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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むどうすることもできない状況なのに、頭だけは混乱していた。
それはそうだろう。私はさっき死にかけた。正確にはあのまま行けば死んでいたらしいが、信じられるかどうかはまた別だ。
目の前には、男がいる。清族の男だ。名を、ジョージと言っていた。カリオストロの司祭だと名乗っていた。
トーマが言っていた清族の男だ。見覚えはない。きっと挨拶したことがない男なのだろう。
顔の形は整っている方だが、ギスランほどかと言われれば違うと首を振るだろう。
じゃらりと飾りを身に付けている、典型的な清族の格好だ。
「どうして閉めるんですか?」
嗜虐的な声色に体が震える。銃で撃たれる前に見せたジョージの一面とはまた違う。凄んでいるような低い声だった。
「……お前のことを知らないから。護衛がいたはずよ」
「ああ、いましたよ。ですが、邪魔なので寝てもらっている。二人の逢瀬に邪魔者は必要ないでしょう?」
「お前と恋仲になった覚えはないのだけど」
じりじりと距離をつめられる。
逃げることはできなかった。体がいうことを聞かない。まるで、金縛りにあっているように、びくともしなかった。口だけが、弁明の機会を与えれている囚人のように動いた。
術を使われているのだろうと察した。くそと悪態をつきたくなる。
「あらためまして、カルディア様。俺の名前はジョージです。この名に聞き覚えは?」
「…………」
どう答えたものかと黙考する。知っているが、知らない。
この男の素性を知っているようで知らないのだ。私の命を狙っているということ以外ろくに分かってはいない。
だが、一歩間違えれば、また撃たれることになる。繰り返すのだけはごめんだ。こいつに、殺されたくはない。
「どうしました? もしかして、逃げる算段でもつけている?」
「……馬鹿を言わないで。これはどういう状態なのかと思案しているのよ」
「というと?」
どうしてジョージはさっきとは違い会話を続けているのだろうか。分からないことだらけだが、生き残るためには今を考えなくては。
選択肢を間違えるな。間違えてはいけない。死にたくないなら、必死に頭を動かせ!
「……カリオストロの信徒がどんな理由で私を訪ねてきたの」
「やっぱり、知っていましたか。扉を破った俺の顔を見て動揺していたようでしたからもしかしてと思いまして。どこまで知っているか口を割らせなければと思ったんですよね」
「拷問でもする気?」
「ええ。お姫様」
ジョージは手に何も持っていなかった。だが、指を鳴らすと口の中が水でいっぱいになる。喉の奥に水が流れ込み、鼻までせり上がってくる。息苦しくて咳き込んでも、体のなかに入り込んだ水が出ていかない。
それどころか何か蓋をされているように、口内に戻ってしまう。
「これは拷問用に開発した術なんだ。体内に水が入り込むと、苦しくなって、胸をかきむしりたくなる。でも、決してこぼれないし、俺の合図がなければ解放されることもない」
吸う空気が薄く、意識がぼんやりとしてくる。
けれど、鼻に異物があるような痛みがツンとしていた。
「話す気になったら合図をして? それまで、俺は待っているから」
責め苦は何十分にも、何時間にも思えた。
意識を手放しかけた私を叩き起こすように指が鳴る。
咳をしながら蹲る。
喉の中にある水が、固形物のように突っかかっている。胃液がせり上がり、喉を焼く。目眩に襲われ、悪罵する余裕もない。
「さてと、少しは口が軽くなりましたか?」
「ご、護衛は本当に寝ているだけなの」
「……おや、他人の心配ですか。お姫様は心優しい。けれど、自分の身を案じずどうするのかな」
ぱちんと指が鳴る。
背中が仰け反った。口の中が水で満たされる感覚は、首を絞められる感覚によく似ている。
「もう少し仕置をしよう。きっと、もう少し虐めれば口も軽くなるだろうから」
水はあまり怖くない。火よりはましだ。そう思い込むことで自分を奮い立たせる。
ジョージはきっとこれでは私を殺さない。痛めつけ、辱めることが目的だ。
