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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「……こんなことあっていいんですかね」

 イルの抗議の声をかき消すように目玉が私達を呼ぶ。

「はやく!」
「は、はい! 大丈夫ですよ。こちらはライドルの偉いお嬢様で、俺達のことを救って下さいますから」

 兵士が目玉の前にイルを寝そべらせた。
 力が入らないのか、イルは起き上がれないようだ。焦ったように手をひらひらさせて拒んでいる。

「服を切りますよ。……ああ、貴方、ありがとう。こちらは大丈夫です。仕事に戻りなさい」
「は、はい!」
「ちょ、ちょっと、治療は必要ありませんから!」
「病人は黙っていなさい!」

 ぴしゃりと叱りつけられ、あっという間にいるの服が脱がされた。
 酷い有様だった。出血しているところがあるし、青痣だらけだ。見ていられない。
 目玉も息を呑んだようで、一呼吸するように目蓋が閉じた。

「これは酷いわ」
「ヨハン様、止めて下さいよ」
「いや、どうしたものですかね……」

 ヨハンも判断しかねるようだった。
 どうして、目玉がイルを殺そうとせず、治療しようとするのだろうか。こっちとしては有難いが善意の行動だと思えない。
 この目玉の術でこんな戦場が出現したのではなかったのか。

「あら! そっちの子も、酷い怪我! この人より先に手当しなくちゃ。そこに寝かせて!」

 そっちの子と指差されたのはトーマだった。血塗れの格好だからだろう。怪我をしていると思われたらしい。トーマを抱くヨハンの前に立ち、視界を塞ぐ。
 トーマは私の従者だ。こいつには見せたくない。

「はやく、そこに寝かせて。寝かせてって言ってるでしょ!」

 びちんと腕が麻の上を叩くと、トーマが目玉の前に移動していた。ヨハンを振り返ると、驚いた顔をしてトーマを凝視している。
 術師の思い通りになる世界……!
 こういうことなのか。
 ならば、さっきイルが起き上がれなかったのも、この目玉の思い通りに世界が書き換えられていたからなのかもしれなかった。
 想像以上に厄介だ。対抗のしようがない。

「ああ、血でべたべたするわ。気持ちが悪い。……あら、外傷はないのかしら? おかしいわね。こんなに血がついているのに」

 おかしい、おかしいと目玉は騒ぎ立てている。ぬちゃりとした唾液がトーマにかかった。
 トーマの顔に火傷のような痕が出来た。
 ぬちゃぬちゃと目玉が喚くたびに、トーマの肌が傷付いていく。

「やめて」
「おかしいわ。おかしいわよ。ここにいるのは病人だけのはずだもの。どこかおかしくなきゃいけないの……。あら? 肌に火傷があるわ! 治さなくちゃ。頬に手を当てて、冷やさなくちゃ」

 トーマの頬の上に沢山ある指の一つが乗る。すると、鉄板を押し付けたようにじゅうと焼けこげるような臭いがした。
 こいつ! 自分が傷付けていると分かっていないのか?

「やめて、トーマに触らないで!」
「これは医療行為よ。口出ししないで」
「治療じゃない、傷付けているわ!」

 苛々した様子で腕が何回も地面を叩く。そのたびに地震が起こったように揺れる。

「あんただれよ。命令できる身分なわけ? こっちは貴族なのよ。お前達とは格が違うのよ」
「……貴女と同じ術を使った悪逆非道な大魔術師が言っていました。権力を振りかざして悦に入る人間は醜いと」

 ヨハンは惨憺な感情が見え隠れする低い声で言った。

「なあに? 同じ、術? 大魔術師? 何を言ってるのよ」
「あの男の存在自体は卑しいものでしたが、言葉は真理をついていた。心が高潔でないものが傲り高ぶる姿を見ていると吐き気を催します。姿も醜いが、性根まで醜いとどうしようもありませんな」
「……何を言ってるのか本当に分からないわよお!」
「術を発動したという自覚がないようですな。ならば、隙をつける」

 がんがんと八つ当たりのようにトーマの顔面に腕が振り落とされる。トーマは最初、鼻血を出して呻いていたが、急に泥になり肉体が崩れ始めた。
 な、なにが起こっているのだろう。頭がおかしくなりそうだ。

「精度が高くない。放出現象の方で間違いないでしょう」
「一人で納得してないで、さっさと訳を話してくれます? 俺、次の標的にされそうなんですが!」
「術ではないので、この空間自体が揺らぎやすいのでしょう。齟齬や感情の起伏に呼応して場が保てなくなる。術式になりきれないまがい物を、広範型限定魔術放出現象と呼ぶと」
「敵対した魔術師から教わったと? そりゃあいいですが、それでつまりどうすれば? このまま、揺さぶりを続ければ自壊するんですか?」
「大魔術師です。……彼の言葉を借りるならばですが。あの男はきちんと語りませんでしたが、ダン様にも確認をとりましたのでおそらくは正しいでしょう。そもそも、膨大な魔力消費量のはず。どんな化物であろうとも、無尽蔵とはいきますまい」

 自壊するというのは何となく分かったが、そんなことよりトーマは無事なのか?

