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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 その言葉がどういう意味なのか、理解するのに時間がかかった。
 フィリップ兄様はこう言っていた。ザルゴ公爵は、銃で自殺した。その際、ザルゴ公爵の顔面は判別不可能になるほど穴が空いてしまったと。

「顔に穴が空いていたのに、背の皮を譲られたの? 背中の皮を?」
「ああ、そうだが」
「治療をするわけでもなく?」
「もう助からないのにどうして助けねばならん。俺が治療してやる義理がどこにある?」

 ……?
 そのリストとやらとはあまり、親しくないのか?
 訳がわからない関係だ。背中の皮を預かるような関係なのに、死にそうになっているのに助けない?

「ええっと、背の皮をコレクションして、死人が蘇ったと言っていたけれど、どういうことなの」
「俺には分からんな。ただ、俺がコレクションしていた人間達が動き回っていたことは知っている」
「知っているって……」

 そういえばそもそもこの男はどこからやって来たのだろう。白衣の下には黒々としたズボンを履いており、くしゃくしゃのよれたシャツを着た男だ。血の汚れなどは一切ない。この大広間に続く道は魔獣によって塞がれていたはずなのに。
 無傷で掻い潜れていたとしてもさっきまでいた化物女に食べられていてもおかしくはなかったはず。そうでなくとも私のように血濡れてなくてはおかしい。さっきまで、血の池のような有様だったのだから。
 まるで何もないところからぱっと現れたように、この男はいつの間にか私の横にいた。
 こいつが清族で、術を行使して姿を消しながら近付いてきた? それしか考えられない気がする。

「背の皮を眺めていたからな。そこには、あらゆるものが映っていた。あれはーー何というのか。絵画のようであり、人形劇のようでもあったな」

 眺めて、いた。雑然とした作業台の上には本が雑乱と散らばっている。男は藤の椅子に腰掛けて、背中の皮を見つめている。そんな情景が思い浮かんだ。背中の皮というを矯めつ眇めつしていたのかと思うと生々しくて、頬が引き攣るような感覚がした。
 いや、待て。この男の言う通りだとしたら、背の皮には今まで王宮で起こったことは背の皮に映し出されていたのか?

「気がついたら俺もここにいた。虫がいたんだ。集っていた」
「集るって、何に?」
「背の皮に」

 指でつまむような仕草をしたあと、男は言葉を続けた。

「一匹、一匹取り除くと、体から奇妙な声を出したな。なかを解剖すれば何か分かったのかもしれないが」
「……虫」

 ――この背の皮は虫食いが酷いんだよ。

 私が夢で見たのは大きな一枚の皮だった。本質は、強大な魔力の塊だと言っていた。
 文字が潰れれば、書かれた記述も変わる……。

「お前は、背の皮を見ていて、虫が付いているのを見つけて、それを取っていたということ?」
「そうだと言っているだろう」

 自信満々に言っているが、全く伝わってこない。言葉が短すぎるのだ。説明が足りない。

「……そ、そう。虫を取っていたら、気が付いたらここにいた」
「そうはいっていない。俺の言っていない言葉を勝手に補完するな。ここには歩いて来たんだ。俺はこの城を見て回ったからな」
「……? ど、どういう意味?」

 確かにこの男は鼠達のことを知っていたようだった。

「俺は背の皮を見ていた。虫を取って、コレクションを見ようとしたが、かすれてよく見えなかった。指でなぞるうちに吸い込まれて、俺もここに来た」
「……何を言っているのか、全く分からない」
「リストに背の皮を譲られたとき、都合がいいと思った。いままで使っていた人面皮が駄目になっていたからな。背の皮は丁度いいものだった。魔力も十分にあったしな」
「は?」

 イルがこめかみを揉んで聞き返した。

「人面皮?」
「ただの本ではどうしても劣化するからな。血も、魔力も、人肌が恋しんだろう」
「なるほど。理解を諦めてもいいですか?」

 わ、訳が分からない。こいつは、血や魔力をコレクションしていると言っていた。それを保管する本の材料は、人の皮だということか? そして、今回はリストという男の――おそらくザルゴ公爵の背の皮を使った?

