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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「お前が殴るかわりに頭を吹っ飛ばしておいた」
「……それはどうも」

 イルが軽く頭を下げると、クリストファーは再び引き金を引いた。今度は何発も連射した。
 銃口から煙があがっている。
 肩、胸、腰、太腿、それぞれに大きな穴があき、血が噴き出す。
 イルが攻撃したときとは明らかに様子が違う。人間らしく血を流している。

「あれえ……どこから攻撃してるのかなあ」

 頭はなくなったはずなのに、道鏡の穏やかな声が聞こえてくる。
 悪寒が走る。やはり、道鏡は化け物だ。人間ではない。
 術だと思っていたが、おそらく違う。これはこういう生き物なのだ。口がなくても、顔がなくても、生きている生物なのだ。
 道鏡の周りを、心配そうに魚達が回遊する。どうしたの? と尋ねるように鰭で道鏡の体を触る。
 道鏡は宥めるように繋がっているのが不思議な腕を動かした。

「君がやったわけではなさそうだし、おかしいなあ。誰か、そこにいるの?」

 クリストファーはその質問に答えるように腹を撃ち抜いた。
 腹部に巨大な穴が空き、そこから臓物がこぼれ落ちてくる。肉塊は地面に叩きつけられた。
 すると、さっきまで宙に浮いていた道鏡の体がふらりと傾き落ちていく。

「あたりか」

 クリストファーは臓物を追いかけるように、校舎を滑り降りようとした。だが、イルを振り返ると、低い声で言い放つ。

「お前はお前の仕事に戻れ。あの男はリブランでおさえる」
「おさえるって、どうやって。あれで死ぬようには見えませんけど」
「当たり前だ。あの男の本性はさきほどこぼれ落ちた臓物だろう」
「……はい?」

 真面目な顔をして放たれた一言に、呆気にとられる。

「人のなかに侵食し、住み着く寄生虫とでも思えばいい。人の体を持っていない、出来損ない。男の姿も借り物だろう。おおかた信者の体でも使っているのでは?」
「ま、待って下さい。あれが、虫? それはどういう……」
「お前の目にはあの男が生きているように映っているようだが、俺の目からすれば違うということだ。蛆がわいた顔がかちかちと歯を打ち鳴らすのを見るのは流石に肝が冷えた」
「その目には、あの男は……」
「死体に見える。蝿が集っていた」

 喉の奥が干上がった。
 どさりと地面に叩きつけられた男の体は月明かりを受けて緑色に変色しているように見えた。

「唇を読んで会話は理解したが、声も聞こえない。正直顔を見てぞっとしたぞ」
「俺も今悪寒がします……。抑えてくださるのは嬉しいですが、本当に抑えられるものなのですか?」
「当たり前だ。……お前に、女神カルディアの祝福があらんことを」

 厳粛に祈られ、クリストファーがいなくなるまでぼおっと見つめてしまっていた。聖職者に祝福されたような神聖さを感じた。血生臭いにも関わらず、聖域のような清貧さがあった。

 ――カルディアを助けよう。

 クリストファーについて行ったのは、道鏡が始末に負えないほど厄介な存在だからだ。現に足止めをされ、トーマを使えなくされた。
 カルディアを助けに行こうとして、邪魔されてはかなわない。
 だが、クリストファーが留めてくれるという。イルが攻撃してもどうにもならなかった相手に血を流させたのは彼だ。任せて問題ないだろう。

「ヴィクター様ぁ、カルディア姫の居場所、分かったりします?」
「難しいですわね。トーマの術の残り香のせいで、探索は不可能だわ。妖精に見回りをさせますので、少しお待ちいただける?」
「こちらも足で探しますよ。遠くには行っていないと思いますし。聖堂に辿り着けているといいんですが」

 建物の屋上を飛び越えながら、バルコニーに滑り降りる。扉を開けて、室内に滑り込む。廊下を歩くと時間がかかるし、面倒だ。部屋を出て、廊下へ。
 壁を伝い、シャンデリアの上に乗る。しゃらしゃらと揺れるガラスを器用に避けながら、イルは天井ぎりぎりを動く。

「ヴィクター様はクリストファー様の魔眼について詳しいのですか?」
「……やはり、先ほどの一幕、気になりますの?」
「そりゃあもう。俺はあの人の魔眼は攻撃を跳ね返すって聞いたんですけどね」
「ふふ、人の噂は本質を突いているのに、湾曲して伝わるものですわね」

