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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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な、何を言っているんだ、この男。
正気か? いや、正気以前に何を聞いているんだ。
恥ずかしさと嫌悪感に顔を歪めているのに、それをものともせず、男は重ねて質問をした。
「お前は誰の子を孕んだ? 誰の赤子をひり出してやった?」
「お、お前!」
「何だ、無神経だと俺を嬲る気か? はなおとめたるお前が?」
「はなおとめが、何ですって? よく分からない言葉で私を惑わせようとしているの。お前の暴言が、許されると? 言葉で私を卑しめた癖に?」
「威嚇して俺を脅したところでお前が赤子を産む責務があるだろう。それとも、カリオストロのように仰々しく傅かねばならないのか? 質問のたびにそうしろと?」
こいつ、私を愚弄している。
知りもしない人形師に何故、猥談を持ちかけられなければならないのか。性的な言葉で揶揄されなければならない?
たしかにこの体は子供を産んでいるというが、それは私とは全く関係のないことだ。そもそも、あんなの、私とは何の関わりも……。
……? な、何だ?
少しの眩暈と共に、憎々しい感情が溢れ出す。これは、私がもつもの? 子供に対する嫌悪感があった。でも、何故?
そんなに忌まわしいものを孕んだのか? それとも、妊娠とはそこまで嫌悪すべきこと?
ならばなぜ何人も子供を産んだのだろう。クロード、褥を共にした?
「お前の子供の血が欲しい。血を飲めば、俺の力も戻るかもしれない。カリオストロのこの空っぽの脳も、蘇らせることが出来るかもしれん。お前も嬉しいだろう。一番の従者だと誇らしげに連れ回していただろう?」
甘ったるい声で、男はそう言った。甘言で惑わす悪魔のようだった。
「それともその背中に背負った貧民がいいか? 操ってやろうか。お前の望む通りに。――男の何にはまった? 閨房? 甘言? それとも叱咤か。執着か」
「――侮辱だわ」
「何故、そう感じる。どうせお前に惚れ込んだ下種男だろう。お前の嫌う、性欲で頭がわいた猿のような男だろうに」
男がぱちりと指を鳴らした。まるでカリオストロのように。
すると、大広間に明かりが灯った。
燭台には煌々と火が灯り、落ちたはずのシャンデリアがゆらゆら揺れている。
壁ではグラスを持った従者や侍女が控えていた。皆、肌が白く目元を仮面で隠している。
遠くの方に、化粧台が見えた。逆さになり、脚を上げて広間の床に倒れている。化物に投げ捨てられたままになっているのだろう。
背中から重みが消え、私はゆっくりと上から引っ張り上げられた。糸ででも吊り上げられているのだろうか、紐なようなものが腕の肉に食い込み、微かな痛みがあった。
「酷いドレスだな」
男はーー人形師は笑った。
「俺はダンスなどという高尚なものは踊れん。踊るなら、それに頼め」
「それ?」
目の前に影がさす。手を差し出されて、腕を通り肩へと視線を動かす。服はどろどろに汚れている。頭へと視線を移す。べっとりと髪は赤く染まっていた。鼻は欠け、肩は片方が変な方向に広がっていた。首は据わらず、ぐにゃりと曲がる。見ていられず視線を落とすと脚の骨が折れているのが見えた。それにどこで切ったのか、背中から肉と骨が露わになって見えていた。
刺された胸はもうめちゃくちゃだ。血が溜まって、肉と肋骨が混ざったみたいにぐちゃぐちゃになって外に飛び出そうとしていた。
それを、クロードだとは呼びたくなかった。
「や、やめて」
「どうした。好きな相手なのだろう。遠慮をするな。俺が踊らせてやる」
私がいつまでも手を取らないから、クロードの死体は腕を掴むと抱き寄せた。腰に回った手の指は人差し指が反対方向に折れ曲がっていた。
「やめて! 死人と、踊らせないで」
「だが、俺は踊れない。お前はダンスで機嫌が良くなるだろう」
「ダンスなんて、嫌い! やめて、こんなの、酷すぎるわ」
クロードは死体を操られて玩弄されている。こんなことになるならば、連れてこない方がよかった。生きていた頃、私に不敵な笑みを見せていたあの男が遠い。あんなに輝いていた、かっこいい男がこんな辱めを受けるなんて。
見ているだけで吐き気がしてくる。この男をここまで連れてきたのは私だ。彼が負っている殆どの傷は私のちっぽけな望みから産まれたものだ。誰のせいでもない、私がこいつをこうした。
「相手が悪かったのか。じゃあそっちの貧民を使うか」
そういうと人形師はまた指を鳴らした。クロードの位置に今度はイルがいた。私の腰を掴んで抱き寄せるような格好をしている。
「い、イル」
「な、何です、これ!」
「これなら文句はないな。せっかくの大広間。オーケストラも呼んでやろうか。美しいオルガン、豊かな響きのヴァイオリン。トランペットにフルート。指揮者ならば、俺にも出来そうだ」
けらけら笑って愉快そうに、人形師は従者に絡んだ。グラスを引ったくり、逆さにして中の酒を飲み干そうとする。だが、逆さにした途端、中に入っていた酒は砂に変わる。
