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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「カルディア姫、お加減はいかがでしょうか」
「大分良くなったわ」

 サリーの代わりに私の身の回りの世話をしたのはケイだった。彼女の居場所を聞いても、反省させていると言うばかり。帰ってくるのがいつかも言わない。
 おそらくだが、このケイという男、サリーやイルよりも剣奴としての地位が上なのだろう。やっていることはさながら執事のようだ。ギスランが連れ込んだ使用人達にあれこれと命令を下している。

「それは良かった。……王宮を見て回りたいとのことだったのでイルを呼びました」
「イルを? 一人でも見回れるわ」
「また体調が崩れてはいけませんから」

 王宮で倒れられてはかなわないと言いたいのだろう。
 何となくだけど、ケイはギスランに似ている……気がする。顔がではなく態度というか、仕草というか。
 どこか慇懃無礼なところや言い方が似ていた。言葉の発音も似ている。
 もしかして、ロイスター領の人間なのか?
 ケイは扉へ視線を向ける。外にイルが待機しているらしい。

「何か他にしたいことは?」
「いい。何かあればイルに言うわ」
「かしこまりました」
「……ねえ」

 ロイスター領の人間なのか聞こうとして迷う。こういうのが、踏み込んだ関係になるのではないか。しばらく考えて別のことを尋ねることにした。

「お前、ギスランに仕えて何年経つの?」
「ギスラン様にお仕えする前のことは忘れてしまいました。ただ今はあの方のためにあります」

 返答は質問とは微妙に噛み合わないものだった。答えたくないのかもしれない。
 ……そうと興味のないふりをした。
 ただの気まぐれを装うために。



「ケイ? あいつは羊飼いだったらしいですよ」
「羊飼いがどうしてお前と一緒に剣奴になっているのよ」
「さあ? イーストンの羊飼いだったって聞きましたけど、詳しくは」
「イーストンの?」

 ケイの言う通り、部屋を出るとイルがいて、王宮に向かう私についてきた。その途中、話すこともなくなってそう尋ねる。
 イーストン領。
 トヴァイス・イーストンの治める土地だ。カルディア教の聖地として有名で、領地の中には高山も多い。勿論、羊飼いも多い。畜産業が有名な地でもある。チーズが美味しい。
 ロイスター領の人間じゃないのか。推理が外れて妙な気分だった。
 というか、イーストンの人間がロイスター家の人間の剣奴になったのか? 
 トヴァイス・イーストンが聞いたら不愉快に思うに違いない。
 あの男は自分の領民を所有物のよう思っているから。

「そうそう。ギスラン様ほどではありませんけど、あいつ顔がいいでしょ? まぁいろいろと重宝するっていうんで、目をかけられているんですよ」
「私にすればお前のほうがギスランに目をかけられているように思うけれど」

 少なくともあいつは自分が認めていないものを私の近くに侍らせないはずだ。
 イルは一瞬、驚いたように目を見開いて、ハッと吐息を吐き出した。

「びっくりした。何です、突然。姫様、眠ってる間におかしくなりました?」
「お前ね。率直な感想を言っただけじゃない」
「カルディア姫がハルを気にしたから、俺に護衛のお役目がきただけですよ。元々、俺のような奴はあまり近付けないようにされてたはずですよ」
「ふうん?」

 じっとりとした目線を向けられて驚いた。何で少し嫌そうなんだ?
 ギスランに目をかけられているというのは嬉しいことではないのか。

「お前、ギスランに目をかけられるのが不服なの」
「不服っていうか、……あー、ギスラン様に目をかけられるのはまあ気分はいいんですけど。でも、正直な話、少しばかり贅沢な気がして」
「贅沢? 何それ」
「何で俺なんかに? みたいな感じっていうか。……カルディア姫には分からないでしょうけど」

 なんだそれ。
 飄々した態度。眼鏡をかけた姿はどこか険がある。学者風なのに、でたらめに腕が立つ。おかしな剣奴。自信満々でもおかしくないのに、なんでそう卑屈なんだ?

「ちょっと貰いすぎな気がするんですよ。金や綺麗な服なんかを貰って、飯まで食わせてくれる。この命をかけてお返ししてるのに、それじゃあ足りないって気になるんですよね」

 クロードの妻になったあの世界で出会ったイルを思い浮かべた。ギスランが死んだ後も、命令のために私を守ろうとした男。
 貰いすぎる、なんておかしな話だ。イルは命をかけているのに、ギスランから貰うものは金や服、食べ物なのか? ちっとも釣り合っていない気がする。歪な対価に、損している方が貰い過ぎていると感じるなんて。

「お前が捧げてるものに見合っていないでしょう。ギスランはきっと、お前が死んでも悲しい顔一つしないわよ」
「そりゃそうです。むしろ、一瞥さえくれないで欲しいと思いますけどね。本当のところギスラン様が俺みたいな奴を使う方がどうにかしているんです」

 イルは何故か晴れやかにそう言った。
 意味が分からなかった。強い男なのに、どうしてここまで自己評価が低いんだ? たまに取る不遜な態度からは想像出来ないほど、イルはギスランに対して遜る。訳のわからない主従関係だ。
 イルはギスランのどこがよくて仕えているのだろう。
 ギスランが与えられるものはリストにだって与えられそうなものなのに。むしろ、リストの方がきちんとした労いを与えてくれるだろう。