だが、こうやって時間を稼ぐのも、そろそろ限界だろう。ジョージの気を惹ける話題を提供しなくてはならない。
ジョージは興奮しているためか饒舌だった。彼が拷問にかけられたのではないかと誤解したくなるほど。
自分が錬金術師であること、人体実験を行い人知を超えた生物を作り出すことを目的としていること、カリオストロを出会った経緯もそのお喋りな口で語った。
「トーマは若くして才気を認められ、呪術などという小賢しい禍で戦果を上げた。それがどういうことだか、お分かりになるかな、カルディア姫。我先にと国々が呪術師を集めて、呪術合戦。それで、何が起こったか、分かる?」
分からないと首を振りたくても触れない。口の中にある水が、溢れそうになる。少し希望を抱いた。だが、すぐに消えた。口から水は出ていかない。
ジョージは相槌も返答もいらないようだった。
「国の脳は皆等しく狂った。疑心暗鬼に陥り、人を殺し、陥れ、疑い、謀略の果てに裏切った。呪いを請け負った清族まで、綺麗に自殺や無理心中。体も丈夫でなければ、心も強靭ではない。清族の最期などあっけないもの。俺の両親も、呪いで死んだ。寿命は残っていたのに。妖精達に齧られて、ぼろぼろの姿で」
だからと言い聞かせるようにジョージは続けた。
「強靭な精神は強靭な肉体から。人の心を喪った獣になるくらいならば、自ら化け物になった方がまし。俺はね、人を越えた存在を作る。だって、人は途轍もなく弱くて悲しい生き物だからね」
ジョージの言葉は私に向けてではなかった。分からせようとしていないのだろう。彼の思考の矢印が読み取れるようで読み取れない。分かると軽々しく言っていいものではない。それなのに、どこか分かった気になるのが恐ろしかった。
「悲劇は繰り返してはならない。繰り返すとしても、その数を減らさなければ。死によって、目標を得た。ならば、突き進むだけ。人を解剖し、改造するうちに『カリオストロ』の方から接触して来たんですよ」
カリオストロの信者が接触して来たとジョージは繰り返した。
「俺のことを噂で聞いたと彼は言った。正確には、彼らの一人にだけど。カリオストロは夢が詰まった宝箱のようだった。多様で、複雑性に飛んでいたんだ。彼らは人の皮を被って生活しているようだったけど」
カリオストロは反女神を標榜する組織。
本を読ませて、人を異形に変えている。ジョージには人を新たな進化に導く光明のように思えたのではないか。
「カリオストロは足掛かりなんだよ。人が人という皮を破り、人智を超えた一つになる。人の体にメスを入れ、体を捏ねくり回し、人外へと変貌させる愉悦と充溢感。俺には使命がある。唾棄されるとしてもやり遂げなくてはならないものなんだ」
パチンと指が鳴る。
水の気配が消えた。
床にへたり込んだ体を持ち上げて、ジョージがにこりと八重歯を見せて笑う。
体が、ふるりと無意識に震える。
「だから、邪魔されるのは困る。ねえ、教えて? 誰が俺を売ったの?」
げほげほと口の中に残った水を吐き出す。
覚悟を決める。大丈夫、私は『女王陛下の悪徳』の愛読者。悪女にだって、なれるはず。
嘘を纏って、人を誑かす悪役に。
大丈夫、命懸けなど日常茶飯事。
冷静に、少し強気に。
震える拳を握りしめる。震えて、怯えても何も変わらない。
「――無礼者。お前は、やはりサンジェルマンからの使者ではないのね」
興味が擽られたような視線が向けられる。
かかったと内心手を打ち鳴らす。
「私もカリオストロだと言うのに、おかしなことばかり。この芳しい花の香りが分からない?」
芳しいと自分で言う厚顔無恥さに顔を赤らめながら、思い切って髪をーー花を千切る。
痛みに顔を歪ませながら拳の中の花を見せる。
急速に枯れた花を見て、ジョージは言葉を失ったように私を見つめた。
「お前は私が異形だと、どうして思わないの?」
私とジョージは見合ったまま、ゆっくりと近付いた。
彼は私の手から花をひったくると、素早く髪へと視線を向ける。
「どういうこと?」
「どうもこうもないわよ。私はサンジェルマンに勧誘されてカリオストロの信者になったのよ。確かにサンジェルマンに詳しい話を聞く前にあいつはいなくなっちゃったけれど」
「サンジェルマンから勧誘? だが、姫がサンジェルマンの屋敷に火を放ったのでは?」
そんなわけがない!
