上 下
100 / 315
第二章 王子殿下の悪徳

95

しおりを挟む
 
 それからサガルは酒を飲んで返ってきては、別室で女を犯すことを繰り返した。相手が娼婦なのか、貴族なのかは判然としない。嫌がらせのように兄様と呼ばせているのが扉越しに聴こえてきて、聞きたくないのに耳を澄ましてしまう自分に嫌気がさす。
 リュウは気楽なもので、部屋で思い悩む私を見つめるだけでぼおっとしていた。
『女王陛下の悪徳』は隅から隅までくまなく読んだが、あの挿話と挿絵以外は変わったところはなかった。
 恐らく、挿絵はザルゴ公爵が描いたものだろう。ならば、それほど昔の本ではなさそうだ。ページも茶けていないからまず間違いないだろう。
 だが、ならばあの挿話はいったいどこからやってきたのだろうか。
 日時の感覚はもうなかった。こんなのギスランに軟禁されて以来だった。あいつは私に無断で睡眠薬諸々を使っていたからなお悪い。
 あいつは今どうしているだろうか。唇に手をあててギスランの肌や唇の触感を思い出す。
 食事は細々と食べていた。口に入れると吐きそうになるが、ものが口に入るうちに、気持ちが澱んで、脱力する。薬を入れられているのだと思う。異物が喉を通るたびに内臓がぐるぐると音を立てる。
 ギスランに会いたいと食べ物を消化している時によく思う。胃酸が粘膜を溶かす痛みに耐えながら、あの男の腕を掴んで悲鳴をあげたくなる。口付けも、したい。変な欲求がわいてくる。
 私は寂しいのだろうか。
 それさえ、自分ではきちんと自覚出来なかった。

 オペラを観に行くとサガルが言い出したのは、それからいくらか経ってからだった。サガルが連れていたアンナが出演する『女王陛下の悪徳』だ。
 私も一緒に連れて行く気らしく、ドレスも靴も首飾りなどの装飾具もきちんと用意されていた。当日、リュウのかわりにサガルが私のコルセットを締めた。
 慣れていない手つきだったからか、そこまできつくは締められずに済んだ。
 馬車に揺られ、オペラハウスにたどり着く。
 強大な神殿のような造りになっている玄関口から入ると周囲の視線がサガルに集まるのが分かった。熱っぽく湿り、欲望と野心を含んだものだ。サガルは何のことはないと言わんばかりに、周りに手を振ってこたえている。
 私は隣で丸くなって、目立たないようにエスコートされるままについていくことしかできなかった。
 ボックス席にたどり着くと、ひっきりなしに貴族達が挨拶に現れる。それに受け答えをするサガルの横顔には、酒浸りの狂乱がなかった。
 儀礼に乗っ取った綺麗な王子がいるだけだ。
 ぽうっと顔を赤らめ放心する貴族達を心配して、優しく気を遣う。包み込むような細かな気配りだった。サガルに紹介されるたびに彼らの視線が訴えてくる。
 私がここにいるのは、似つかわしくない。並べてみるとその差は一目瞭然だとばかりに鼻で笑う人間もいた。
 嫌味な奴だと悪態をつく元気もない。
 一通り挨拶が済むと、サガルはゆっくりと座席に腰かけた。

「あいつら、僕に媚を売って滑稽だよね」

 そっと耳元でそう囁かれる。
 ぎょっとしてサガルを見つめると、にやりと笑みが浮かんだ。

「僕が王になると本気で思っている奴らも多いんだよ」
「サガルは王座には興味がないの?」
「ない。王座に座っても手に入れたいものが手に入らなくなるだけだ」

 兄弟同士の殺し合いに発展しないだけましなのだろうか。サガルはじっとりと熱っぽい視線を私に向けていた。

「そのドレス、とても似合っているよ」

 サガルに選んでもらったドレスは全体的に青い。レース状の袖が特徴的だ。
 サガルはこげ茶色の紳士服なので、並ぶと見栄えがいい。

「……ありがとう」

 お礼を言う口が重い。

「僕は少し、楽屋に寄ってくる。公演後は混んでしまうから、挨拶だけしてくるよ。カルディアはどうする?」
「人にあてられたわ。ここで待っている」
「分かった。くれぐれも、逃げないようにね。お前の大切な人は僕の手のひらの上だ」

