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第二章 王子殿下の悪徳

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 螺旋階段を降っていく。
 隙間風が吹き付け、腕で胸を隠し暖を取る。
 階段の壁には蜘蛛の巣が張っていた。手をつけると網状の銀糸が張り付く。指で取ろうにも絡まって、上手く外せなかった。
 下に下に、ただ歩んでいく。
 先導するリュウが少し振り返り、私とサガルの歩調に合わせる。
 たどり着いたのは、赦しをこう男の像の前だった。像の頭を許すように撫でると、壁が歯車のような音を立てて動き始める。
 大きな樅の木が立った丘が見えた。草花がそよいでいる。太陽の光は満遍なく大地に注がれていた。天を見上げて、思い直す。これは人工的な光だ。太陽光ではない。太陽の臭いがしなかった。洋燈の光のような臭いがする。
 土を運んで種を蒔き、ここで育てたのだろうか。木はすくすくと成長し、立派な葉をいくつも吊り下げている。
 ゆっくりと人影が近付いてくる。その姿は近づくごとにどんどんと大きくなっていく。サガルの眼前に来た時にはすでに顔を上げても、視界に頭が入りきらなかった。首のところできれてしまう。
 首が木のように伸びた毛むくじゃらの男だった。サガルに一礼すると、長い首筋を晒すような格好になる。そして、すぐに顔をあげる。長い棒がそのままぶんぶんと振り回されるような威容に足が後ずさる。
 男は恐れを抱かれたと思ったのか、おずおずと私に花を差し出した。甘い香りのする桃色の花だった。

「ありがとう」

 サガルが声をかけると、また頭を下げて踵を返す。ここは彼らのような人間のための楽園なのだろうか。穏やかに吹く風が毛むくじゃらの男の髪を揺らしている。

「こっちに来て」

 サガルが手を引いた。リュウの姿はいつの間にやらなくなっていた。

 サガルに手を引かれるまま後ろをついていくと次々に奇怪な姿をした生き物達と出会った。彼らは温和で、まるで争いを知らないかのようにのびのびと過ごしていた。
 人間のような姿をしているもの、していないもの。それぞれ半々といったところだろうか。
 馬面の男は足だけが人間に似ていて、足の指が五本あり、踝から前に足が突き出ていた。
 逆に鳥のような女は顔は人間で、乳房も人間のものと相違ないのに、太ももから足先にかけて鳥の引き締まり枝のように細い脚をしていた。
 目の前を通ると、彼らは作業を止めて軽くお辞儀をする。殆どが花や木に水やりをしている。けれど遊んでいるのか追いかけっこをしている二人組もいた。微笑ましくて、つい目で追いかけてしまい、サガルに笑われてしまった。

「追いかけっこしてみる?」

 驚いて首を振る。サガルはますます上機嫌になる。

「僕達は外で駆け回るなんてことできなかったもんね。追いかけっこもしたことがなかった」

 サガルの肌は太陽も月も同じように嫌った。それに、私達は塔のなかにいたのだ。外を駆け回る機会なんてなかった。

「あそこで駆け回っている子達はもともと一つに繋がっていたんだよ。体が癒着していたんだ。結合双生児といってね、生まれた時から一緒だったんだ」

 だが、今は体がくっついているようには見えない。人の形をした二人が追いかけっこをしている。

「姿は蟹みたいだった。とても優美で左右対称な姿だったな……。清族が僕に内緒で二人を切り離してしまったんだ。貴重な研究材料になると言ってね。両方生き残ったのは奇跡だよ。離れ離れになった双子はどちらか片方か、両方。死ぬ方が多いんだって。離れると悲しくて死んでしまうんだろうね」

 サガルは私の手を握って高く手を挙げて振る。気がついた彼らが振り返してくれた。手が銀色の義手だった。右と左の銀色の輝きが重ね合わせるように手を挙げている。

「二人はここを出て施設に送られることになっているんだ。留まればいいと言ったんだけど、二人ならばどんな場所でも生きていけると頑なに信じているみたいだった。外に出ていろいろな場所を見て回りたいんだってさ」

