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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「と、こういうのはお預けだったか。記憶がおかしくなっているというのは昨夜のことも?」
「そ、そこだけは……覚えている」
狼狽ながら言葉を落とすと、喉の奥で笑われた。
妙にむず痒い明るい声だった。
「ならよかった」
急に機嫌が良くなったのか、クロードは再び椅子に腰かけた。
「それで、他に知りたいことは?」
他、他と口の中で呟く。正直沢山ある。あり過ぎて困るぐらいだ。けれど、その問いの答えをクロードが知っているとは限らない。
知らないことを問いかけても返答に困るだろう。じっくりと考えて、やっぱり戻って来てしまう疑問を尋ねた。
「私とお前は、夫婦なのよね?」
「いかにも」
肩を竦め、クロードがわざとらしく目を伏せる。
「俺はこんなにもお前に尽くしてるっていうのに、お前は全く覚えていないのか」
「尽くしているって、お前ね」
「おいおい、お前をイーストンの僻地に連れ帰ろうとしたイーストの若様を引き離したのは俺だぞ。それともそれも忘れているのか?」
イーストン。
トヴァイスのことか。あいつがイーストンの若様という柄か?
内心悪態をつきながら、思考をやめない。
「それも思い出せないか?」
「トヴァイス・イーストンのことはきちんと覚えているけれど」
「へえ。おかしなもんだな。人に関する記憶はあるのか。じゃあ、ゾイデックのことは?」
「ノアのこと? ノア・ゾイデック」
私の元婚約者。トヴァイスが出たら、まずノアが出てくるだろうとは思っていた。二人は仲がいいし、対のような印象があるからだ。
「そっちの記憶もあるのか。ますます変なもんだな。本当に記憶が混乱してるだけか?」
鋭い。苦々しく思いながら、話を変えようと、話題を探す。
――いや、待て、そういえば。
「子供が三人もいるはずなのに、静かね」
普通、子供がいたら、泣き声が聞こえてくるのではないだろうか。まだ生まれて間もないのならば、特に騒がしいはずだ。だが、そういう声は全く聞こえてこない。
本当に子供などいるのか?
「この屋敷に子供はいない。母上がお前の代わりに世話をしている。――勿論、直接世話をしているのは乳母だが」
クロードの母親ということは、リストの母親ということだ。宰相の妻。
身分が上がれば上がるほど、子供は自分では世話をしなくなる。だが、住む場所さえ違うのは珍しい。
いや、待て。珍しいなんてものじゃない。クロードは、私の代わりに世話をしていると言った。つまり、私が上手く世話しきれなかったということではないか。
蒼褪めた私を、クロードが心配そうにのぞき込む。
目の前がぐらっと揺れたような感覚がする。顔も見たことがないのに、一生関わりたくないと思った。私がーーこの体が産んだ……。その事実が今更、心臓に杭を打ち込まれたように実感した。
「貴族の女が、自分の子供を世話をしないのは普通のことだ」
「そ、それは知っているわ」
「子供を産むということが何よりも大切なことで、そのあとの教育は相応しい人間が行う。――心配なのか?」
寄り添うような言葉に混乱する。
クロードは私を慰めようとしているようだった。彼の瞳は思いやりに満ちていて、私をからかうようなそぶりは一切なかった。
そのことに酷く混乱する。私が知っているクロードとはやっぱり違う。夫婦になるとこんなにも違うのか。カナリア様との関係は、こじれてしまったからああなっただけで、最初はこんな風に心を砕いていた?
そう思うぐらい、彼の対応は温かさに満ちている。
「心配ならば子供達を連れ戻そうか」
「そ、それは……」
「……子供がいるということが怖いのか? まあ、そうか。俺とお前が結婚していることも今知ったと言わんばかりだからな。受け止めきれないのか」
頭の上に大きな手が乗った。
壊れ物を扱うみたいに柔らかく、撫でられる。
大丈夫かと問いかける声は優しくて、申し訳なくなってくる。どうして私がこの体に入っているのだろう。そもそもこの体の意識はどこに行ったのだろうか。こいつのこの優しさを受けるべきのは私じゃない。この体の人物だ。
私がいなくなれば、意識が戻ってくるんだよな?
