魔術師のご主人様

夏目

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 マリオの屋敷についたリジナは、執事に案内され、屋敷の中に入った。
 執事が暗示をかけられていたのは、本当のことのようで、突き返してしまったと謝られる始末だ。
 こちらこそと謝りつつ、夕日に暮れて鮮やかに照らされるマリオの屋敷を眺める。
 マリオの趣味が反映されて建築された屋敷は、教会のような厳粛さを纏っている。中央は中庭になっており、リジナが通されたの応接間は、マリオの部屋に一番近い場所だった。

 そわそわしながら待っていると、手櫛で髪を整えながら、慌てた様子でマリオが入ってきた。ラフなシャツとズボン姿。どこか、艶やかな色気がある。
 眠っていたらしい。
 厳格なマリオが寝癖をつけたままリジナの前に現れたのだ。
 リジナのはつい、くすりと笑ってしまった。
 マリオはきゅっと切なそうに眉を寄せると、小さな声で笑うなと呟いた。

「そこまで急がなくてもよかったんだよ?」
「……君を待たせたくなかった」

 はっとしてマリオを覗き込む。淡く微笑している。鼓動が高まる。好きだと告げられているような愛おしそうな目だ。

 ーーそんな目をするのに、婚約を解消したいの?

 マリオの気持ちがわからない。けれど、嫌われているわけではないらしい。それに、安心する。

「突然、来てごめん。マリオと、どうしても話したくて」
「ああ、示談の書類をつくると言っていた。それを、見に来た?」

 マリオは、影のある暗い表情でリジナを凝視した。責めるような眼差しに、リジナは首を振る。

「マリオと婚約を破棄したくないよ」
「それは、私の台詞だ」

 早口でそう告げたマリオは、唇を引き結んだ。リジナは首を傾げる。ならば、なぜ、婚約を破棄したいのだろうか。

「私は、リジナと結婚したい。けれど、君がーー」
「私?」

 マリオは視線をリジナから逸らすと、応接間を見渡した。使われていない暖炉に視線がながれ、自嘲するように笑った。

「君は、双子と結婚したいのだろう?」
「え?」
「テオドールとリチャード。君の魔術師達と」
「ええ!?」
「どうして、そうまで、えしか言わない?」

 リジナが双子と結婚したい? そんなわけない。リジナが生涯をともにしたいと思うのはマリオただ一人だ。
 双子は、魔術師としては可愛い子達だと思っている。けれど、それは魔術師としてだ。
 マリオとは比べものにならない。

 そもそも、魔術師と主は結婚を禁止されている。魔術師が主を溺愛し過ぎて屋敷に監禁し、夜な夜な快楽に溺れ、使命を忘れてしまった事例があるからだ。

「違う? ナツミもファウストも、そうだと。特にファウストは、昼間やってきて私を叩きのめしてきた。君と双子は思い合っているから、入り込む余地はないと。おかげで、ふて寝をするはめに」

 ファウスト! 意地が悪い。とりなしてくれると言っていたのに、ややこしくしている。
 ここにいたら叱りつけてやったのに、とリジナは拳を握った。

「ま、待って。ナツミもなにか言っていたの?」
「君が双子と、せ、接吻した姿を見たと」
「え!? そ、そんなわけない!」

 唇は、マリオのためにとっているのだ。唇に手を当てて、隠す。
 その姿を、邪推したのか、マリオの視線は凍てつくように冷ややかなものになる。

「あの双子、君の甘そうな唇を奪ったのだろう? 私が、一番にもらうはずだったのに」
「ま、まって!」
「嫌な妄想ばかりしてしまう。長年、私を騙し、双子と姦通していたの?」

 机に手をつき乗り出したリジナを氷のような温度で視線が這う。不機嫌さを隠さずに、マリオは言葉をつらそうに捻り出す。

「私は、君が好きだ。幸せになって欲しい。双子がいいというなら、一時はそうしてやろうと。どうせ、魔術師に幻滅するようになる」

 マリオは、カシスに声を奪われている。声が出せないということが、どれだけ心に傷を残したか。
 言いたいことが言えず、会話に混ざれない苦痛。魔術師にあたえられた痛みは、まだ消えていないのだ。
 魔術師と言ったとき、声が低くなった。
 マリオ、とリジナは名前を呼んだ。

