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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む嘆願も悲鳴も上げることが出来ない。
そもそも、私は何をしている? 何が起こった?
フィリップ兄様を殺そうとしたのか?
……私が?
誰かが私に乗り移って、体を動かした。そうとしか言いようがなかった。急に激情にのまれた。
――人を殺そうとした? 私が?
ニコラのニコラの言葉がふっと頭の中に入り込んでくる。いずれ、記憶が薄れて、順応するようになる。
ではさっきのはこの世界の私の感情? 私と、この世界の私が混ざっていっている?
「カルディア、いけない子だ。兄に逆らうだなんて。お前の頭なんて、力を入れれば砕けてしまうものなのに」
息が苦しい。頭がぼおっとしてきた。だめだ、何か言わないと。
でも、何を?
陛下が、フィリップ兄様が殺したのならば。
――いや、私が殺した? 違う。私じゃない。なんだこれ、記憶がぐちゃぐちゃだ。
「やめろ!」
フィガロが絶叫した。
「陛下、やめてくれ。その子に手を出さないでくれ。領地でも、聖人の証でも。全て、捧げても構わない。貴方が死ねと言うならば、ここで首をきって死のう。俺の首を捧げる。だから、だから、その子から足を退けてくれ」
「――献身を見せるのか、今更?」
「ああ、そうだ。遅過ぎた。けれど、その子だけはだめだ。その子がいなくなっては俺は生きていけない。なあ、祟ってもいいのか。呪ってもいいのか。貴方にかわりはない。イーストンの人柱はいらないと拒否したのは貴方だろう。だから、俺も貴方に尊敬の念を抱いていたというのに! あのような、畜生にも劣る儀式はもういらないと、だから俺はっ……。俺に呪われたら貴方も終わりだ。国が滅んでもいい? 自分の体が醜く爛れても構わない?」
「聖人がおれを呪うのか!」
「呪わせるなと言っているんだ!」
イーストンの人柱?
何の話をしているんだ。
それに、呪う?
呪うって、まさか。清族のように呪術を使うとでも?
聖人であるフィガロが、か? ぞっとした。
聖人に穢れた行為をさせるのは、反射的にいけないことだと思った。
「殺させるなとはおかしなことを。ディアが、この子がおれを殺そうとしたのだ。おれが悪いか? 違うだろう? おれは被害者だ。誰がどう見ても。なあ?」
フィリップ兄様は私に話しかけているようだった。
ぎこちなく顔を動かす。駄目だ、身じろぎだけで精一杯で声が出せそうにない。
「ほら、罪人とて自分の罪を肯定した。――大体、おれに掴みかかってくる事態がおかしな話だ。ギスラン・ロイスターが死んだのはお前のせいだろうに。お前の代わりに毒をのんだ。いや、食べたのか? 本当はお前が食するはずの皿を、毒味と称して食べていた。お前のために、そうしていたと聞いたよ。なあ、カルディア」
足が退けられた。息をして、頭を働かせようとする。
私はギスランに世話をされていた。毒味と称して大抵食事を取る時はあいつが先に食べていたはずだ。こちらの世界でもそうだったのか?
――私の食べ物に、毒?
背中を蹴り上げられたように鳥肌が立った。
では、私のかわり、ギスランが死んだ?
