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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 今日は『豚と羊』を読んでいた。
 詩人王イシュメールの稀覯本。頁をめくりながら、ふと顔を上げる。
 誰かの気配がしたような。だが、見る限り誰もいない。本を閉じて、寝台から出る。
 王宮へ行くのは明日のことだ。どこか浮き足立っていて、落ち着かない。人気を感じたのもそのせいかもしれなかった。
 化粧台のなかにあった鍵はドレスのポケットに入れていた。ぽんぽんとポケットを叩いて、そこにあるのを確認する。何となく、そうやって確認することがこの頃の癖になっていた。いつか部屋の外に出た時に使ってみたいと思い、入れているが、明日試せるだろうか。
 ごほっと咳が出た。
 ……喉がいがいがする。水が飲みたいと、鈴を鳴らす。
 だが、いつになっても誰も来ない。おかしいな。隣の部屋には侍女が控えていて、呼べばすぐに来てくれる。
 だが、いくら待っても誰も声すらあげない。扉に近付き、取っ手に手をかける。鍵がかかっているはずのそれはゆっくりと音を立てて、開いた。

「え……」

 顔を出して覗き込む。隣の部屋には誰もいなかった。
 ぱちぱちと何度も瞬きをして、どうするべきか考える。とりあえず、侍女の名前を呼ぶ。だが、応えはなかった。しかたがない。寝室を出て、廊下へと歩き出す。
 屋敷のなかはしんと静まり返っていて、外の鳥の鳴き声が聞こえるほどだった。真っ赤な絨毯を踏みしめて歩く。
 廊下に飾られた肖像画の前に誰かが立っていた。すらりとした立ち姿の男性だ。姿勢良く、絵を見ている。

「リスト」

 真っ赤な髪の毛で、彼が誰か分かった。リストが振り返り、手をあげた。そして、すぐに視線を肖像画に戻す。

「この絵のお前は綺麗に描かれ過ぎていないか」

 私とクロードが描かれた肖像画を凝視しながら、リストはそんな憎まれ口をたたく。むっとしながら、睨みつける。

「肖像画なんて往々にしてそういうものでしょう?」
「だが、兄上はとてもよく似ている」
「……なに、喧嘩を売っているの?」
「違うに決まっているだろう。ただ、単純にこの肖像画のお前がお前ではないみたいだと言いたかっただけだ」

 今、視線に気が付いたというようにリストが私を見つめ返してきた。

「まあ、確かに澄ました顔をして、自分の顔とが思えないけれど」
「……やはり、そうか。……お前、一人でどうして部屋から出てきたのか」
「どうしてって」
「せめて侍女をつけろ。お前付きの、侍女が――カルロッタがいたはずだろう」

 首を振って、応える。隣の部屋にはいなかったのだと告げると、リストは目を丸くした。

「まさか、彼女まで、魔獣を観に行っているのか」
「魔獣……?」

 何の話だろうと首を傾げると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「お前、聞いていないのか」
「ええ。外に魔獣が出たの? 王都に出るのは珍しいわね」
「……はあ」

 リストは大きな大きなため息を吐きだした。
 魔獣は野生の生き物だ。だが、ただの生き物じゃない。魔力を秘めており、ほとんどの攻撃を弾いてしまう。だから、清族が、魔獣を討ち倒すことが多い。
 王都にはあまり出没しない。してもすぐに清族が出てきて倒してしたり、捕まえる。

「な、なによ」
「いや、これを言うとお前まで観に行きたいと言い出すんじゃないかと思ったんだ。……王都に出たのは、ペンギンのぬいぐるみの形をした魔獣らしい。『おかしなお茶会』に出てくるあれそっくりな」

『おかしなお茶会』
 ちりちりと頭の中で焦げるような不快な感覚がする。ギスランも同じようなタイトルの童話の話をしていた。けれど、私はよく知らない。そんな童話に心当たりなんてない。
 様子がおかしい私に、リストが気遣うような視線を向けてきた。慌てて、表情を取り繕う。

「ペンギンのぬいぐるみの形をした魔獣なんているのね」

 私が浮かべた表情から感じ取ったのか、リストは深くはきかないでくれた。

「俺もそれを聞いたときは耳を疑った。しかも二百体ほどの群れらしいぞ。清族だけでなく、軍まで駆り出されての捕獲作業が行われている。……使用人達は兄上の目がないこといいことに、皆で物見に行ったらしい」
「物見にって……。というか、軍まで駆り出されているならば、リストがこんなところにいていいの」
「今日は非番だ。それに、もう部下を行かせている。そこまで害はない種族のようで、檻の中にいれるのが可哀想になってきたと連絡を受けた。なんでも、小さい頃の妹にそっくりだとかなんとか」

 ……それを言ったの、もしかして、シエルなのでは?
 リストの部下だ。世話になった軍人。世話になったといっても私の世界でだけど。妹のことを溺愛していて、私がその妹に似ていると言っていたことがあった。もしかして、あいつ、何でもかんでも妹と重ね合わせているのではないだろうか。
 ぬいぐるみの形をした魔獣と同列なのは、遺憾なのだけど。

「……お前を置いて、皆観に行ったの? 流石にそれは不敬だわ」
「いや。俺がこの屋敷に来た時にはもうほとんどの人間が出払っているようだったぞ。誰も迎えがないので、不審に思い庭を覗いたら、長身の庭師がいて、そいつに事情を聞いた。庭師が言うには、そいつと常駐している門番、兵達、そして清族以外は観に出かけていったのだとか」

 医師も楽しそうに出て行ったらしいときいて額をおさえる。珍しいことがあって、浮かれるのは分かるが、職務怠慢すぎる。
 ……何人か、馘首されるのではないだろうか。

「俺が今日来ていて正解だったな。少なくとも、使用人達が出払っている間に大切な奥様が亡くなっているという心配はせずに済む。俺はお前をこの間救った功績もあるしな」

 楽しそうにリストが破顔した。珍しいと思いながら、リストにつられて笑う。

「確かに、幸いではあるわね。……客間に行きましょう。その庭師が、お前に紅茶でも出しているとよいのだけど」

 少し考えて、きっと出していないだろうなと肩を落とす。だって、きっとリストの言う庭師はハルだ。
 ハルはおそらく、紅茶を出さない。客間に案内しているかも怪しい。
 屋敷の中に入れただけの可能性すらある。

「紅茶は出てこなかったが、水は出てきたぞ。俺の屋敷なら鞭打ちだな」

 頭を抱えてしまった。
 ハル……!

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