竪琴の乙女

ライヒェル

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三章

国境を超えて

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セイラを乗せた馬車が国境に向けて速度をあげている頃、ラベロア国では流星群を迎え終わり、街も静けさを取り戻し始めていた。夜遅くまで大通りに出ていた国民は、興奮冷めやらぬ中それぞれ帰途につき、王宮でも、祭儀を終えた王族、貴族が続々と神殿から出て来た。
今年の流星群の数は昨年より多く、輝きが強いものが多かったことから、この先一年、国は豊かに安定するという占いの結果で、皆が喜びを浮かべご機嫌な様子だ。
カスピアンの元には、セイラは8時過ぎに就寝し、今晩は竪琴を奏でなかったとの報告が来ていた。父王も式典に出ていたため、竪琴を奏でる必要はなかったのだが、カスピアンは胸騒ぎを覚え、神殿を後にすると、早々に奥宮へ戻った。
王子の間に入り、エイドリアンに冠と剣を渡すと、まっすぐにセイラの衣装部屋に繋がる扉へ向かう。扉に手をかけ開けようとしたところ、裏側に何かがつっかえているのに気がつく。即座に思い切り扉を蹴飛ばすと、開いた隙間から、ガタガタと大きな音を立て衣装箱が崩れ落ちるのが見えた。
嫌な予感が脳裏をよぎる。
「セイラ!」
カスピアンは扉を蹴破り、足下に散らばる衣装箱を蹴散らし正妃の間に足を踏み入れた。
暗闇の中に見えるベッドの上で、不審に動く人影が見え、カスピアンは血相を変えた。
何かが確実におかしい。
シーツを剥ぎ取ると、結束され猿轡を嵌められた女官が下着姿でもがいていた。
愕然としたカスピアン。
「貴様、セイラはどうした!」
素早く猿轡をナイフで切り、女官を詰問する。
「も、申し訳ございません!」
ベッドから崩れ落ちた女官が叫びながら許しを請う。
「新顔の女官に頼まれ、共に届け物に伺ったところ、その女官が間者だったのです!」
「なんだと!」
カスピアンの怒声で、エイドリアンと衛兵達が駆け込んで来る。
正妃の間を警護していたはずの衛兵が、目の当たりにした状況に蒼白になる。
「つまり、間者が、お前を身代わりにし、セイラを女官にしたて、連れ出したと……」
泣き出した女官から手を離し、爛爛と燃え盛る目で部屋を見渡すカスピアン。
何者が手引きしたのか。
セイラが反抗せず、付いていくような、間者とは?
明らかにセイラは戸惑いもせず脱出している。
あれは、全く素性の分からない者についていくような阿呆ではない。
身の危険を感じれば、いつものように騒ぎ立てたはず。
どこかに、何か手がかりがあるはずだ。
カスピアンは、竪琴が置いてあったと思われる暖炉の上で視線をとめた。衛兵の掲げる明かりに反射し何かキラリと光るものがある。
眉を潜めたカスピアンはすぐにそれを手に取って確認する。
「!」
正妃の間にあるはずがないもの。
これは、エティグス王国の金貨。
では、ルシア王子の画策か。
やはり、セイラを狙っていたか。
「おのれ、ルシアめ、断じて許さん……」
カスピアンは金貨をきつく握りしめ、即座に踵を返した。
「エイドリアン、守備隊長を呼べ!直ちに後を追うぞ!」
カスピアンの怒号が真夜中の奥宮に響き渡る。
激情を露に鬼の形相で、切れて血が滲むほどきつく唇を噛みしめるカスピアン。兵士達が全員、蒼白になり大急ぎで捜索準備のため王宮を駆け回る。
「今晩、通常と異なり出入りが激しかった裏門から出たのは間違いない。どんなに早くても、馬車で行ける速さのはずだ。エティグスの国境へ向かえ!港も全て封鎖せよ!」
どう考えてもセイラが監視の厳しい山へ戻るはずはない。ルシアの手引きならば、セイラは望まずとも必ずエティグスへ連れて行かれるだろう。
エティグス王国に向かう経路は複数あった。
通常は海路だが、陸路もないわけではない。
軍の指揮官数人に指示を出し、早馬部隊を複数に分け、四方から複数ある港へ向かわせ、自分も裏門から山間を通り抜ける普段使われることのない経路で国境に向かう。人が近づくこともないその場所は、国境警備も配置されていないことから、今回逃げ道として使っている可能性は濃厚だ。
恐らくルシアは、港へ向かったエティグス王国の一行とは別れ、セイラを連れてその経路で国境に向かっているに違いない。
早馬で終えば、必ず追いつくはずだ。
いや、違う。
何があろうとも、追いつかねばならない。
セイラが、国境を超える前に。
猛烈な勢いで前へと全速力で駆け続ける愛馬の上、カスピアンは煮えたぎる怒りに身を震わせた。
「クソッ……!」
ここまで自分を翻弄し、侮辱した娘。
味わった事の無い屈辱感に理性が崩壊していく。
「……セイラッ!」
手綱をきつく握りしめ、暗闇に向かい絶叫するカスピアン。
烈火の如く怒り狂ったカスピアンが、激しい土埃をあげながら愛馬を駆けさせその距離を縮めている頃、 セイラの乗る馬車は国境の手前の森まで来ていた。