「ここは俺達しかいない。子供のことは落ち着くまで忘れていろ。まずは俺と夫婦であることをゆっくりと思い出すといい。それまでは、無理はさせるつもりはないから」
「思い出さなかったら……?」
傷付いたように、クロードがきゅっと眉を顰める。こいつも、こんな顔をすることがあるのか。
「そういうこと、言うか?」
「ご、ごめんなさい」
「思い出しそうにない?」
分からないと首を振る。クロードのこの顔を見て、頷くことはどうしてもできなかった。
「ごめんなさい」
「……いや、構わない。一番戸惑っているのはディアだろう。……食事はできそうか」
「お前は? 食事をとったの?」
もう、日暮れ前だ。クロードはそういえばと今更気が付いたように腹を撫でた。
「今日は何も口にしていないな」
「何か、食べた方がいいわ」
「ここで食べてもいいか」
どういうつもりだろう。クロードを見つめると、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「俺達は、基本的に食事は一緒に食べていた。一人で食べると味気ないだろ」
「そ、それはそうだけど……」
そんなことをクロードが言うとは思わなかった。一人で食べることに何の戸惑いも持っていなさそうなのに、意外だ。
「……そういう反応をされると言葉に困るんだが。俺はどう思われているんだ」
「遊び人で、情が薄くて、すぐ私に意地悪をして……」
「遊び人なのも、お前に意地悪をする男なのも否定はしないが、情は薄くないつもりだぞ」
そう言いながら、クロードが私の指をぎゅっと掴む。
「匂いが気になるようならば別室でとってくるが」
「ここで食べてもいいけれど。私はさっきコーンスープを口にしたから、一緒に食事はとれないと思う」
「構わない。持って来させる」
呼び鈴を鳴らし、侍女を呼ぶ。食事は用意されていたのか、すぐ準備が始まった。
ナイフとフォークが綺麗に置かれ、前菜が運ばれてくる。クロードはやっぱりというか、肉が好きみたいだった。羊肉のフィレを美味しそうに口にしている。
階級による食事制限はこちらにもあるのか。
そう思いながら、ぼんやりと見つめていると、クロードが片眉を上げた。
「俺が食べるのがそんなに珍しいか」
「……え? そ、そうね。そういえばお前と食事を取った記憶はないと思って……」
「……本当に、どこまで記憶がないんだ。七年ぐらいか? ……まあ、食事するのはあまり好きじゃないからな。お前とも夫婦になるまで、食事を共にした記憶はない。お前の記憶が俺と夫婦になる前までしかないならそう思うのは不思議じゃないな」
「そうなの?」
クロードは私より身長が高いし、鍛えている。食事だってきちんととっていそうなのに。
「お前と同じだ。食事に毒を盛られて以来、食が細くなった。お前みたいに吐くまではないが。食事は一日に一回だけでいい。――そう言っても、腹は減るんだがな」
「毒を?」
そんな話、初めて聞いた。クロードの飄々とした顔からは想像出来ない。こいつも、私みたいに、食が細いのか。
「珍しい話でもないだろ。俺達は死ぬまで命を狙われている。毒を盛られるのも、王族の責務みたいなものだろう。とはいえ、流石にもう自分が生死を彷徨うのは二度とごめんだが」
「そう、ね」
毒味なしでコーンスープを飲めた。美味しいと感じたから、きっとこの体は私より食に関しての拒絶が少ないのだろう。
……クロードのおかげなのかもしれない。吐くことも知っているようだし、根気強く、一緒に食事をとってくれたのではないか。
「食事中にする話じゃなかったな。別の話をするか。とはいえ、俺は今日、特に話題に出来るようなことはなかったが。いつも通り寝ぼけた会議だったから」
「そうだわ。昨日、『聖塔』に行ったと聞いたわ。どうしてそんなところに?」
「そんなところとは妙な言い方だな。確かに、あまりいい場所とは思わんが」
「……? 反政府側の組織ではないの?」
「反政府組織?」
ぱちくりとクロードが目を瞬かせる。
「『聖塔』は清族の管轄だ。王宮にあるだろうが」
「……? どういうこと?」
「俺にはお前の言っていることの方が分からん」
頬に飛んだソースを拭って、クロードが続ける。
「『聖塔』にはサガルがいるだろ。顔を見に行ったが、まだ正気には戻らなそうだ」
「ま、待って。サガル? どうして、そこでサガルの名前が?」
「どうして? 『聖塔』は精神的におかしくなった人間が入る場所だろう。サガルは先天的な疾患のせいで日のあたる場所に出られなかった。それをどうにかしようと薬を試し過ぎてーー怪物になった」
「――。――は?」
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