「自分が取るに足らないもののように言うのをやめなさいよ。お前は十分、価値のある男だわ。お前に助けられてるのが馬鹿みたいでしょう。……ギスランはお前を自分のものに出来たことを誇理に思うべきだわ」
「……」

 イルは黙り込んだ。無表情でぼおっと私を見つめている。怖くなってイルと名前を呼ぶ。

「ロディアに揶揄されるの業腹だったんですが、……言われても仕方がないような気がしてきました」
「は? 何の話よ」

 ロディアという女の名前には聞き覚えがあった。私にギスラン様と呼べと言った不遜な女。私を庇って逃げろと言ったジョージと戦った剣奴。

「……貴女様は残酷な方だ」

 まるでギスランのような言葉遣いで、イルは首を振る。

「秘密ですよ。……ロディアという剣奴仲間の女に、お前はギスラン様が死んだ後もカルディア姫の側で仕えそうだと言われたことがあったんですよ。あのときも今も、何を馬鹿なと思っていますが……、ふと、ギスラン様がいなくなったら誰が貴女を守るんだろうと思いました」
「……何よ、それ」
「俺はお二人が結婚して、まあ、子供とは言わずともあの綺麗なロイスター領でこう……なんて言うんです? まったりのんびり、領民に慕われるのを見て、昼行燈していけたらなあなんてぼんやりと考えてたこともあって」

 でも、気がつくんですよと、イルは眉間に皺を寄せた。

「ギスラン様の命の残りはわずかしかなくて、貴女とギスラン様がきちんと結ばれるかも分からない。王族の結婚なんて分からないもんでしょう? 未亡人になったら別の人間とくっつく可能性すらある」

 イルは明らかにギスランが死んだ後のことを想像しているようだった。
 ……イル自身はギスランとともに死ぬことに何ら迷いを抱いていないようなのに、喉に小骨が刺さったように、先のことを考えている。
 矛盾を抱えているのだと自分でも分かっているのだろう。沈痛な表情で私を見つめる。

「俺は別の誰かとくっついた貴女を見て守りたいと思うんだろうか? そもそも、何だって俺はこんなことを思っちまうんだろう。ギスラン様がいないなら、俺も死んでいるはずなのに」

 眼鏡を持ち上げてイルが目を伏せる。

「こういうの、俺の柄じゃないって分かってるんです。分かってるけど、嫌だ。……ギスラン様が死んだ後の貴女が俺以外の奴に守られてるのも、ギスラン様以外の人間の元に嫁ぐのも。凄く嫌で、ずっと、嫌だ。俺もサリーのこと笑えない。……貴女本当に、人をおかしくする天才ですよね」

 人のせいにするなと言ってやりたかったが出来なかった。
 イルが泣いているように見えた。感情が昂って、声も上擦っている。
 混乱した。私を殺そうとする護衛や私を庇って恨み言を残していった護衛はいたけれど、他の護衛に守られるのが嫌だと言う奴はいなかった。
 イル、と名前を呼ぶと顔を背けられる。首筋の血管が浮き出て、肩が動くたびにとくりと動いた。

「私はギスランを殺さないために色々と今調べているのよ」
「知っています」
「清族の薬を飲むのをやめればいいと思っていたのだけど、ろそれは難しそうだと教えて貰ったの」
「誰にですか?」

 お前によとは言えなかった。なのでヴィクターだと誤魔化した。

「清族の薬を飲めば、理性が失われて姿見を変わってしまう。ギスランが難色を示したのはそのせいだったのね。……異形に成り果てては結婚どころではないもの……。別の方法を今は模索しているわ」

 あてがないわけではない。
 クロードの妻となった世界は過酷で悲惨なことばかりだったが、ギスランの問題に対しては少しは希望があった。
 カリオストロだ。
 そして、人形師。
 人形のなかに、意識を移す術をあの男は使っているようだった。
 それが出来ればギスランの寿命も伸びるのではないか。まだ、仮説の段階だし、そもそも本当にそんなにいいものなのかも分からない。
 それに要らしき人形師はこの世界で見たことがない。いないのかもしれない。ならば、出来ない可能性もある。
 それでも、諦めたくない。ギスランが死ぬなんて、嫌だ。

「私が諦めていないのだから、お前も諦めないで。ギスランがこの先10年は生きるのだと信じていて」
「……信じていますよ」
「ならば、死んだ後など考えないでいいわ。……お前に私が、ギスランと二人でロイスター領でのんびりしているところを見せてあげる」

 胸を張って答えると、イルは口をへの字にしながら目元だけで笑って見せた。

「……絶対ですよ」
「ええ。約束してあげる」

 本当は何の確証もない。けれど出来ると思った。
 イルを安心させてやりたかった。
 伝える主人がいなくなったイルの悲嘆を私は知っているから。
 それにそう出来るのだと信じたかった。
 そのために私はこの世界に戻ってきたのだ。

「それで王宮のどこに行くんです?」
「フィリップ兄様のところよ」
「フィリップ王子に会いに行くんですか? 先触れとかいいんですか」
「もう出しているわ。お前に会ったあと、侍女に言って……」

 イルに事情を話していたときだった。王宮の中庭で、見覚えのある男の姿が見えた。
 言葉が頭の中から消えた気がした。それぐらい口が動かなくなった。
 ……クロードがいた。



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