 釘をさすように一言添えて、サガルは私の首元に噛み付いた。ぴりっとした痛みが走った。

「おまじない」

 機嫌良さそうにサガルが椅子から立って行ってしまった。
 ぼおっとそれを見送った。
 精力的に動き回るサガルを見たのは久しぶりで、いつもの酔人になって帰ってくる彼の姿が幻のようだった。
 せっかくの『女王陛下の悪徳』のオペラなのに、楽しみに思えない。

「そんなところでぼうっと阿呆のように惚けている女がいるな。おや、国王の愛人の子じゃないか」

 嫌味ったらしい台詞に後ろを振り向く。
 体格のいい伊達男が腕を組み私を睨みつけていた。濡れ羽色の黒髪を後ろに撫で付ている。
 目の色は緑色。森の緑というよりは花の茎の色の方だ。繊細で、難しげな瞳。

「トヴァイス・イーストン……」
「ああ、勘違いするな。馬鹿にしているわけじゃない。事実だ、そうだろう?」
「お前、人に喧嘩を売らないと生きていけない病気にでもかかっているの?」

 聖職者を思わせるコートには、金の白百合の刺繍が施されている。紳士服は当たり前のように上等なもので、カフスの宝石はサファイアだ。

「馬鹿を言うな。この高貴な俺がそんな病にかかるとでも? どこぞの新興貴族とはわけが違うんだぞ」
「今まさに罹患しているのに気がつかないなんて」

 これの口の悪さで聖人でもあるのだから、狂っている。

「だいたい、そうやって他の貴族達のことを新興と呼ぶのは、お前とノアぐらいよ」
「嘆かわしいことだ。せいぜい三百年しか、貴族を名乗れていない成金どもと肩を触れ合わせる機会があるなど。怖気が走る」
「……平民達を嫌悪する貴族みたいな反応だわ」

 三百年前の革命で台頭した大四公爵家は国の中枢に位置している。
 だが、革命以前から続き、今も勢力を保っている大家の一つの当主であるこいつが言うと笑ってすまされない問題だ。
 イーストン辺境伯。
 彼が治めるのは聖遺物が集まる神聖な土地だ。宗教的に深い意味を持つ。女神カルディアを信奉する国民ならば、一度は行ってみたいと夢想する場所だった。

「似たようなものだろう。どちらも高貴な我らにたかる虫だ」
「……その自意識過剰さ、大人になっても治らなかったのだからもう一生治せないのでしょうね」
「お前こそ、その年になって目上の者に対する言葉がなっていないぞ」

 こうやって偉ぶるのだからたまらない。

「何しにきたのよ」
「サガル様に挨拶をしに来た。お前に会うためではない」
「今、アンナーー歌姫に会いに行っているからいないわよ」
「はん、あの売女に? サガル様もなりふり構わずといったところか」
「……どう言う意味?」

 鼻白んだままトヴァイスは私を睨め付けた。
 緑色の強気な色の目とかち合う。

「サガル様は隠居なさるおつもりらしい」
「隠居って……まだまだそんな歳ではないでしょう?」
「だから、皆止めている。だが、マレージ子爵を懐柔し、とある辺鄙な土地に別荘も建てられたそうだ。近々、移り住む予定だとか」

 初耳だった。私にはその兆候すら見せていなかった。
 いつの間に、サガルは計画を立てていたのだろう。

「それがなぜ、アンナと関係あるのよ」
「マレージ子爵の後妻に座るのがあの女だからだ。きいていないのか?」

 ゆっくりとトヴァイスが近付いてきた。
 マレージ子爵のことは知っていたが、隠居のことは聞かされていなかった。
 ぴたりと私を無理なく見下ろせる位置で止まる。

「本当に知らなかったのか?」
「知っていたら引き止めているわよ……いや、どうなのかしら。もしサガルがそれがいいと言うのならば」

 止める権利は私にはない。
 それにもしかしたら、取り巻く環境が変わればサガルは嫌なことから逃げられるかも知れない。

「……まあいい。ノアはまだ顔を見せていないのか」
「ノア? オペラハウスに来ているの?」

 元婚約者の一人であるノアはオペラ鑑賞を楽しむような性格ではない。
 物語性のある本だって、現実とかけ離れたものだ言って嫌悪しているぐらいだ。自主的に鑑賞しに来るとは思えない。

