力づくで抱きしめられた。
「は……離してっ」
泣きそうになって、必死でその胸を押し返すが、一ミリも動きはしなかった。
「何故私から逃げるのだ!3年もの間、おまえの帰りを待っていたというのに。もう二度と離れることは許さぬと申したであろう」
明らかに怒りを含んだ声が降ってきた時、もう、限界を超えてしまい、私は両手で顔を覆った。
「戻るなり意識を失ったおまえのことを、どれほど心配したことか。やっと目覚めたと聞き、昨夜、はやる気持ちで会いに行けば、おまえはまた眠っていたのだ。一日千秋の思いで、今日のこの時を待っていたというのに」
その言葉に、胸が痛くて、反抗するのも辛くて、もう、耐えられなかった。
さっき散々泣いて泣きつかれていたのに、涙だけがぽろぽろと勝手に落ちてくる。
私が一変して静かになったのに気がついたのか、カスピアンの腕の力が緩んだ。
この温かさに包まれるのが今はただ苦しい。
私だけに与えられる温かさじゃないと、知ってしまったから。
「何故泣く」
静かな声で聞かれて、私はただ、首を振った。
自分がなぜ傷ついているかなんて、答えられない。
「ユリアスに何か言われたのか」
見当違いな質問に、大きく首を振った。
カスピアンはしばらく黙っていたが、やがて、ため息をついた。
「強情なやつだ。いいだろう。おまえが話すまで、待ってやる」
そう言うと、私を抱きしめたままベッドの上に身を沈めた。
大きく深呼吸をして、私を再度しっかりと両腕で抱きしめるカスピアン。
頬がぴったりとその逞しい胸にくっついて、カスピアンの心臓の音が聞こえてくる。
男らしいその広い胸に抱きしめられたのは、これで何回目だろう。
とても悲しくて苦しいのに、気持ちに反して胸がドキドキと高鳴っていく。
こうして抱きしめられてドキドキしているのは、自分だけじゃないのに。
それなのに、このままずっと彼の体温を感じていたいと思ってしまう。
どうしてこんなややこしく、辛い恋をしてしまったのだろう。
カスピアンがただの人だったらよかったのに。
どうして、国王になるような人に恋をしてしまったのだろう。
まるで子猫をあやすように、カスピアンがゆっくりと私の髪を指で梳いている。
とても心地よくて、もうこのまま永遠に時が止まればいいと思った。
「体の調子はどうだ」
「……」
声を出すと泣き出してしまう気がして、返事をする代わりにゆっくり頷いた。
「もはやおまえ一人の体ではない。大事にしろ」
その言葉の真意をはかりかねて、少し顔をあげてカスピアンを見た。
先ほどまでの怒った顔ではなくて、落ち着いてくつろいでいるような柔らかな表情をしている。
「機嫌は治ったか?」
目を合わせるつもりがなかったのに、つい顔をあげていたことに気がつく。
優しさを帯びた目に見据えられて、切なさが一気にぶりかえし、視界が涙で揺れた。さっき、あの姫君に向けられていた彼の微笑みを思い出し、涙が勝手に溢れてしまう。
「どうしたのだ。話してみろ」
困惑気味にそう静かに囁いて、なだめるように私の背中を撫でるカスピアン。
乱暴な一方で、こんなに優しい一面もあるのを知っているのは、私だけじゃないと思うと、ますます辛くなる。
泣くまいと瞬きをする度に、ぽろぽろと涙がこぼれてしまう。
「おまえに泣かれるのはどうにも敵わぬ。何があったのだ」
そう言われても、とても答えられない。
言ったところで、カスピアンを困らせるだけだ。
私が話すつもりはないとわかったのか、カスピアンは大きくため息をついた。
「おまえが黙り続けようと、婚儀は遅らせはしない」
その言葉に、思わず息をのむ。
「……婚儀?」
やっと口にした疑問は、泣きつかれていたせいか掠れていた。
私の質問に、カスピアンは苦笑いした。
「何を呆けたことを聞く。おまえを私の妃にする式だ」
心臓が大きく跳ねると同時に、胸が強烈にきしんだ。
「……い、嫌!」
私の口から飛び出した言葉を耳にしたカスピアンが、明らかに気分を害したように眉をひそめ、じろりと私を睨んだ。
「何を言うのだ!おまえはこうして、私のもとへ戻って来た。今更嫌などとは言わせぬぞ」
「どうして?どうして、そんなことを言うの?」
耐えられずに、声をあげた。
「なんのために?私は、貴方がわからない……」
「おまえが欲しいからだと以前も言っただろう」
「私はものじゃない!猫でもない!それに、お妃なんて、何人も要らないでしょう?」
我慢出来ず、ついに、心の声を吐き出してしまい、すぐに後悔してうつむいた。
言ってしまった。
こんなことを口走って、カスピアンを困らせてしまうのは避けたかったのに。
なぜなら、カスピアンは何も、悪い事をしているわけじゃない。