「婚約を解消したいと言ったのは、君への当てつけの部分もある。私は、一途に君を思っていたのに、他の奴に唇を奪われるなんて。不貞だ」
「でも、マリオはナツミのことが好きだって」
「確かに、ナツミのことが好きだと言ったけれど。君だって、嘘だとわかってくれただろうに。この身が熱を発していないのだから」

 マリオはおずおずと手を差しのばし、リジナの手のひらの上に重ねた。
 厳粛な誓いを交わした。浮気はしないと。したら、マリオは高熱に浮かされる。

「熱い」
「それは、君に触れているから」
「……うん」

 なんだか、恥ずかしい。

「ナツミには芝居を頼んだ。彼女は、ああ見えて既婚者だ」
「え!?」
「今日の君は、え、ばかり言う。もっと言うといい。なんだか楽しくなってきた」
「既婚者なの!?」

 どう考えても、まだ成人前の少女だ。

「子供もいるそうだ」
「こ、こども!? ニホン、摩訶不思議すぎるわ! どう考えても、十代前半……」
「それで、リジナ。やはり、双子と結ばれたい? 私をすてて?」

 憂いを帯びる青い瞳は、一途で、綺麗だ。
 リジナはうっとりと見惚れた。

「私はしたくない。だから、実はまだ、何も手をつけていない。君を他の奴にやるなんて、考えただけでも苛立つ」
「うん。私も。腹が立った。ナツミが、好きだなんて、嘘でも嫌だよ。それに手紙」
「手紙?」

 マリオはどうしたと言わんばかりに首を傾げた。

「手紙くれなくなったから」
「それは……君が手紙を寄越すなと書いたじゃないか」
「え?」

 きっと、双子だ!
 執事のときのように、双子が勝手に妨害したのだ。

「双子の仕業だと思う」

 マリオは、むっと唇の端を下げた。

「ひどい奴らだ、私のリジナの唇も奪っている癖に」
「奪われてないよ!」

 あらん限り声をしぼりあげる。恥ずかしくて、顔が真っ赤だ。

「なら、なんで唇を許したの」
「それをきちんと説明させて。ナツミは、いつ、私がテオドールとリチャードと口付けているところを見たの?」

 リジナも、双子も、滅多に一緒に外に出ることがない。ナツミはいつ、そんな場面を見たというのだろうか。

「この間、ファウストの主宰した夜会があっただろう。それに、ナツミも参加していた。そのときに見たと言っていた」
「あっ……」

 その日、双子にせがまれて頬に口付けをした。もしかしたら、それが唇にしたように見えたのだろうか。
 マリオは、リジナをじっと熱心に見つめている。唇がぷるぷると震えていた。

「やっぱり、君は」
「違うよ! たぶん、ナツミは頬にしたのを、錯覚したのだろうと思う」
「本当に? ファウストも言っていた」
「ファウストの言葉は事実無根だから、信じないで欲しい。……あのね、マリオ」

 リジナは机を回り込んで、マリオの椅子の前に跪く。
 手をとって、マリオの手に自分の頭を擦り付ける。

「私、マリオのために、誰にも唇を捧げていないよ」

 マリオの纏う雰囲気が軟化した。
 さわさわと頭を撫でられる。双子が、リジナにもっとしてとせがむ理由がわかった。とても、気持ちがいい。
 マリオを見上げた。

「では、双子のことは好きではない?」
「私、マリオのことが大好きだもの」
「大好きなだけ? 私は、君を愛しているのに?」
「うん……愛している」
「口付けても?」

 頷いて、すぐに、マリオの顔が近づいてくる。
 とろけそうなほど、甘く、深い愉悦が走る。
 リジナは、ぎゅっとマリオの手をつかんだ。
 ゆっくりとマリオの唇が、口内に入り込んでくる。
 じんじんと甘い疼きが胸に広がる。

 顔を離したマリオは、にっこりと柔順に微笑んだ。

「リジナはお菓子のように甘い」
「うん、マリオも」
「もっと、味わっていい。私も、リジナの唇が食べたい」

 唇が重なる。もっともっととリジナがせがむと、マリオはそれにこたえた。
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