「あ、諦めないで。私だって、よく分からないのに」
「虫を取ったとか、コレクションがどうとかって言われても。魔力や血を取っていたって、何になるっていうんですか。そこからもう分からないし」
「ん? 俺は人形師だ」
「はあ。人形師だからなんだって言うんです? 操り人形に、死んだ人間の遺物入れれば、蘇るとでも?」

 イルの問いかけに、虚をつかれたように男は目を丸くした。

「まだそんなものは机上の空論だ」
「……まだ?」
「最終目的はそうだ。死んだ人間を蘇らせる。だが、この背の皮のなかで死人が蘇っていたようだが」
「……背の皮? ここが?」
「さっきからそうだと言っている。聞いていなかったのか?」

 聞いていなかったというか、いろんな情報が一気に詰められていて、聞き漏らしていた……のか? いや、こいつきっと言った気になって言っていなかったに違いない。

「背の皮なんかじゃないわ。ここは、現実よ」
「じゃあどうして死人が蘇っている? 理論的な説明がつかないだろう。……だが、その貧民は俺も知らない奴だ。貧民をコレクションした覚えはなかったが。背の皮がコレクションを飲み込んだとしたらいないはず、か? 城をコレクションしたこともないしな」
「せ、背の皮の記述を書き換えたら、世界が変わる……」

 つい口に出してしまった。
 背の皮と繋がる預言書。背の皮が書き換わると、世界も変わる。
 ならば、預言書の記述も、変われば背の皮の記述を変えることができるのではないだろうか。
 リストという男が差し出してきたのが預言書であったとしたら、この男が背の皮をコレクションのために使ってしまったから死人が蘇ったのではないか。預言書に死んだ人間の魔力や血が注ぎ込まれた。虫が集り、書かれたことが消えれば、世界も変わる。ならば、死んだ人間が入り込んだ背の皮はどう変わる? 死んだ人間が記述を捻じ曲げて、現れるのでは。あるいは、世界自体が軋み、歪むのでは?

 ――いや、でもこれはただの想像だ。
 そもそも、ニコラが言っていた。預言書は死んだのだと。背の皮の記述を書き換えることができないのだと。ならば、預言書の方からも書き換えることは不可能なのではないか。
 こんなの、分かるわけがない。そもそも、これはもしもを積み重ねて作った砂上の楼閣だ。もし、リストという男がザルゴ公爵だったら。背の皮というものが預言書のことを指しているとしたら。死人が蘇ることがあるとしたら。そんなもしもで構成された予想でしかない。

「なに? 記述を?」
「な、何でもない。背の皮の中に入るだなんて荒唐無稽だわ。お前も、背の皮がどんなものであるかよくは知らないと言っていたのに。それとも、お前はいい加減なことを言っていた?」
「それは、確かにそうだな。俺も吸い込まれたような気がするだけだ。何らかの術の行使があったのかも?」
「いい加減ね……」

 こいつ自身、よく分からずにここに来たのだろう。しかも、それをあまり疑問には思っていない。こんなこともあるのよなと自然に受け止めているように見える。

「お前の目的はコレクションを取り戻すことなのよね?」
「今のところはそうだな。とはいえ、望み薄のようだが。爺様一人だけでは……」
「カリオストロは?」

 手に持つ脳みそに視線を注ぐと、ああと言って男は視線を落とす。紫色の冷淡な瞳はじっと脳みそを検分するように見つめる。

「これは、もう空だ。大方、自分の魔力を使い切ってしまったんだろう。馬鹿なことだな」
「……そう、ね」

 本当に愚かな男だったと思う。結局、私を助けるためにあいつは死んだ。そんなこと、しなくても良かったのに。

「なかを切り開いて核となる術を取り出すか? お前は酷く執着していただろう。カリオストロの解呪術に対して」
「解呪術……?」
「違う呼び名で通っていたのだったか? 貧民を元に戻す術、偉業なる技、聖剣使いシシードが最期に見た導きの魔術? どんな美辞麗句で飾っても、やっていることはただ一つだろう。人間の体を作り替える秘術だ」

 なんだって? 人間の体を作り替える?
 ……腰が軋むように痛む。
 よく考えれば、背中にいるクロードの重みだ。カリオストロは死に術は解けた。ならば、この重たさは彼のものだ。
 後ろにいる彼をきちんと見ることが怖くて、痛みに耐えながら吐息を吐き出す。

「聖騎士シシードは衰え、弱り、国土の守護を保てなくなった。国力は半減し、争いの種が芽吹くようになる。砂漠の地では王が蜂起し、醜怪な属国では叛乱の気運が高まった。一方、国の中にも問題が溢れた。人の形を保てなくなった奴らが多くいた。どいつもこいつも清族や平民になる。悪ければ貧民だ」

 滔々と男が語り始めた。砂漠で、王。
 額がちりちりと痛んだ。砂漠の蠍王。どうして、痛んだろう?
 ……それに、人の形を保てなくなる?