この国で、彼の立場なら、当然のことなのだから。
「おまえは……」
カスピアンがそう言いかけて、じっと私を見つめた。
先ほどまでの苛立った表情は失せて、彼は苦々しい顔で私を眺めていたが、やがて、静かに口を開いた。
「おまえは何かまた、勘違いしているのではないか」
「……勘違い?」
状況がよくわからず、おうむ返しになってしまう。
カスピアンは、眉間に深い皺を寄せてじっと私の顔を見つめた。
「妃にと望んでいるのは、おまえだけだと言っただろう」
そんなことを聞いたような、聞いた事無いような、記憶があやふやだ。
「……よく覚えてない……けど、でも、もう、お妃様がいるのに……」
「なんだと?」
目を見開いて、カスピアンが聞き返した。
黙ってうつむくと、やがて、彼は飽きれたように大きくため息をついた。
「サーシャのことを言っているのか?」
「サーシャ……?」
「今日おまえが見たのは、サーシャだ。おまえが戻るまでの間、暫定的に妃候補として任命し、必要な時に公務に同行させているだけで、あれは妃ではない」
「えっ……」
「妃が一人もいない国王など、前例もなかったのだ。国王として執り行う行事や祭儀は、妃の同伴なしでは行うことが出来ないものも多い。諸外国の目もある故、苦肉の策としてとった方法だ。今日は、ユリアスもロリアンが不在で、通りかかったおまえを同行していただろう。あくまで形式的なものだが、公務を行う上での礼儀や決まり事というものがあるのだ」
呆然としてカスピアンの説明を聞く。
それじゃ、本当に私の勘違いだったということだろうか。
一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、頬が熱くなる。
カスピアンが意地悪そうな笑みを浮かべ、燃えるような私の頬を撫でた。
「そうか。おまえが不機嫌だった理由は、これだったか」
返事をするまでもなく、今度は羞恥に耐えられず、両手で顔を覆って隠す。
「まぁ、いいだろう。今回に限り、おまえの無礼を許してやる」
「……ごめん、なさい」
蚊の鳴くような声しか出ないくらい、恥ずかしさでいっぱいだった。
「3年もの間、毎日のように、早く妃を娶れとうるさい周囲を黙らせるのに、どれだけ骨が折れたか」
本当にうんざりしたようにそう呟いたカスピアンが、ニヤッと笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。
「おまえは、私が他に妃を娶ると思って泣いていたのか」
図星を指され、カッと顔が熱くなり、うつむいた。
「案ずるな。この腕に抱くのはおまえだけだ」
意地悪そうな笑みを浮かべているのに、深い優しさを帯びたその声音に、胸が熱くなる。あれほど切なくて悲しかったのに、今はもう、込み上げてくる幸せで熱い涙が溢れた。
「カスピアン」
その逞しい首に両手を伸ばした。
こんなに傷ついて泣いたのも、それだけ私が貴方に恋しているからだ。
「貴方の側に居たい」
素直な気持ちが溢れ出してもう止められない。
「好き……」
独り言のようにそう呟いた。
もう、絶対に離れたくない。
ドキドキと高鳴る胸の苦しさを隠すようにカスピアンの首にしがみついた。
私の背を撫でていたカスピアンの手が止まる。顔を上げてみると、不貞腐れたように目元を薄く染めたカスピアンと目が合った。
私がいきなり、好きなんて言ったから動揺したのかもしれない。
「ごめん、あの……」
どうしたらいいのか分からず、何か言い訳でもとうろたえると、カスピアンが手で私の口を塞いだ。
これ以上喋るなということかと思い押し黙る。
不意にその手が離れ、私の頭を引き寄せたかと思うと、彼は唇を重ねた。
私の上半身を組み敷いて、荒々しく口づけてくるカスピアン。
ずっしりとのしかかってくる彼の重みに、心臓が早鐘を打ち始めた。
とても息苦しいのに、胸がときめいて、まるで天にも昇る心地になる。
それは、激情に攻め立てられているような激しい口づけだった。
熱い息が交じり合い、呼吸が乱れて、だんだん意識が遠のきそうになる。
「セイラ」
燃えるように熱い唇を私の頬に滑らせた彼の、掠れた声が聞こえた。
「おまえが、愛しい」
心臓がドキンと大きく跳ね、私は目を開き、カスピアンを見た。いつかのように、熱に浮かされたような眼差しが私を捕らえる。
私をまっすぐに見つめる、熱っぽく潤んだ彼の目。
大きな手が、そっと私の頬に触れた。
彼は、ゆっくりと、一語一語を噛み締めるように、その言葉を口にした。
「セイラ。おまえを、愛している」
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