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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 トラウザーズを履いたノアは、相変わらず体調が良くないようで、椅子に寄りかかりぐったりとしている。
 冷静さを取り戻した私とトヴァイスで、サンジェルマンに迫ることになった。

「元に戻ったのはどう言う原理なの?」
「儂は詳しい薬の成分など知らぬ。だが現象の説明はつくのではないか」
「呪いが癒えた。……科学の進歩を賞賛するつもりか?」
「まさか。科学とは不出来な者達を量産する毒のようなものじゃろう?」

 サンジェルマンの言葉には棘があった。
 進歩を疎んじているようだ。

「……でも、どうして教えてくれたの。お前にとって私達は治らない方がいい相手ではないの」
「人の話を聞かん女だ。治ってはおらぬ。それは治るようなものではない」
「それはつまり、薬を飲まないと元に戻るということか」

 答えはなかった。
 こういう時に詳しく事情を聞きそうな蘭王は黙り込んで使い物にならない。
 仕方なく、他の話題に移る。

「『カリオストロ』の司祭で、王都の顔役でもあるお前に聞きたいことがあるの」
「ほう、まだ知りたいことがあると? 欲しがりじゃな」
「数百年生きているというのは本当?」

 サンジェルマンは笑みを深めた。

「誰からそのことを聞いた?」
「音楽家のイヴァンから聞いたわ」
「あの音楽家か! あやつには頼みたいことがあってな。『カリオストロ』を広めるため、オペラの作曲をな。おぬしから言ってくれるならば、話してやってもよい」

 頷きかけ、今更気が付いて体が強張る。この少年――サンジェルマンは、声に合わせて口が動いていなかった。美しい微笑を湛えたまま、表情が止まっている。

「っ、お前……」

 ざわざわと声がする。小さな声。か細い声。背中から聞こえてくる、どこか懐かしい声。

 ――はなおとめ、綺麗ね。
 ――あんなに素敵な姿、久しぶりに見たわ。
 ――大神だって、見惚れるだろうな。

 誰なんだ。後ろを振り向く。けれど、背凭れがあるだけだ。
 振り返ったことで見えてしまった。入って来たはずの扉が消えている。この部屋のなかに、扉がない。

「トヴァイス」
「……ああ。気が付いたか」
「何が、どうなっているのよ」
「処刑人が言っていたのはどうやら正しいらしいな。おい、蘭王。これが清族の術かどうか分かるか」

 蘭王はゆっくりと顔を上げた。その顔は引き攣っているようだった。

「術も何もよくよく観察すればここがどこなのか分かると思いますけど。ほら、あれを見てください」

 壁が波を打つ。壁の模様だと思っていたものが、肉色に変わる。青と赤の脈打つなにか。どくりどくりと音がする。これは、心音だ。足から骨に伝わるような鼓動が、恐ろしい。

「ここはどうやら、腹のなかのようですよ。俺達は急ぎ勇んで食われに来たってわけです」
「その表現はげんなりしてしまうのう。別にとって食うわけではないぞ」
「ではどういうつもりだ」

 トヴァイスの質問を、サンジェルマンはせせら笑う。

「どうも何も入って来たのはそちらだろうに。招待はしたが、強制はしておらぬ」
「……姿を見せてみろ。その人形はもういい」
「別におぬしに見せるための人形ではないのだが」

 腕を動かし、少年がきょろきょろ視線を動かす。細かい動作が出来るのに、サンジェルマンはあえて口を動かさなかった。私達自身に気付かせるためだ。性根が悪い。驚かせたかったのだろう。

「それに貴様らは儂の体を眺めていたではないか。余すところなく」
「何を言っているの」
「……この屋敷自体が、サンジェルマンというバケモノだということですか?」
「なんだ、いやに察しがいいな」

