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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 紅茶の匂いが充満している部屋にレオン兄様はいた。机に立てかけられた真鍮の杖がカタリと動く。

「殿下、カルディア姫をお連れしました」

「ああ。……どうぞ、カルディア。どうか座って」

「はい」

 フィリップ兄様と違い、レオン兄様はイルのことを見もしなかった。

「すまない。突然呼びつけたりして」

「……いえ」

 使用人が扉を開き、紅茶を運んできた。レオン兄様はすぐに私に飲むように勧めた。
 イルが後ろから毒味をしようと手を伸ばして、初めて兄様が彼を見た。

「カルディア、お前が飲むべきだろう?」

 紅茶の馥郁たる匂いを嗅ぎながら牽制するようにそう言われた。
 イルが動きを止めて、信じられないものを見るようにレオン兄様を見た。眼鏡の奥の動揺がよく分かった。
 小さく息を吐き出して、イルの手の上に自分の手を重ねて制する。

「いただきます」

 カップを持つ手が震える。レオン兄様の視線がカップに注がれる。紅茶に映った自分の顔を見つめているように。

 くい、と勢いよく飲むと、喉の奥が焼けるような思いがした。熱くないのに、心底熱く感じた。
 全て飲み切ると、レオン兄様は喉を鳴らして喜んだ。
 試されたのだと遅れながら気付く。微笑もうとした頬がひりつく。

「美味しい?」

「……はい。とても」

 本当は味なんて感じなかった。

「それは良かった。フィリップのところで出されたものより気に入ってくれるといいのだが」

 目が乾く。視線を彷徨わせる。レオン兄様は泰然自若としていて、穏やかな声で語りかけてくる。
 もう私を監視していたことを隠さないのだ。

「フィリップ兄様はご自分だけ紅茶を飲まれていました」

「……あの子は気が利かない子だ。カルディアがいくら一人で紅茶が飲めないからと言っても義理でも勧めるべきだろう」

「……一人で飲めました」

「そうだね。偉いぞ。けれど、そんな青い顔をしては流石に罪悪感がわく。吐きたくなったらいいなさい。盆でも用意させよう」

 喉の奥のムカつきを押し殺して首を振る。

「大丈夫です」

 レオン兄様はそうかと呟いて、眉間を揉んだ。なんだか少しだけ困っているような仕草に呆気にとられた。
 ここまでわかりやすく監視していたのだと示した理由はなんだろう。
 さっきまであった悪意のようなものが緩んだ気がして瞠目する。

「……すまない。試した」
「レオン兄様が本気で毒を盛るとは思っていないんです。……ただ」
「事情は理解しているつもりだ。……クロードも同じだからな」

 ヒュッと息を呑んでしまったのは失敗だった。
 レオン兄様は冷淡な表情に変わり、睨め付けるように私を見つめた。

「どうした? カルディア」

 声が低いものに変わっている。確かめるように私の顔を覗き込むレオン兄様は先ほどとは違い、全く情らしいものを感じない。
 クロードに毒を盛ったのはレオン兄様だと暴いてしまっている。
 動揺が顔に出たことを悟られたのだ。失敗を取り戻すことも出来ない。
 気がついて、自分の中で納得してしまえばもう見なかったふりも出来ない。レオン兄様は残酷にも自分がやったことをあたかも知らないことのように振る舞った。その悪意すら見え隠れする行為に、無反応ではいられなかった。

「お前、クロードから何を聞いた?」
「クロードのせいではありません」
「ではフィリップか? ……いや違うね。お前自身が気がついた。なんて愚かな子だ。明らかにするべきではないことだと分からなかったか? すくなくとも確信に至るべきではなかった」
「……愚かな行為ですか? 王族同士で殺し合うことよりも?」
「お前はまだ幼く、子供で、それでいて女だ。何も分かるまい」
「分かるように話して欲しかった」

 レオン兄様をまっすぐ見つめる。

「それは贅沢な望みですか? 兄様達が殺し合っているなんて、考えたくもなかった」
「なぜ?」
「……私の母は妹に殺されました。けれど、私はサガル兄様のことも、レオン兄様のことも、フィリップ兄様のことも、マイク兄様のことだって殺したいと思ったことはないです」
「お前自身、殺されかけているのに?」
「王妃を恨んだことならばあります。サガル兄様の目玉をくり抜く前に殺しておけば良かったと思ったことも」
「……ならば、気持ちだけは分かるのでは? 殺意を向けられたならば、反撃しなくては。ただ、殺されるのは嫌だ」

 クロードは本当にレオン兄様を殺そうとしたのだろうか。あのクロードの言い方……。一方的に加害されたと言わんばりだった。
 レオン兄様はありもしない殺意を感じ取って、反撃してしまったのではないか。

「レオン兄様は、フィリップ兄様もその原理で殺すおつもりなのですか?」
「フィリップから訊いたのか?」
「お話だけ。フィリップ兄様が先に手を出したので、やり返されるだろうと」
「……フィリップという男はひとかけらだって理解できるところがない。正直、兄弟であるというそれだけであの男から目をかけられているように感じる」
「目を……かけられている、ですか?」
「そうだ。カルディア。これほど不快なことがあるか? 弟に、まるで何もかも分かったように振る舞われる。目上のもののようにな。そのくせ、兄上、兄上と慕っているフリをされる」
「ふ、フリですか? フィリップ兄様がレオン兄様を慕っているのは間違いないように思いますが」

 少なくとも、私の目にはとても好意を抱いているように思えた。

「ならばなぜ、あいつは幸せになろうとするところに現れて全てぶち壊しにする? おおよそ血の通っている人間の所業とは思えないことばかりを繰り返す?」
「そ、それは……」

 レオン兄様の妻であるマジョリカ義姉様は初夜を邪魔された。それだけではなく、顔に焼き鏝をあてて痣まで作った。

「マジョリカの顔の痣のことを聞いたか? なにも、顔を狙わずとも。もしマジョリカと離縁しても、彼女自身の人生はこれからも続く。女性の顔をいたずらに傷付けた。彼女の叫び声がいまでも脳を揺らすことがある」
「……フィリップ兄様は残酷な方であることは否定しません。むしろ、とても恐ろしい方だと思っています。……何かの拍子にレオン兄様やマイク兄様を殺しかねないほど」

 実際、フィリップ兄様がレオン兄様達を殺した世界にいたことがある。

「そうだ。カルディアのいう通り、フィリップはいつ殺してもおかしくはない。そういうのを、獣心というのだ。人間らしく振る舞っているだけの獣。家族愛だの兄弟愛だのという型にはめることでなんとか人になりすましているだけ」
「……獣」

 同意できる部分もないわけではない。レオン兄様のいう通り、フィリップ兄様の思考は理解不能だ。レオン兄様から見て得体の知れない意味のわからない生き物に見えるのも無理もないように思う。

「カルディア、お前は私が幸せになることを邪魔する?」
「い、いえ。レオン兄様には幸せになって欲しいです」
「そうだろう? ……なあ、カルディア。私の幸せの為にフィリップを殺すのを手伝ってくれと言ったらどうする?」


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