「わざわざ辺境のゾディックから来ているんだ。遊べと命令しておいた」
「……お前のイーストンも辺境にあるくせに」
「馬鹿め、王都がイーストンから離れているんだ。来てやっているのだから、光栄に思え」

 昔から全く変わらない考えに溜息が出てくる。これほどまでに自分の領土至上主義だといっそ小気味がいい。

「ノアが後々顔を見せるだろうが、あまり新婚生活には触れてやるなよ」
「どうしてよ」
「男には触られたくない話の一つや二つあるんだ」

 自分も新婚だからだろうか。
 言葉には切実さがあった。

「他人を心配しているけれど、自分はどうなのよ。お前のところも新婚なのでしょう?」
「俺は彼女を同じ人間とは思わないようにした」

 一言は重かった。続きを催促することを奪う真剣な口調だ。

「結婚は人生の墓場だ。容易に足を踏み入れていいものじゃない」
「……なにがあったのよ」
「言えるか」

 もともとトヴァイスは情深く、愛したがり屋だ。結婚する前も恋人が何人もいた。恋人達を平等に愛して、文句ひとつ言わせたことはなかった。
 結婚したらまた違うのだろうが、それなりに上手くいっていると信じてやりたい。愛人を囲っているなら別だが。

「……なんだか変な感じね。元婚約者の結婚話をしているなんて」
「そうか? ギスランと婚約しているお前の方が変だろう。俺はてっきり、砂漠の蠍王の所にでも嫁いでいくものだと思っていた」
「はあ?! なぜそうなるのよ」

 腕を組み直し、トヴァイスが片目を閉じる。
 気障ったらしいのに様になっていた。

「かの王は男やもめらしい。あれでも一国の王であるから、血筋は十分だ。王国にとっても利益になる」
「とても苛烈な性格だと聞いているわ。私が行って、死体で帰ってきたらどうするのよ」
「それはそれで都合がいい。あの国に攻め入る口実になる」

 そうなったら私は死んでいる! 政略の駒にしないで欲しい。
 国の展望より、命の方が私にとっては大切だ。

「お前、私に死んで欲しいの?」
「……ある意味ではな」

 死を願われるのはよくあることだ。
 だが、この男からだと心の優しい部分を刺されたような痛みが走る。

「俺の女にならなかった奴は死んでしまえと願っているからな」
「……お前が手酷く私をふったでしょう」
「ふったとしてもだ。お前は一度、俺のものになった。愛情を注いだのだから、他人に取られるのは業腹だ」
「子供の独占欲みたい」

 目を細めて、子供のように目元に皺を寄せトヴァイスは笑った。

「言っておくけど、お前のものだったことは一度もないわよ」
「婚約者だったんだ。俺のものだった」
「ならば今はギスランのものだわ。その理論だとね」
「そうだ。だから、腹立たしい」

 視線で顔を撫でられる。さっきまで子供のようだったのに、今では獣のように私を見て舌なめずりをしている。
 こういう時に、こいつが私よりも五つも歳が上だということを思い出す。
 子供のようなのに、大人の色香を垂れ流している。

「泥棒に盗まれた気分だ」

 何を馬鹿なことを言うのだろう。
 そもそも、こいつのものではないのに。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

氷獄の中の狂愛─弟の執愛に囚われた姉─

イセヤ レキ
恋愛
※この作品は、R18作品です、ご注意下さい※ 箸休め作品です。 がっつり救いのない近親相姦ものとなります。 (双子弟✕姉) ※メリバ、近親相姦、汚喘ぎ、♡喘ぎ、監禁、凌辱、眠姦、ヤンデレ(マジで病んでる)、といったキーワードが苦手な方はUターン下さい。 ※何でもこい&エロはファンタジーを合言葉に読める方向けの作品となります。 ※淫語バリバリの頭のおかしいヒーローに嫌悪感がある方も先に進まないで下さい。 注意事項を全てクリアした強者な読者様のみ、お進み下さい。 溺愛/執着/狂愛/凌辱/眠姦/調教/敬語責め