 少年は椅子から立ち上がり、とんとんと革靴で床を叩いた。すると露出した肉肌が裂け、血が海のように流れ出て来る。

「生まれた時からこの形でな。母の股から生まれた時は二本足で歩いたというが、さてはて」

 ありえないと押し黙ることしか出来なかった。普通では考えられないことだ。屋敷の形をした人間? いや、それでは人間の定義が危うくなる。
 いっそ、妖精や魔獣であればよかった。
 そうであれば、ここまで混乱しない。

「お前は屋敷の形をした人間で、何百年も生きてここに住んでいるのよね? サンジェルマンは貴方の名前。お前は人形を変えることで、代替わりをしたと思わせていた」
「そうだな。この姿は儂のお気に入りじゃ。なにせ高貴じゃろう?」
「……お前も清族用の薬を飲めば、人間の姿を取るの?」
「さあ、どうだか。儂は最初からおぬしらのような姿で産まれていない。それに人間、人間か。傲慢なことじゃな。自らの形と同じものだけが人か? そもそも、お前が人だという証拠があると? 儂からすれば、おぬし達はなりそこないだ」

 くすくすと背中で笑い声が響く。そうだそうだと同意しているようだった。

「体が大きくて何が悪い? 小さいものを踏み潰せるだろうに。そこの男のように獣の耳がついて何が悪い? 音に敏感になれるだろうに。地を這いずって何が悪い? 地の底までよく見えるというのに」
「それ、は……」
「おぬし達は集団が大好きだ。同一が大好きだ。個性は嫌いだ。他人より飛び抜けたものが嫌いだ。優越感を与えてくれる下等なものが好きだ。だから、変わったものに同情を向ける。可哀想だと、憐れだと、まるで上位種のように振る舞う」

 サンジェルマンが、くるりと踊った。軍服の飾りが音を立てる。
 戦果の証。選ばれた戦士の証。
 何を思って、軍服を着せているのだろう。彼はいつの時代でも軍人ではなかったはずだ。だって、人形の姿で戦場には出れない。

「多様になりきれなかった。個で生きることが叶わなかった。おぬし達は儂になれなかった。なりきることが出来なかった。可哀想に、その資格を失ってしまっておった」

 蘭王が立ち上がる。それに合わせて、トヴァイスも立ち上がった。

「ど、どうしたの?」
「これは……この姿は、資格を取り戻したことになるのか?」
「つまり、誰もがこの姿になり得ると? ああ、そういうことですね? 俺が呼ばれたのは」
「何? 何なの?」

 今にも走り出しそうな蘭王の首根っこをトヴァイスは掴んだ。

「ああ、そうじゃ。女の質問にきちんと答えてやらねば。たしかに儂は二百年前から生きておる。この体は、その体よりも寿命が長いようでな」
「寿命が……?」

 さっきから頭が混乱している。蘭王は何に気がついた? トヴァイスはなぜ蘭王を捕まえた?
 異形であれば寿命が長くなるのか?
 そう言えば清族は薬を飲んだ時、一時的に魔力が膨れ上がるという。そしてその魔力を消費する形で寿命を知れる。
 だが、おかしいと思っていたのだ。
 魔力が膨張するのはなにも薬を飲んだ時だけではないはずだ。
 そもそも、魔力が多い清族はなぜ寿命を知れないのだろうか。
 もし、薬を飲むことこそが寿命を知ることが出来る条件だとしたら?
 薬を飲むことによって、人間らしい形を取得する。その過程で寿命が縮んでいたとしたら?

「蘭王、俺は聖職者としてお前の思惑は看過できない」
「いいじゃないですか。今回、俺は商売をしに来たつもりです。商材があれば、売って儲ける。商人として正しいつもりですが?」
「『カリオストロ』を手に入れるつもりか?」
「方法はいかようにでも。裏ルートで回っているので」

 蘭王は『カリオストロ』を売りに出すつもりなのだろうか。でも、何のために?
 二人の思考についていけない。二人が見出した商機が私には見えない。

「おっと、少々待て。ザルゴが来たようじゃ。皆で食事でもするか」
「――茶番に付き合っていられるか」

 トヴァイスがノアに目線をちらりと動かした走らせたときだった。耳を劈くような爆発音が響いた。

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