「カリオストロもその一人だったな。お前が俺と出会ったのもその時だったか?」
「私と?」
「忘れたか。カリオストロの体は綿毛のようにほろほろ崩れた。脳だけになって惨めに命乞いをしたと聞いたが」

 男は指で何度も脳をなぞりながら言う。

「そのときお前が俺にこう言いに来た。新しい体を与えてくれと。俺は快く引き受けたな」

 ……どうしてだろう。絶対に一悶着あっただろう気配を感じた。快くこの男が自分のものを譲るようには思えない。
 ……カルディア、か。こいつもカルディアという別の誰かを私を通して見ているのだろう。懐かしがり、勝手に献身を尽くしたカリオストロのように。

「人形とはおかしなものだ。ある一部の人間は死んだら、容れ物になる。頑丈で、脆い。よく動くが、鈍い。種族なのか、その病気となったものに与えられる俗称なのか……。そういう種族だと多くの人間は言っていたが。カリオストロには特上の人形をくれてやった」
「人形……。人形のなかに、脳だけになったカリオストロを入れた?」

 語り口はそうだ。けれど、さっきまでいたカリオストロは、ならば、人形の体だったということか?
 確かに、術がとけていたのか段々と人形のような指になっていった。けれど、血も確かに流れていたのだ。
 そもそも、人は脳の姿では生きられないはずだ。外見を取り替えて生き延びるなんて、出来るはずがない。彼らは人間と自分達を呼称する。そして、イルのことを貧民だ、という。見た目で判断しているのだろう。きっと、山羊頭や鼠のような姿こそ、こいつやカリオストロにとっては人間なのだと思う。

 さっきこいつは、国中に人の形を保てない者たちが増えたと言っていた。だとしたら、山羊頭達はじりじりと少数派に押しやられた?

 革命と三百年前という言葉が頭の中で組み合わさる。平民達の武装蜂起。革命は果たされ、貴族達は処刑されていく。けれど、王族の血が流されたことで豪雨が続き、やがて王政へと逆戻りしていく。
 何百年も前、人々は化け物達のことを人間と呼び、人間のことを貧民として蔑んできたのか?


「容れ物は時に中身を拒絶することがある。教会のお歴々は中身を魂と呼んでいた」
「脳を人形にいれると動き出す?」
「うまくいけばだがな。カリオストロはうまくいった。あいつが死ぬまで奴の体が奴の頭に従順だった」

 蝋のように白い肌。翼の生えた体。あれは人形だった証なのか。

「だがこうなってしまえばどうしようもないな。聖なる御業は潰えて、俺達は希望を失ったというわけだ」
「御業……」
「さっきも言っただろう。人を作り替える術だ」

 人を、作り替える。
 トーマが羊の姿になったことを思い出す。それに、カリオストロは私の髪を花塗れにしてしまった。元々の世界でも禁書であった『カリオストロ』にはそういう術のようなものが組み込まれていた。だから、私はあちらの世界でこっちのように花塗れになったし、ノアやトヴァイス・イーストンは恐ろしいものに変化した。
 ……目の前の男達にとってあの変化は希望とも呼べるものだったのか。
 ちらりと男を見上げる。この男も人形のような見た目をしていた。
 じっと見つめ続けていると、男が視線に気がついた。

「何だ? ……その背中の奴をどかして欲しいのか」
「ち、違う。……サンジェルマンという男を知っている?」

 思えばサンジェルマンも人形を使っていた。陶器のように白い肌。頬には三つの黒子。白い軍服にはじゃらじゃらと勲章が輝く。もしかして、こいつがあの人形を用意した?

「屋敷のサンジェルマンか? 清族の将校をくれてやったはずだが。国王が貴族年鑑や百官達に城の門を跨げぬものは、入城を禁ずると令を発した時に、用意したものだ。とはいえ、あいつの祖母のマダム・レディに頼まれてだったが」
「で、でも、それを見たカリオストロは人形を使役しているのか、と言っていたわ。関心していた。そして、サンジェルマンはこう答えていた。『人形族など、もうとうに滅びておる。儂が使うこれは、亡骸にすぎん』」
「ほう」

 男は私に近付いてくる。靴音が響く。イルが警戒して、懐に手をいれたのが見えた。まだあの服の中には珍妙な武器が隠されているのだろうか?

「お、お前は何のために人形を与えるの。そして、人の残す血や魔力を収集しているの。それに、そういえばお前の名前は?」
「聞きたいことが山ほどあるようだな」
「ええ」

 男が、私の肩にいたクロードを持ち上げようとした。
 首を振ってやめてと叫ぶ前に、男が唸った。

「……重い」

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