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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 やはりこの部屋の中は意図的にそうしているとしか思えないほど真っ白だった。
 足が床にめり込む。クッション素材で出来ているのだろう。足を動かすたびに体が傾きそうになる。
 足から伝わる感触はふわふわとしていて気持ちがいい。
 王族ゆえの厚遇なのだろうか。とても、丁寧に扱われていることが、室内の装備を見てもわかる。だからこそ、この部屋の外の監視部屋らしきあの場所とのちぐはぐさに違和感が募る。どうしてこの部屋は出入りするための扉がないのだろう。サガルはどうやって、部屋の中に入ったのだろうか。もしかして、サガルがこの部屋に入った後にあの監視部屋が出来たのか?
 疑問を抱きながら、サガルに近付く。彼の石膏のような白い肌は発汗して、ぷつぷつと小さな粒が流れ落ちていた。
 この部屋、暑いだろうか。肌を擦り合わせる。むしろ少し肌寒いぐらいだと思うが。

「寒い?」
「え?」
「手を擦り合わせていたから。寒いのかと思って」
「サガルこそ」

 不思議そうにサガルが首を傾げる。さらりと髪が頬にかかった。

「この部屋が暑いの? 玉のように汗をかいている」

 頬に涙のように流れていった汗を手のひらで拭う。きめ細やかな肌だ。頬骨をなぞりながら顎まで手を下ろす。
 サガルは絶句したように貝のような唇を小さく開けている。

「サガル?」

 ごくりと唾をサガルが嚥下したのが見えた。薄い唇は今はしっかりと引き結ばれている。
 腕を掴まれた。引っ張られて、頭の後ろに手を置かれる。どういうことだろうと困惑して、ぎょっとした。サガルの唇が、眼前に迫っていたからだ。

「お前はまるで子供のように無防備だね」

 吐息が顔にかかり、くすぐったくて身を捩る。
 サガルの腕が私を掴む。身動きが取れなくなった。
 押さえつけられているみたいに、動けない。

「気が違えているのかな。それとも僕がおかしくなっている? 目の前にいるこのぬくもりも、幻覚なのかな」
「勝手に幻覚にしないで欲しい……」
「でも、僕、この間化け物に会ったんだよ。なんて言ってたっけ。多弁な奴だった。沢山、藤の花が咲いていたな。僕をこう呼んだ。血塗れの王。ここは、冥府のなか。ここには、お前の探す乙女はいない」
「……?」

 サガルは、何を言っているのだろう。

「僕は言ったんだ。『妻を返せ。七つに及ぶ戦。積み上げた屍。蛮族達の粛清。ことごとく彼女を手に入れるためだった。心の臓は妻に捧げたもの』。ああ、おかしいな」
「サガル、腕、離して」

 痛みに顔を歪める。骨がみしみしと軋んでいる。けれど、サガルは聞こえていないと言わんばかりに無視した。

「カルディア、お前は死んだはずだよ。僕は見たんだ。お前が絞首刑に処されるのを!」

 な、なにを。何を言っているんだ。

「ころんと転がった首を見て、民衆が拳をあげる。さあ、次は誰を殺そうか。聖職者を名乗る偽善者 イーストン辺境伯悪徳に溺れた貴族ゾイディック辺境伯か。ああ、それとも一番罪深い国王か」

 サガルが口にしたさっきの言葉、聞き覚えがあった。どこで聞いたのだろう。どこかで聞いた。耳に残っている言葉だった。藤の花がしなだれかかるお茶会で聞いた。
 ――あれ?

「僕は牢から逃げて。そうだ、お前を冥府の王から取り戻しに行ったんだ。天国にも、地獄にも、渡すものか。だって、僕のものだ。この命尽きようと、誰にも渡せるものか。あの夜、僕を救った愚かな女。僕の妹、僕の妻。男を誑かす淫婦。誰彼構わず、褥に連れ込む悪女。悪徳の壺。僕のもの」
「な、何の話をしているの」

 腕の痛みで、頭が追い付かない。どこかで聞いた話なのに。
 童話? それとも、誰かから聞いたのだったっけ。見覚えがないのに、見知っている感覚。既視感。サガルの唇が、額にあたる。折れそうな力で掴んでいる腕とは反対に触れるだけの優しい温もりだった。

「ああ、やっぱり」

 腕を離される。握られ過ぎて、その箇所だけ火がついているように熱い。

「生きているんだね」

 髪の毛を触られ、まじまじと見つめられる。数秒後、サガルの瞳が弓なりに細まった。

「ご自慢の花はどうしたの?」

 鳥肌が立った。鼠をいたぶる猫のような甘い声だった。

「僕を醜いと罵った癖に、お前の花はどこかにいってしまったの? 僕には本物の羽が生えて、お前は喪ってしまうだなんてね」

 ――醜い?

 サガルを? 目が潰れそうなほど美しいのに?
 何かの間違いではないかと真剣に思った。サガルはどんな人間が見ても、ひれ伏したくなる美貌の持ち主だ。高名な画家が発狂してしまうほどの比類なき美の塊。美そのものだという奴だって沢山いる。そんな彼を軽口でも醜いと謗れる人間を私は見たことがない。
 だが、サガルはたしかに私に言われたような言いかたをした。私がサガルを醜いだなんて言うはずがないのに。
 ……それに花のこと、どうして知っているのだろう?