あいつからはもっと話を聞きたかった。まだ全く話を聞けていなかったというのに。邪魔が入ったのだ。
「違うわ。お前達の一派ではないの? 火をつける前にサンジェルマンと言い争っていたし」
ザルゴ公爵であったことは伏せる。
その方が話がしやすい。それに、ザルゴ公爵もカリオストロの信者の一人ではないかと疑っている。ならば、嘘にはならないだろう。
「……だが、どうしてゾイデック卿が動いたのかな。おかげで、こうやって姫を殺しに来るはめになった」
「ノアはお前達が私を策謀に嵌めてカリオストロにしたと思っているのよ。それに、あいつもサンジェルマンとの話し合いに参加していた」
「それは知ってる。火事当日にゾイデック辺境伯の紋章入りの馬車が出入りしていたと聞いている。連れ立っていたのはカルディア姫だったと」
ゾイディックの馬車だったのが、目をひいたのか。だが、幸いトヴァイスも同行していたことは知らないらしい。あの男がいたら、信者になったという話は現実味を失う。あの男は聖職者だ。目の前で、改宗をさせるような男ではないことは知られている。
「ノアも焼かれたかけたのよ。だから、報復に出た。ゾイディックの気質を知らないの? 彼らは面子を何よりも大切にする。顔に泥を塗られたら黙っていられない」
ジョージは黙り込んだ。ゾイディックの気質を知っているのかは分からないが、関わったら面倒なことになるという話は知っているだろう。
神妙な顔をして、思案しているようだった。
「ノアはお前達の諍いを、仲間割れとは見なかった。サンジェルマンは利用され、火を放たれた。私達を殺すためにお前達が謀ったと思ったのよ」
「……俺達はサンジェルマンを狙っていない。いや、他の司祭のことは知らないから何とも言えないけど、少なくとも俺は姫が殺したのだと聞いている」
「私達とお前達の組織を争わせたかった第三者がいたということではないの?」
よし、このまま陰謀説に持ち込もう。ザルゴ公爵がどこまで予測していたかは知らないが、あいつは私達を殺しかけた。疑惑という疑惑をあいつのせいにしてやる。悪の親玉の誕生だ。
「……なるほど。だけど、本当にカリオストロに加入したのかは怪しいところですね」
「正確にはサンジェルマンと信者になる交渉中だったのよ。私はカリオストロのことをよく知らなかったから。あいつは、私の信仰の証に、歌を披露させるつもりだった。カリオストロを讃える歌よ」
「歌? ……ふうん、賛美歌か。サンジェルマンの考えは悪趣味だけれど、理に適っている。今ここでその歌が歌える?」
「無理よ。もともと、イヴァンに作詞作曲を頼む予定だったのだもの」
それに歌は下手すぎて聞くに堪えないといいそうになって慌てて飲み込む。
イヴァンもカリオストロに勧誘されていた。カリオストロの関係者達との交流があればあるほど、私の言葉に信憑性が増す。
「……イヴァン? 音楽家の、イヴァン? そうか。そういえば彼は姫に懸想を……。どうやって誘惑したか知らないがうまくいってよかったね。妻と別れさせたと聞いている。彼は姫のいいなりだろうね」
「何を、馬鹿なことを。別れさせただなんて」
本当に何のことだか分からずに、歯切れが悪くなる。ジョージはその隙を見逃さず、一気に距離をつめて顎を掴んできた。
「この口でおねだりしたのでは? 私以外を見ないで。言うことを何でも聞いて、と」
ぎろりと睨みつける。ジョージは私のことを疑っている。安い挑発だ。イヴァンをたらしこんでそういうことにしたと思っているようだ。
「私なら、音楽への浮気は許さないわよ。ずっと側に侍れと言うでしょうね。それで、近くにイヴァンはいそう? 聖堂で、音楽を奏でていると思うのだけど」
「音楽にまで嫉妬を? 怖い女だ」
「その怖い女に触れているのはどこの誰なのだか。骨までしゃぶられるほど、私に弄ばれたいの?」
手を離せと指を何度か軽く叩く。
ジョージは恐れるように手をひくと、さっと袖の中に手を隠した。
「これほど悍婦だとは知らなかったな。指を出したら食い千切られそうだ」
「何を示せば仲間だと認めてくれるの。きちんと喋っているのだし、温情が欲しいわ」
「……うーん。でもねえ、姫を殺すのは議会が決定したことだしなあ」
議会?
まるで政治の有り様だ。カリオストロも多数決で物事を決めているのだろうか。
もったいぶるような沈黙のあと、ジョージが口を開いた。
「そうだ、ではトーマと探していたあれを教えて貰おうかな」
さりげなくを装って、ジョージはゆっくりと言葉を重ねた。
「トーマとヴィクターの研究成果を探していただろう? 俺はさあ、その場所を知りたいんだ」
見つけたんですよね、姫?
試すような視線に震えが走った。
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