「ここで馬を変えます」
馬車を止めたエリックに言われ、ガクガクする膝でなんとか草むらに降りる。馬が鼻息荒く首を上下させているところを見ると、かなり疲労困憊しているのだろう。かれこれ3時間近くずっと走り続けさせたのだから無理も無い。
馬達に申し訳ないと思いながら、恐る恐るその太い首筋を撫でてみると、馬は嫌がる風でもなく、ブルブルっと鼻を鳴らしただけだった。
「セイラ様、こちらへ」
エリックに呼ばれて、馬から離れて森のの茂みのほうへ入ると、数頭の馬の影がそこに会った。
木々の隙間から差し込む月光に煌めく人影を見つけて、あっと気がつく。
暗い森の中、月光で輝く白馬に乗るルシア王子。
カスピアンも白馬だったことをふと思い出し、王子というものはいつも白馬なのか、と、どうでもいい事を一瞬考えて、慌てて取るに足らない雑念を頭から振り払う。
「ルシア王子、有難うございました、まさか本当に助けていただけるとは……」
お礼を言うと、馬上のルシア王子が、静かに笑い出した。
「何を悠長なことを言う。怒り狂ったカスピアンは、おまえを追って、もうすぐそこまで来ているぞ」
「えっ」
驚いて耳を済ますと、確かに、遥か遠くから、風に乗って、何やら大勢の声や馬の駆ける音らしい地響きが聞こえるような気がする。
もう、気づかれた!?
どうしてこっちの方だと分かったんだろう?
まさか、ルシア王子の手助けがあったこともすでにバレてしまったのだろうか。
サーっと血の気が引く音が脳内で聞こえた気がした。
真っ赤になり激怒しているカスピアンが見える気がして、恐怖で鳥肌が立つ。
「急がねばならぬ。さぁ、セイラ、こちらへ」
ルシア王子が手を差し出す。
迷っている暇はない。
深呼吸し手を出すと、ルシア王子が私の両腕を掴み、一気に馬上へと引き上げた。
人生で二回目の馬の背に、横座りになって、やはり、その高さに怖じけ付く。地上を見下ろし思わずこくりと息を飲むと、背後のルシア王子の声がした。
「馬には乗れるのか」
「い、いいえ」
振り返ると、相変わらず怖いくらいに整った端正な顔が間近にあった。私を見下ろす二つの真っ青な目が、何かを探るように怪しく光っている気がして、にわかに不安を感じる。
ルシア王子が僅かに口元に笑みを浮かべると、私の手を取り、自分のマントに掴まるよう指示した。
「ならば、しっかりと私に掴まれ。さもなくば落馬するぞ」
「……はい」
頷いて、両手でしっかりマントを握りしめた。
王子の静かな手合図で、一同が一斉に手綱を引き、馬を走らせ始めた。
馬車とは違い、風に乗るような滑らかな速度で、どんどん景色が背後へ飛んでいく。
激しく上下する馬の背から落ちまいと、必死でマントにしがみつく。
出来るだけ馬の動きと同調しようと呼吸のタイミングも合わせる努力をする。
カスピアンの馬に乗せられた時は、曲がりくねる山道を一気に駆け下りて、右に左へと、今にも振り落とされそうだったが、平坦で真っすぐな道を走る分は、しっかり掴まっていればなんとか耐えられる感じだ。 
馬車とは比較にならない速さで、薄暗い森の中を駆け続けることおよそ30分、従者の一人が前方から声を上げた。
「王子、まもなく国境です」
国境がもう間近だと知り、徐々に膨らむ不安を無理矢理押しのけ、吹き付ける風の向こうへ目を向ける。やがて、突然、視界が開けたと思うと、月明かりに照らされた巨大な崖が見えてきた。
王子が手綱を引くと、馬が大きくのけぞりながら停止した。
その勢いで、危うく馬から滑り落ちそうになった私をしっかり抱きかかえたルシア王子が、崖の向こうを指差した。
「あちらが我が国、エティグスだ」
どうやってここを渡るのだろうと唖然としていると、エリックが自分の馬を近くに寄せて、声をかけてきた。
「セイラ様、あちらの橋を渡るのです」
「橋……?」
指を指された方を見ると、崩れかけた崖がかろうじて向こう側と繋がっていた。
つまり、人間が架けた橋ではなく、自然に出来たものだ。