 二人でならば……。
 幼稚な考えだとはサガルは言わない。ただ、それが実現不可能なことが分かっているのだろう。言葉の奥で仄暗い闇が渦巻いている。
 体が繋がっていたからこそ、彼らは二人で一人だった。何もかもを共有して、慈しみあっていられた。切り離され、離れ離れになった今、自我が芽生え二人だけの世界は崩壊していく。そうでなくとも、否応無しに世間に放り出される事になるのだ。
 二人だけでは生きていられない。世界はそんなに優しくない。人間はそこまで善良ではない。天国のようなこことは比べ物にならないぐらい活気に満ちていて、乾いていて、歪んでいる。善と悪は渾然一体で、愛情も憎悪も簡単にひっくり返る。
 人の世界は不確かだ。もやもやとしたつかみどころのない感情が支配している。理論でも、理性でもない。簡単に崩れて落ちてくる崖のようなもので、誰も近寄り難いのに尖頭に立って覗き込んでしまう魅力に満ちている。
 その事にいずれ気がつく。一緒にいられなくなった私達のように。

「僕達はここを見て回ろうか。外の世界なんか見ても面白くないよ。僕達は、僕達だけはずっと一緒にいようね」

 サガルにとってここは、癒しの空間なのだろうか。気に入っている美しい生き物。穏やかな気候、緑豊かな自然。揃えられた完璧な人工物達。このなかで一生を過ごしたいのだろうか?
 鼻歌をうたいながらサガルが道を再び歩く。私とサガルは手を繋いだままだ。ゆっくりと腕を振り子のようにふった。
 幸せで、地獄の中にいるみたいに不幸せだった。相反する感情が爆発しそうなのに、声にすることはできない。
 ふふっと笑われる。

「カルディア、大好きだよ」


 その日の夜は草木が生い茂る人工的な森の中の小屋で一泊した。サガルは私と体を絡ませてぐっすりと眠った。
 翌日にはいつもの籠の寝台の部屋に戻った。寝るときは、いままで以上にくっついて寝るようになった。一緒に生まれたわけでも、同じ腹から生まれたわけでもないのに、サガルと体を触れ合わせると懐かしさでいっぱいになった。いっそのこと、結合双生児のように一緒に生まれてこれればどれだけよかっただろうか。離れたら死ぬのだと思って生きてこれたらどれほどよかったか。
 ぼんやりとした頭にイルの声がする。
 泣きじゃくり、赦しを乞うている。ごめんなさいと繰り返している。私はおかしい。ずっとずっと昔から、異常をきたしたまま野放しにされている。サラザーヌ公爵令嬢のように表面化しにくいだけで確実におかしいのだ。私も病院に入れられるべきなのに、免れている。

 どうしたらいいの、ギスラン。倒れ臥す体に問いかけても、答えは返ってこない。

 眠気が訪れない。サガルの腕をそっと外し、床に寝そべる。そうするとギスランが近付いてきて、目の前で止まる。喉から血を流したまま、私に寄り添っている。
 急に甲高い叫び声がした。光に誘い込まれる蛾のように声の方に這っていく。どうやら扉の外から声がするようだ。扉は鍵がかっていて開かない。しかたなく、扉に耳をつけて感覚をそばだてる。

「サガル、サガル!」

 聞き覚えがある声にぞっとした。あの女がサガルを呼んでいる。甘ったるい、惑乱した声で愛人に呼びかけているように。

「出てきてちょうだい。貴方が来ないと皆興醒めして帰ってしまうの。わたくしが相手すると言っても、無言でいなくなってしまうのよ。……みんな、貴方の新鮮な体がほしくて来てくれているのよ」

 顔に影が出来た。起き上がったサガルが私を抱き締めた。扉に背を向けて、私の体ごと丸くなる。仰け反った体を保つためにサガルの首に手を回した。

「なにがそんなに気に入らなかったの? 公爵夫人と寝させたから? あの枯れた女と一夜を過ごすのは苦痛だった? それはそうよね。あの女、香水の臭いで誤魔化しているつもりなんでしょうけど、酷い加齢臭がするものね。そのくせ、精力が有り余っているせいで……ああ、嫌だ嫌だ、鳥肌が立ってきた」

 カタカタと体が震えている。サガルはあの女を恐れているのだ。扉越しだというのに、声だけで。

「それとも男爵の倅と交わらせたのがまずかった? 正気を失った彼に酷いことをされたって聞いたわ! でも、大丈夫! あの男には母様も酷い目に合っているのよ。お前だけじゃないわ!」

 正気を失っているのはお前の方だと言ってやりたい。なにが自分も酷い目に合っている、だ。
 なら、酷い目に合わないように守ろうとなぜ思わないんだ。サガルは血の繋がった実の息子。どうして酷い真似が出来るんだ。
 震えるサガルのことがわからないほど狂ってしまったのか?