 廊下には人影すらない。高速でシャンデリアからシャンデリアに飛び移りながらヴィクターの言葉を漏らさないように耳を済ます。

「術を打ち消す魔眼と言ったらいいのかしら。正確には書き換えると言った方がよいのでしょうけれど、現象としては消されるというのな合っていますわね」
「それはどういうことで? 俺にも分かりますかね」
「原理など、魔眼の前では合ってないようなものですわよ。我々清族は算術と緻密な準備の果てに術を使います。即興であればあるほど術の精度は低く、粗くなる。魔力の消費も激しいものに。ここまではついてこれる?」
「……うーん。少し、考えさせてもらっても?」

 ヴィクターは苦笑をこぼすと、イルに構わず言葉を続けた。

「ドン・リブランの魔眼は術の演算に介入しますの。転移魔術ならば、座標を書き換えて、発動出来なくしてしまう。自己に対する術に関しては、自動的に発動し、介入してしまう」
「……本当に頭が破裂しそうなんですが。ええっと、つまり自分が対象になったとき、ドン・リブランの魔眼は勝手に発動して、術を殺しちゃうとそういうことですか」
「理解出来ているようで安心しましたわ」

 いい子いい子と子供を宥めるように褒められた。

「見るという行為は初歩的な呪術。それに、あの男は甘言を弄し、自らの術中はめようとしていた。だからこそ魔眼は効力を発揮したのでしょうね」
「それを聞くと、魔眼というのは大層都合がいいものに聞こえますね。……ん? でも、待って下さい。トーマ様の術はドン・リブランに影響を受けなかったんですか? この校舎全体に術をかけているって話だったと思うんですが」
「言いましたでしょう、術は算術と緻密な準備の果てにと。起こる現象が分かっていれば、それも計算の内に出来ますの。……まあ、それはドン・リブランを隔離していたからこそ出来たことですけれど」

 そういえば、クリストファーが挨拶しに来た時、家族が世話になると言っていた。彼ではなく、手下達が動く予定だった。
 だから彼は必要があればと言葉を濁したのか。
 道鏡の出現で必要に迫られた。トーマは制御不能になり、クリストファーが事態を収拾するために前線へと現れた。

「トーマ様は、術が乱される想定までされていたんですか」
「トーマではないわ。ドン・リブランを派遣したのはノア様です。そして、運用しているのは、テウ様です。……トーマは自らの術が破れたあとのことは考えていません。破られた時は死ぬときだと思っていたでしょうしね」

 ノアは道鏡の存在を予見していたのだろうか。それとも、保険として待機させていたのか。
 結果として、クリストファーは十全の働きをしている。
 窓から、狙撃をするリブランファミリーの構成員が見える。威勢が良かったカルロと呼ばれた男も混ざっていた。檄やすい男だったにもかかわらず、まるで虫を殺すように平然としている。空を飛ぶ魚の一匹が鋭い声を上げながら落ちていく。誰かの死体がまた出来上がった。
 事態は混迷を極め、優雅な勝利とは無縁だ。中庭は血で汚れ、噴水はワインのように真っ赤に染まっている。
 こうなるならば、もっと武器を持ってくるべきだった。
 イルは先程クリストファーに渡された銃をしまい、手持ちの武器を確認して、ため息を吐いた。




「じゃあ、ドン・リブランが血を流させることが出来たのも魔眼が?」
「ええ、言ったでしょう? あの方は、魔眼で演算を書き換えることが出来ますの。あの男は術で本来の空間座標と視覚情報で認識できる座標をずらしていたので、そこを正しい数値に……っーー! イル、どうかそこから退避を!」

 ヴィクターの焦った声と同時だった。背の高いガラス張りの窓が一斉に割れた。ガラスの破片が顔に飛び散り、頬に痛みが走る。

「っ?!」

 頬の痛みを拭うことで誤魔化しながら無意識に閉じようとする目を凝らす。
 きらきらとしたガラスの破片達とともに現れたのは、確かに人影だった。
 しかも、イルはその影の見覚えがあった。

「ヨハン様!?」

 剣を庇い、派手に床に転がったのは、あの騎士ではなかったか。
 吹き飛んだ体の側に飛ぼうとしたとき、自分の体をすっぽりと覆う影が出来ていることに気がつく。目の前が翳り、不快に眉を顰める。
 だが、それはいっときのことですぐにおかしいことが分かった。イルの眼球がぎょっと驚愕に見開かれる。

「……はい?」

 今日、何度も上げた素っ頓狂な声をこぼし、受け身を取る。体を揺さぶるような風が吹く。
 頭から室内に突撃して来たのは紛れもなく、竜だった。
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