「カルディア姫。トーマ様の心配よりは、自分の身の心配をして下さい! というか俺を助けて下さいよ!」
「あらあ、患者がいなくなっちゃったわあ。もう、どこに行っちゃったのかしら。まあ、いいけれど。次の患者の治療をしなくっちゃあ」
「ほら、やっぱり次は俺ですよ! ヨハン様、本当にこれ大丈夫なんですか?」

 一転、上機嫌になった目玉は、青痣の出来た腹の上を強く押した。うぅっとイルが唸る。

「大変! 瀉血しなくっちゃ!」
「瀉血!? そんな眉唾ものの治療をされても困るんですが!?」

 瀉血。確か、血を抜く治療法だったはずだ。一時期、王都でも大流行りして、髪の毛を切るときについでのように瀉血の治療を行った。どんな病気にも効くというのが謳い文句で、顔にヒルを置いて血を吸わせた医師もいるほどだ。
 レオン兄様も何度かその方法で治療したことがある。清族達には止められていたが、市井で流行っている治療ということで、信頼があったはず。

「何を言っているの。これは由緒正しい治療法なのよ」
「そりゃあ、いつの話のことですか。歴史は進み、知識も進む。もう瀉血なんてやる奴はいませんよ。やるのは、地方のヤブ医者か、呪術師かぶれ。あるいは金がない家の奴らが罪悪感を補う為に言い訳として使う」
「そんなはずないわ! これは……これはね、人を助けるための方法なのよ。奇跡とも言える治療方法なのよ」

 私も恐ろしくなって来て、でもレオン兄様はあれで治っているのだしと反論したくなった。
 熱が下がらないとき、血を抜けば下がった。
 痛みで呻いているとき、血を抜けば安らかになった。
 そういう積み重ねがあって、治療法として確立したのだと聞いている。

「だいたい、貴女ではなく、清族がいい。女は駄目だという気はありませんが、清族でないと俺は嫌ですよ」
「清……族」
「ええ、俺はお医者様という人種がどうも苦手でして。善意で治療、献身的な看病、そういうまやかしが大好きな奴らとは気に食わないんですよ。清族の性悪さの方が好きです」
「も、もしか、して、ライドルの方なの。ライドルの、ライドルの……」
「……?」

 目玉に霧のようなぼんやりとしたものがかかる。
 目玉がぱっくりと割れ、なかから腕が出てくる。だが、すぐに靄がかかり、見えなくなった。

「ライドル王国のために向かいました、本当です」

 ヨハンが空中を蹴り上げると、風が起こり靄が晴れていく。
 凄まじい風圧だったのか、イルが本当に痛そうな声を上げた。
 人影が見え、次に女の長い髪が見えた。ところどころまだらな暗い色をしていた。
 彼女の顔がこちらを向いた。片方の目がなかった。それに、腕も、足もない。けれど、胴体に長い靴は履いていた。
 顔を見た。
 知っている顔だった。
 思っていた通りの人物。カリレーヌ嬢で間違いなかった。
 でも、陰鬱な表情を浮かべ、この世の全てを呪ったようなぎらぎらとした片目が、知りもしない別人のように感じさせる。
 体が強張り動けない。彼女は取り乱し、髪を振り乱し始めた。

「国王陛下、本当です。私は女神に誓って、国益を損なうような真似はしておりません」
「どうしたってんです?」
「勿論です。不利になるようなことは決して。……兵士を殺した? ま、まさか。そのようなことは」

 明らかに様子がおかしい。
 片方の目が私を見つめている。けれど、私を捉えることはなく、視点が定まらない。

「見ないで、見ないでえ!」
「カリレーヌ嬢? ど、どうしたの?」
「わたしはただ、望まれたからしただけで」

 千切れてしまうほど首を振る。
 彼女は逃げ出そうとして、イルに足を引っ掛けて転んでしまった。
 悪いことをして怒られた子供のように震えている。
 だが、突然ぷつりと糸が解けるようにカリレーヌ嬢が動かなくなる。
 再び彼女が目を開いた時、明らかに先ほどまでとは違う暴力的な色を纏っていた。

「貴方はもう救えません。最後の希望である瀉血を拒むのだもの。もう、長くはないでしょう」

 イルの腹の上に手を置いて、彼女は真面目腐った顔を演じている。

「今、ここで殺してあげましょうか」


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