「ねえ、出てきて、サガル。わたくし達、親子でしょう? 一心同体のはずだわ。お前の痛みはわたくしの痛み。わたくしの痛みはお前の痛み。分け合って生きて生きましょう」

 サガルが返答しないことに焦れたのか、ぐずぐずと鼻を鳴らし、縋るように涙声を出す。

「嫌いになってしまったの? わたくしにはお前しかいないというのに? 寂しいわ、サガル。顔だけでも見せてちょうだい」

 嫌だと、首筋の近くでサガルが返答する。
 大声で返すことが出来ない。首に回った腕に力を入れる。弱々しい抵抗に、歯を食いしばるほどの怒りを覚える。

「……どうしても、会いたくないのね。こんな場所にわざわざ出向いてやっているというのに?! お前を塔から出すんじゃなかった! あそこでのたれ死んでいればよかったんだ。恩知らずめ!」

 泣き落としは通用しないと悟ったのか、汚い言葉でサガルを罵る。サガルの耳を塞ぐ。
 汚い言葉をこれ以上注ぎ込まれたくなかった。サガルが受けるべきものじゃない。

「大切なあの馬鹿女のことはいいのね! お前がわたくしに尽くさないなら、もう殺してしまって構わないんだから。そもそも、お姉様の子なんて生かしておく必要はないのよ。死体をお前の前に引きずり出して、内臓を食らってやるわ! いいのね、お前は自分の妹を見殺しにするのよ!」

 それではまるでサガルは私のために今まで責め苦に耐えてきたようじゃないか。私を守るために、あの女の言う通りに振舞ってきた?
 目の前のサガルはゆっくりと目を細めて、笑う真似をした。
 それだけで、サガルが私に悟らせないようにしていたことを察してしまう。仕事だと、社交だと言っていた。
 けれどそれは方便で、本当は私を守るために淡々とこなしていたのか。
 あの女は何度も私を殺そうとしている。サガルとの約束は守られていない。それでも、従うしかなかったのか。彼女は王妃だから。権力と人を集める美を持っているから。私が無力だから。
 対抗できる力が私にはない。それどころか卑屈で社交嫌い、性格も捩くれていて敵を作りやすい。そんな女のためにサガルはぼろぼろになっていたのか。
 誰も助けてくれなかった。
 こんな簡単なことなのに。
 馬鹿だ。馬鹿すぎる。サガルの言葉にいい気になって、浮かれて、本質を見抜けていなかった。
 酒を浴びるほど飲んで正気をなくすほど追い詰められているのに、恐ろしいと警戒してばかりだった。ここに閉じ込めたのだって、サガルなりに思うところがあるのかもしれない。ギスランを撃ったのも、あの女の手下だと勘違いしたせいなのではないか。
 そう理由をつけても、サガルを許せない自分がいた。ぐちゃぐちゃな感情を丸めて捨てるように力を込めてしがみつく。

「サガル、人殺しになんかなりたくないでしょう? 母と一緒に遊びましょう? ねえ、出てきて……」

 サガルを誘う魔女の声だ。悪徳へと誘う悪魔の囁き。耳を傾けて仕舞えば最後、骨の髄まで貪り尽くされる。女はあらゆる感情を揺さぶり、サガルを意のままに操ろうとしている。
 男にも女にもサガルの体を売り渡して、自分の虚栄心を満たしたいらしい。目が潰れるほどの美しさを持っているのに、周囲に飽きられている。その途方もなさに愕然とする。あの女は、美しさが霞むほど交わり、溺れていたのだ。美人は三日で飽きる。
 どれほどの美姫でも、慣れには勝てない。人は飽きる生き物だ。愛や恋にも倦怠期が訪れるように、永遠なものはない。

「お前は兄達のようにわたくしを見捨てたりしないわよね? ……おぞましい女だと軽蔑していないでしょう? 早く、顔を見せて。安心したいのよ」

 女の声がいつまでも響く。耳を塞いだまま、私達は縮こまり、嵐が過ぎ去るのを丸まって待った。


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