「何だか、酷く愉快だな。ふふ、ねえ、カルディア、踊ろうか」
「え? ええ?」

 手を引かれて、体を持ち上げられた。サガルは、華奢な体のどこにそんな力があるのだろうと訝しむほど軽々と私を持ち上げた。私の体を持ち上げたままくるくると回っている。洗練さの欠片もないでたらめな動きだった。貧民達と一緒に踊ったときの無秩序に似ている。ただ、体を密着させて、体を揺らすだけで満足するような、そんな動きだった。
 サガルはどうしてしまったのだろう。さっきから言っていることもやっている仕草もおかしい。私のように体のなかにサガルとは別の人間が入っているようにすら思える。

「……サガル、ま、待って」
「どうしたの。楽しくない?」

 子供のように頭よりも高くに持ち上げられて唇がひりつく。

「降ろして。こんなに高い場所、怖いわ」
「そう? じゃあ、仕方ないな」

 そう言いながら、サガルは背中にある羽を伸ばした。ばさりばさりと何度か動かすと、純白の翼が動き、飛翔した。
 えっと声をあげる暇もなかった。サガルの足が床から離れて、徐々に宙に浮いていく。気が付けば、本棚の頭が余裕で見えるぐらいの高さまで浮かび上がっていた。手を伸ばせば、天井に手がつきそうだ。下を見ると血の気がひくぐらいの高さだと分かる。

「な、なんで。降ろしてと言ったのに」
「どうして僕がお前のお願いをきいてあげなくちゃいけないの」

 意地悪な口調でサガルがそういうと、体を傾けた。ぎゃあと声を上げる。サガルは私を抱えたままくるくるとまた回り始めた。
 周囲の景色が高速で過ぎていく。本棚とさっき通り抜けた隣の監視部屋と繋がる窓が混ざって見える。
 サガルは楽しそうに笑っている。風の音とそのサガルの笑い声が混ざって、悪魔の言葉のように聞こえてきた。

「サガル、サガル!」
「あはは、うん、僕だよ。ほら、ここで手を離したら、お前、大怪我だけじゃすまないかもしれないよ」

 さあっと蒼褪める。サガルは子供のように無邪気に言うがこんな高さから落ちたら、本当に無事に済むか分からない。一瞬、肌が焼けるような痛みが走った気がした。嫌なことが頭をよぎった。
 背中を炙るように火が近付いてきている。勢いよく飛び降りたら、骨が折れる音ともに口のなかに土の味が広がって……。ぶんぶんと首を振る。
 サガルの手を縋るように掴んだ。少し不満そうに片眉を上げると、口を不満そうに閉じる。

「こういうときは命乞いをするんだって、カルディアは知らないの?」
「……え?」
「助けて下さいって、言うんだよ。死にたくないんでしょう?」
「サガル……?」

 片方の手を、サガルが私から離した。がくんと体が下に落ちた。命綱のようにサガルの片腕を握って、見上げる。彼は、少しだけ愉快そうに口の端をゆがめた。

「なんてちっぽけなんだろう。僕が腕を離せば、お前は死んでしまうかもね。ねえ、僕に助けて欲しいでしょう? だって、ここには僕しか助けてやれる奴はいないんだから。ねえ、僕のことを憎んでいても、いいよ。でも、お前を救えるのは僕だけだ。その事実はかわらない」

 な、何なの。
 ぶらぶらと足が揺れる。靴が、取れそう。汗で、滑って上手くサガルの腕が掴めない。
 サガルが不機嫌そうに急かした。

「言わないつもり? 命より、矜持が大切? それだけ僕を疎んでいるのか」

 声の出し方を忘れてしまったかのように、口から音が出ない。今までどうやって、言葉をしゃべっていたのだろう。
 サガルは呆れたように鼻を鳴らすと最終通告のように繰り返した。

「命よりも矜持が大切なんだね?」

 ぶんぶんと首を振る。どうしてそんなに意地悪なことを言うのだろう。そんなはずない。けれど変わらず声は出なかった。出し方を忘れてしまったみたいに。サガルは失望をありありと顔にした。そのまま、もう片方の腕も上にあげて、私を落とした。
 近付いていく床に、恐怖を感じた。口は凍りついたように音を出さない。ただ空気の通り抜ける間抜けな音を出すだけ。
 痛みを構えて、目を閉じる。
 だがいつまで経っても骨が折れたような感触や背中を痛打した衝撃はやってこなかった。恐る恐る目を開けると、眼前に広がったのは燃えるような赤だった。
 真っ赤な、燃える血潮の色。
 彼はその真っ赤な髪と同じ色の視線を私に落とすと、鋭くサガルを睨みつけた。

「カルディアに害を与えるつもりだったのか、サガル」

 リストだった。私を抱きとめてくれたようだった。彼は膝をついて下ろしてくれた。伸ばした足をふわふわとした床につける。サガルを見上げる。あんな高所から受け身も取れずに落ちるところだったのかと思うと背筋が凍るようだった。

「怪我はないか、カルディア」

 つんつんと気をひくように髪をひかれた。
 リストの顔をまじまじと見つめる。目元には赤い花の刺青があった。耳飾りは目と同じ色の深みのある赤。服装は地味に見せていたが、こいつが着るとどんな貧相な服でも、典雅な仕立てになるから不思議だ。
 私の知っているリストの顔に少しだけ人間としての深みを足したような、大人びた顔をしていた。


「おい、聞いているのか?」

 不服そうな声がなんだかひどく懐かしくなって、泣きそうになった。

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