髪を力任せに引っ張られる。フィリップ兄様と視線が合った。
「なんだ、気がついていなかった? いや、そんなわけはないか。リストのことを遠ざけ始めたのも、それが原因だろう? 酷い子だね。クロードとの結婚は、あいつのことを疑っていたから行ったのか? それとも、クロードならば、お前に恋着しないと思ったからなのか」
兄様の言い方が変だ。まるで、私がクロードとそわせてくれと懇願したような物言いじゃないか。それは違う。私にそんな権限が与えられるとはとても思えない。それに、さっきフィリップ兄様自身がザルゴ公爵に言われたと話していたじゃないか。リストではなく、クロードとそわせたのは王族の血が入っていないからか? と。
「そうだ、クロードに股を開いて、子供を産んだ気分を一度、聞いてみたかったんだ。どう、クロードの性技は。気持ちが良かった? ギスランを毒殺したかどうか、閨で分かったのかな?」
明け透けた言葉に、絶句してしまった。
あのときの強烈な快楽を思い出しそうになって首を振る。あんなものを思い出しても仕方がない。フィリップ兄様は私が首を振ったのを、別の意味でとらえたようににやりと笑った、
「下手だったら、子供を作るのは苦痛だっただろうな。同情するよ」
そう言いながら、フィリップ兄様は私の髪をぎちぎちと千切れてもおかしくないほどの強さで引っ張った。
「フィガロは、お前を許してくれと懇願しているよ。優しいお兄様がいて、よかったね。それにしても、お前の夫は助けに来ないな。頭蓋を割られても、別室で優雅に座ってくつろいでいそうだ」
かあっと顔が熱くなる。クロードに対する恥辱だと思った。陛下が、この謁見室に入れないようにしたんじゃないか。
フィリップ兄様は、こう言いたいのだろうか。最終的に信じられるのは、ここにいることが叶わないクロードではなく、フィガロの方だと。兄を自分の手で殺した男が、私に説教を垂れるのか。血の繋がった兄妹こそ、尊いと。だが、その血の繋がった兄を殺したのは、どこの誰だ。私から、レオン兄様と、マイク兄様を奪ったのは? サガルを聖塔に閉じ込めたのは。
この男は、私に毒を盛ったことがある。ギスランとの最後の食事をしたあの日にも同じことをしたのではないのか。
――あの日? 私は、知らないはずだ。いつのことをさしている?
どうして、私は知ったように語れる? くそ、やはりさっきから誰かが私の中で猛り狂っている。きっとこの世界の私だ。ギスランを殺したのはフィリップ兄様だと思っているのだ。けれど、おそらく違う。フィリップ兄様じゃない。そうわかっている癖に、八つ当たりのように怒りを燃やしている。
「あはは、ふ、ふふふ!」
兄様が突然笑い始めた。視線の先にはフィガロがいた。私達を一心不乱に見つめていた。困惑しているようだった。いきなりフィリップ兄様が笑い出したからだろう。
「お前、なんていう顔をしてるんだ。大丈夫、ディアにはもう危害を加えない。ひっぱっていた髪も離すよ。ほら」
どんな顔をしていたのだろう。気になったものの、突き放すように押されて、とてとてと後退る。フィガロが慌てた様子で後ろから支えようと手を伸ばしてきた。かたい胸板にあたった。
後ろを振り返りながら仰ぎ見ると、フィガロはぐっと眉を吊り上げ、敵意を剥き出しにしてフィリップ兄様を睨みつけていた。
「とはいえ、お仕置きはしないと。おれを殺そうとしたのだから。……そうだ。フィガロ、お前、挨拶でディアに口付けて貰ったことがある?」
は? 何の話をしているんだ。口付け?
……たしか、なかったはずだ。フィガロ兄様とは外でそういう関係を築いていない。あくまでも、娼婦に産ませた公爵の子供と、愛人が産んだ王女という関係なのだ。
……? なんだ、それ。知らないはずの情報を、当たり前のように受け止めてしまう。そうだよなと納得してしまう。
というか、フィガロ兄様? こいつのことを兄様と慕っていたというのか?
フィガロが、フィリップ兄様に答えを返すことはなかった。
顎をとられ、のけぞるように顔を上げさせられる。首を晒しながら、見上げたフィガロの顔は恐ろしいほど艶があった。
生温い、柔らかなものが降ってくる。
瞬きを繰り返す。何が、私の唇に触れた?
「あははははは!」
フィガロがぐいっと私の顔を右手で包み何度もぬめりとしたものが降ってくる。声をあげることもできないまま、息苦しさを覚えるほど塊が押しつけられる。
急に顔を包んでいた手が離れた。
瞳は潤んでいて、ぼおっとしたように私を見つめている。清廉な男だと思っていたのに、今は婀娜のような笑みを浮かべていた。
唇がべとべとに濡れていた。手の甲で、拭う。はっとした様子でフィガロが自分の唇に指を這わせた。戦慄くように唇が震えている。
本当に口付けされた?
最初のものはわかる。フィリップ兄様は明らかに私達に口付けさせようとしていた。だから、先んじて行動を移したのだろう。けれど、そのあとの降り注ぐように何度も何度も押しつけられたあの塊は何だ?
フィリップ兄様の哄笑が響く。
「忘れて、くれ」
痛々しい懇願に、目を伏せる。
――忘れたい。何もかも。
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