クロードはイルが寝ていた場所に突っ伏すように移動していた。起き上がり、非難することはない。もう、死んでいるから。
めきっとイルの背中が変な音を立てた。体重をかけないように体を離す。けれど、抱き寄せる腕の力は強くて、私ではどうにもならなかった。
イルが勝手に動き出した。
――いや、操られているのだ。変に背中が曲がって、動くはずがない方向に進みはじめた。イルは眉間にいくつも皺を寄せ、うめきながら動いた。
血がぼたぼたと落ちる。
「ま、待って。やめて、もう、やめて」
「さっきからやめてとばかり言うな」
心底、不思議そうに人形師は首を傾げている。
「イルが痛がっているのが見えないの?」
「貧民がどれだけ血を流そうとどうでもいいだろう」
「そんなわけないでしょう! どうでもなんて、よくない」
くるりと大回りのターンをする。周りの景色がくるりと一周する。シャンデリアの輝きも、従者達が持つグラスの反射も、光の粒子のように広がって見えた。
貴族が踊るターンのように優雅なものだった。
踊るイルは歯を食いしばり、やがて、私には聞き取れなかったが口汚い言葉を吐いた。……何と言ったのか分からないが、最悪だというような悪態であることは分かった。
「イルを操るのをやめて」
「その男は、俺に危害を加えようとしただろう。念のためにこちらで体の自由を奪っておきたい」
「死ぬかもしれないのよ!?」
「だから、何だと言うんだ。別にパイにして食おうというわけじゃない。赤ワインのソースをかけて食べてもいいなら支配を解いてやってもいいが」
話が通用しない。これ以上、言葉を重ねても無意味だ。イルの額には脂汗が滲み始めていた。どうする。どうしたら。
こいつは、そもそも私に何と言っていた。どうして、こんなことをする?
――子供が欲しい。そんなことを、言っていた。
でも、どうしてダンスなんかさせるんだ。全く楽しくもない最悪なダンスを。
「――こんなことで、機嫌を取っているつもりなの?」
まさかと思いながら尋ねる。私がダンスで機嫌がよくなると思っているのか。機嫌が良くなれば、子供の居場所を教えるとでも? そもそも知りもしないのに?
「き、機嫌を取っていないと思ったのか?」
「嫌がらせをしているのかと思っていたわ」
「どうして俺が、お前にそんなことをしなくてはならない」
嫌だと言っていたのが聞こえなかったのか?
睨みつけると、白けたような顔をされた。
「ダンスは嫌いになったのか。あんなに好きだっただろうに。一時期は、ダンスの優劣で伽の相手を選んでいなかったか?」
痛みをこらえるイルの瞳が尋常ではないぐらい恐ろしく光る。本当にそんなことを? と問いかけているようだった。殺気を放っている。
「そんなこと、したことは一度もないわ!」
「そうだったか? ……まあ、いい。ダンスは嫌ならば、何がいい。お前の望みを叶えてやる。――だから俺にお前の子供の血を与えてくれ」
そこまでして、自分の力を取り戻したい?
こいつはそこまで弱っているのか。イルやクロードを操る術を持っているのに?
イルの動きが止まる。鼻筋を汗が下っていく。人形師の質問にどう答えるべきか。無理難題を吹っかけて、できないだろうと笑ってみせるか。それともそんなことをしても無駄だと肩を落としてみせるか……。
「何も望みがないのか。……そうだ、前に塔の男を蘇らせてくれと乞うていただろう。それを叶えてやると約束してやる」
「塔の、男?」
「名前は何だったか。ほら、清族だ。女神のために『聖塔』にいた、憐れな男。水に沈んでふやけた体を俺に預けて言っただろう。零れ落ちた血をかき集めて、元の彼に戻してみせてと」
「――誰の、こと?」
いや、『聖塔』にいる清族の話はどこかで聞いたことがあるはずだ。でも、どこでだった? それが思い出せない。
「誰って、恋人か愛人ではなかったのか」
「ちが……っ!」
言葉を遮るように、音がした。火花が弾けるような音。
髪を揺らす風が力を増し、大きな火の手があがった。
――化粧台から火柱があがっている。大広間の輝かしい光に照らされ、場違いなほど荒々しく轟々と。
私はぼんやりと炎を見つめた。どうして今燃え出したのか、と思ったがそんなことすぐにどうでもよくなった。あの中に入っていたものはなくなってしまったのだ。燃えて、灰になって、消える。
イルの視線も、人形師の眼差しも、仕掛けが発動した化粧台へと向っている。
あれが、燃えている。もう何も恐れなくていいんだ。
文字を、恐ろしい告白を。焼かれて天に登り、書かれたこと自体がなかったことになるのだ。そうなればいいとずっと待ち望んでいた。
「何ですか、本当にっ」
舌打ち混じりにイルが毒付く。その瞬間、ぷつりと糸が切れるようにイルが体を丸める。腹からこぼれる血を押さえながら、イルは何度も荒い息をこぼした。
「カルディア、これは何だ」
そう言いながら、人形師は私に問いかける。
紫色の瞳が、硝子のように私を映す。
「なぜ、手紙をこうも手の込んだやり方で燃やす?」
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