横幅は2メートルもないように見える。
距離にして、恐らく距離にして400mから500mくらいだろうか。
「普段この経路は使わないのです。本隊は港から船でエティグスへ帰国中なので、私たちだけが今回、この橋を使って国境を渡ります」
つまり、普段使わないこの、危険極まりない、崩れかけた崖で出来た橋を、私を救出するがためにわざわざ使うということらしい。
信じられない!
船で帰れるのに、私を連れているから、こんな恐ろしい橋を渡るだなんて!
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、沈黙してしまう。
「怖じ気ついたのか」
ルシア王子に聞かれ、首を振った。
「いいえ。見ず知らずの私のために、皆さんがこんな危ない道を通ることになるなんて……本当に申し訳ないです」
正直に答えると、目を丸くしたルシア王子が、面白そうに私の顔を覗き込んだ。
「泣かぬのか」
確かにものすごく怖いが、涙は出てこないので、黙ってその視線を返す。
「あの市場の時といい、なんとも、気丈な娘だ」
その言葉に、市場での事を思い出し、お礼を言う事を忘れていたことに気づく。
「あの時は、見逃していただいて有り難うございました。マントを、お返ししなければいけなかったのに」
ルシア王子は黙って私の顔を眺めていたが、やがてふと背後の森を振り返ると、独り言のように呟いた。
「……カスピアンの殺気だ」
そして、整列する連れの者をぐるりと見渡した。
「さぁ、行くぞ」
一同は順番に、前後に十分な距離を取りながら、ゆっくりと細い崖の道を渡り始める。
馬は高所恐怖症ではないのだろうか。
高いところが得意で岩肌を走り回る山羊とは違うだろうし。
ついにルシア王子の馬が橋を渡り始めた。
誰一人、口をきかないことから、馬も人間も、危うい足下に全神経を使っているということに違いない。
崖の下は真っ暗闇だが、水が流れているようなさざめきが聞こえ、冷たい風が時折吹き上がってくる。
恐怖で心臓がバクバクして、体の震えが止まらなくなり、顔を両手で覆う。今はとにかくただ、早くこの橋を渡りきることをひたすら願うことしか出来ない。
頭上で、くすくすと笑いを漏らしたルシア王子が、マントを引いてぐるりと私を包み込んだ。
「怖いか」
静かな問いに、黙って頷く。
「体の力を抜け。何も恐れる事は無い」
ルシア王子の落ち着き払った声に、再度、頷いた。
ゆっくりと上下に揺れる馬の背。
強めの風が吹きあげてくる度に、ぞっとして鳥肌が立つが、目を固くつぶり耐える。
やがて馬が歩みを止めた。
恐る恐る顔をあげ、マントの隙間から前方をのぞくと、松明を持った大勢の兵士が整列しているのが見えた。
全員無事にあの橋を渡りきって、エティグス王国へ入ったのだ。
「まもなくラベロア王国の追っ手が来るだろうが、決して通過は許してはならぬ。我が父王の正式なる入国許可の書状なくば、何人の入国も禁ずると申せ」
王子の言葉に、屈強そうなエティグスの兵士達が全員敬礼をした。
私は渡りきった橋の向こうに目を向けた。
押し寄せてくる焦燥感で胸が苦しくなる。
本当に、ラベロア王国を出てしまった。
これで良かったのだろうか。
私は、大きな過ちを犯したのではないだろうか。
「セイラ」
呼ばれてハッと我に返る。
「疲れたであろう」
助けてもらった分際で、疲れたなどとは言えず、首を左右に振る。
強がっているのがバレているのか、ルシア王子は目を細めてじっと私を見下ろした。
「おまえに憂い顔は合わぬ」
その言葉に思わず苦笑いすると、ルシア王子は僅かな笑みを浮かべ、未だに強ばっている私の肩に触れた。
「それでよい」
考えたところで、もう、後戻りは出来ないのだ。
前を見るしかない、と自分に言い聞かせる。
心を支配する迷いを断ち切るように、私はラベロア王国の方向から目を離した。
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