【R18】幼馴染の男3人にノリで乳首当てゲームされて思わず感じてしまい、次々と告白されて予想外の展開に…【短縮版】

うすい
恋愛
【ストーリー】 幼馴染の男3人と久しぶりに飲みに集まったななか。自分だけ異性であることを意識しないくらい仲がよく、久しぶりに4人で集まれたことを嬉しく思っていた。 そんな中、幼馴染のうちの1人が乳首当てゲームにハマっていると言い出し、ななか以外の3人が実際にゲームをして盛り上がる。 3人のやり取りを微笑ましく眺めるななかだったが、自分も参加させられ、思わず感じてしまい―――。 さらにその後、幼馴染たちから次々と衝撃の事実を伝えられ、事態は思わぬ方向に発展していく。 【登場人物】 ・ななか 広告マーケターとして働く新社会人。純粋で素直だが流されやすい。大学時代に一度だけ彼氏がいたが、身体の相性が微妙で別れた。 ・かつや 不動産の営業マンとして働く新社会人。社交的な性格で男女問わず友達が多い。ななかと同じ大学出身。 ・よしひこ 飲食店経営者。クールで口数が少ない。頭も顔も要領もいいため学生時代はモテた。短期留学経験者。 ・しんじ 工場勤務の社会人。控えめな性格だがしっかり者。みんなよりも社会人歴が長い。最近同棲中の彼女と別れた。 【注意】 ※一度全作品を削除されてしまったため、本番シーンはカットしての投稿となります。 そのため読みにくい点や把握しにくい点が多いかと思いますがご了承ください。 フルバージョンはpixivやFantiaで配信させていただいております。 ※男数人で女を取り合うなど、くっさい乙女ゲーム感満載です。 ※フィクションとしてお楽しみいただきますようお願い申し上げます。

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

【※R-18】パラレルワールドのゲートを潜り抜けたら、イケメン兄弟に奉仕される人生が待っていた。

aika
恋愛
彼氏いない歴=年齢の三十路OL、繭。欲求不満で爆発しそうな彼女の前に、ある夜パラレルワールドへ続くゲートが現れる。 興味本位でゲートを潜ると、彼女はイケメン兄弟たちと暮らす女子高生になっていて・・・・ 女子高生になった彼女は、イケメン兄弟に奉仕される官能的な日々に翻弄されることに。 冴えないOLがオイシイ人生を生き直す、ご都合主義の官能ラブストーリー。 ※逆ハーレム設定、複数プレイ、変態プレイ、特殊設定強めになる予定です。苦手な方はご注意願います。

【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜

船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】 お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。 表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。 【ストーリー】 見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。 会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。 手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。 親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。 いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる…… 托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。 ◆登場人物 ・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン ・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員 ・ 八幡栞  (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女 ・ 藤沢茂  (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。

ドS騎士団長のご奉仕メイドに任命されましたが、私××なんですけど!?

yori
恋愛
*ノーチェブックスさまより書籍化&コミカライズ連載7/5~startしました* コミカライズは最新話無料ですのでぜひ! 読み終わったらいいね♥もよろしくお願いします! ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ ふりふりのエプロンをつけたメイドになるのが夢だった男爵令嬢エミリア。 王城のメイド試験に受かったはいいけど、処女なのに、性のお世話をする、ご奉仕メイドになってしまった!?  担当する騎士団長は、ある事情があって、専任のご奉仕メイドがついていないらしい……。 だけど普通のメイドよりも、お給金が倍だったので、貧乏な実家のために、いっぱい稼ぎます!!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

奴隷の私が複数のご主人様に飼われる話

雫@更新再開
恋愛
複数のご主人様に飼われる話です。SM、玩具、3p、アナル開発など。

処理中です...